前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

脳が「嫌いな人」を生み出す驚きのワケを読んだ。

初対面で「この人イヤだな~」と思うことは良くある。
とはいえ、一見で判断してはいかんと思い、思い込みを押し込んで、相対してみる。
話してみて、意外にも良い人だな~と思ったことはあまりない。

一見で「この人良いだな~」と思う人は、話してみてもやっぱり良い人であることがほとんどで「イヤだな~」と思う人は、だいたいその通りなのだ。

先の記事にあるように、人間は一瞬にして自分にとって相手が敵か味方か?といった判断を下しているという。それは野生の勘といっても良いだろう。

相手のイヤな面は、自分の中にあるイヤな面とイコールであることもあるから、全てが脳の思い込みとも言えない気もするが、どう努力してもキライな人を好きになることは滅多にない。

人生の中でキライな人とイヤイヤ付き合っても良いことはなさそうだから、せめてプライベートくらいは心許せる人達と穏やかに過ごしたいと思っている。

吉村知事!イソジンがコロナ重症化を減らす?症状を改善ではなく物理的消毒により唾液中のウイルス量を減らして他人への感染を防ぐのならあり?で、世の中が混乱している。

イソジンなどでおなじみの、ポピドンヨードうがい薬が、コロナ感染者の症状緩和に役立っていると、昨日、大阪の吉村知事が会見した。

と同時に関連のうがい薬がドラッグストアから瞬く間に買い占められ、さっそくネットで数倍の値段で転売されているそうだ。
マスクや消毒液の時もそうだが、こういうのって後を絶たないな~~と、呆れ果てて何も言えねぇ~!

これに対し、臨床数が少ないから安易に発表するな、と国はオカンムリの様子。

だが、冷静に考えて、風邪をひけばうがいをするわけで、うがい薬でコロナウイルスも軽減出来た事実がまだ少数だとしても、試してみる価値はあるだろう。

マスコミで発表されると、我先にと商品を買い漁る気持ちは分からないでもないが、もう少し冷静になった方が良い。

そもそも規則正しい生活をし、必要な栄養を摂り、適度な運動をしていれば、感染したとしても重症化しにくいし、感染率も低いのだ。

見えないウイルスと、それを取り巻く情報に私達は振り回され過ぎだ。
毎度言っていることだが、俯瞰した目で状況を見て、自分の頭で考え行動すること。
それが何よりも大切なことだ。

うがい薬も有効だろうが、塩水でうがいする、こっちのほうがよっぽど有効だったりして…「灯台下暗し」だ。

米ワシントン州で「殺人スズメバチ」初捕獲、当局は巣の捜索急ぐを読んだ。

先日、東京でも野生の日本猿が街を闊歩する姿が撮影されているように、ここ数年、山から野生動物が街に降りて来ている。

山を管理する者がいなくなり、人と動物との境目である里山が減り、人目が気にならなくなったことから、動物達は人を恐れなくなっている。

野生の動物が降りてくるということは、他の生物も同様だ。
これについては、里山減少だけではなく、地球の温暖化が大きく影響していると考える。

地球の温度が上がったことで雨の降る量が増え、山は水を吸い、限界にくると山崩れが起きる。
山林の管理が行き届かないから、山は簡単に崩れてしまい、そこに暮らす生物達が住処を失うのだ。

記事にあるアメリカの殺人スズメバチも、温暖化で巨大化したスズメバチであろうと推察する。

地球温暖化は、人間も動物も生物も、全てが生きられない環境に変えてしまうのにも関わらず、人はそれを顧みようとしない。

未来の地球は生物のいない星になるのだろうか…。

テレワークで“痛い50代”が大量生産される。社内ニートにならないためにを読んで頷く。

どこの会社や組織にも、使えない人というのがいる。
組織の仕事はほぼマニュアル化されていることが多いから、まずはそこをきっちりこなす必要がある。

これは基本中の基本であるにも関わらず「自分はこんな仕事をするためにここにいるわけじゃない」「俺の実力を知らないヤツとは仕事したくない」「こんなやり方だからダメなんだ」等々、言い訳だけは一人前のオジサン、枚挙に暇がない。

ノラリクラリと自分の言い分だけを並べ立て仕事をしない人は、どんなに学力の高いと言われる学校を卒業していても、結局のところ仕事をする能力がないのだ。
組織たるもの、こんな人でも置いておけるのだから、その体力たるや羨ましいとさえ思う。

とはいえ、コロナ禍における不景気は戦後最大級を記録しそうであり、どんなに大企業でも、そろそろ社内ニートを飼殺すほどの体力はないだろう。

組織にいれば自分に合わない仕事をせざるを得ない時もあるが、それを好機と捉え果敢に新しいことにもチャレンジする者であれば、ニートおじさんにはならないだろう。たとえ暇な部署に異動になったとしても、そこで自分のスキルを磨くような人であれば、次の異動で花形部署に抜擢されることもあるだろう。

つまりは、コロナ禍であろうがなかろうが、日々自分のやるべきことをきっちりやり、更に未来へ向けて精進している者は困ることにはならないのだ。

自分がリストラに遭ったことを世間や周囲に責任転嫁するような人は、どこまで行っても幸せにはなれないし、そうなる道を選択したのも自身でしかない。

社内ニートで仕事せず給料もらうようなオッサンは、それ相応の仕置きに遭うのは必然でしかない。

【エンタがビタミン♪】マツコが猫を飼わない理由に共感の声「こういう感覚大切、可愛いだけでは飼えない」に共感。

犬より猫が好きな私は、ウォーキング時や旅先で出遭った猫たちをスマホで撮影するほど、猫に愛着を感じる。

犬も見るだけならカワイイと思うが、子供の頃野良犬に追いかけられてお尻に噛みつかれたトラウマから、未だに触れずにいる。

猫を見ると無条件にカワイイ~~と近づきたくなるが、これまで一度たりとも餌をあげたことはない。
野良猫に至っては、向こうがすり寄ってきても、絶対触らない、と決めている。

以前住んでいた家の裏口に親猫が子猫3匹を連れて住み着かれたことがある。
その時でさえ一度もエサは与えなかった。

子猫達はエサ欲しさに必死にかわいいアピールをしてくるが、無責任なことは出来ないので、心を鬼にして見守るだけにした。

それからというもの、街で猫に遭うと猫が近づいてくるようになった。
そのせいもあり、猫の写真を撮ってインスタで紹介している。

猫のためとはいえ、家猫は虚勢され、家からも出してもらえず、違う面から見るとかわいそうだなと思う。本来猫は野生だし、のんびり外をパトロールしたいだろうに、家猫にはその権利はないのだろうか…。

猫や他の動物から病気を移されるリスクもあるし、虚勢しなければ毎年猫は子供を産むから、処分される命を無くすためという大義があるとはいえ、ちょっと複雑な心境だ。

猫といえどもひとつの命だということを思うと、かわいいからという理由だけで軽々しく飼うことは出来ないな、と肝に銘じている。

日本の幽霊の寿命は400年!?証拠に「関ヶ原近辺で目撃される落ち武者の霊が激減」…衝撃のツイートが話題を読んだ。

上記によると、人は肉体を離れて400年経つと、そこからいなくなるのか?魂が昇天するのか?いずれにしても、存在しなくなるようだ。

我が家は母方が若干の霊感があるため、昔から曰く付きの所に行くと、霊に付いて来られたり、見えたりする。

私もその血を受け継いでおり、時々見えない方々と遭遇することがある。子供の頃は怖いと思っていたが、今は生身の人間のほうが怖いので、そうでもなくなった。

私の父が亡くなったのが今から6年前だが、亡くなる1か月前に救急搬送された際、まだ生きていたが、魂は身体から抜け出て我が家に帰宅し、私に付いて回って「何で俺は病院にいるんだ?」としつこく聞かれた。

あんまりしつこいので「早く病院に戻らないと、そのままあの世逝きだよ」と説明すると「いっぱいお茶を飲ませてくれ」と言うので、湯呑に並々とお茶を注ぎ、父がいつも座っているテーブルに置くと、ほどなくして魂はいなくなった。

亡くなってからは、ほぼ1年間毎日のように我が家にいた。
生前から超食いしん坊だったことから、あれ食べたい、これ食べたいと注文があり、その度にせっせと供え物をした。

2年目から少しずつやってくる頻度が減り、3年目を迎えたある日、朝方夢枕に立ち「今まで引越さないでくれてありがとう。俺もうあっちに行くから」と言った。

その言葉通り、4年目以降はそれまでのように俗世っぽい雰囲気で出てくることは無くなった。

ということは!?人は亡くなって3年間は、こちらの世界とあの世を行き来しているのかも?と思わされた。

その後は、遺影を見れば何を言いたいかが分かるようになったので、恐らく?めでたく昇天された様子。

あの世のことや、霊(みたま)のことは、目に見えない世界のことなので、いい加減なことは言えないが、これは私が実際に体験した話だ。

信じるか信じないかはあなた次第!(ってことで)。

日々時間に追われる生活をし、仕事でストレスに晒されていると、たまには夜の宴でどんちゃん騒ぎをしたいという気持ちは良く分かる。

親しい仲間と酒を酌み交わし、言いたいことを話し、少しばかりハメを外す。
それでスッキリして、また明日から仕事に勤しめる、というものだ。

だが、これはコロナ禍以前までのことだ。
今は夜の宴がコロナ感染の大きな要因になっている現実を思うと、そうそう行けなくもなった。

ストレス発散のために行きつけでいっぱいやる、という行為はただ発散するだけであり、そこからの進展はない。少しばかりストレスが軽減されただけだ。

自粛生活により家にいる時間が増え、否が応でも家族と向き合うことになった。
人間の根源的生活は、まずは家族だ。そこを見つめ、絆を深めていくことが、家族と自身の進化に繋がっていく。

昨今は忙しさを理由に家族と過ごす時間をおざなりにした結果、絆は薄らいでいたのではないだろうか。
夫婦は互いを直視せず、子供にも感心を示さず、子供も親には期待せず、それぞれが違う目線で生きる、それが普通になりつつあった。

それがコロナ禍のおかげで、家族の在り方を考えるきっかけをもらえた。
更には、自身で蓋をしていた感情を改めて見つめ直す時間にもなった。

現代人に欠けているものは、自身の内声に耳を傾けることだ。

これまでの生活にはもう戻れない現実を受け止め、これからの道を模索すべく、内なる声に耳(心)を向けることが大切だ。

東京を始め、地方でもコロナ感染は増加の一途だ。
沖縄の離島でもとうとう感染者が出てしまったし、これまで感染者ゼロの岩手も第1号が出てしまった。

地方では感染者が少ないから、その行動履歴がつぶさに日本全国に報道され、本人はさぞやいたたまれないだろうな、と推察する。

日本のPCR検査は人口比での実施数は世界159位だそうだ。
えええーーーー!!!と、驚きでしかない。

恐らく3月頃の感染者数が少なかったのは、ただ単に検査が出来なかったからであり、現在も検査数は増えているとはいえ、それでも世界から見たら圧倒的に少ないのだ。
ということは、隠れ感染者はもっといる、ということだ。

こうなったら、朝、晩の検温と同様に、朝、晩PCR検査が簡単に出来ることが肝要だ。

世田谷区では区民全員に「いつでも、どこでも、何度でも」検査を無料で実施することを発表した。
区単位で出来ることが、なぜ国は出来ないのだろう。

休業要請のために持続化給付金をばらまくより、PCR検査をくまなくやって、感染者は即隔離し、健康な人で経済を回したほうが建設的だと思うのだが…。

GoToトラベルだって、朝晩のPCR検査が可能になれば、安心してどこにでも行ける、というものだ。

まずは「検査をする」そのうえで「選別をする」。
そんなシンプルな仕組みをなぜ国は作れないのだろう。

進化するウイスルにワクチンは有効ではない可能性が高いのだから、そこにかけるお金を検査に回せば良いのに。
あ、そうそう、アベノマスクもね、ドブに捨てる金があるなら、PCR検査だろ!!

コロナ対策で、国は各自治体に大方を丸投げし、あとは自己責任でよろしくね!が普通になってきた。

ここで露見したのが、丸投げされた責任放棄にどう対応したか?各自治体の長の出来・不出来が露わになった。
コロナは長期戦必至であることから、その差は余計広がるばかりだ。

各自治体にどれだけの権限や決定権があるかの詳細は素人には全く不明だが、与えられた中で最善を尽くせるかどうかは、やはり指導者の腕の見せ所だ。

国のやることが後手&ポンコツ過ぎるから、優秀な指導者はそんな者には頼らず、先手で物事を決めるし、実行も早い。自分の専門分野でなければ知見のある者から意見を聞き、余計な情報の精査にも長けている。

国がポンコツなのは、船頭が多くて先に進まないというのが一番の原因だろうから、これはとりあえず置いておくとしても、直近で対応しなければならない優先順位を俯瞰して判断出来るのは、各自治体の良さだろう。

それぞれの人口や予算にも差があるから、一概には語れない部分もあるが、そこはその場で暮らす者が物事の優位性や特質を見抜き判断すべきだろう。

有能な指導者は冷静、沈着、俯瞰する目を持ち、腹が座っているから判断に迷いがない。
ポンコツな指導者は周りの意見に頼り過ぎ、目の前のことに翻弄され、長としての腹が括れていない。

見た目同じ人間であるのに、この差って何だろう…と、報道を見るたびに思わされる。

コロナ感染したことで、周囲から白い目で見られたり、職場に居づらくなったり、退職を迫られたり、近所から心ないうわさ話をされたり、と、感染した苦しみよりも、さらに深い苦しみに苛まれる現実がある。

殊に田舎に行けば行くほど、特に最初の感染者となった人へのバッシングは容赦がない。
SNS上であることないこと書かれ、挙句の果てにはそこに住めなくなり、自死した者もいる。

誰もが未知のウイルスと向き合わざるを得ない中、目に見えない恐怖と闘っている。
その不安や恐怖を他者を攻撃することでしか解消出来ないとは…何と悲しいことだろう。
ウイルスへの具体的対応策がないことも更に、それに拍車をかけているのだろう。

とはいえ、人間には元々治癒力があるのだ。
これまでの人類の歴史において、多くのウイルス、細菌を克服しているのだから、コロナウイルスとだってきっと折り合いのつける日は来るはずだ。

目先の恐怖に捕らわれて、冷静な判断が出来ないことほど怖いことはない。
普段から規則正しい生活を送り、健康に留意し、最大の防衛をする。
それでも感染するかもしれないが、出来ることはやっておけば後悔はない。

本当に怖いのは、ウイルスに感染することよりも、人々の恐怖心から起きる攻撃のほうだ。

医療機関としては全国初のコロナ倒産 岸本整形外科医院(岡山)が破産申請を読んで先行不透明さを痛感した。

コロナ感染症により、休業を止むなくされた企業や商店等は多いことだろう。
いくら給付金が出るとはいえ、毎月の売り上げからみたら焼石に水だ。

医療機関はコロナ患者のために病棟を分け、本来治療の必要な人達を後回しにし、医療従事者は昼も夜もなく、ただひたすら患者のために働き詰めだった。

それなのに、夏のボーナスは出ないわ、周囲からは言われなき差別を受けるわ、自身も感染のリスクを抱えている、もしくは感染してしまったという者もいる、挙句の果てに病院は倒産するわ、ではまさに踏んだり蹴ったりも良いところだ。

指定感染症だから患者は医療費が発生しないかもしれないが、手当する側の収入まで無くなる?のでは、ボランティアじゃないんだから、そこは国がきちんと手当するべきだろう。

そもそも病院が倒産してしまっては、他の病気を抱える患者の行く先は無くなるし、コロナ患者を受け入れる病院も無くなってしまうだろう。

誰もが痛み分けをしている現実があるものの、根幹となる医療機関までもが倒れてはまさに本末転倒だ。

国には国の言い分があるだろうが、優先順位が何なのか?よくよく考えて欲しいと切に願うばかりだ。

コロナ蔓延に見る、100年前のスペイン風邪流行を事例とする特集番組を観たことがある。

100年前はスペイン風邪(現代のインフルエンザ)が感染症であること、現実逃避のため遊興にふける人が多く集まる場所や、祈りのために教会に人が集まることで更なる感染拡大を招いていることが理解されていなかった。
情報の伝達は曖昧で、スペイン風邪の流行は魔女のせいだと言っては、罪もない女性が殺されたりもした。

スペイン風邪流行により経済が回らず、貧困や飢えも蔓延する。感染症と飢えの恐怖が人間を尋常では無くしてしまった時代だったようだ。

現在は100年前に比べれば情報が素早く伝達するし、困ったことがあれば相談出来る窓口もある。
経済もじわじわ右肩下がりになっている現実を思うと、誰もが来年の今仕事に在り付けているかは未知ではあるものの、打つ手はいくらでもある。

100年前にも世界は感染症の恐怖のどん底に突き落とされたが、これまでの100年間で時代は進化し続けてきた。その間には第2次世界大戦もあり、そこでも多くの命が失われた。
日本では広島、長崎に人類初の原子爆弾が投下された。

どん底に何度も突き落とされながらも、人類はいちからの歩みを止めることはなかった。
そのうえに、今があるのだ。

スペイン風邪流行から100年が経ち、コロナ蔓延の現代、私達はまた新たな開拓に向かわねばならない。
生き残る社会になるか、そうでないかは、私達一人一人にかかっているのだ。

昨今は個人の意思を尊重、人権を侵害しない、という観点から、職場でも学校でも無理強いをしない風潮にある。

日本人は昔から団体で同じ方向に進んでいく習性が強いせいか、周りの空気を読み、場に馴染むことに長けているように見えるが、本心を隠して同調しているだけだから、ストレスも溜まりやすい。

団体行動から零れた、もしくは自らドロップアウトした人達は、自らの才能を如何なく発揮するか、引きこもるか?大まかに2極に分かれているように見える。

昔と違い寿命も100年近いことから、その間には挫折や災害に遭う機会も増えている。
人間だから思いがけない事柄に出遭えば、身も心も壊れてしまう時もある。

そういう時はそれまでとは違う環境に身を置き、快復を待つことも必要だ。

だが、長い年月引きこもっている人たちは、そこを安住の地としてしまい、進化を止めてしまったかのようだ。

方や自分に厳しくストイックに役目を全うすべく精進する人達は、そのストイックさが自身を破壊してしまうこともある。

人にはそれぞれ違う才能と役目があるのだから、それを知り、精進しつつそれらを発揮出来れば良いのだが、両者は脇目も振らず逆方向に突き進んでいるように感じる。
そこに脇道はなく、ただ真っすぐなのだ。

枝分かれした道があれば、寄り道したり、遠回りしてみたりしながら、それまで気付けなかったこと、思いがけない発見に出遭うこともある。

人生の王道とは別の脇道で違う世界を体感する機会がないと、長い人生を進むことは険し過ぎるだろう。

一つのことを成し遂げることは偉大なことではあるが、時には他の窓を開けて新鮮な空気を取り入れることも大切だ。

方や一つの場所に留まり、自分の殻に閉じこもって新鮮な空気を取り入れない限り、花は咲かない。

そこに気付ければ、人生もっとラクになるのだが…。

「自立している子」の親がしている4大習慣は人としての基本だと思わされた。

子供に対する姿勢の特徴として、日本人は欧米人に比べ、自分の所有物と感じている人が多いと聞いたことがある。

自分が産んだのだから、育てたのだから、子供は自分のものであり、自分の言うことを聞くのが当たり前、という思考だ。

だから、親が老いた時、子供が面倒を見るのが当たり前、という結論に至りやすいことも納得出来る。

欧米人は子供が成人すると、住居も別、結婚後も離れて暮らすのが一般的だ。
時々家族で食事をしたり、旅行をすることはあっても、同居して親の面倒を看る、といった概念が基本的にはない。

それは、子供を一個人として尊重している思考が根本にあるからだろうと推察する。
もちろん、欧米人にも鬼畜のような親も存在するが、日本人のほうが子供への依存率が高いように思う。

自分の子供といえども、一人の人間としての尊厳を重んじていれば、子供を粗末に扱うこともないし、上から目線の命令口調で子供を叱りつけることもないだろう。

結局、子供を心から信じていないから、上から目線で自分の思い通りに育てようとするのだ。

それは、子育てだけのことではなく、自分を取り巻く周囲に対しても同じだ。
人を信頼し、尊重していれば、自分が主導権を握ったり、人を見下すことはない。

年長者であろうが、年少者であろうが、尊い一つの魂を持つ人であることを思い、謙虚に相手を大切にする気持ちを忘れなければ、誰とでも仲良く、良い信頼関係を築いていける。

相手を大切にすることは、最終的に自分を大切にすることでもあるのだ。

子育ても親の介護も、自分を取り巻く多くの人々に対しても、その姿勢を貫いていきたいと思う。

コロナ感染者は、緊急事態宣言が出ていた頃より増えている。
春と違うのは若者の感染者が多く、今のところ重症患者が少ない、ということだ。

日本人が、いや人類が初めて罹患したこのウイルスとの付き合い方は未知過ぎるため、何が正解かは誰にも分らない。
確かなことは、国が指定する感染症である、ということだ。

感染力はインフルエンザよりもはるかに強く、若いから重症化しないという定説も覆されているし、一度体内に取り込まれたウイルスは、はしかウイルスのように、免疫力が落ちれば再び顔を出すという厄介なものでもある。

特効薬、ワクチンも今のところないから、対処療法に頼らざるを得ない、あとは自身の免疫力の高さ次第ということになる。

文明が発達し衛生的になったことから、ウイルスや菌に対する抗体が落ちた、という見方もある。
そもそも人間の体内にも善玉菌や悪玉菌が存在し、そのバランス加減で体調の調、不調が決まる。

腸内環境のバランスを整えれば免疫力が高まるというが、コロナウイルスには更なる一手が必要かもしれない。

ウイルスも生き残りに必死だ。

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