前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

連日の猛暑に昼間は一歩も外に出たくないと思うこの頃。

昨日は家の用事で午前中外出することになり、義兄の運転で出かけた。
用事自体は小1時間ほどで、往復の道程を入れても3時間ほどだったであろうか、しかも炎天下を歩いたわけでもなかったのだが、昼前に帰宅すると、耳鳴りがするのだ。

これまで耳鳴りなどしたことは数えるほどしかなかったため、もしや熱中症?と思い、水分と昼食を摂った。

午後から1週間分の食料の買い出しに出かけ、これも小1時間ほどで帰宅したものの、耳鳴りはますますひどくなり、そのうち頭痛が始まり、起きていることが出来なくなったため、シャワーを浴びて寝た。

2時間ほど寝たら夕飯の時間となったものの、まだ耳鳴りは止まない。簡単な食事を作り、その後は早々に寝た。

8時間たっぷり寝たおかげで、耳鳴りも治まり今日は元気だ。朝ウォーキングも通常通り行った。
だが、朝食後、再び睡魔に襲われ寝た。

人は寒い所にいると眠たくなるが、暑すぎても同じなのだと痛感。
暑さ、寒さは、想像以上に体力を奪う。

コロナ禍でもあり、まさに不要不急の用事がなければ外には出ないほうが賢明だと、この暑さの中で思わされた1日だった。


言い伝え「お盆は溺れるから泳ぐな」は迷信かな?を読んだ。

お盆の時期には海に入らない方が良いという話は昔から聞くし、沖縄では地元の人はこの時期には絶対海に入らない、入っているのは観光客だけだ、ということも聞いたことがある。

この時期は海の彼方からご先祖様達が帰ってくるから、知らずに泳いでいると、あの世に連れていかれる、という迷信が昔から言い伝えられている。

実際には離岸流で沖合に運ばれてしまうのが要因ではないか、とも言われているが、自然の営みは未知だし、人間の思考など及ばないものだ。

お盆の海以外にも、丑三つ時は霊が彷徨う時間だから外には出ないほうが良いとか、昔から祀られている祠を壊そうとすると死人が出るといったことも多々ある。

迷信ではなくても、海抜ゼロメートル地帯に家を建ててはいけない、という碑がありながらもそれを無視して街が出来、地震の大津波で流されてしまったことは記憶に新しい。

科学的根拠に基づいた知見があったとは言い難い事柄でも、先祖達が体験してきたことが真実であるならば、現代人はそれを見落としたことで新たな悲劇を生んでいることになる。

お盆は先祖達が帰って来る時だから、家族で迎え、皆で楽しく、仲良くごはんを食べる。
そんな些細な幸せを、ご先祖様達は一番喜んでいるのではないだろうか。

認知科学者が「職場ではできるだけ孤立していたほうがいい」と説く理由に納得。

先の記事のように、昭和の雰囲気を引きづった過去の組織では、協力体制という名の連帯感が必須だった。
職種によっては一人で出来る仕事もあるだろうが、やはり組織であれば周囲との連携は不可欠だ。

日本人特有の忖度三昧で、リーダー的存在が誰かの悪口を言えばそれに同調せざるを得ないし、上司から飲みに誘われたら行かざるを得ない。
「会社は家族だ」的な思考がまかり通っていたが、コロナの影響でそれも崩壊寸前だ。

私は子供の頃から群れることに抵抗があった。
周囲と仲良くしても、集団で四六時中一緒、というのは苦手だし、苦痛でしかなかった。
どんなに集団でいたとしても、最後は自身が取り組まねばならないことのほうが多いからだ。

コロナ禍で人と会えないことがストレスになっている人も多いようだが、普段から集団が苦手な者にとってはストレスにはならない。何が幸いするか分からないものだ。

職場でも一定の距離を置いて周囲と協調性を以ち対しているつもりだ。
とはいえ、休みの日まで職場の人には会いたくないので、プライベードの付き合いはしない。
かといって、他に仲間がいないわけでもないので、プライベードはそちらで楽しむことにしている。

人は一人では生きていけないが、職場でまで群れるのは勘弁だ。意味のある群れならまだしも、誰かの悪口大会など間違っても入りたくない。

群れることで精神が安定する人もいるのだろうが、最終的には自身の足で立っていることが何より大切だということを忘れてはならない。

堀江貴文さん「なにこのウンコ運用笑」「ウンコルール」JAL機内でのマスク着用について「クソ対応」と批判のツイートで、毎度のことながら残念な人だなと思う。

livedoorのブログを使わせていただいていながら、これを書くことに少し心が痛みつつも、一意見として書かせていただく。

先の記事に限らず、堀江さんがツイッターなどでつぶやく時に「クソ〇〇」と書かれているのを目にする度に、残念な気持ちになる。

堀江さんのつぶやきや記事、インタビューなどは的を得ていることも多くあるなか、時として、他者を攻撃したり見下しているものが散見される。

表現は自由だし、悪気はないにしても、人を貶めるような言葉というのは、読んだ他者にしてみれば、それを挑発行為と受け取る者もいるだろうし、周囲を幸せな気持ちにはしないのではないか…と思う。

世の中には理解力の低い人がいるのは確かではあるが、それは知能や学習困難、家庭環境が原因だったりすることもある。そういう人達と同じ土俵に立って「クソ〇〇」と吠えたところで、何の解決にもならないのではないだろうか?

堀江さんほどの世間からは成功者と言われている人であるならば尚更のこと、人の手本となるような表現をされるほうが得ではないだろうか。

せっかくここまで積み重ねてきたキャリアや人脈等を十二分に生かすためにも、ぜひ美しい日本語を使って欲しいと心から願う。

「口は災いの元」と言うように、自分が放った言葉は、巡り巡って自分に返ってくるものだ。
それは「クソ〇〇」と言われる以上のこととなって自分の身に降りかかる。

「クソ〇〇」が堀江さんの生き方そのものであると言うならば、何も言うことはないが…。
にしても…残念だ。

地球温暖化の影響か、年々日本の夏は気温が上昇している。
今日の東京は37℃!おそらくこれまでで一番暑い日ではないかと思われる。
暦のうえでは立秋も過ぎ残暑だが、今日は35℃以上を意味する猛暑日だ。

テレワーク続行中につき、ずっと家に引きこもっていると、この暑さの中外に出たいとは思わない。
玄関先からソッと外を覗いただけで、その暑さに恐れ入り、すぐ扉を閉めた。

こう暑いと動物も人間も体調を崩さないわけがない。
いつもは昼間ダラダラと寝そべっている近所の野良猫も現れないし、高齢の母は冷えピタシートをおでこに貼って寝ている。

そりゃそうだわな~、私も仕事がなけりゃ、水風呂でも浴びて昼寝でもしたいところだ。

この暑さは8月いっぱいまで続く予想らしい。
さらにコロナ対策でマスクもせねばならず、まさに暑さ修行でしかない。
とはいえ、我慢し過ぎれば熱中症にかかるリスクもはらんでいる。

日本だけに留まらない高温の夏。
世界は、地球の未来はいったい何処に向かっているのだろう。

「老人受刑者」の悲惨な現状…刑務所にしか居場所がない高齢者たちを読んだ。

日本は超高齢化社会であり、平成30年度における人口に占める高齢化率の割合は28.1%だ。
ざっくり言えば3人に1人が高齢者ということだ。

その中には子供や孫達に囲まれ、大切にされている者もいれば、子供とは疎遠になり高齢夫婦だけで暮らしていたり、どちらか一方がおらず独居暮らしをしている者もいるだろう。

高齢者だけの暮らしでは経済に余裕のある者のほうが少数派だろう。
大方は年金と心ある子供からの仕送りなどで、何とかやり繰りしているのではないだろうか。

子供に迷惑をかけたくないからと、老人ホームに入る裕福な高齢者もいるが、そことて永遠の住処ではない。中には経営が立ち行かなくなり、入居当初に支払った一時金や年間家賃等も返却されず、追い出されるケースもある。

身体が不自由になり、特別養護老人ホームに入りたくてもいっぱいで順番待ち。
ヘルパーさんなどの助けを借りながら何とか日々を凌いでいる人もいるだろう。

泣け無しの年金が無くなれば食べるものにも事欠き、気付けば店で食べるものを万引きしていた、ということあるだろう。
一度ならまだしも、再犯すれば間違いなく刑務所行きだ。

で、収容されてみたら、意外にも?居心地が良かった、というのが先の記事であろう。
何より食事には事欠かないのだから、それだけでも大違いだ。

人類がここ数十年で100歳近くまで生きるようになったことが、高齢者が彷徨うことになる大きな要因だ。誰がこんな日々を想像しただろうか。

金持ちであっても、そうでなくても、独り身の老人の在り方は、日本社会において大きな課題だ。


普段なかなかドラマをゆっくり観る時間もなく、観たい番組はハードディスクに撮り貯めているが、7年ぶりの続編「半沢直樹」の1話をようやく観た。

前作よりも更に出演者は豪華で、演技力も高い。安心して観ていられる。
主人公が金融業界で陥れられ、そこから這い上がり、敵対する相手に倍返しをする姿に、誰もがスカッ!とするのはなぜだろう。

日本人は言いたいことを言えない、言わない民族だ。
組織にいるとそれは顕著で、どんなに上司が無理難題を突き付けてきても、決してNOとは言わない。
言えば左遷されるか、組織人として脱落せざるを得ない状況になることが分かっているからだ。

昔放送されていた時代劇などはまさに勧善懲悪モノで、ドラマの最後には必ず正義が勝つ作りになっていたから、スキッ!と感があったし、それらに心の葛藤を反映させていたのだろう。

いつの頃からかこのテイストは飽きられ、しばらくお目にかからなくなった。
とはいえ、人間にはどこかしら勧善懲悪に対する羨望があるのだろうか…自然とそういうものを好んでしまう習性があるようだ。

現実の社会は理想通りにはいかないことだらけだが、自分の心にある勧善懲悪な部分はそのままに、現実に即した現し方が出来れば良いように思う。

海外線がほとんど飛んでいないこともあり、夏のバカンスは沖縄が大人気だ!ったはずだが、沖縄での感染拡大が止まらず、沖縄独自の緊急事態宣言も発令されたこともあり、キャンセルが相次いでいる。

GoToキャンペーンが利用出来るなら、思い切って沖縄に行こう!と思った人は多いだろう。
とはいえ、自分が感染するリスクと、もしかしたら自分が感染源の可能性もあると思ったら、いくら補助金が出るとはいえ、二の足を踏むのがまともな人の考えだろう。

国がGoToキャンペーンを引っ込めないのは、発表したものは今さら引けないというくだらないプライドもあるかもしれないが、国民自身が考えて使ってね、という、これまた他力本願な狙いもあると推察する。

世界を含め、ここまで感染拡大すると、国もお手上げか、もしくは次の一手を考えているかからなのか?すべてを国民の意思に委ねているように感じる。

今日からお盆休みとなり、帰省や旅行する人の姿も電車内で結構目にした。
それも人それぞれの考えでのことだろう。その先のことはその人が背負っていけば良いことだ。

いずれにしても、最終的なジャッジは一人一人にある、ということなのだろう。

6月中旬から別系統のウイルス国内に広がるで更に先は見えなくなった。

これまでにも新型コロナウイスルは国や地域により変異していることは報道されているが、さらにそれは進んでいるようだ。
先日もベトナムで大変強い感染力を持った種が見つかったと報道されたばかりだ。

日本でも今年の始めから中国型、ヨーロッパ型が蔓延し、それが進化して東京型、埼玉型となり、そこからまた更に変異した、ということだろう。

ウイルスは自分達の種を残すために変異しているのだ。

だが、人間は相変わらずこれまでの生活を続けようとしている。
ウイルスと共存していくためには、人間も変異しないといけないのだ。
これまでの生活様式から、次の段階へ進まないことには、ウイルスにヤラレテしまう。

もう打つ手がないから、国も最近では自粛要請もしないし、地方自治体へ丸投げしているのだろうか?
いずれにしても、感染したくなければ自衛するしかないのだ。

ウイルスばかりが変異し、人間には策なし、が現状だ。

脳が「嫌いな人」を生み出す驚きのワケを読んだ。

初対面で「この人イヤだな~」と思うことは良くある。
とはいえ、一見で判断してはいかんと思い、思い込みを押し込んで、相対してみる。
話してみて、意外にも良い人だな~と思ったことはあまりない。

一見で「この人良いだな~」と思う人は、話してみてもやっぱり良い人であることがほとんどで「イヤだな~」と思う人は、だいたいその通りなのだ。

先の記事にあるように、人間は一瞬にして自分にとって相手が敵か味方か?といった判断を下しているという。それは野生の勘といっても良いだろう。

相手のイヤな面は、自分の中にあるイヤな面とイコールであることもあるから、全てが脳の思い込みとも言えない気もするが、どう努力してもキライな人を好きになることは滅多にない。

人生の中でキライな人とイヤイヤ付き合っても良いことはなさそうだから、せめてプライベートくらいは心許せる人達と穏やかに過ごしたいと思っている。

吉村知事!イソジンがコロナ重症化を減らす?症状を改善ではなく物理的消毒により唾液中のウイルス量を減らして他人への感染を防ぐのならあり?で、世の中が混乱している。

イソジンなどでおなじみの、ポピドンヨードうがい薬が、コロナ感染者の症状緩和に役立っていると、昨日、大阪の吉村知事が会見した。

と同時に関連のうがい薬がドラッグストアから瞬く間に買い占められ、さっそくネットで数倍の値段で転売されているそうだ。
マスクや消毒液の時もそうだが、こういうのって後を絶たないな~~と、呆れ果てて何も言えねぇ~!

これに対し、臨床数が少ないから安易に発表するな、と国はオカンムリの様子。

だが、冷静に考えて、風邪をひけばうがいをするわけで、うがい薬でコロナウイルスも軽減出来た事実がまだ少数だとしても、試してみる価値はあるだろう。

マスコミで発表されると、我先にと商品を買い漁る気持ちは分からないでもないが、もう少し冷静になった方が良い。

そもそも規則正しい生活をし、必要な栄養を摂り、適度な運動をしていれば、感染したとしても重症化しにくいし、感染率も低いのだ。

見えないウイルスと、それを取り巻く情報に私達は振り回され過ぎだ。
毎度言っていることだが、俯瞰した目で状況を見て、自分の頭で考え行動すること。
それが何よりも大切なことだ。

うがい薬も有効だろうが、塩水でうがいする、こっちのほうがよっぽど有効だったりして…「灯台下暗し」だ。

米ワシントン州で「殺人スズメバチ」初捕獲、当局は巣の捜索急ぐを読んだ。

先日、東京でも野生の日本猿が街を闊歩する姿が撮影されているように、ここ数年、山から野生動物が街に降りて来ている。

山を管理する者がいなくなり、人と動物との境目である里山が減り、人目が気にならなくなったことから、動物達は人を恐れなくなっている。

野生の動物が降りてくるということは、他の生物も同様だ。
これについては、里山減少だけではなく、地球の温暖化が大きく影響していると考える。

地球の温度が上がったことで雨の降る量が増え、山は水を吸い、限界にくると山崩れが起きる。
山林の管理が行き届かないから、山は簡単に崩れてしまい、そこに暮らす生物達が住処を失うのだ。

記事にあるアメリカの殺人スズメバチも、温暖化で巨大化したスズメバチであろうと推察する。

地球温暖化は、人間も動物も生物も、全てが生きられない環境に変えてしまうのにも関わらず、人はそれを顧みようとしない。

未来の地球は生物のいない星になるのだろうか…。

テレワークで“痛い50代”が大量生産される。社内ニートにならないためにを読んで頷く。

どこの会社や組織にも、使えない人というのがいる。
組織の仕事はほぼマニュアル化されていることが多いから、まずはそこをきっちりこなす必要がある。

これは基本中の基本であるにも関わらず「自分はこんな仕事をするためにここにいるわけじゃない」「俺の実力を知らないヤツとは仕事したくない」「こんなやり方だからダメなんだ」等々、言い訳だけは一人前のオジサン、枚挙に暇がない。

ノラリクラリと自分の言い分だけを並べ立て仕事をしない人は、どんなに学力の高いと言われる学校を卒業していても、結局のところ仕事をする能力がないのだ。
組織たるもの、こんな人でも置いておけるのだから、その体力たるや羨ましいとさえ思う。

とはいえ、コロナ禍における不景気は戦後最大級を記録しそうであり、どんなに大企業でも、そろそろ社内ニートを飼殺すほどの体力はないだろう。

組織にいれば自分に合わない仕事をせざるを得ない時もあるが、それを好機と捉え果敢に新しいことにもチャレンジする者であれば、ニートおじさんにはならないだろう。たとえ暇な部署に異動になったとしても、そこで自分のスキルを磨くような人であれば、次の異動で花形部署に抜擢されることもあるだろう。

つまりは、コロナ禍であろうがなかろうが、日々自分のやるべきことをきっちりやり、更に未来へ向けて精進している者は困ることにはならないのだ。

自分がリストラに遭ったことを世間や周囲に責任転嫁するような人は、どこまで行っても幸せにはなれないし、そうなる道を選択したのも自身でしかない。

社内ニートで仕事せず給料もらうようなオッサンは、それ相応の仕置きに遭うのは必然でしかない。

【エンタがビタミン♪】マツコが猫を飼わない理由に共感の声「こういう感覚大切、可愛いだけでは飼えない」に共感。

犬より猫が好きな私は、ウォーキング時や旅先で出遭った猫たちをスマホで撮影するほど、猫に愛着を感じる。

犬も見るだけならカワイイと思うが、子供の頃野良犬に追いかけられてお尻に噛みつかれたトラウマから、未だに触れずにいる。

猫を見ると無条件にカワイイ~~と近づきたくなるが、これまで一度たりとも餌をあげたことはない。
野良猫に至っては、向こうがすり寄ってきても、絶対触らない、と決めている。

以前住んでいた家の裏口に親猫が子猫3匹を連れて住み着かれたことがある。
その時でさえ一度もエサは与えなかった。

子猫達はエサ欲しさに必死にかわいいアピールをしてくるが、無責任なことは出来ないので、心を鬼にして見守るだけにした。

それからというもの、街で猫に遭うと猫が近づいてくるようになった。
そのせいもあり、猫の写真を撮ってインスタで紹介している。

猫のためとはいえ、家猫は虚勢され、家からも出してもらえず、違う面から見るとかわいそうだなと思う。本来猫は野生だし、のんびり外をパトロールしたいだろうに、家猫にはその権利はないのだろうか…。

猫や他の動物から病気を移されるリスクもあるし、虚勢しなければ毎年猫は子供を産むから、処分される命を無くすためという大義があるとはいえ、ちょっと複雑な心境だ。

猫といえどもひとつの命だということを思うと、かわいいからという理由だけで軽々しく飼うことは出来ないな、と肝に銘じている。

日本の幽霊の寿命は400年!?証拠に「関ヶ原近辺で目撃される落ち武者の霊が激減」…衝撃のツイートが話題を読んだ。

上記によると、人は肉体を離れて400年経つと、そこからいなくなるのか?魂が昇天するのか?いずれにしても、存在しなくなるようだ。

我が家は母方が若干の霊感があるため、昔から曰く付きの所に行くと、霊に付いて来られたり、見えたりする。

私もその血を受け継いでおり、時々見えない方々と遭遇することがある。子供の頃は怖いと思っていたが、今は生身の人間のほうが怖いので、そうでもなくなった。

私の父が亡くなったのが今から6年前だが、亡くなる1か月前に救急搬送された際、まだ生きていたが、魂は身体から抜け出て我が家に帰宅し、私に付いて回って「何で俺は病院にいるんだ?」としつこく聞かれた。

あんまりしつこいので「早く病院に戻らないと、そのままあの世逝きだよ」と説明すると「いっぱいお茶を飲ませてくれ」と言うので、湯呑に並々とお茶を注ぎ、父がいつも座っているテーブルに置くと、ほどなくして魂はいなくなった。

亡くなってからは、ほぼ1年間毎日のように我が家にいた。
生前から超食いしん坊だったことから、あれ食べたい、これ食べたいと注文があり、その度にせっせと供え物をした。

2年目から少しずつやってくる頻度が減り、3年目を迎えたある日、朝方夢枕に立ち「今まで引越さないでくれてありがとう。俺もうあっちに行くから」と言った。

その言葉通り、4年目以降はそれまでのように俗世っぽい雰囲気で出てくることは無くなった。

ということは!?人は亡くなって3年間は、こちらの世界とあの世を行き来しているのかも?と思わされた。

その後は、遺影を見れば何を言いたいかが分かるようになったので、恐らく?めでたく昇天された様子。

あの世のことや、霊(みたま)のことは、目に見えない世界のことなので、いい加減なことは言えないが、これは私が実際に体験した話だ。

信じるか信じないかはあなた次第!(ってことで)。

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