2023年12月30日

年賀状じまい

28日で仕事納めとなり、無事に1年務めを果たすことが出来、ありがたいことだ。

年末年始に6日間の休暇があるものの、年末は家のことをやったり、年賀状作りもあり、休みといえども休める状態ではない。

年始も正月早々から予定があり、こちらも休暇というにはちょっと違う様相を呈しているが、年の始めから元気に活動出来ることもまた、ありがたいことだ。

これまで何十年も続けてきた年賀状作りを、今年で終わりにすることにした。
毎年少しずつ数も減らし、関係の整理もしてきたものの、それでもまだまだ毎年送ってくださる方もいるので、どうしたものか…と思っていたが、来年からまた郵便料金も値上がりするので、これを良い機会ととらえ、これから作成する年賀状に「年賀状じまい」とでっかく載せるつもりだ。

何十年も付き合いがありつつも、遠方だったりして、それこそ何十年も会ってない、下手すると学生の時以来の友人なども年賀状でしか今は繋がっていない。

年に一度のハガキでそれぞれの近況を知る手段としては断ち難い思いはあるものの、今後もおそらく会うこともなく、どちらかが老いて辞めるまで続くのだろうか…と思うと、それはそれで感慨深いものもあり…と、様々な思いが交錯したが、自分とていつ不測の事態が起きぬとも限らぬ年齢でもあるから、今から整理出来ることはどんどんやっていこう、と思った次第だ。

一見人生の終息に向けての備えではあるものの、多くの事柄を整理することで身軽になることを思えば、それはそれで必要なことにも思える。
年齢と共に手の届く範囲に出来る事柄があるほうが自分も楽だし、周囲に迷惑をかけずに済む。

人生の断捨離のひとつである年賀状仕舞いもまた、新たな未来へ向けての第一歩となるのだろう。

2023年12月28日

幸せは思い次第

【神様】が味方する「運がいい人」と失敗を重ねる「運の悪い人」のシンプルでも決定的な違いを読んだ。

人には持って生まれた運命や役割があるのだろうと思う。
どこに生まれるかで、育つ環境や教育の影響を受けるからだ。

子供の頃から苦労の連続の者もいるし、親に恵まれ何不自由なく成長する者もいるが、だからと言って、それを幸せと感じてない者もいるし、不遇な環境で育っても自分は幸せだと感じている者もいる。

人は他人と話す時に、自分の不都合や不調を口にしがちだ。
ニュースも事件や事故といったマイナーな話題が多い。

社会の進化は、不便や不都合を何とかしたいという願望が原動力となっていることを思うと、それらも必要なことではあるものの、そもそも私達が生かされている大元(おおもと)について語る人は殆どいない。

生物が生きていられるのは、大前提として酸素があるからだ。
これがなければ、私達は瞬時に朽ち果てる。

太陽の照らしがあり、海の水が蒸発して雲を発生し、それが雨を降らせる。
雨水が生物を潤し、植物が光合成をして酸素を生む。

これだけのことって、人間の力ではどう頑張ったところで成し得ることは出来ないのだ。

私達が生かされている大前提にまず気付く、どれだけ多くの恵みを享受していることか!!!

そこから始まり、自分の身の回りのこと、元気で仕事が出来ている、家族も皆元気だ、給料も毎月もらえるし、住む家もある、食べるものにも困らない。好きなことが出来ている…等々、数え上げればキリがないほど、私達は多くの恵み、幸せな事柄を日々身に受けているのだ。

まずはそこに気付けなければ、真の幸せを感じることは出来ないだろう。

足らないことばかり探して不平不満を並べ立て続けるだけで、大元に感謝の心を持てない者に、神仏とて味方のしようがない。

運を味方に出来るか、幸せを引き寄せられるかは、自分の思い、心がけ次第なのだ。

enji_152 at 07:33|PermalinkComments(0)今世 | 人の道

2023年12月27日

鈴を付けるべきか?

周囲から距離を置かれる者のなかに、自慢話ばかりする人がいる。

私の知り合いにもいて、最初は「どうしてる?元気?」とこちらの様子を窺いながら話し始めるのだが、こちらが話を聞くようなそぶりを見せようものなら、ここぞとばかりに自慢話開始のゴングが鳴る。

少し前から彼女は私のなかで要注意人物に認定したので、最初の挨拶だけで済ませ、その後の話は聞く耳持ちません!という態度を示すようにしている。

私がイヤだと思うことは、周囲も同様に感じているようで、一人また一人と、彼女から距離を置き始め、気付いたら誰も彼女と話そうとはしなくなった。

鈍い彼女はそれでも自分から他人の話に割って入り、また自慢話を繰り広げる。
そんなことをすればするほど嫌われることに気付けないのだから、かわいそうな人でもある。

私も出来ることなら彼女とは顔を合わせたくないのだが、否が応でも合わせざるを得ない事情があるので、常に挨拶のみ!に留めている。

最近は一人でポツンといることが多くなっているのだから、いい加減気付きそうなものだが、やはり口を開けば同じことを繰り返す。

こういう人は、常に不安と葛藤に苛まれ、今ある幸せを喜べない、承認欲求を満たせずにいるから、自慢話が主体になるのだろうと推察する。

心の底から幸せを実感していれば、他人に自慢することなどしないからだ。

いい加減本人に「あなたの話を誰も聞きたくないから、あなたの周りから人がいなくなるんだよ」と言ってやりたい衝動に駆られるが、そんなことを言おうものなら、どんな報復が待っているか分からないし、逆に自分のことを思ってくれるのね!と、依存されることにもなりかねない。

果たして、本音という名の鈴を、彼女の首に着ける人はいるだろうか?

enji_152 at 07:43|PermalinkComments(0)今世 | 課題

2023年12月26日

思わぬ誤算

崩れたクリスマスケーキ、高島屋への苦情900件に拡大…「凍った状態でつぶれていた」を読んだ。

最近は冷凍技術も流通技術も進んでいるので、これまで通販で購入出来なかったものが、手軽に手に入るようになった。

とはいえケーキだ。崩れずに届くこと自体物凄い技術だなと感心するばかりだが、今回の件は注文した方には気の毒なことでしかない。

クリスマスを家族や友人等と楽しむために、いつもより奮発して高いケーキを注文する人も多いだろう。
待望のケーキが届くのを今か今かと待ち焦がれ、漸く届いて開けたら崩れていたなんて…。

受注元が高島屋だからこそ、誰もがそのネームバリューを信用し注文しているだろうから、失望感は更に増すばかりだ。

しかも、初動対応がまずかった。多くのクレームが来たにも関わらず、すぐに高島屋のホームページにお詫びの文面が出なかったことも、さらに騒動に拍車をかける結果となった。

今はSNSなどで瞬時に世界中に粗相が知れ渡る世の中だ。
どんなに古い老舗店であろうとも、これらによってアッと言う間に信頼は地に落ちるのだ。

去年はうまくいったから今年もうまくいく!とはいかないのが世の常だ。
商売においてたかを括ると痛い目に遭う…ということだろう。

enji_152 at 07:47|PermalinkComments(0)今世 | 課題

2023年12月24日

ドラマから学ぶ人間模様

冬ドラマでは「コタツがない家」や「いちばん好きな花」といった、思ったことをダイレクトに伝えるドラマが印象に残った。

前者は家族間のやりとりをこれでもか!と言わんばかりにバトルを連発、後者は他人との交流が苦手な4人の若者が偶然出会い、それぞれの心の葛藤や生きにくさを吐露する、というものだ。

どちらもセリフ量も多いし、現実にこういう家族や人間関係ってあるなと頷けるうえ、これを毎日やるのは正直しんどい…とも思う。

昨今はパワハラ、モラハラといったことが全面に立って、言いたいことも言えない、ヘタなことを言うと訴えられるという、こちらもまた非常に面倒くさい世の中だ。

世の中を生きていくうえで、ダメなものはダメだし、やっていけないことはやってはいけないのだが、それをかみ砕き、その人が理解できるよう、こちらが配慮しなければならぬという、これまた余計な手間暇がかかることをして悟らせなければならない事はもどかしい限りだ。

いくらオブラートに包んだとて、理解力のない人間はどこまで行っても理解しない、出来ないのだから、いっそのことストライクど真ん中で話したほうが上手く行くこともある。
言い方は悪いが、荒療治のほうが案外すんなり物事は進むものだ。

そういう意味でも、これらのドラマはそれぞれが言いたいことを抑えているように見せつつも、言い続けていた。そういう意味では小気味よく、遠慮がないからこそ、腹を割って話せるし、喧嘩も出来るのだ。

今や周囲の顔色ばかり窺って、言いたいことも伝えたいことも正確に伝わらない世の中。
そんなにオブラートに包んでばかりいては、想像力のない現代人には何も通じないぞ!!と思う。

そんな面倒なことは厄介でしかないので、私は必要な時には直球を投げることにしている。
それで訴えられたら、それはそれでドーンと来い!!だ。

enji_152 at 16:24|PermalinkComments(0)今世 | 課題

2023年12月23日

久しぶりのクリスマス

以前旅行会社に勤務していたこともあり、人様が楽しむ行事に自分が参加することは殆どなかった。
お客様優先という感覚は未だに抜けきらず、連休やイベント毎にも自ら積極的に予定を入れることはない。

クリスマスも同様の考え方なので、お店を予約して…といったことも若い時以来殆どしていない。
だからと言ってクリボッチが寂しいと思ったこともないし、家で暖かいコタツに潜って一人酒するのは案外楽しいものだ。

今日はクリスマスイブイブだったようで、というと変だが、クリスマス直前ということも眼中になく、急遽友達と会うことになり、ランチをすることになった。

予約出来る店を探すと、殆どが予約で埋まっているし、メニューもクリスマス仕様ばかりだ。
そこで初めて「あ、クリスマスか…」と気付いた。

ランチにしてはちょっと贅沢ではあるものの、1年間がんばったご褒美にと、クリスマスランチを予約することになった。昼間からシャンパンもいただき、何とも悦に入ったひと時を過ごさせてもらった。

貧乏性ならぬ、お客様ファースト感覚が抜けない私は、そこで働く店員さんの気持ちについ寄り添ってしまう。
すると店員さんが「いいんですよ、たまにはこういう贅沢してください!僕もたまにやりますから!」と温かい言葉をくれた。

世の中の人が喜び楽しむクリスマス、たまにはこうやって世間に交じって味わってみるのも良いものだな…と思えた至福のひとときだった。ありがたや~~~!!!


enji_152 at 16:32|PermalinkComments(0)今世 | 感動

2023年12月22日

日本の未来は

西村康稔、萩生田光一、世耕弘成…裏金問題トリオが雑誌Hanadaで「日本の危機」語る「オマエらの危機だろ」「オールスター」とSNSで総ツッコミを読んで笑った。

「将来自分は総理になる!」と豪語していた面々が、揃いも揃って更迭される羽目になるとは、この記事のインタビューを受けた時、周囲も当の本人も想像もしていなかっただろう。

それにしても…政治家って詐欺師以上のウソつきなんだということが今回のことで良く分かった。
いくら派閥から「裏金にしてもOK!」と言われたからといって、それを真に受けるとは…。
上の人達がやってるから、自分達がやっても大丈夫!!だって、僕たちは最上級国民だもん!!くらいに思ってるのだろう。

政治家になって、大臣になって、周りの官僚も職員も、自分の言うことに異論を唱える者など一人もいないのだから、彼らが勘違いし、裸の王様になることは必至だ。

大臣だろうが総理だろうが、辞めてしまえばただのオッサンであり、何の力も無くなるのに、なぜに周囲の者達は皆イエスマンになり下がるのだろう。

真に政治家一人一人の行く末、ひいては日本の行く末を思えば、間違った方に進んでいるのであれば、それを諫めることは周囲の役目だ。それでも本人が聞かなければどうしようもないが、小さなわがままのうちに諫めていれば、こういうおおごとにはならなかったはずだ。

某国の独裁者もそうだが、周囲をイエスマンばかりにする=破滅への道程だ。
承認欲求を満たされ過ぎ、感覚が麻痺してしまった末路が彼らの更迭へと繋がった。

そうなっても、甘い汁を忘れられない彼らは、またゾンビのように復活する時を虎視眈々と狙っていることだろう。

日本の未来がマジで心配になる…。

enji_152 at 07:34|PermalinkComments(0)今世 | 課題

2023年12月21日

メンヘラという名の逃げ場

過保護に注意 強い心を育むための子供との向き合い方【テレビ寺子屋】を読んだ。

年々メンヘラが増えてるな~と思うこの頃。
私の職場にもメンヘラが何人もいて、仕事が滞ることが多くなった。

仕事はその対価として給料をもらっているのだから、真っ当に仕事が出来ないのはマジで困るのだが、メンヘラは精神を病んでるがゆえ、自分に落ち度があることにも気付かないし、注意なんてしようものなら、被害妄想が暴走し手が付けられなくなる。

メンヘラでなくとも、若手に昭和のような指導をしていたら、すぐパワハラ、モラハラ認定されてしまうから、これも要注意だ。

人の尊厳を傷付けるようなことはそもそも厳禁ではあるものの、友達でもないし、遊びの場でもない職場で、業務が滞る現状をどうすれば良いのか?頭を悩ます者も多いだろう。

メンヘラに共通するのは自己肯定感が低く、常に周囲の目を気にし過ぎる自意識過剰型だ。
そんなことばかりに気を奪われているから、まともに仕事が出来ないのはある意味当然だ。

本来なら家庭で愛情注いで自己肯定感を高めておいて欲しいのだが、今や職場でそれをせねばならぬのだから、余計な仕事は増える一方だ。

その人の良いところを見付けて褒めてあげ、気持ちが上向きになるのを待つしかないのだ。正直、あ~~~、面倒くさい~~~!!!!

社会人になっても、いつまでも空いた心の穴にしか興味がなく、周囲の迷惑にも気付かずにいるメンヘラ達。せめてまともに仕事くらいやってくれ!!!と、こっちがマジでメンヘラになりそうだ。

メンヘラに逃げ道を見付けても、そこは袋小路でしかないのだが…。

enji_152 at 07:33|PermalinkComments(0)今世 | 課題

2023年12月20日

研修が必要なのは

セクハラを注意しただけで、「東京かぶれの年増が!」と…主婦がブチ切れた旧体質の町内会「あまりに昭和な現実」を読んだ。

最近はパワハラ、セクハラといった倫理観に関する研修も増えてきた。
私が勤める組織でも四半期に一度、ランダムに問題を出され、正解するまで先に進めないという、業務そっちのけで問題に取り組まなければならず、多忙時にはマジでイラッとする研修を履修している。

とはいえ、それも必要なことなのでもちろん受講するが、本当に研修が必要な人が受けていない、受けていても何の役にも立っていないことが多い気がする。

パワハラ、セクハラ等をする人は、そもそも自分が悪いことをしている意識が皆無なことが多い。
「それ、パワハラですよ」とか言われない限り気付かないし、言われたらまず逆切れする。

自分の痛いところを突かれて逆上するような人は、人間としての資質が低すぎるのだ。

記事にもあるように、都会はまだ良いほうだが、田舎に行けば行くほどそれらは横行している。
いじめと笑いは紙一重的な感じで、被害を受けている者を見てそれを笑いの種にするのが日常だ。

「田舎はのんびりしていいよね~」と憧れる人がいるが、のんびりしているから、暇つぶしに他人の粗探しをしては悪口を言い合い、抗う者は貶める。一見して良い所には、そんな影が潜んでいるものだ。

国民から税金を取り立て、それで食べている政治家が裏金作りに余念がないわけで、そんな権力を持つ者ほど、倫理規定研修を受けるべきだ。
とはいえ、研修ビデオが流れ始めた途端に寝入るのがオチのような気もするが…。

それでも諦めずに研修を続けていくしかないのだろう。

enji_152 at 07:42|PermalinkComments(0)今世 | 課題

2023年12月19日

墓問題と亡骸

恐ろしい…近年「遺骨をサービスエリアのごみ箱に捨てる人」が増えているワケ【中央大学法学部教授が解説】を読んだ。

子供の数が減るなか、墓問題はひとごとではない。
我が家にも母の願いで建てた墓があるが、私に子供がいないので、引き継ぐ者はいない。
親戚の者の誰かが引き継ぎたいと希望すれば託すかもしれないが、そうでなければ、自分が元気なうちに墓じまいをするつもりだ。

個人的には墓は不要だと思っている。
人の魂が肉体から離れた時が「死」であり、亡骸はただの物体でしかないからだ。
なので、私自身は海に散骨して欲しいと願っている。

とはいえ、亡骸を敬い埋葬することは、その人の尊厳を大切にしている証拠だから、とても崇高な行いだとも思う。

肉親や近しい間柄の人であればなおのこと、真っ当な思考回路のある者であれば、その亡骸を粗末にするようなことは決してしないだろう。

記事にあるように遺骨をゴミとして捨てるというのは、おそらくそれに対する思い入れもないうえ、むしろ縁を切りたい、死んでまでなぜその面倒をみなければならぬのか?といった、敬うとは真逆の関係性にある者達なのではないか?と推察する。

人間、近しい間柄のものとの関係が良好な者ばかりではないだろう。
いくら肉親であっても、憎しみしか残っていない者の亡骸を弔ってやりたいと思わないのもまた、人情であり、それは=ゴミとなる気持ちも分からなくはない。

憎しみではなくとも、処分に困り、捨てざるを得ない者もいるかもしれない。
人にはそれぞれ事情があり、そうせざるを得ない事が往々にしてあるのだ。

そう考えると、そもそも墓を持ち続けることに意味があるのだろうか?とさえ思えてくる。
先祖の骨を人質にして?墓苑から毎年維持費を徴収され、名義変更する時にも高額な変更料を取られる。
私からすれば、それらにも納得がいっていない。

墓を持つ、持たないは個人の自由だが、そのツケを子孫に残すのはやはり違う気がする。

2023年12月18日

賢い子供が欲しければ

賢い子は何が違う?偏差値、成績、優等生…子供はどこで差がつくのか、そして親ができることを読んだ。

生まれたばかりの我が子は、目に入れても痛くないほど「かわいい!!」というのは、親であれば誰もが思うことだろう。
だが、かわいいだけで世間を渡れるほど、世の中は甘くはない。

子供の真の幸せを願うのであれば、時には我が子を千尋の谷に突き落とすくらいの覚悟が必要になることもある。そうまでしてでも、親は子供の幸せを願うものだ。

子供の能力を生かすため、幼い時から習い事をさせたり、進学校に入れたり、親は工夫を凝らし子供の成長をサポートする。子供も親の期待に応えるべく懸命に精進する、まさに理想的な親子像だ。

とはいえ、果たしてそれが正解かどうかは誰にも分からない。

悲しいことに現実は、親のエゴで子供になりたかった自分を押し付けたり、無意識に子供を所有物扱いし、子供が優秀であると信じて疑わず、自身のプライドを満たそうとする愚かな親も多くいる。

そもそも子供の能力は無限だと思いたいが、親から受け継いだ遺伝子、能力は、ダイレクトに子に伝わっている。つまり、親の資質が低ければ、子とて同じなのだ。

中にはトンビが鷹を生むようなことも稀にあるが、そんなことは滅多にない。

最近の売れてる子役、大人になっても活躍する子役の殆どは、親が賢い人ばかりだ。
子役オーディションでも、子供の資質以上に、付き添う親の言動を見ている、という話を聞いたことがある。
親の生き方を見れば、子供の将来が透けて見える、ということだ。

どんなに上辺を繕ったところで、能力のない親の資質などすぐに化けの皮が剥げる。

他者の評価や自己満足のために子供を養育していれば、子供は将来間違いなく心を病み、親子共々破綻することは目に見えている。

真に賢い子を育てたいのであれば、親自身が賢い人間になるのが一番の近道だ。

enji_152 at 06:30|PermalinkComments(0)今世 | 人の道

2023年12月17日

他者に振り回されない生き方

なぜ大人世代には「人気ユーチューバーの面白さ」がわからないのか…「ひき肉です」や東海オンエアの共通点を読んだ。

世間の流行り廃りは時代によって変化していくものだが、現代は若者と年配者が一緒に何かを楽しむ、という機会が減っているように思う。

若者達が夢中になるユーチューバーの動画など、私は一度も見たことがない。
そもそも動画を見てる時間の余裕はないし、素人がプライベートを配信することに興味を覚えないし、共感も出来ないからだ。

他者の動向が気になるから、素人の動画をずっと見ているのか?単なるファン心理なのか?は見ている人にしか分からないし、それが悪いということでもないが、他人の動画見てる暇あったら、自身の人間力のスキルを磨くなり、将来のために好きな分野を開拓、学んでいくほうが建設的だと思うのだが…。

芸能人などの推しもそうだが、それが生きる活力になるという理屈は分かるものの、彼らに大金はたいて応援するというのは、自分が一生懸命稼いだ金を、他人のために浪費する、ということに直結している。ある種、ホストやホステスに貢ぐのと変わらないな…と。

それとて、それぞれ個人の価値観だから、どうでも良い話ではあるものの、自分の足を地につけ、生きていけるだけの収入を得て、心身を健やかに保つために日々の生活をきちんと回していこうとすれば、他者にカマッテいる暇などない。

若者達の流行りが社会現象になることもあるものの、それとて一過性のものだ。
流行りのグルメが翌年には全滅している現状を思えば、一時的な流行に自分の大切な時間を浪費する必要性を感じない。

他者と同調しないと生きづらい日本社会…流行り廃りに敏感でないと、置いてけぼりをくらってしまうかのような感覚になるのかもしれないが、一番大切なのは、自分は何が好きで、どんなことに興味を持っているのか?それを見極めていかないと、いつまで経っても上滑りの人生でしかない。

そんなことを続けていたらあっという間に歳を取り、さらに薄っぺらい人生でしかなくなる。
高齢になって「しまった…」と嘆いても後の祭りだ。

自分の人生は、自分で歩んでいくしかないのだから、足元をしっかり固めることに注力するほうが身のためだ。

enji_152 at 16:39|PermalinkComments(0)今世 | 人の道

2023年12月15日

老害と呼ばれないために

テレビではカットされる「元気すぎる高齢タレント」の「衝撃的な真実」を読んだ。

老いても元気に社会で活躍出来るのは理想だし、自分もそうありたいと思う。
だが、果たしてそれは社会にとって本当に正しいのか?と思う時もある。

昔と違って今は何かあるとすぐにパワハラだ、セクハラだ…と騒がれる世の中なので、おいそれと余計なことは言えなくなっているが、そんなことはお構いなしに過去の武勇伝をひけらかし、それを押し付ける高齢者はまだまだいる。

仕事のやり方も昔とは大きく変わっているにも関わらずぞれを受け入れず、昭和を引きずったまま、業績が上がらないことを悩んだうえ、社員の働きが悪いからだと他者の責任にするような愚かな上司も多くいる。

いずれも自己中な思考のせいであり、世の中の変化にまったく気付いていない、気付こうとしないことで、周囲を悲劇へと巻き込んでいるのだ。

どんなに元気で若そうに見えても、老化現象を止めることも若返ることも出来ない。
現実を受け入れず、過去の栄光にすがりつくような生き方をしていれば、自然と周囲から「痛い人」認定されるのがオチだ。

心身の健康を維持する努力は大切だが、身の丈に合った生き方を受け入れることが、老害と呼ばれない秘訣だろう。

2023年12月14日

偉大なる?80年代

【40代が選ぶ】昭和を代表する「女性ソロアイドル・歌手」ランキング! 第2位は「中森明菜」、1位は?を読んだ。

80年代のアイドルと同年代なので、この時代の曲を聴くと当時のことが鮮明に蘇る。
普段思い出すことがないのに、曲には記憶装置でも付いているのか?と思うほどだ。

先日、ある居酒屋に行った時、エンドレスで当時のアイドルの映像が流れていた。
1曲フルバージョンではなくサビの部分だけだが、そのフレーズを聞くだけで「懐かし~~!!!」となる。

周囲にいたお客さん達も同じくらいの年代の人が多く、誰もが当時の話で盛り上がっていた。
私もその頃のことや、アイドル自身のスキャンダルなど、若い人達は知らないようなことを思い出し、話に花が咲きまくった。

この時代はいわゆるバブル世代だが、私の就職した頃はまさにその時期だったこともあり、未だに若者達から羨ましがられる。確かに、今思えばあの時代は乱痴気騒ぎ状態だった。うかれまくっていたな~と。

バブルがはじけて以降、経済自体はバブル期に迫ることもあったものの、あの当時のようなバカ騒ぎ的雰囲気を感じることはなかった。そう考えると、80年代は見方にもよるが、黄金期と言われるのが分かるような気がする。

バブル期を謳歌した世代は、それをずっとひきずってか?未だにおめでたい人生を送っていると感じるのは私だけだろうか?まさに無敵の80年代!!だ。



enji_152 at 07:31|PermalinkComments(0)今世 | 感動

2023年12月13日

末端の疲弊

東京地検特捜部、自民安倍派を集中捜査へ 国会会期末後に聴取本格化を読んだ。

上記が世間を騒がせているが、この手の話は昔からあるわけで、政治家と検察のズブズブの関係に齟齬が発生すると?時にこういうことが起きるのかもしれない。

政治家に限らず、金持ちと思しき人達が、清廉潔白に金儲けをしているわけがないことは、誰だって知っているし、それこそジャニーズ問題と一緒で、知っていても知らん顔というのが常だ。

検察が権力のある大物政治家の影響を受けずか?受けてか?今回のような摘発が起きると、対派閥陣営にとっては好機となるわけで、今回のことを私は「岸田の乱」とみている。
そんなことをおいそれと言うべきではないのだろうが、素人の妄想なので、ご容赦願いたい。

今回のことに伴い省庁の大臣や政務官が交替となると、大変なのはそこで働く官僚、職員達だ。
定期的にそれらが変わるのは仕方ないことだが、政治家の思惑やゴタゴタに巻き込まれる者にとっては迷惑以外の何物でもない。

それでなくとも不夜城の霞ヶ関。人権もへったくれもあったものではない。
こういうくだらないことに巻き込まれ、心身を消耗していくから、どんどん若手が辞めていき、残るはパソコンもろくに扱えない中高年ばかり。

それでもやるべき業務は減るどころか増える一方で、深夜、土日勤務が当たり前となり、中高年職員は疲弊するばかり。一人また一人と倒れていき…国の中枢を担う霞ヶ関…マジでヤバイ!!!

人のことを慮る余裕などない中高年の一人である私から見ても、この状態は異常としか思えない。


enji_152 at 07:34|PermalinkComments(0)今世 | それって…