前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2014年03月

浅田真央選手のスゴイ!ところは、どんな困難の渦中にいても、弱音を吐かないことだ。
現役選手であれば、誰もが通るいばらの道を、笑顔で乗り切ろうとしている姿は、誰もが見習うべきことだし、誰よりも潔いと思う。

身内や心を許せる人には弱音を吐くこともあるだろうが(そうでなければ持たないよね)、公の場ではそうしないことが素晴らしいのだ。肩肘張って、ただの意地だけでがんばっているのではなく、上へ行くための苦難を己の使命と心得て精進する姿に誰もが心打たれるのだと思う。

人としての芯の強さとは、一人よがりではない信念を、貫くためにする努力の継続だと思う。
結果に捕らわれることなく、自分が掲げた目標だけを見つめる強さだ。
世界中の人が、浅田真央選手を大好きなわけが分かる気がする

世界フィギュアスケート選手権での、浅田真央選手の演技は素晴らしかった。
特に、オリンピックでのリベンジを果たしたことになったSPはノーミス。
FSもほぼ完ぺきに近い演技で、またしても見る者の心をわしづかみにしてくれた。

オリンピックという途方もない魔物との闘いから約1か月、何事もなかったかのような笑顔でリンクに上がる浅田選手の、何とメンタルの強いことか!
悔しかった思いをバネにして、なんてそんな生易しい言葉では語れない、多くの思いを心の奥底にズン!と沈めて、ただひたすら自分との闘いに打って出たのだ。
そして得られたベストな演技。

強い信念だけではなし得ない、底知れぬ信念の貫きを見せてもらった

あるセミナーに出席し、そこでエーテル体を実感することが出来た。というか、想像以上に自分は感じていることを改めて知った。

被験者の体に自分の両手をかざしてみると、ボワン!とした感触があった。
一通り体全体をなでるように手の平を移動させてみると、被験者の体に痛みや弱っているところに大きく抵抗感があった。「もしかして、ここ悪い?」と聞くと、その通りだった。

逆に自分が被験者になってみると、自分の体がほわん!と温かくなる。
直接体に触れるわけじゃないのに、手当をしてもらってる感覚になった。
う~~~ん、何とも不思議だ。

人には自分が思った以上に、何らかの潜在能力が蓄えられているのかもしれない、と思った

会社の健康診断で胃カメラを飲み、萎縮性胃炎という診断をされ、原因はたぶんピロリ菌だろうということで、除菌をすることになった。

ピロリ菌は、幼少時に罹るらしい。ということは、私の人生の大半は、ピロリ菌と共にあった、ということになる。だが、このピロリ菌、そんな悠長なことは言ってられない悪さをする菌だそうだ。放置しておくと、胃がんのリスクが格段に上がるらしい。

その手前の症状としての萎縮性胃炎にすでに罹っていたが、幸い痛みもなくこれまで過ごすことが出来た。
ピロリ菌には悪いが、そろそろ今生の別れをさせてもらうことにした。
7日間薬を飲み続けた。1か月後にまた検査をして、ピロリ菌がいなければ除菌成功、ということになる。

人との別れはつらいこともあるが、この別れはありがたい別れとなった

フィギュアスケーターは、強化選手になるくらいには、年間1000万円ほどかかるそうだ。
年収が1000万超えること自体、なかなかないことなのに、習い事にそんな高額を払える人は少ないだろう。

強化選手になれば、連盟からお手当が出るらしいが、それくらいの額じゃ足りないよね~。
そうなると、フィギュアスケートは金持ちか、スポンサーがつかない限り、上には上がれない、ということになる。

だが往々にして、出来る子というのは、お金持ちの子じゃなかったりすることもある。
お金があっても、上に行けない子は行けない。

お金がものをいうスポーツだと、ダイヤの原石をみすみす逃していることにもなるのかも…。
貯めに貯めたプール金、ぜひともダイヤの原石を見つけることに使ってほしいものだ

日本で開催されるフィギュアスケートの大会は、どの会場も観客がびっしり!だ。
世界各地でこれだけの集客があるのは、日本だけ、といっても過言ではないだろう。

今日行われている埼玉スーパーアリーナでの世界選手権の観客は18,000人だそうで、入場料の高額さもさることながら、その他にスポンサーの広告費、テレビの放送料や、さまざまな収入源を考えると、後進の育成には相当な金額を投資できるだろう…と思いきや、そうではない現実。

なんちゃら連盟には、20名を超える理事がいる。その人たちって何してるんだろうねぇ~~、そもそも、そんな人数が必要なのか?でもって、この方々は絶大な権力と共に、本来なら選手がもらうはずの金額をごっそり懐に入れているらしい。

本当に、未来の選手たちを育成する気はあるのだろうか?
若い選手たちがやりたいことの多くを犠牲にして得た栄光を、食い物にする大人たち!
天からのおしおきをお待ちする次第だ

昨日、テレビ東京で放送された「世界ナゼそこに?日本人」を観た。
そこで、コスタリカ在住の、民宿を営む61歳の娘さんと、92歳になる母親のことが取り上げられていた。

娘さんはアメリカ人との結婚で、日本からアメリカに渡り、その後縁あってコスタリカに渡り、母親は86歳の時に心臓の病気を患ったため、日本を離れることになった。

母親は、ご主人を若い時に亡くし、5人の子供を女手ひとつで育て上げた。高齢となっても、子供達に迷惑をかけてはいけないと一人暮らしを続けていたそうだ。

母親は、言葉も分からず、友達もいないこの地で、初めて絵を描くようになった。暇を見つけては描いた日本の風景などが現地で評判となり、定期的に絵を売っている。そこでの売り上げを、コスタリカの孤児院に寄付しているのだ。

娘さんも親孝行で働き者だ。これは母親譲りだろう。
親子揃って、人のためになることに喜びを見出しているのだ。
それは、生きているからこそ、の賜物だと思う。
高齢になっても、人の喜びのためにがんばれるこの親子にエールを送りたい

4月から消費税が上がるため、JRの定期券を今月中に購入しようとする人の列が、券売機の前でとぐろを巻いている。

「ちょっと、ちょっと、こっちの券売機、空いてるよぉ~」と、いつも思う。
みどりの窓口の中にある券売機だ。これは、えきねっとで購入したチケットや、当日の新幹線チケットを購入できる券売機だが、定期券も購入できるのだ。だが、意外と知られていない。
JRの職員も教えてあげればいいのに、知らん顔。

何事も角度を変えて見ると、思わぬところに穴場やお得が転がっているものだ

世間には、ド天然と言われる人がいる。
良く言えば天真爛漫、裏表がなく、誰からも愛されるキャラだ。
悪く言えば無神経、悪気もなく誰に対しても、思ったことを口にする。

それは、周囲の状況を把握していない、悪く言えば自分勝手な振る舞いになることもある。
悪気がないだけに、周囲も困惑する。
いっそのこと、腹黒いほうがまだ手の打ちようもあるのだが…。

ド天然も、結局は自分だけがかわいいのだと思う。他人のことなど興味がない、ということだろうか。
「悪気がない」という心情は、時には人に大ナタ以上の傷を付けていることがあるものだ

幼い子供は素直な感情をさらけ出す。それがかわいいと思う。
だが、中には思ったことを天真爛漫にさらけ出せない子もいる。
それは、育った環境や、何らかの要因があってのことだ。

天真爛漫な気持ちを出したら、自分が我慢していることが崩壊してしまいそうで怖いのだと思う。
必死で現状に負けまいと、歯をくいしばっているのだ。

ふとした人の優しさに触れて、弱いつらい感情を出していいんだよ、と言われると、そうしたい気持ちと、そうはなるものか、という気持ちの格闘で心は揺れる。
ついには、優しい心を向けてくれる人に牙を向けてしまう、のだろう。

子供の頃には他人に牙を向けても、周囲の大人達は子供の事情を察しているから、それでも変わらぬ愛情を注いでくれる。だが、大人になるとそれはない。他人に牙を向ければ、孤立が待っているだけだ。
出来ることなら、大人になるまでに、素直な心を現わせるようになりたいものだ

お彼岸(春分・秋分の日)は、太陽が真東から昇って、真西に沈む時だ。
昼と夜の長さも、ほぼ同じと言われている。

メキシコのチチェン・イッツアのピラミッド遺跡では、ピラミッドの階段が、陽のあたり具合によって、ヘビの影を作るのだ。これは、春分・秋分の日にしか現れない現象だ。
太古の昔から、人間は星の動きや陽射しの長さを観察して、生きる智恵にしていたのだ。

現代人は、昔の人達が発見した多くの事柄を受け継いだおかげで、今の便利な生活を享受している。
そんな先人たちに思いを馳せ、自分のご先祖様に手を合わせる(心を向ける)時、それがお彼岸なのだろう

精神的に親離れ、子離れが出来る人は、他人ともうまくやっていけると思う。
それは、自身の精神が自立しているから、他人に依存しないで済むからだ。

本来は自立した精神で生きていくのが人としての基本だが、最近はすぐ他人によりかかろうとしたり、何か良くない事柄が起きると、他人のせいにしたりする人が増えているようだ。

精神が自立していれば、どんな困難に遭っても、決して逃げることもないし、他人のせいにしたりなどせず、周りの協力を得ながら立ち行く道を進むことが出来る。

社会での大人力を発揮するには、親離れ、子離れが出来ていることが基本になるのだろう

親離れ、子離れ8のつづき

親や周囲の大人達は、子供が産まれて、1年1年大きく成長する様をずっと傍らで見守り続けていると、子供がとっくに成人しても、いつまでも昔のかわいらしかった昔の姿を思い浮かべてしまう。
それは悪いことではないが、その心情が子供を赤ちゃん扱いしてしまう危険性をはらんでいる。

子供は、親とはいつまでも元気で、何か困ったことがあれば、いつでも駆けつけて助けてくれる、という妄想を抱きがちだ。だから、親が老いて、自分より出来ないことが増えるとイライラして、「何でそんなことも出来ないの!」という悲しい苛立ちをぶつけてしまう。

親も子も、同じ日々は二度とないのだから、各々が成長し、いつかは老いていき、この世からいなくなることを肝に銘じておかないといけないと思う。
親も一生死なずに子供を守り続けることは出来ないのだから、一人でもしっかり生きていけるだけの自立心を養ってあげることが何より大事だろう。

親を、子を思う、その心のありよう次第で、親子の将来が決まっていくのだろう

気になること2のつづき

その後、寒い日が続いたせいか、いじめっ子の首謀者の女の子が1週間休んでいた。
その間は、もう一人の子と、いじめられているであろう子は仲良く通学していた。

おそらくインフルエンザで休んでいたであろういじめっ子が復活するのと同じくして、メンバーが1人増えて4人になっていた。4人になると、露骨にいじめる気配が薄れていた。

だが、これまでと違っていたのは、道の向こうの反対側の通りから、いじめられているであろう子供の母親が、ずっと子供達を見守っていた。それは、数日間続いた。
ようやく、母親も事の次第に気付いたのだろうか…。

だが、ここ最近、いじめられっ子とその母親の姿をまったく見なくなった。
しばらく様子を見ていたが、やはり姿を見ない。
単に、一緒に通学しなくなっただけなのか、もしかすると転校でもしたのか…。

真実は私には分からないが、いずれにしても、つらい思いをしていたことを母親が知り、何らかの対処が出来たのであろう…と思いたい

石巻では、震災三年の慰霊祭にも参加させてもらった。
震災で犠牲となった、二万人余の霊様のこれまでの働きに感謝するのと同時に、その立ち行きを、多くの方々と祈らせていただいた。

式典の中で、「花は咲く」を皆で歌った。
すると、会場中に霊様のエネルギーが渦巻き、この式典を嬉しく思う気持ちと、亡くなった自分達のことを忘れないで欲しいという思いが、私の胸に去来した。
皆の歌声と、霊様の思いが重なったように感じた。

震災という事柄もさることながら、その犠牲となった方々に思いを寄せることを忘れてはならないと思わされた

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