前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2014年07月

佐世保の女子高生の事件は、報道内容を聞いたり、読んだりするたびに心が痛む。
被害者の子の冥福を祈るばかりだが、加害者の子も、その生い立ちや育った環境を思うと、やりきれない思いに駆られる。

子供が親から真の愛情を与えてもらえず、子供をペットのように育て、自分の意のままにしようとする。
子供はそんな親の期待に応えようと、一生懸命良い子を演じ続ける。それが、自分の意思とは真逆であってもだ。
子供は親を喜ばせたい、親に認めてもらいたい!その一念だけなのだ。

そんなことが続けば、子供の心は破綻する。自分でも気付かないうちに、おかしくなってしまうのだ。
親は見た目だけ、上辺だけの結果を見て子供を評価する。
そんな親に限って、子供の魂の叫びから目を背け、なかったことにしようとする。
自分にとって都合の良いことだけを良しとする身勝手な親だ。

そんな子供の心を思うと、やりきれない、奥深い悲しみを覚えてしまう。
世の中には、数えきれないほどの心身の虐待がある。
その先にあるものは…。考えるだけでゾッとする。

「どうにもならん」のつづき

時が流れて、距離を置いていた人の態度が変わることが稀にある。
それは、自分を取り巻く環境にようやく気付いたのか、このままではいけないと思ったのかは定かではないが、心易く話が出来るようになったことは、お互いに嬉しいことだ。

そうやって、少しずつ周囲の人が馴染んでくれれば、冷静に昔の自分を顧みることも出来るし、それまで抱えていた心の固い部分が、案外すんなり解けてしまって、拍子抜けするほどだ。

それでも、何十年と抱え持っていた感情は、そう簡単には抜けきらない。ふとした瞬間にまた昔の自分が顔を出すかもしれない。出てこなければそれに越したことはないが、出てきたらそれ以上後戻りしないように自制していくしかない。

そうやって少しずつ少しずつ、自分にとって良い方向へ進めば、もう誰からも敬遠されることもなくなるだろう。
誰にだってクセや短所はある。それと上手に付き合いながら、自分にとって真の意味で居心地の良い環境にしていければ良いのだと思う

「笑いは万能薬」のつづき

笑いのある所に人の輪があるものだが、その輪を遠巻きに眺めながらも、そこに加わらない人がいる。
こちらが誘っても断られる。二度、三度は声をかけるが、度重なる拒絶を受けると、だんだん遠のいてしまう。

それでも、声をかけ続けてあげることが必要なのかもしれないが、お互いいい歳をした大人だ。
誰もが皆でお手てつないで仲良くね~なんてことがないのも当たり前のこと。
一人の時間を大事にする人を無理強いするわけにはいかないものだ。

それならいいのだが、中には声をかけてもらい、それを断ることに優越感を覚える人もいる。
なんとも幼稚としか言いようがないのだが、これもまた「かまってちゃん」(カテゴリー「居心地の良い場所」)なのだ。
そういう人に対しては、やはりある程度の距離を持って接するしかないだろう。

周囲がどんなに心を砕いても、協力し合っても、その時にはどうにもならない人というのがあるものだ。
だが、それは悪いことではない。たまたま今は波長が合わないだけなのだ、と思い、時の流れの先を楽しみに待つのが得策だろうと思う

昨日の27時間テレビの最後に45分ノンストップライブでのこと。
途中、中居さんが何度か中座していた。

27時間といっても、その前のリハーサルや打ち合わせを入れれば、恐らく丸2日は寝ていないだろうから、そもそも45分ノンストップライブと言う企画自体が労基法を完璧に逸脱していると言っても過言ではないだろう。

中居さんは、以前違う番組でも長時間の生放送で司会をこなし、その後にやはり長めのライブをやっていた。
その時も、カメラに映っていない頃合いを見計らっては何度も水分を補給していた。
その姿にかなりの痛々しさと同情さえ覚えたほどだった。

中居さんは、もともと身体に熱がこもりやすい、つまりは熱中症になりやすい体質なのだと思う。
それなのに、帽子をかぶって(髪の毛はキッチリターバンらしきもので押さえている)いる。
それが体内の熱を放出しにくくさせており、結果余計に身体内の温度が上がっているのだと推察する。

他のメンバーもしんどいのには変わりないだろうが、何とか最後まで舞台から消えることなく持ったのは、体質の問題もあるし、帽子をかぶっていないことも要因のひとつだと思った。

いずれにしても、昨日の企画はヘタすれば放送事故になりかねないものだった。
事故が起きなければ改善しない、されない世の中。
芸能界だけではないが、社会全体が「起きなければ手を打たない」というのがどうなんだろうね~と、一言申さずにはいられない

昨晩から放送されているフジテレビの27時間テレビだが、時間のある時にちょこちょこ見ていた。
27時間眠らず、生放送をするだけでもスゴイことだが、メインパーソナリティのSMAP5人のメンバーのスゴさに圧倒された。

普通に生きていて、丸1日眠れないだけでも相当のダメージだろうに、ずっとテレビカメラの前に立ち続け、笑顔で番組に出演するなんて!
そして、最後は45分ノンストップのライブ。最後までしっかり歌い、踊り続けた彼らのプロ根性!
この後に続く後輩アイドル達にとっては良い手本になるであろうが、越えられない大きな存在ともなるだろう。

彼らの非凡なるアイドル魂に拍手を送りたい!と同時に、この番組を無事終えることが出来たことを大いに褒め讃えてあげたい

今日は隅田川で花火が打ち上げられている。
その規模は2万発で、会場も第1、第2会場に分かれ、多くの方々が楽しめるようになっている。
子供の頃に見た花火とは比べものにならないくらい、花火も進化し続けている。

花火師の方達が1年をかけて花火玉を作り、一夜のためだけにその精魂を注ぐ。
打ち上げられた花火は夜空に大輪を咲かせ、観る者の心を高鳴らせる。
真っ暗な空にほんの一瞬だけ、色とりどりの光が舞うのだ。

人生も花火に似ている。
1日1日をコツコツとこなし、精進し続けた結果、やっと周囲も認め、自分でも納得のいくものになっていく。
多くの人達の心に残る大輪の花を咲かせるには、それだけの努力が必要だ。
花火はリハーサルが出来ず、やり直しもきかない。人生もしかりだ。
人生の最期に大きくても、小さくても良い、美しい花を咲かせられたらいいな、と思う

「どう取り組むか」のつづき

世の中にはブスッとした顔で、挨拶をしてもニコリともしない人がいる。
どんなに美人でも、それでは人は遠ざかっていくばかりだ。
そんな人ほど、なぜ私の周囲には人が寄り付かないのか?と思っていることだろう。

自分の姿を鏡で見てみればいい。
愛想のない顔で、口を開けばグチしか言わず、何かあるとすぐため息をつく。
そんな人と誰が仲良くなりたいと思うだろう。
自分は毒を吐いていいかもしれないが、周囲はいい迷惑だし、毒を吐く自分だって、決して楽しくはないだろう。

そんな時は、大声で笑ってみることだ。
「何が楽しくて笑うのよ!」と思うかもしれないが、まずは声に出して笑ってみるのだ。
すると、不思議と心に溜まった澱が出ていくのを感じるだろう。
笑っていると、今抱えているものが、ちっぽけなものに思えてくる。

笑いのある場所に人は集まる。
自分の周囲を温かい場にしたいのであれば、まずは自分が笑顔で人と接することが何よりの近道だ



「葛藤の果てに」のつづき

多くを学び、痛みを乗り越えて、今までよりも晴れがましい自分になれた時の喜びは格別だろう。
だが、それも時間の経過と共に慣れてしまい、また次の高見を目指してみたくなる。

人間は生きている限り、己の格を高めるための修行は続く。
そうやって、次から次へと困難や難儀がやってくるように思うが、私はそれを難儀だとは思わないようにしている。

主観的に見ても、客観的に見ても、困難な事柄なのだが、その過程を、1日1日をいかに楽しむか!ということを腹に据えている。そんな中ででも、必ず楽しいことや、嬉しいことは起きてくる。
楽しいことを喜びながら、困難に当たる。すると、普通なら10に感じる苦痛も、5くらいになっていたりするものだ。

そうやって、日々を喜びの気持ちで丁寧に過ごしていると、何十年か経った時に、笑っていられる自分でいられるものだ

「腹に据える」のつづき

己の価値観を修正するぞ!と腹をくくったところで、現実問題としてなかなか難しいこともある。
生れてこの方、ずっと抱えていた価値観を修正せねばならないのだから、その過程で心は迷い、揺れることだろう。

そんな時が、まさに成長の正念場だ。そこで己の葛藤に打ち勝てるか!
最後の最後にググッ!と辛抱が出来るかで、その後の展開がガラリと変わるのだ。
価値観の軌道修正も、結局は自分との闘いだ。

だが、それを成した後の快感は格別だろう。
目の前に広がっていたモヤモヤが、パァ~と晴れる瞬間を感じることが出来る。
と同時に、心がスッキリし、後ろを振り返れば、過去の自分がそこにいる。
そこで初めて、自分の成長を実感出来ることだろう

「出会い」のつづき

自分を良い方向に導いてくれる人に出会ったならば、まずは全てを受け止めてみよう。
その時はまだ受け入れられないことも、まずは手元に引き寄せて、それからゆっくり咀嚼してみればいいのだ。

自分にはない価値観を受けいれるのだから、一筋縄ではいかないだろう。
だが、その葛藤が自分を成長させてくれるのだ。
自分が望んで引き寄せた人なのだから、ここは自分のために辛抱が肝要だろう。

長年生きた価値観を修正するのだから、痛みが伴うのは当たり前だ。
その痛みは、自分を一段高みに押し上げてくれるための試練なのだから、今よりは少し格の上がった自分を想像してみよう。そしたら、その辛抱もしがいがあるというもの。

自分を良い方向に変えていく(成長させる)ということは、覚悟のいることなのだ

「迷い」のつづき

人生の途中で道に迷った時、正解を教えてもらえれば、こんなに簡単なことはない。
だが、この世に修行に来ているお互いは、その答えを見つけるのが課題のひとつでもあることを思うと、そう簡単には解決の糸口は見つからない。

そんな時は、自分にとって正解に導いてくれる人との出会いを強く願うことだ。
願う前には、今ある状況に感謝することが前提にあるのだが…。
感謝なくしての好転はないと言ってもよいだろう。

今まで自分の周りにはない良い意味での価値観は希少だ。
良い方向へ導いてくれる方と出会えば、人生はガラリと変わる。
それには、自分の固定観念をぶっ壊されることは覚悟の上での話だが…。

良い働きをしたい、良い人間となりたいと願うならば、己の我を常に修正していくことが大事だろう

「何に重きを置くか」のつづき

生きていれば、何が正解で何が間違いか?と迷う時がある。
今自分がやっていることは正しいのだろうか?と。
例えば、何かの資格を取るために必死に勉強したのに合格出来なかった時、人のために身を粉にして働いたのに、結果的にその人が助からなかった時、大事にしていたものが無くなったり、大切な人が死んだり…等々。

日々がんばっていればこそ起きる迷いだろうと思う。
だが、やってきたことは決してムダにはならないし、必要でないことは巡って来ないと思う。

その人の持つ霊格の差はあれども、それはその時々に自分に合った事柄が廻ってくる、もっと言えば、それを自分が引き寄せているのだ。
良い事柄も悪い事柄も、己で引き寄せているのだから、やはりそれと対峙するしかないのだ。

迷いが生じたら、一度自分の立ち位置に戻ってみてはどうだろう。
客観的に自分を見つめ、何がしたかったのか、どうしていきたいのか、一見不必要と思える今のこの事柄をどう処理するのか…。
心に浮かんだことが答えになる

「揺れる心」のつづき

人にはそれぞれ価値観があるだろう。
家族を大事にすることを第一義とする者、何はなくとも仕事が大事!という者、プライベートな活動を重視したい、という者、人との繋がりを大事にする者、ギャンブルが大好きでやめられない者、ダメと言われることをやりたくなる者…。
それらは、今の自分に合った価値観だから、正解はない。

だが、そもそも人は何のために生まれてきたのか。
根本的なお題目を考える時、自分はこの世で生かされている今日をどう生きるべきか、将来どうしていきたいのか、自分がこの世に生まれた意味は何なのか?を考えるべきだろうと思う。

自分にしか出来ないこと、役目が必ずあると思う。
それは、前世からの積み残しであったり、今世で成し遂げたいと思っている事柄だろう。
それらから目を反らし、ただ毎日を楽しく過ごせればそれで良い、などと思っていたら、死んだ後に後悔することになる。

人間の肉体はたかだが一世紀ほどの持ち物だが、魂は永遠に生き続けるのだから、今世でのお役目を果たさず肉体を失った時のことを思うと、やはり今世での肉体(私)がやるべきことをやらねば!と思わされる。

今世は今世だけのものではない。今の生き方が未来を、来世を作っているのだ。
そう考えれば、今何をなすべきか…考えずにはいられないだろう

「上辺だけでは」のつづき

ブレない、確固たる信念、心根を持つにはどうしたらよいのだろう?
自分ではブレてないつもりでも、周囲から見たら、ブレブレなんてこともあるし、自分ではまったく自信がないな、と思っていても、周囲からは「自分をしっかり持ってるよね」と言われたりもする。

人生、生きている限り、ず~~~っと、己との闘いで、揺るぎない己を作り上げることが修行課題のひとつなのだから、ブレないことはないだろうと思う。
常に心は揺れるわけだが、それでも、その瞬間、瞬間は、自分に恥じない生き方が出来ていれば、それが大きな強みになっていくのではないだろうか。

人間誰しも弱い部分も、ズルイ部分もある。あって当然だ。
それも自分の一部なのだから、それを認めつつ、今出来ることから逃げずにがんばってみる。
それがまずはブレない自分を作る基礎になることなのだと思う。

三歩進んで二歩下がる。それでも一歩は進んでいる。
ブレない自分を作るには、時間と努力が必要だろう

「心を失くすと」のつづき

心霊番組などで、悪霊に憑りつかれた人を除霊する、というものがある。
時には霊媒師の人が疲労困憊になるほどの悪霊との闘いがあり、死闘の末に悪霊が退散する。
テレビ番組的には、それで「めでたし、めでたし」なのかもしれないが、実際には何の解決にもなっていない。
一時は霊が離れたとしても、また戻ってくるからだ。

なぜ元に戻るかと言えば、憑依された人の心根、性根が何ひとつ変わっていないからだ。
悪い心を抱いている限り、悪いモノしか寄ってこない。
それは、人間関係に置き換えたら分かりやすいだろう。
「類は友を呼ぶ」のように、自分の周りにいる心許せる友人は、結局自分と似た価値観の人間ばかりだからだ。

霊は肉体を持たないだけで、生身の人間と同じ魂(霊格)を持っている。
だから、自分と価値観の合う霊格を見つけると、その人に憑いてしまうのだ。
良い霊格を身に付けたいならば、自分の霊格を上げるしかないのだ。
上辺だけの処置では、何も変わることはない

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