前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2014年08月

「介護=親育て13 」のつづき

介護が子育てと同じだなと感じるのは、高齢者だから、子供だからという、どこか上から目線で付き合っていると、うまくいかない、ということからだ。

よく、「幼い子供にそんなこと(注意)を言っても分からない」というママゴンがいるが、それは大きな間違いだ。
赤ちゃんであろうと、幼稚園児であろうと、子供は大人がどんなふうに自分と付き合ってくれるのか、一人の人間として真摯に向き合ってくれるのか、ということを常に感じている。
言葉は理解出来なくても、物事や人としての道筋をきちんと話し(心を向ける)、対峙することで子供は素直に成長していくのだ。

それは、高齢者も同じだ。
例えば痴呆になって何も分からないと思ったら大間違いだ。脳は病に冒されていても、魂は生きているのだ。
それを、粗末に接すれば、それはそのまま自分に返ってくる。

褒めること、悲しむこと、楽しむこと、叱ること(良い意味で)も、常に真剣勝負だ。
対人間であること=対自分であることを忘れてはならないと思う

「介護=親育て12 」のつづき

我が家は、どちらかと言えばしつけの厳しい家庭だったと思う。
両親揃って昭和一ケタ生まれ世代のためか、軍事教育を背景として育ったためか、有無を言わさず、というところがあった。
子供の頃はそれがイヤだったが、大人になると、世間の緩さに驚き、厳しく育ててもらったおかげで、多少のことでは動じない強さが身に付いていた。

親が育ててくれた感覚は、そのまま私の気質となっているため、親に対しても、子供の時に受けた感覚のまま接していると、親のほうが音を上げた。
私にしてみれば、「エッ?」って感じだった。
受けた恩?をそのまま返しているだけだと思っていたが、親のほうが意外にも弱かった。
というか、親は自分のしてきたことなどすっかり忘れていたのだ。

これもまた理不尽だな~と思いつつも、弱い部分を見せることもまた、親にとっては勇気のいることだろうなと思い、私も方向転換した。
自分がどうされたら心地よくいられるか…。答えは、案外すんなり見つかった

「介護=親育て11 」のつづき

親と子の立場が逆転し、今や私が母のお母さんみたいになっていて、呼び名も下の名前(first name)で、「ちゃん」付けで呼んでいる。

母曰く、子供の時から「○○ちゃん」と、ちゃん付けで呼ばれたことがないから新鮮だ、とのこと。
呼び名から始まり、生活先般に亘り、母にとって良いと思うことをアドバイスし、後は本人にやりたいことを選択してもらっている。

私がモットーとしていることは、出来るだけ感情的にならないことと、叱らないことだ。
頭ごなしに叱ると萎縮してしまい、傷ついた気持ちがそれを忘れたくて痴呆に走るからだ。

出来ないことには目をつむり、出来たことを褒める、感謝する。
感謝の気持ちを言葉にする。ちょっとしたことにも「ありがとう」を言う。

それを根底とし続けることで、互いに気持ち良く毎日を過ごせていると思う。
気持ちのうえで大事にしていると思っても、やはり言葉にして気持ちを伝えることはとても大切だと思う

「介護=親育て10 」のつづき

昨今、「子供は、親を選んで生れてくる」ということが言われている。
前世やこの世に「生」を受ける瞬間のことを憶えている子供達が昔より多くなっていて、その時のことを話すのだそうだ。

その際よく言われるのが、「お母さんを助けるために、この女性のところに生まれようと決めて、神様にお願いして、この家の子に生まれたの」というものだ。
ほとんどの子供達が、お父さんではなく、お母さんのために、と言うのだそうだ。
確かに産むのは女性だし、母となる人のお腹で命が育まれるのだから、お母さん選びはとても大切だろう。

ということは、私も母を選んで生れてきたのだろう。
「お母さんを守るため、助けるため」それが使命のひとつであるのならば、それを全う出来るよう、母が笑顔であの世に戻れるよう、日々を大切に過ごしていきたいと思う




「介護=親育て9」のつづき

父のことは死ぬまで好きにはなれなかったが、母のことはとても大切に思う。
子供の頃から母は私をかばうために父と喧嘩したり、盾になってくれたり、私が希望することを極力叶えようと尽力してくれたその姿が、私の心に刻まれているからだ。

少し心に依存性のある母は、私が独り立ちする時も泣いてすがってきた。
私も辛かったが、母の思いを一度断ち切り、距離を置いたことで、より母の存在の大きさが分かったし、何よりも大切にしなければならない存在だと思わされた。
また、母にとっても子離れの良い機会となり、父と二人だけの暮らしを覚悟するものとなった。

それから10年して再度両親と同居することになった私。
そして、再同居を始めて9年目に父が亡くなり、母との暮らしが始まった。

今では、母と子というより、私が母で母が子のような関係になっている。
母も、安心して子供に戻っているようだ

この夏は、爆弾低気圧が発生しやすく、各地で短時間に大雨が降り続け、ビクともしなさそうな大きな山が一夜にして崩れてしまい、裾野に広がる町が壊滅的な被害を被っている。

地盤のことなど考えもせずに、これまで何もなかったからということで、山の奥へ奥へと宅地開発がなされる。危険地帯であろうとも、それは見なかったことにする。

これは、山間だけではなく、東日本大震災の時に大きな被害のあった海辺の町もしかりだ。
「ここから先に家を建てるべからず」という先人たちの教えを無視して、町が作られた所が多い。

便利さだけを追求した結果、自然から仕返しされているような感じさえ受ける。
いや、仕返しというのはおかしい。自然は元からそこにあるのだから、あるべき姿を見ようとしない人間の傲慢さが招いた災害なのだ。

そうは言いつつ、何十年に一度、何百年に一度の災害のために、地盤の固い山奥に引っ込むわけにもいかないのが現実だが…。

どんな場所に居ようとも、今住まわせてもらっている土地に感謝し、自然を敬う気持ちを持ち続けることが大切なのだ


「介護=親育て8」のつづき

親が生きてきた道程を思うと、培われた人格や現状を少しは理解できる。
これが他人なら、もっと適格に対応出来るだろうが、やはり肉親というものには感情が先走ってしまって、「なぜこんな親なんだろう」とか「どうして人の言うことが分からないんだろう」といった、責める気持ちが生れてしまう。

私は父に対してずっとイヤな感情しか抱けなかった。幼い時からかわいがってもらった記憶がなかったし、自分が気に入らなければ、すぐ叩いたり蹴ったりといった暴力があり(昔は体罰だの、虐待だのといった概念はなかった)、人間として好きになれなかった。

そんな親でも、日々の介護から最期の死に水を取るまでが子供の義務と言われることに納得がいかないのだが、そんな理不尽な思いを抱えながらも、それらを全うすれば、それは即ち自分の老後に直結するのだ。
自分もいつかは老いていく。その時に、若かった頃の自分がしてきたことが自分に返ってくるのだ。

イヤな親でも、将来の自分のための先行投資と思って、老後を悠悠自適に過ごす自分を妄想しながら介護に当たっていた

「介護=親育て7」のつづき

人間には、幸せと不幸せの量は、同じだけ与えられて生れてきているように思う。
その量を、生きている間にどのように調理して、この分量の加減を変えていくか?が課題なのではないか?

生れてから幼少期、青年期、大人へと育つ過程で、十分な愛情と、学問、遊び、得難い体験を出来た人は、バランスの良い大人になり、人として即戦力で社会へと巣立っていける。

が、幼い頃から虐待を受けたり、満足な勉強が出来なかったり、逆に勉強ばかりをし続けて、遊ぶ経験をしていなかったりすると、大人になってから歪みが生じる。

人には、学ぶ時には学びを、遊ぶ時には遊びを、恋愛をする時には恋愛を…といったふうに、人間の成長と共に必要なことを体験することは、不可欠なのだと思う。
それぞれの差分はあるだろうが、ある程度の事柄を体験、経験しないと、いずれ大きなひずみが生れる。

それは、若い時なのか、死を目前とした時なのか…人によるだろうが、いつかは埋められなかった穴を埋めるように、その人にとって必要であったであろう事柄が噴出してしまうのだ

「介護=親育て6」のつづき

なぜ父が人一倍?傍若無人でわがままなのか、そのルーツを考えてみた。
昭和一桁生まれの父は、たいした学問を受けることもなく、10代で早くも戦争に駆り出され、青春時代はずっと太平洋上で戦艦に乗っていた。

父曰く「匍匐前進をしたくないから海軍に志願した」と言っていたが、現代なら多くを学び、楽しいはずの青春時代をずっと生きるか死ぬか分からない毎日を過ごしていたのかと思うと、私などには想像し得ない恐怖心や懐疑心を抱えていたのだろうと推察する。

軍隊ではきっと傍若無人な扱い方をされ、敵艦に襲われたら逃げるしかない。艦隊では何度も爆撃を受け、隣にいた戦友の首が吹っ飛んだこともある、と言っていた。何度も攻撃を受けながら、洋上に投げ出されても、父は死ななかった。

そして、戦後となり自分がそんな危険で過酷な戦場にいたことなど、もう誰もなかったことのように暮らしている。
心の底に、自分が受けた多くの理不尽な思いが、年を取り、いよいよあの世が近くなった時に、蘇ってきていたのかもしれない。

客観的な見方をすれば、「相当な苦労をしたんだな」と思えるが、その思いの矛先をまともに受ける家族には、やはりしんどい事柄でしかない

「介護=親育て5」のつづき

父が「困ったちゃん」であったせいか、母は食べる物にも気を配り、軽い運動などをしては、健康管理に努めてくれている。

父は慢性腎不全という、二度と治ることのない病に侵されながらも、好きなものを満腹になるまで、お小遣いを渡せば、すぐさま食べたいものを買ってきては、本能のままに食べていた。
その度に下痢や嘔吐を繰り返したり、苦しくなったりして、家族に迷惑をかけ続けた。

思考が相反する二人は、昔から喧嘩が絶えることがなく、歳を経てもそれは変わることはなかった。
が、いざ父がいなくなると、母は抜け殻のようになった。
何十年と父の傍若無人に悩まされたのにも係わらずだ。

夫婦の絆というものは、子供には理解不能だと思った。
どんなにひどいと思えるパートナーでも、半世紀以上一緒に居ると、気付かないうちに母の心にはなくてはならないものになっているのだろう(本人は否定しているが)。

老いていく二人を側で見ていて気付いたことだ

「介護=親育て4」のつづき

親と再同居を始めて、今年で丸9年が経つ。
その間には、父が慢性腎不全となり、6年間透析通院をした。
幸い、母は健康なので、二人で父の介護をしていた。

6年の間、透析がイヤだと言っては何度となく治療を拒否し、その度に重体に陥り救急搬送され入退院を繰り返した。
私はこの間、5回も救急車に同乗した。
これらのことからも、その度に家族に迷惑をかけ、己の我を通す父には、正直辟易していたため、亡くなった時には安堵の気持ちのほうが大きかった。

家族や周囲にどれほど迷惑をかけようとも、それの何が悪いのか?という思考回路の父には何の手立てもなかったが、私は自分がやるべきことを淡々とやった。出来る限りを尽くせば、それで十分なのだと思う。
こちらが思いを抱いても、表面上は報われないこともある。これも、介護の現実だ

「介護=親育て3」のつづき

早々に親と同居して、来るべき介護に備えることは有用だが、対生身(親)を相手にするのだから、思い通りにいかないことのほうが圧倒的に多い。

子供と違って、長年生きて積み重ねた経験やプライドがあるから、自分が育てた子供にあれこれ指図されることをイヤがるのだ。幼い子供ならば、親が頼りだから言うことも聞くが、親ともなるとそう簡単にはいかないのが現実だ。

だが、そこで匙を投げては元も子もない。必要なことは、己の辛抱だ。
我慢するとストレスになるので、自分の精神力を高めると思い、辛抱を育てる。

時には喧嘩をすることもあるだろう。その時は手加減せずガッツリ喧嘩をする。
そうやって、互いの思いの距離を縮めていくことが大切なのだ。

思い通りにならない時こそ、自分が成長出来るチャンスだと思えば、また違う世界が見えてくるだろう

「介護=親育て2」のつづき

なぜ、早いうちに親と同居したほうが良いのか?
それは、親の心身が不自由になってからでは、手遅れだからだ。

もう少しくらいは大丈夫だろうと思う頃から同居していれば、徐々に弱っていく様子も分かるし、出来ることと、出来ないこと、体の疾患や性格の変化などもつぶさに分かる。
これは、同居していなければ分からないことだ。近くに住んで様子を見るだけでは見逃すこともある。

親とて人間だ。長所も短所もある。高齢になればなるほど、意識も飛んだり、痴呆を発症することもある。
だが、それも含めて自分を育ててくれた親なのだ。

どうしたら親が気持ちよく毎日を過ごせるのか?どうしたら親子仲良くやっていけるのか?
親が元気なうちから準備を始めれば、最悪な状況を回避することが出来る。
そうすることで、更には自分への負荷も大幅に減らすことが出来るのだ

「介護=親育て1」のつづき

高齢の親と同居をするなら、元気なうちに始めることをお勧めする。
元気なうちから、まずは家での主導権が子供に移ったことを知らせるためだ。

親も元気だと、あれこれ口を出し、なかなか言うことを聞かないが、こちらのやり方を押し付けるのではなく、親の主張を尊重しつつ、こちらの(現代のやり方)主張を少しずつ伝えていく。

例えば、パソコンや携帯電話などは、親世代には未知の品々だ。
親が出来ないことからレクチャーしつつ、子供に頼ってもいいのだ、ということを分かってもらう。

日々の細々した事柄を積み重ねて、将来は子供に任せても安心と思ってもらうことが、最初の一歩となるのだ

お盆明けのスーパーはかなりの混雑だった。
必要な物を買い物カゴに入れ、レジに行くと、長打の列。
皆静かにその順番を待っている。私もその列の最後尾に並んだ。

しばらくすると、1列だった列がレジの台数に応じて枝分かれし始めた。
いよいよレジの側まで来ると、それぞれ空いたレジに順番に並んでいく。
と、私の前にいたおばさんが、枝分かれするレジの手前で、さっさと空いたレジに向かった。

すると、前方で枝分かれをするために並んでいたおばさん達が文句を言い始めた。
その様子を見た、私の後ろにいたおばさんたちが私に「何があったの?」と聞いてくる。

私が事情を説明すると、今度は後ろのおばさん達も怒り出した。
暗黙のルールを破ったおばさんは、他のおばさんに注意を受けたが、まったく動じず…。

常識のある人ならば、周囲を見ればこの状況が分かるだろし、うっかりルールを破ったとしても、注意を受けたらまずは謝り、先にいた人と順番を変わるだろう。
結局、ルールを破る人というのは、自分勝手で周囲のことなど眼中にない、というわけだ。

たかだかスーパーのレジの順番待ちとはいえ、言わずもがなの「掟」がある。
これを破ることは、この街で暮らすルールを破るのと同じといっても過言ではないだろう

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