前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2014年09月

今回の旅では、おいしいものをたくさん食べた。
空気も水もおいしいところは、食べ物がとてもおいしい。
なんと幸せなことだろう。

旧伊藤伝衛門邸を出た後に行ったお店で食べたランチ。
お魚がおいしいお店なのだが、連れて行ってくれた方が推薦する通り、とてもおいしかった。
これだけのランチ、東京でいただく機会はなかなかない。

旅行に行くと、毎日おいしいもの三昧で何とも贅沢なのだが、この日のために日々を粗食でがんばった?というのもある。
たまの贅沢も、日々の質素倹約があるからこそ、喜びも倍増なのだ

20140930お食事

旧伊藤伝衛門邸を見学した。
9月まで放送していたNHKの朝ドラ「花子とアン」で、柳原白蓮が嫁いだ家だ。

白蓮の生涯は小説になるほど劇的だ。
当人は自由に生きたいと願い、心のままに生き抜いただけのかもしれないが、彼女の一生は端から見ればやはりドラマティックだ。

白蓮にとっては辛い結婚で、この家にも10年ほどしかいなかったのに、白蓮亡き後、今や多くの人達がこの家を訪れている(私もその一人だが)。
己の生き様が、これほど多くの人に大きな影響を与えることになろうとは、本人も予想だにしなかっただろう。

「事実は小説よりも奇なり」とはまさにこのことだ

20140929伝衛門邸

緑豊かな場所に、古墳時代の竪穴式住居のレプリカがあった。
太古の昔、茅葺の住居で人々が暮らしていたのか、と中に入って体感する。
すべてが自然の恵みで出来た家。採光も、通風もうまく出来ていた。

今は展示物となっているが、当時は山間で一族が軒を連ねていたのだろう。
木々の葉音、鳥やセミの鳴き声、吹き抜ける風を肌に感じる。
何もせず、目を閉じれば当時にタイムスリップしたようだ。

暇さえあれば携帯電話に目を奪われ、五感は衰えるばかりの現代人。
時には、それらを手放し、自然を見つめ、その音に耳を傾け、流れる空気を味わってみてはどうだろう

20140928遺跡と自然

窯元の自然の中で出会ったカマキリ。
これは、もしかして子孫製造中…ということだろうか。

カマキリは、大きいメスが小さいオスを、交尾後に捕食すると言われている。
全てのカマキリがそうするわけではないらしいが、目の前にいたこのカマキリ、その後オスは食べられてしまうのだろうか。

一見すると、何ともグロテスクな話だが、メスが大量の卵を産むために、オスは自らその栄養源となることが分かっているのだろうか、とも思う。
産まれくるわが子のために、己を捧げる…とも解釈出来る。

カマキリにそんな意識はないかもしれないが、命を繋げるために生きている、それは昆虫も人間も同じだろう

20140927カマキリ

窯元を見学した。
緑深いところにそれはあり、美しい川が流れていた。

川から引いた水が臼に溜まり、それが満ると零れ落ち、空になった臼が水受に戻るその瞬間に土を砕くのだ。
何とも良く出来た道具(原理)だと感心した。

自然の時と力で砕く土は、砕かれるほどに細かくなり、最後にはパウダー状になっていく。
そうやって、ようやく焼き物の素となる土が出来上がるのだ。

その後の工程にも多くの時間と労力が要されるのだが、大本の働きを見ることが出来、人間の原点もこうあるべきだろう、と思わされた

20140926土を作る

再びネットの繋がらない所にいたので、更新が出来ませんでしたm(_ _)m

私は乗り物の中でも、特に飛行機が好きだ。
飛行機に初めて乗ったのは4才の時だが、その時のインパクトが大きすぎて、未だに飛行機に乗る時はワクワクしてしまう。

滑走路からフワン!と宙に浮いた瞬間、そのまま高度を上げていく様や、雲を突き抜け青空一面の世界が開ける時、どの光景も毎回違うし飽きない。
大自然のありのままの雄大な姿を目に出来る場所のひとつが、飛行機の中だからだ。

地上にいると決して見ることの出来ない空の世界。
それは、宙の世界と直結している。
そんな想像を巡らせると、宇宙と繋がっている自分を妄想してしまう。

青い空の中で、一人にまにましている

上空

旅行中は、普段行けない場所に行くため、ついついあれこれ欲張ってしまい、普段以上の体力を使ってしまう。
疲れた分、それが明日へのエネルギーに転換出来れば良いのだが、知らず知らず肉体を酷使し、疲れていることに気づかないままにしていると、結局旅行中具合が悪くなってしまう。

旅行前も旅行で休みを取るために、いつもより大目の仕事をしたり、休み中支障がないように、といったことを続けていて、それでなくても体は疲れているのだ。

その上に、楽しい事柄を詰め込み過ぎると、体はオーバーワークを来たしてしまう。
私も過去に何度かそんなことを繰り返しているから、人のことは言えないのだが…。

楽しいことになるとついつい張り切ってしまうが、それもほどほどに。
出来れば、普段と変わらないように(気持ちのうえで)過ごすことが一番良いのだろう。
期待もほどほどだ

昨日から日常を離れ、地方に来ている。
昔の町並みを大切にする所に来ているため、ネットがつながらずブログの更新が出来なかった。
事前の調べで、ホテルのロビーでWI-FIが使えるはずが、なぜかうまくいかず断念した。

毎日出来ていたことが出来ないと動揺しがちだが、それが出来ないことで、これまで便利に使えていたことを再認識出来たのと、なければないなりに何とかなる、ということを改めて思った。

そして、今日の宿泊場所では予約した部屋ではインターネットが使えないと言われていたのだが、案内された部屋は、何故だかネットがつながる環境の部屋だった。

う~~~ん、フシギ。
昨日はつながるはずと思っていたらダメで、今日はダメだと思っていたら繋がった。
物事は予想通りにはいかないものだ。
これも、旅の醍醐味!?と思って、つながる幸せを噛みしめている

ハワイ島では、キラウエア火山のハレマウマウ火口から常に噴煙が昇り、地底には溶岩が渦巻き、新たな土地を生むべく広がり続けている。
これは、島が生き続けている証だ。

日本では、西ノ島が未だ活発な火山活動を続けており、とうとう元あった島を飲み込み、さらに成長を続けている。
溶岩の勢いは衰えることなく、どこまで大きな島へと成長するのだろう。
この働きは、どんなに人間が叡智を振り絞っても成し得ない事柄だろう。

そう考えれば、人間の出来ることなんてたかが知れている。
作物を作ること一つにしても、農業の技術が進歩しても、作物が実る土壌や陽のエネルギー、美しい水などなど、多くの自然現象があって初めて成り立つものだ。

私たちは生き続ける、進化し続けている土地に住まわせてもらっているのだ。
そのことを肝に銘じておくべきだ

20140920ハレマウマウ火口
画像は2010年に撮ったハレマウマウ火口。

ハワイ島のキラウエア火山の溶岩は、普段は海に向かって流れているが、それが変わり、最近町に近づいている、という記事を読んだ。
ハワイ島、溶岩流が住宅地に迫り非常事態宣言

ハワイ島は以前にも溶岩が町を飲み込み、ほんの少し前まで島を横断する道が、冷えて固まった溶岩でふさがれていた。
溶岩に飲み込まれる前に、町にあった教会を住民が移動させ、その教会は今も溶岩で無くなった町の側にある。
それは、溶岩が町を飲み込んだことを忘れない教訓であると共に、どんな時でも神様を敬う気持ちの現れだ。

いつ何時住んでいる町が無くなるか分からないのだが、ハワイ島の人たちは「ペレのやることだから」と言って、溶岩が流れてくることを当然のように受け止めている。
ペレとは、キラウエア火山に住む女神のことだ。

全ては自然ありきで、自分達はそこに住まわせてもらっている、というスタンスが根本にあるのだ。
人間心で考えたら、ペレに恨み言のひとつでも言ってやりたいだろうに、ハワイ島の人達は、ペレの怒りに触れないように、自分達が改まることを第一義としている。

私達日本人も、ハワイ島の人達の心意気を学ぶべきだろう

出社し、朝の挨拶もそこそこに、「台風が発生しましたよ!旅行大丈夫ですかね?」と、今週末から休暇を取っている私に向かって、満面の笑みで話しかけてくる同僚。

この同僚はいつもそうだ。
私が長い休みを取る時、必ずと言っていいほど、マイナスなことを口にする。
当人は表面上はそんな気は微塵も感じてないようだが(悪気はない)、私にしてみれば、出ばなをくじかれたようで、あまり気分の良いものではない。
だが、ここで感情を吐露しても仕方ないので、「あ、そうなんだ~」と言って受け流すことにしている。

いつものこととはいえ、毎度同じことを口にする同僚の心理を思うと、これはひょっとして「嫉妬」なんじゃないか?と感じた。
自分と私の境遇を無意識のうちに比較しては、心の奥深くで面白くない感情が渦巻いているのかもしれない。

人が楽しみにしていることには、決してマイナスな言葉は口にしないぞ!と、自分に言い聞かせた

「私なんて何の取り柄もない」などと言う人がいるが、人には何がしかの「得意な事柄」があるものだ。

私事で恐縮だが、前職では旅行会社に勤めていた。
企画を担当していたこともあり、商品にした土地柄については、造成のために緻密な情報を収集していたため、希望する知人には、いろいろ話しをさせてもらうことがある。

今は違う仕事に就いているが、知人が旅行に行く時には商品を探したり、前職の友達に頼んで手配してもらったりしている。
私にとって旅行の仕事は体力的、精神的にはとてもハードできつい仕事ではあったが、最終的に旅行をして下さったお客様が喜んでくれることがやりがいになっていた。
その習慣が未だ抜けず、ついつい前職の真似事などやってしまう。そして、それが楽しいのだ。

自分が楽しんで出来、相手も喜んでくれる。それこそが「自分の得意な事柄」の一つだと思う

今日の昼過ぎに都心では震度4の地震が起きた(震源地付近は震度5弱)。
最近、関東ではやや大きめの地震が続いている。

東日本大震災以来、日本の地盤が少しずつ変動しているようだ。
普段の生活では気付いていないが、都心も地盤が3~4センチ、5センチ沈下している場所もあるそうだ。

人間が工具や機械類を使って掘削しても、地面を大きく揺らすエネルギーを生み出すことは難しい。
だが、地面(地殻)はその意思で以て大地を動かすことが出来るのだ。

私たちは、地面の上に住まわせてもらっている、という意識を持たねばならない。
人間の叡智と努力で文明は進化し、暮らしやすい毎日になってはいるが、いざとなれば、人間が作ったものなんて、瞬時に壊れてしまうのだ。

住まわせてもらっている土地、そこに建つ家、食べ物や着る物に至っても、すべてが自然からの恩恵で成り立っている。
私たちはもっと敬虔な気持ちを自然に向けるべきだ

連休が続く時は、外出することもあるが、どこにも出かけず家に籠っている時もある。
いろいろとやらねばならないことがあるのと、出かけるとなると身支度を整える手間もかかり面倒くさいことから、外出することをためらうことがある。

1日中外に出ないのは精神的に良くないだろうから、1日1度は外に出る(用事がなくても近所を散歩するとか)ことを意識しているが、やはり出たくないな~と思うこともある。
で、外に出ず、家でずっと用事をこなしていると、アッと言う間に夜になっていた。

外に出なかったことで、小さなストレスが心に渦巻いているが、それがあるからこそ、「明日は外に出よう!」という気持ちになれる。
そんな気持ちが湧いてくるのも嬉しいことだし、実際外に出ることが出来る、それはやっぱり幸せなことなのだ

9月になり秋の気配を感じるこの頃、作物が実り、お店には秋の味覚が並んでいる。
昔から五穀豊穣を祝い、地元の神様をお祭りする秋祭りがあちこちで盛んに行なわれている。

都心では作物を育てる機会はほとんどないが、地元に昔からある鎮守の神様を敬い、皆で祝うことはとても大切なことだと思う。
神様は目には見えないが、確実にその土地を守り、私達を生かす働きをして下さっている。
それを肌で感じる日本人だからこそ、毎年欠かさず祭りを行うのだろう。

普段は神社仏閣に手を合わすことがない人も、1年に一度でも神様に心を向けること、お守りいただいていることに感謝の気持ちを持てること、そう思えれば、神様も喜ぶし、私達にも喜びが芽生える。

そして、祭りとは賑やかで楽しいものだ。氏子である私達が皆仲良く神輿をかつぎ町を練り歩く。
その姿を見て、きっと神様も楽しんで下さっていると思う。
神様が笑顔でいること=私達が笑顔でいられることだ。

だが、あまりにも楽しすぎてはしゃぎ過ぎないよう、神様も笑って済ませられる頃合いで楽しむこともまた肝要なことだ

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