2014年09月
2014年09月13日
介護=親育て23
「介護=親育て22」のつづき
人の一生は、死ぬまで現役でいられることが一番の幸せのように思う。
誰だって、好き好んで寝たきりになったり、痴呆になったりするのではないのではないか?
歳を取れば体の動きが鈍くなり、思いがけないところでケガや事故に遭ったりする率が高くなる。
治療をして元気になれればいいが、中にはそれが原因で寝たきりになったり、痴呆を発症したりすることもあるだろう。
元気であれ、病の身であれ、最後はどれだけ周囲から必要とされているか、自分が周りの役に立ち、喜ばれているのか、それを実感出来れば、どんな生活を送っていても幸せを感じられるだろう。
幸せを感じるには、元気なうちから周囲に感謝する心を持ち、今自分が出来ることを精一杯やる。
若い時のようには出来なくても、その真心は周囲に伝わる。
それは、親であれ子であれ、立場はイーブンだ。
お互いを労わる心、尊敬する心、感謝する心、それさえ忘れなければ、どんな状態になっても仲良くやっていけるように思う
人の一生は、死ぬまで現役でいられることが一番の幸せのように思う。
誰だって、好き好んで寝たきりになったり、痴呆になったりするのではないのではないか?
歳を取れば体の動きが鈍くなり、思いがけないところでケガや事故に遭ったりする率が高くなる。
治療をして元気になれればいいが、中にはそれが原因で寝たきりになったり、痴呆を発症したりすることもあるだろう。
元気であれ、病の身であれ、最後はどれだけ周囲から必要とされているか、自分が周りの役に立ち、喜ばれているのか、それを実感出来れば、どんな生活を送っていても幸せを感じられるだろう。
幸せを感じるには、元気なうちから周囲に感謝する心を持ち、今自分が出来ることを精一杯やる。
若い時のようには出来なくても、その真心は周囲に伝わる。
それは、親であれ子であれ、立場はイーブンだ。
お互いを労わる心、尊敬する心、感謝する心、それさえ忘れなければ、どんな状態になっても仲良くやっていけるように思う
2014年09月12日
それって…2
今日もニュースネタ。
子供サッカーで、「ヘディングは育ちざかりの子供には良くないからやめさせろ」という保護者がいるそうだ。
まさに、「ヘッ!?」って感じだ。
それは取りも直さず、サッカーの歴史に対しての物言いと同じだし、そんなに危険だと思うならやらせなければいい。
だが、スポーツに危険は付き物だし、それを体験して初めて危険だと分かるのだ。
最近は公園の遊具も危険だからという理由でどんどん撤去されている。
整備された町、公園、遊具…等々。安全、安心は必要なことだが、あまりにもお膳立てし過ぎると、子供達は危険回避能力が身に付かないまま大人になってしまう。
親が一生子供を守っていければ良いが、いずれ親は先に逝ってしまう。
その時残された子供はどうするのか?お膳立てされた中でしか生きていけないなんて、それこそ不幸だ。
かわいいからと言って、ただ甘やかせば良いというものではない。
かわいい子だからこそ、愛情を持って多くの体験(危険も含め)をさせることが大切なのだ
子供サッカーで、「ヘディングは育ちざかりの子供には良くないからやめさせろ」という保護者がいるそうだ。
まさに、「ヘッ!?」って感じだ。
それは取りも直さず、サッカーの歴史に対しての物言いと同じだし、そんなに危険だと思うならやらせなければいい。
だが、スポーツに危険は付き物だし、それを体験して初めて危険だと分かるのだ。
最近は公園の遊具も危険だからという理由でどんどん撤去されている。
整備された町、公園、遊具…等々。安全、安心は必要なことだが、あまりにもお膳立てし過ぎると、子供達は危険回避能力が身に付かないまま大人になってしまう。
親が一生子供を守っていければ良いが、いずれ親は先に逝ってしまう。
その時残された子供はどうするのか?お膳立てされた中でしか生きていけないなんて、それこそ不幸だ。
かわいいからと言って、ただ甘やかせば良いというものではない。
かわいい子だからこそ、愛情を持って多くの体験(危険も含め)をさせることが大切なのだ
2014年09月11日
それって…1
今日は、思わず「えっ?」と驚くニュースを読んだので、そのネタを。
アメリカ女性、太りすぎで搭乗拒否、ハンガリーで死亡
内容をかいつまんで説明すると、180キロもあるニューヨーク在住の女性が、ハンガリーに夫と旅行に行き、帰りの飛行機の搭乗を拒否され、ハンガリーで亡くなった、というもの。
その体重のため、重度の糖尿病で左足を切断しているのに加え、腎臓病も患っていたそうだ。
人間、180キロにもなるのか?というのにまず驚いたのと、往きは無事に飛行機に乗れたのもスゴイし、その体で旅行って??病気治療とかなら分かるけど…。
で、亡くなったのは、航空会社のせいだと言って、親族が提訴するそうだ。それにも「えっ?」と疑問符しかわかない。
そもそも、そんな体重になるまで放置した家族にも責任はあるし、重い病に罹っていながら、長いフライトをしてまで旅行をするのって…。
女性が亡くなったのはまさに自業自得だし、それを逆恨みする親族もおかしいでしょ!?
最終的には外国で亡くなって、多くの人に迷惑をかけているわけだし…。
人間誰しも自由権があるけど、それはあくまでも自己管理、自己完結出来るというのが大前提であることを忘れてはならないと思う
アメリカ女性、太りすぎで搭乗拒否、ハンガリーで死亡
内容をかいつまんで説明すると、180キロもあるニューヨーク在住の女性が、ハンガリーに夫と旅行に行き、帰りの飛行機の搭乗を拒否され、ハンガリーで亡くなった、というもの。
その体重のため、重度の糖尿病で左足を切断しているのに加え、腎臓病も患っていたそうだ。
人間、180キロにもなるのか?というのにまず驚いたのと、往きは無事に飛行機に乗れたのもスゴイし、その体で旅行って??病気治療とかなら分かるけど…。
で、亡くなったのは、航空会社のせいだと言って、親族が提訴するそうだ。それにも「えっ?」と疑問符しかわかない。
そもそも、そんな体重になるまで放置した家族にも責任はあるし、重い病に罹っていながら、長いフライトをしてまで旅行をするのって…。
女性が亡くなったのはまさに自業自得だし、それを逆恨みする親族もおかしいでしょ!?
最終的には外国で亡くなって、多くの人に迷惑をかけているわけだし…。
人間誰しも自由権があるけど、それはあくまでも自己管理、自己完結出来るというのが大前提であることを忘れてはならないと思う
2014年09月10日
介護=親育て22
「介護=親育て21」のつづき
結局のところ、介護にしろ、子育てにしろ、家族・親族が多ければ多いほど、一人にかかる負担が少ない、ということだ。
嫁・姑問題や、親族や近所の人達による過干渉などで、大家族でいることに辟易した若者達や、田舎には仕事が少ないことで、子供世帯だけで独立したことにより核家族化が増えたため、世代間の助け合いやコミュニケーションが減ってしまい、結果、子・親育てが手詰まりになった、ということのように感じる。
まずは、それぞれが住む地域に仕事があれば、若者は都会に出ることも減るだろう。
都心は渋滞率200%以上(道路も電車もバスも…)と思しき混みようで、人が多い割にはまったく他人には興味がなく、孤独に陥り心を病む人が増加している。
心が病んだまま都会に住み続けると、自殺や犯罪が増える。
自然豊かな場所で育った人達が、都会の砂漠で生き抜いていくのは容易ではないだろう。
だが、田舎のしがらみ(親族・他人による過干渉)も正直うんざりだ。
両者がバランス良く機能すれば、核家族は減るであろう。
若者世代も、高齢世代も、お互い干渉し過ぎず、ちょっと物足りないくらいの助け合いを良しと思えれば、案外うまくいくのかもしれない
結局のところ、介護にしろ、子育てにしろ、家族・親族が多ければ多いほど、一人にかかる負担が少ない、ということだ。
嫁・姑問題や、親族や近所の人達による過干渉などで、大家族でいることに辟易した若者達や、田舎には仕事が少ないことで、子供世帯だけで独立したことにより核家族化が増えたため、世代間の助け合いやコミュニケーションが減ってしまい、結果、子・親育てが手詰まりになった、ということのように感じる。
まずは、それぞれが住む地域に仕事があれば、若者は都会に出ることも減るだろう。
都心は渋滞率200%以上(道路も電車もバスも…)と思しき混みようで、人が多い割にはまったく他人には興味がなく、孤独に陥り心を病む人が増加している。
心が病んだまま都会に住み続けると、自殺や犯罪が増える。
自然豊かな場所で育った人達が、都会の砂漠で生き抜いていくのは容易ではないだろう。
だが、田舎のしがらみ(親族・他人による過干渉)も正直うんざりだ。
両者がバランス良く機能すれば、核家族は減るであろう。
若者世代も、高齢世代も、お互い干渉し過ぎず、ちょっと物足りないくらいの助け合いを良しと思えれば、案外うまくいくのかもしれない
2014年09月09日
介護=親育て21
「介護=親育て20」のつづき
「子供の世話にはなりたくない、子供には迷惑をかけられない」と言っては、自分でお金を貯めて介護施設に入所する高齢者は多い。お金に余裕があるなら、それもありかもしれない。
災害などで、未だ仮設住宅で不自由な生活を強いられていながらも、やはり「子供の世話にはなりたくない」というインタビューに答えている高齢者を見て驚いた。
確かに、長年住み慣れた土地を離れるのはイヤだろうし、不自由であっても子供に迷惑をかけたくないという親心なのかもしれないが、それはどうなんだろう?と思ってしまった。
人には多くの事情があり、一括りでは語れないことを前提のうえであえて書かせてもらうならば、世話をしてくれる子供や親族がいるのに、市町村や国の税金、多くの善意の募金を使って、自分の意思を貫くのはどうなのだろう?
子供や親族には迷惑をかけたくないが、会ったことのない人々が治めた税金ならば甘える、という図式が成り立ってしまう。もちろん、そのための税金ではあるのだから、決して悪いことではないのかもしれないが、世の中にはもっと不自由な思いをしている人もたくさんいる。
己の情から来る我が、実は世間に多くの影響を与えていることも現実なのだ
「子供の世話にはなりたくない、子供には迷惑をかけられない」と言っては、自分でお金を貯めて介護施設に入所する高齢者は多い。お金に余裕があるなら、それもありかもしれない。
災害などで、未だ仮設住宅で不自由な生活を強いられていながらも、やはり「子供の世話にはなりたくない」というインタビューに答えている高齢者を見て驚いた。
確かに、長年住み慣れた土地を離れるのはイヤだろうし、不自由であっても子供に迷惑をかけたくないという親心なのかもしれないが、それはどうなんだろう?と思ってしまった。
人には多くの事情があり、一括りでは語れないことを前提のうえであえて書かせてもらうならば、世話をしてくれる子供や親族がいるのに、市町村や国の税金、多くの善意の募金を使って、自分の意思を貫くのはどうなのだろう?
子供や親族には迷惑をかけたくないが、会ったことのない人々が治めた税金ならば甘える、という図式が成り立ってしまう。もちろん、そのための税金ではあるのだから、決して悪いことではないのかもしれないが、世の中にはもっと不自由な思いをしている人もたくさんいる。
己の情から来る我が、実は世間に多くの影響を与えていることも現実なのだ
2014年09月08日
介護=親育て20
「介護=親育て19」のつづき
親を介護する時、兄弟姉妹の誰か一人に押し付ける形になってはいないだろうか?
親と同居した子供が面倒を看るのは自然の流れだが、それを良いことに、知らん顔している兄弟姉妹はいないだろうか?
私は幸いにも近所に姉がいるので、仕事で家を空ける時には姉に頼めるので助かっている。
もし、自分一人だったらと思うとゾッとする。
世の中には一人っ子で両親を看ている人はたくさんいるし、兄弟姉妹がいても誰も助けてくれない人もあるだろう。
そして皮肉なことに、一番かわいがられた子供ほど親の面倒を看ない傾向にあるように思う。
物の道理で考えると、何とも理不尽この上ないのだが、実はかわいがられた子ほど、親の老いた姿を直視出来ない、信じたくない心理が強く働いていると思う。
愛されたからこそ、それを返した時に、親を亡くすのではないかという恐怖心を抱いているのだろうか。
だが、現実はそんなセンチメンタルなことは通用しない。いい加減現状を直視し、自分のやるべきことをやらなかったら、親がいなくなった時に後悔する。そして、そういう人ほど号泣する。
介護し尽くした人ほど、涙は出ないものだ
親を介護する時、兄弟姉妹の誰か一人に押し付ける形になってはいないだろうか?
親と同居した子供が面倒を看るのは自然の流れだが、それを良いことに、知らん顔している兄弟姉妹はいないだろうか?
私は幸いにも近所に姉がいるので、仕事で家を空ける時には姉に頼めるので助かっている。
もし、自分一人だったらと思うとゾッとする。
世の中には一人っ子で両親を看ている人はたくさんいるし、兄弟姉妹がいても誰も助けてくれない人もあるだろう。
そして皮肉なことに、一番かわいがられた子供ほど親の面倒を看ない傾向にあるように思う。
物の道理で考えると、何とも理不尽この上ないのだが、実はかわいがられた子ほど、親の老いた姿を直視出来ない、信じたくない心理が強く働いていると思う。
愛されたからこそ、それを返した時に、親を亡くすのではないかという恐怖心を抱いているのだろうか。
だが、現実はそんなセンチメンタルなことは通用しない。いい加減現状を直視し、自分のやるべきことをやらなかったら、親がいなくなった時に後悔する。そして、そういう人ほど号泣する。
介護し尽くした人ほど、涙は出ないものだ
2014年09月07日
介護=親育て19
「介護=親育て18」のつづき
核家族が増えた昨今では、子供達が年配者と暮らさないため、高齢者との接し方が分からない子が多いように思う。それは、彼らが大人となり、社会人になった時に顕著に現われる。
ボーイ・ガールスカウトや町内の子供会等の、地域の大人と交流することを幼い時から経験していればそうでもないが、育った環境の中で接する大人が親だけだと、社会に出た時に高齢の先輩との接し方に苦慮することになる。
子育てにとっては、幅広い世代の人達と交流することは有用だ。
最近では、老人ホームと保育園が合体した施設が増え始めた。
子供にとっても、高齢者にとっても、大きなジェネレーションギャップはあるものの、世代を飛び越えて交流することで、お互い学ぶことは増え、そこには互いを思いやる気持ちが育まれる。
家庭においても、幼い頃からジジ、ババに面倒を見てもらえば、孫が成長した時に、自然とジジ、ババの介護の手伝いをすることになるだろう。それは、かわいがってもらったという心の記憶が、孫達の行動を促すのだ。
何の歴史もなしに、ジジ、ババだからと言って面倒を見る行為には繋がりにくいだろう。
子育てをしたことが、そのまま自分に帰ってきて、今度は子供(孫)が親(ジジ・ババ)育て(介護)を始める。
世代間の層が厚ければ厚いほど、愛情をかけた分だけ、多くの愛情がまた自分に帰ってくるのが介護(親育て)であろうと思う
核家族が増えた昨今では、子供達が年配者と暮らさないため、高齢者との接し方が分からない子が多いように思う。それは、彼らが大人となり、社会人になった時に顕著に現われる。
ボーイ・ガールスカウトや町内の子供会等の、地域の大人と交流することを幼い時から経験していればそうでもないが、育った環境の中で接する大人が親だけだと、社会に出た時に高齢の先輩との接し方に苦慮することになる。
子育てにとっては、幅広い世代の人達と交流することは有用だ。
最近では、老人ホームと保育園が合体した施設が増え始めた。
子供にとっても、高齢者にとっても、大きなジェネレーションギャップはあるものの、世代を飛び越えて交流することで、お互い学ぶことは増え、そこには互いを思いやる気持ちが育まれる。
家庭においても、幼い頃からジジ、ババに面倒を見てもらえば、孫が成長した時に、自然とジジ、ババの介護の手伝いをすることになるだろう。それは、かわいがってもらったという心の記憶が、孫達の行動を促すのだ。
何の歴史もなしに、ジジ、ババだからと言って面倒を見る行為には繋がりにくいだろう。
子育てをしたことが、そのまま自分に帰ってきて、今度は子供(孫)が親(ジジ・ババ)育て(介護)を始める。
世代間の層が厚ければ厚いほど、愛情をかけた分だけ、多くの愛情がまた自分に帰ってくるのが介護(親育て)であろうと思う
2014年09月06日
介護=親育て18
「介護=親育て17」のつづき
少し前から、母と毎夜トランプをしている。指先と脳の活性化のためだ。
トランプを切ったり、配ったりすることは指先を使うため、細かい神経を必要とするし、トランプゲームで考える力を養えるし、ゲームに勝ったり、負けたりすることで、感情が揺さぶられる。
ゲームだと、楽しんで出来るから長続きしている。
今宵は姪が我が家に来たので、3人でトランプをした。
若い脳みそを持った姪は、次々とゲームを勝ち抜いていく。
すると、バアバも孫に負けまいと、一生懸命脳みそをフル稼働し始めた。
私はおまけみたいなものなので、二人のやりとりをニヤニヤしながら見ていた。
半世紀以上年齢の離れた孫とトランプをすることは、バアバにとっても良い刺激だ。
私は二人の中間にいる世代だが、すでに自分の脳みそが錆びていることを再認識した。
老いは、順番でやってくることを改めて思った
少し前から、母と毎夜トランプをしている。指先と脳の活性化のためだ。
トランプを切ったり、配ったりすることは指先を使うため、細かい神経を必要とするし、トランプゲームで考える力を養えるし、ゲームに勝ったり、負けたりすることで、感情が揺さぶられる。
ゲームだと、楽しんで出来るから長続きしている。
今宵は姪が我が家に来たので、3人でトランプをした。
若い脳みそを持った姪は、次々とゲームを勝ち抜いていく。
すると、バアバも孫に負けまいと、一生懸命脳みそをフル稼働し始めた。
私はおまけみたいなものなので、二人のやりとりをニヤニヤしながら見ていた。
半世紀以上年齢の離れた孫とトランプをすることは、バアバにとっても良い刺激だ。
私は二人の中間にいる世代だが、すでに自分の脳みそが錆びていることを再認識した。
老いは、順番でやってくることを改めて思った
2014年09月05日
良いことは何もない
昨日、今日と、退社後に人身事故が起きた。
昨日は幸いにも自宅の最寄駅に着いた後だったが、今日はドストライクで巻き込まれた。
電車に飛び込み、自ら命を絶つには、それ相応の理由があるだろう。
その瞬間には、冷静な判断など出来ず、気付いたら魂が肉体から離れていたのかもしれない。
だが、その代償はとてつもなく大きい。
まずは、電車が止まったことで、何十万人という人たちに迷惑をかける。
振替輸送が始まると、他社の鉄道は更に混雑するし、莫大な費用もかかる。
そして、飛び込んだ人の家族や親族、友人や会社の同僚等々、どれほど多くの人の心を傷付けてしまうだろうか。
自分一人で生きているように思っても、その背後には数えきれない人達がいて、それらのおかげで今日、今この瞬間を生きていることが出来るのだ。
もしも、腹いせのつもりで飛び込んだとしたら、最後くらい多くの人に迷惑をかけて死んでやる、なんて思ったのなら、何と悲しい人生なのか。
腹いせという形で社会に復讐を果たしたとしても、自分の心は一生報われないままだろう。
二度と社会に恩返し出来ないまま、魂は苦しみと後悔だけを抱いて彷徨い続けることになる。
そして、それはそのまま自分自身を傷付け続けるのだ。
自分のした行いとはいえ、出口のない暗闇に居る魂は、救われることがあるのだろうか
昨日は幸いにも自宅の最寄駅に着いた後だったが、今日はドストライクで巻き込まれた。
電車に飛び込み、自ら命を絶つには、それ相応の理由があるだろう。
その瞬間には、冷静な判断など出来ず、気付いたら魂が肉体から離れていたのかもしれない。
だが、その代償はとてつもなく大きい。
まずは、電車が止まったことで、何十万人という人たちに迷惑をかける。
振替輸送が始まると、他社の鉄道は更に混雑するし、莫大な費用もかかる。
そして、飛び込んだ人の家族や親族、友人や会社の同僚等々、どれほど多くの人の心を傷付けてしまうだろうか。
自分一人で生きているように思っても、その背後には数えきれない人達がいて、それらのおかげで今日、今この瞬間を生きていることが出来るのだ。
もしも、腹いせのつもりで飛び込んだとしたら、最後くらい多くの人に迷惑をかけて死んでやる、なんて思ったのなら、何と悲しい人生なのか。
腹いせという形で社会に復讐を果たしたとしても、自分の心は一生報われないままだろう。
二度と社会に恩返し出来ないまま、魂は苦しみと後悔だけを抱いて彷徨い続けることになる。
そして、それはそのまま自分自身を傷付け続けるのだ。
自分のした行いとはいえ、出口のない暗闇に居る魂は、救われることがあるのだろうか
2014年09月04日
介護=親育て17
「介護=親育て16 」のつづき
子育ては、幼い子が成長していくのが楽しみでもあり、喜びを感じやすい。
介護は、人としての最期を迎えるための準備だから、これまで生きてきたその人の生き様が、良い部分も、イヤな部分も、すべてが総ざらえ?出血大サービス?と思うくらい、次から次へと噴出する。
それをドストライクで受け止めるため、なかなか喜びには繋がりにくい。
「臭い」、「汚い」、「手がかかる」といった負の面だけしか感じないと、介護はまさに地獄だ。
自分の時間も奪われ、こちらの思いも意図も相手には通じない。
やれどもやれども尽きず、状態はどんどんひどくなっていく。
まさに、負の連鎖だ。
これを断ち切るには、自分の考え方を変えるしかない。
私は、汚いものを触れば触るほど、手間をかけられればかけられるほど、それを面白いと思うようにしている。
普通に生きていたら、なかなか「う○こ」や「ゲ○」を手にすることなんてない。ある種、貴重な体験だ。
といっても、なかなか慣れることではないが…。
臭い、汚い、意思の疎通が図れないことも、いつかは笑って話せるよう、そう思いながら過ごしている
子育ては、幼い子が成長していくのが楽しみでもあり、喜びを感じやすい。
介護は、人としての最期を迎えるための準備だから、これまで生きてきたその人の生き様が、良い部分も、イヤな部分も、すべてが総ざらえ?出血大サービス?と思うくらい、次から次へと噴出する。
それをドストライクで受け止めるため、なかなか喜びには繋がりにくい。
「臭い」、「汚い」、「手がかかる」といった負の面だけしか感じないと、介護はまさに地獄だ。
自分の時間も奪われ、こちらの思いも意図も相手には通じない。
やれどもやれども尽きず、状態はどんどんひどくなっていく。
まさに、負の連鎖だ。
これを断ち切るには、自分の考え方を変えるしかない。
私は、汚いものを触れば触るほど、手間をかけられればかけられるほど、それを面白いと思うようにしている。
普通に生きていたら、なかなか「う○こ」や「ゲ○」を手にすることなんてない。ある種、貴重な体験だ。
といっても、なかなか慣れることではないが…。
臭い、汚い、意思の疎通が図れないことも、いつかは笑って話せるよう、そう思いながら過ごしている
2014年09月03日
天然で済めば
今日はちょっと違う話。
最近、「この人って天然だよねぇ~」と言っては、笑いに変えている場面によく出くわす。
それが面白天然だったら良いのだが、意図的な天然を感じる時がある。
私が天然で鼻に付くのは、ハイジだ。
マンガだし、設定上は5才の少女だし、とは思うものの、周囲をまったく感知せず言いたい放題のハイジを見ていると、なぜかイラッとしてしまう。
後先考えず言いたいことを言っては周囲を傷つけ、今度は自分が反対の立場になると心を病む。
「まあまあ、マンガだし、5才だし」と友人らには呆れられているが、こういう人って大人の世界にも存在する。
大人になっても「お前はハイジか!」と言いたくなるような人がいる。
挙句の果てに「私って、天然だからぁ~」とのたまう。
半世紀も生きていながら、「天然だから~」で済むと思うのか???
周りが笑って済ませれば済ませるほど、実は天然ちゃんにとっては取り返しのつかない方向へ進んでいることに、たぶん本人は気付いてないんだろうな~。
天然で済まされるのは、笑ってもシワにならない年齢までだ
最近、「この人って天然だよねぇ~」と言っては、笑いに変えている場面によく出くわす。
それが面白天然だったら良いのだが、意図的な天然を感じる時がある。
私が天然で鼻に付くのは、ハイジだ。
マンガだし、設定上は5才の少女だし、とは思うものの、周囲をまったく感知せず言いたい放題のハイジを見ていると、なぜかイラッとしてしまう。
後先考えず言いたいことを言っては周囲を傷つけ、今度は自分が反対の立場になると心を病む。
「まあまあ、マンガだし、5才だし」と友人らには呆れられているが、こういう人って大人の世界にも存在する。
大人になっても「お前はハイジか!」と言いたくなるような人がいる。
挙句の果てに「私って、天然だからぁ~」とのたまう。
半世紀も生きていながら、「天然だから~」で済むと思うのか???
周りが笑って済ませれば済ませるほど、実は天然ちゃんにとっては取り返しのつかない方向へ進んでいることに、たぶん本人は気付いてないんだろうな~。
天然で済まされるのは、笑ってもシワにならない年齢までだ
2014年09月02日
介護=親育て16
「介護=親育て15 」のつづき
父の介護で一番やっかいだったのは、排泄物の処理だった。
病気をしているせいもあり、普段から体臭がキツイ上に、その排泄物の臭いといったら…。
処理後はしばらく食べ物がノドを通らないほどだった。
下痢をしては下痢止めを飲み、今度は便秘になったと言っては便秘薬を飲む、という繰り返し。
何度物の道理を話しても頑として受け付けず、俺様ルールを貫くのだ。
下痢と便秘を数年間繰り返し、最終的には腸ねん転から腸閉塞を患い、またしても救急搬送された、というわけだ。
親育ても愛情がなければ出来ないが、父に関しては義務感だけでやっていた。
もしここで私が「や~めた!」と言って放置すれば、私がどこぞに連行されてしまう。
何とも理不尽な…。
介護をする者の言うことを聞かず好き勝手した挙句、結局は他人様に迷惑をかける、こういう人の処遇を何とか出来るシステム作りをして欲しいと心から思う。
ちなみに、こういう年寄りはデイケアーなどの施設には絶対に行かない。
なぜなら、俺様ルールを遂行出来ないからだ
父の介護で一番やっかいだったのは、排泄物の処理だった。
病気をしているせいもあり、普段から体臭がキツイ上に、その排泄物の臭いといったら…。
処理後はしばらく食べ物がノドを通らないほどだった。
下痢をしては下痢止めを飲み、今度は便秘になったと言っては便秘薬を飲む、という繰り返し。
何度物の道理を話しても頑として受け付けず、俺様ルールを貫くのだ。
下痢と便秘を数年間繰り返し、最終的には腸ねん転から腸閉塞を患い、またしても救急搬送された、というわけだ。
親育ても愛情がなければ出来ないが、父に関しては義務感だけでやっていた。
もしここで私が「や~めた!」と言って放置すれば、私がどこぞに連行されてしまう。
何とも理不尽な…。
介護をする者の言うことを聞かず好き勝手した挙句、結局は他人様に迷惑をかける、こういう人の処遇を何とか出来るシステム作りをして欲しいと心から思う。
ちなみに、こういう年寄りはデイケアーなどの施設には絶対に行かない。
なぜなら、俺様ルールを遂行出来ないからだ
2014年09月01日
介護=親育て15
「介護=親育て14 」のつづき
日々の中で、これでもか!というくらいダメダメな時がある。
仕事が終わって夜帰ると、居間に寝転がっている母が、「今日は何もしてないよぉ~」と言う。
日中にスーパーでの買い出しを頼んでおいたのだが、それも忘れていて、夕飯の支度もしておらず、昨晩話したメニューさえ忘れていた。
そして、追い打ちをかけるように洗濯物も取り込んでいなくて、部屋の片づけも済んでいなかった。
ハァ~~"(-""-)"これも試練??と思うくらい、ため息しか出てこなかった。
いっそのこと、「なんだとぉ~~!!」と怒れたらスキッ!とするんだろうが、それをやってしまうと、母が萎縮してしまう。自分にそう言い聞かせ、グッとこらえる。
急きょメニューを変更し、それを母に伝え作ってもらった。その間私は2階で片づけものをしていた。
で、夕飯となり「いただきます!」と食べたら、何と今度は味付けを間違えたそうで…。
普段はどちらかといえば料理上手な人だから、こんなことは滅多にないことだ。
ここでもまた高まる感情を抑えつつ、「じゃ、この料理は明日違うものにアレンジしよう」と方向転換。
親育ての日々には、こういうことが付きものだ。
順調に過ごせる日々が実はキセキの連続なのだろう
日々の中で、これでもか!というくらいダメダメな時がある。
仕事が終わって夜帰ると、居間に寝転がっている母が、「今日は何もしてないよぉ~」と言う。
日中にスーパーでの買い出しを頼んでおいたのだが、それも忘れていて、夕飯の支度もしておらず、昨晩話したメニューさえ忘れていた。
そして、追い打ちをかけるように洗濯物も取り込んでいなくて、部屋の片づけも済んでいなかった。
ハァ~~"(-""-)"これも試練??と思うくらい、ため息しか出てこなかった。
いっそのこと、「なんだとぉ~~!!」と怒れたらスキッ!とするんだろうが、それをやってしまうと、母が萎縮してしまう。自分にそう言い聞かせ、グッとこらえる。
急きょメニューを変更し、それを母に伝え作ってもらった。その間私は2階で片づけものをしていた。
で、夕飯となり「いただきます!」と食べたら、何と今度は味付けを間違えたそうで…。
普段はどちらかといえば料理上手な人だから、こんなことは滅多にないことだ。
ここでもまた高まる感情を抑えつつ、「じゃ、この料理は明日違うものにアレンジしよう」と方向転換。
親育ての日々には、こういうことが付きものだ。
順調に過ごせる日々が実はキセキの連続なのだろう