前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2014年11月

旅先で出会ったおにぎり、「レディーおかか」。
ネーミングとパッケージにもう釘付け!こりゃ、買わずにはいられないでしょ。

ことにネーミングは、ただのダジャレ?おやじギャグ的なノリだが、うまいこと付けたな~というのが正直な感想だ。
パッケージデザインも、本家ガガ様を彷彿とさせるし、何があっても動じない感じのイラストもまたかっこいい!
本物のかっこよさと、だれじゃ?おにぎりの融合や~といった感じだ。

お味はといえば、うん、普通に「おかかおにぎり」だった。
中身はいたってシンプルでまじめな商品だ。
パッケージに惹かれた私、まんまと製造業者の思惑にハマった口だ

レディおかか

今日は福岡県福津の「宮地嶽神社」にある3つの日本一を観てきた。
詳しくは上記HPを参照してほしいのだが、特に大しめ縄の大きさに度胆を抜かれた。

出雲大社のそれも有名だが、宮地嶽のものはさらに大きくて太かった。
3年に一度取り替えられるそうだが、すべてが手作業であることを思うと、かなりの労働力、つまりは氏子達の熱い心意気の結晶を感じた。

この神社の歴史は古く、1600年前の建立というからスゴイ!
周囲は山に囲まれ、巨大な古墳からは貴重な調度品や装飾品の数々が発掘されているのだとか。

日本の歴史にとっても興味深く、太古から神事が執り行われる神聖な場所でもある。
特に、本殿の奥の「気」はことさら濃かった。まさに、神様の聖地だと感じた。

今回は時間がなくすべてを回ることが出来なかったが、また来れることがあったら、ぜひ山のほうも散策したいと思った

宮地嶽神社

♪飛んでイスタンブール~♪という歌があったが、今日は私福岡にいる。
朝の便で福岡に行き、その足で大宰府へ向かった。

以前行ったことのある「光明寺」というお寺の庭を見たかったからだ。
紅葉も終わりかけていたが、何とか最後のかけこみ紅葉に間に合った。
大宰府自体20年ぶりくらいだったので、新たな発見もあり、なかなか見所満載だった。

大宰府でお昼を食べようとお店を物色し、良さげな和食の店を見つけた。
趣のある日本家屋に庭園があり、静けさ漂う雰囲気。
きっと、料理もおいしいに違いない!

ピンポン!と、その感は大当たりだったが、何と満席。
で、その辺を一回りして再度チャレンジ。
だが、まだ満席。
これ以上周辺をうろつく元気もなく、お店で待機することにした。

待っている間、お一人様の年配の女性が来店した。
と、なぜか待合の間にその方と意気投合してしまい、お一人様同士、席が空いたところで、同じ席でランチをいただいた。

こういう偶然があるものなのだ。偶然?いや、必然かも?
これも、旅の醍醐味だ

20141028光明寺

昨日は1日冷たい雨と風で、真冬の寒さに震えた。
今日は一転、朝から青空が広がった。

朝の通勤電車からは富士山がパッキリ!クッキリ!見えた。
冬になると、富士山を観れる確率がグン!と上がるのだが、今日のそれはまさに絶景だった。

雪化粧をした富士山の下にも山々が広がり、さらにその裾野に雲海らしきものが広がっていたのだ。
これが、東京から見えたのだ!!!
東京から富士山まで相当な距離だが、雲海まで見えるとは、かなりのクリアーな朝だったことになる。

昨日雨が降って水蒸気でけぶりそうなものを、今日はキセキの?絶景に出会えた。
う~~ん、いいことありそう!!

今年最後の年末ジャンボ宝くじが発売された。
今年は1等(前後賞合わせて)が7億円ですってぇ~!!!
ななおくえん~~~~!!!!
想像しただけで、一気にあれやこれや妄想が湧き起る。

皆が異口同音口にするのが、「まずは会社辞めて~」だ。
やっぱり誰もが会社勤めはイヤなんだな、と。

確かに、私も7億円当たったら、「まずは会社辞めて~、南の島でしばらくノンビリして~」とか、思ってしまう。
その先の青図があるわけではないが、何はなくとも「まずは会社辞めて~」となるのだ。

日々規則正しく会社に行くこと、秩序正しく生きることに、何がしかの窮屈さを感じているのもまた現実だろう。
だが、実際妄想が現実になったら…。
きっと、暇を持て余して、やっぱり昔のほうが良かった、と思うのかもしれない。

だが、やっぱり妄想は自由だ~~~!!!

バラエティ番組で、外国人から見た日本人の行列についてのリポートが秀逸だった。
私達日本人からしてみれば、割り込みなどせずに列の最後尾に並び、前後にいる人たちと談笑したりしながら待つことは普通のことだが、その姿は外国人から見ると、ミラクル以外の何ものでもないらしい。

なぜ日本人はそう出来るのか。
子供の頃から校庭や体育館などで「前に習い」などして、秩序正しく、整列していることがルーツにあり、大人になっても、整列することに抵抗がない、ということだそうだ。
割り込みやズルいことをするのも、日本人の美徳がそれを許さない精神なのだろうと。

そもそも日本人の秩序正しい行列のルーツはというと、徳川家康時代なのだそうだ。
戦で先発隊を差し置いて手柄を立てるということに家康は激怒したそうで、ズルをした者は打ち首になったそうだ。

また、行列という辛抱が忍耐力を養うし、行列の後で手に入れたもののありがたみも感じる。
たかが行列だが、その奥深さを学ばされた

「あ~あ、つまんないの」とは、身内の4才児のセリフだ。
周りの大人達はあれこれ用事があって忙しくしており、なかなか4才児の相手をしてあげられずにいる。
すると、次第に我慢の限界になったのか、遊んで欲しいとアピールをし出す。

子供のこういう姿を見ていると、楽しいこと、遊んでもらえることが普通であって、楽しくないことはつまらないこと、という受け止め方になるのだな、と思う。
もちろん子供なのだから、それが素直な感情だし、それを表現出来ることは幸せなことだ。

さて、大人はどうだろう。
子供のように楽しいことが普通である毎日だと、真に楽しいことがありがたいことだとは気付かないし、辛いことがあったら精神的に耐えられないだろう。

だが、大人の生活は当たり前ではないことがほとんどだ。
社会で働き、生活を築いていくのはそう簡単なことではない。
辛抱せねばならないこともたくさんある。だが、その辛抱を重ねた先に、実りがある。
その実りを手に入れた時、本当に幸せだなと感じるのだ。

幸せであること、恵まれていることが当たり前だと思ってはいけないと思う

おやめになっておくんなさいまし1のつづき

たばこを長年吸い続けたり、受動喫煙の影響によって、COPD(慢性閉塞性肺疾患)に罹ることがある。
潜在患者を含めると、20人に一人がCOPDに罹っているそうだ。

一度罹ると治ることはなく、酸素ボンベが離せない生活になるのだ。
そうなると、当人が苦しむことは元より、家族にも多大な迷惑をかけることになる。

たばこを吸い続けている人は、「自分は大丈夫、そんな病気にはならない」と豪語する人が多い。
だが、こういう人に限ってCOPDを始め、肺の疾患に罹りやすい。
何の根拠もなく、なぜ自分だけは大丈夫と言い切れるのか。

副流煙による受動喫煙で病気を発症したら誰が責任を取るのだろう。
家族にたばこを吸う人がいたら、諦めるしかないのだろうか。
そう考えると、喫煙者との同居はムリだ…と思ってしまう。

いずれにしても、たばこが世間に与える悪影響は計り知れない。
いっそのこと、販売中止にしてほしいくらいだが、どんなに値段を上げても吸い続ける中毒者から、税金をたっぷり取らねばならぬ政府の大義名分がまかり通る限りなくならないのだろう。

その税収と、病気になって発生する保険料と、どちらが高額なのだろう。
政府もそろそろ真剣にその辺りの試算をしてみてはどうだろう


身近に、プリプリ星人がいる。
何だか常にいろんなことに怒りを覚えて、プリプリ怒っているのだ。

客観的に見ると、そんなに怒らなくてもいいんじゃない?と思うのだが、当人にしてみれば、頭にくることの連続のようだ。
私も結構短気なので人のことは言えないのだが、周りにそういう人がいると、己のことを振り返らざるを得ない。

相手に要求するから腹が立つのだ。
確かにせねばならないことをやらなかったりされると腹が立つし、文句の一つも言いたくなるが、その言い方次第で、相手の反応は変わる。

一度頭に来た感情は、冷めるまで待つ。
どう対処したら相手が対応してくれるかを考えることは、プリプリ星人にとって大きな課題だろうが、それが出来たらプリプリ星人から卒業できるし、己の精神もまた次のステージへ進めるのだ

社会では常識の範疇というものがある。
子供であれば、毎日学校に行って勉強をしたり、友達と遊んだり、塾に通ったり、家族と憩いのひと時を過ごしたり…。
大人であれば、仕事をして生きていくための基盤を作り、日々を過ごし、家族を作ったり、趣味に没頭したり、個人や他人との関係を大事にしながら生きていく。

やんわりとした範疇ではあるが、それが出来ない人も世の中にはいる。
自分でもどうして人と同じように出来ないのか、自分には何かが欠けている、おかしいのではないかと…。

社会を生きていくには、ある程度周囲に合わせることは必要だろう。
一人で好き勝手なことをしていては、自身生きづらいし、周りも迷惑を被る。

だが、必要なマナーを守れて、他人に迷惑をかけないでいられれば、他は自由だと思う。
人と違うことをしても、それが自分にとってベストな状態であれば、恥ずべきことではないし、むしろ誇りに思っていい。

人と違うということは、それが個性だと思う。
その人だけに与えられた天分だと言ってもいいだろう

「宇宙を閉じ込めたような美しい瞳!「盲目のふくろう」が話題」という記事を読んだ。
そこに掲載されていたフクロウの瞳の何て美しいこと!

フクロウ自身はそのことに気付いてないかもしれないのと、目が見えていないのに、多くの人達からホレボレと見つめられているのだ。

フクロウの目の中に映る世界は、銀河だ。偶然の産物なのか、神のなせる業なのか…。
いずれにしても、何とも心癒されるものを見せてもらった。

フクロウ自身は目が見えないことで、不自由な生活を強いられていたようだが、今は保護されてかわいがられているそうだ。
心穏やかに、その瞳のようにキラキラした人生、いやフクロウ生を生きて欲しいと思う

盲目のフクロウ



























(画像)http://imgur.com/U6DIE4p

最近、家電製品を20年ぶりくらいに買い替えている。
いまどきの家電製品は10年持てば良いそうだが、気付いたら20年選手になっていた。
だが、節電のことも考えると、ある程度の時が経ったら買い替えることは有効だろう。

で、新しく届いた家電達だが、性能は以前よりずっと良くなっているのに、形状は小さく軽くなっているのだ。
おお!これは素晴らしい!!
年齢を経ると、重い家電は使いこなすのも大変だが、軽くて機能充実だとマジありがたい。
置き場所も取らないし、良いことづくしだ。

だが、それと逆行しているのが携帯電話だろう。
スマホはどんどん大きくなっている。

大きく作られたものはどんどん小さく、小さく作られたものはどんどん大きくなっている。
フシギな法則だ

私が住む街は、条例で路上喫煙禁止となっている。
にも係わらず、相も変わらず平気で喫煙所以外で路上喫煙する人がいる。

たばこ吸うのはいいですよ、お願いだから吐かないでください!とお願いしたい。
って、吐かないわけにいかないのは分かりますよ。
でも、その煙は、ず~~~っと自分の後ろのほう、100m、200m先まで届くんですよ。

たばこの煙で喘息の発作が起きる私にとっては、本当に迷惑千万!!!
愛煙者の方に吸うなとは言いませんが、せめて公共の場での喫煙は止めていただけないものかと…。

世の中には、気管支炎の人もいるし、喘息の人だっている。肺に病気を持つ人だっている。
子供には間違いなく害を与える。
そんな人たちにとって、たばこの煙と臭いがどれほど苦渋やダメージを与えているのか、そこのところを理解していただきたいと思う。

自分が吸って肺がんになろうが、何がしかの病気になろうが勝手だが、明らかに路上喫煙は他人に迷惑をかけている。そのことは肝に銘じて欲しいと心から思う

玄米ごはん1のつづき

玄米ごはんに変えてから2週間が経った。
そのせいか、お腹周りがスッキリしてきた。

もともと便通は良いのだが、なぜかぽっちゃり体質で、お腹も中年太りなのか、なんとかごまかしていたような感じだったが、このまま放置すれば、間違いなく樽腹になっていたことだろう。

玄米にはフィチン酸という物質が多く含まれており、有害物質を体外へ排出する働きがあるそうだ。
白米ならば毎日30品目を食べなければならないのだが、玄米なら一汁一菜で十分なのだとか。

栄養価も高く、身体をキレイにしてくれるなんて、スゴイ食品だ。
これからも食べ続けて、また成果を報告したいと思う

街中やデパート、スーパー、電車内などで、子供のギャン泣きに遭遇することがある。
それに対する親の対応は様々で、泣く子を放置する者、叱りつける者、説き伏せる者、子供を抱えてひとまずはその場から退散する者…といった感じだ。

公共の場なのだから、子供のギャン泣きはやはり周囲に心配をかけるし、場合によっては迷惑をかけることになる。
親にとってはいつものことだ…と思えることも、赤の他人からしたら「?」と思うことはしばしばあるのだ。

場所にもよるだろうが、周囲に迷惑をかけにくい場所ならば、子供の言い分を聞き、それに対する回答を根気よく話してあげることが大切だろう。
手っ取り早く切り上げるために叱りつけたり、暴力をふるうことは逆効果になる。

かといって、親にも堪忍袋があって、感情的に叱りたくなるのも分かるし、気付いたらそうなることもあるだろう。
そうなってしまったら、後のフォローが大事だ。

子供がギャン泣きするには、大人から見たらくだらない理由だとしても、子供なりの大義があるのだ。
まずは、そこに目を向けることが大事なのだ。
といっても、甘やかすのとは違うので、その辺りのさじ加減が子育ての面白さであり、難しさでもあるのだろう。

最大のヒントは、自分が昔子供だった頃のことを思い出してみること、泣く子にそれを投影させて見ると、案外自分の子供の頃と同じことを子供はしているだけたったりするものだ。
目の前で泣く子の将来を思うのなら、自分がしてきたことを振り返ることもまた、大いなるヒントになるだろう

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