前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2014年12月

大晦日の夜、やっぱり観てしまう、紅白歌合戦。
今年は「みんなで歌おう」というコンセプトのためか、老若男女多くの出演者もステージに出ずっぱり、審査員も客席も多くの方達がノリノリだ。

毎年なんだかんだと物議を醸している番組ではあるが、生まれた時からある番組のせいか、大晦日になると、ついチャンネルを合わせてしまう。

男女平等と言われている昨今において、紅白(男女)に別れて歌合戦をして、最終的には勝ち負けを決めるわけで、昭和の大きな遺産だと言っても過言ではないだろう。
そのうち、文化遺産になったりして?

いずれにしても、日本は平和だ。
1年の締めくくりに紅白歌合戦を観て、楽しい夜を過ごし、除夜の鐘を聞いて眠りにつけるのだから


今年もブログをお読みいただき、ありがとうございました。
来年がみなさまにとって佳き1年となりますように、お祈りいたします

今年の年末年始休暇は9連休だが、大掃除やら買い物やら、墓参りやら、家族での顔見せやら、何やらかにやら…で、多忙だ。

新しい年を迎えるためとはいえ、なぜに毎年毎年こうもやるべき事柄がたくさんあるのだろう。
手を抜けばヌケなくはないが、やっぱり何となく気持ち悪い。
さっぱり新しい年を迎えるために、今年残した課題は年内に消化したい、という思いがあるからだ。

今日はお墓参りに行き、お墓の大掃除をしてきた。
昨日の雨で墓石は濡れているのだが、さらに氷が張っており、持参した洗い物用のゴム手袋がなかったら、悲鳴をあげるところだった。

墓石を磨いていると、自然と自分の心も晴れやかになってくる。
そこに亡くなった人の魂はないのかもしれないが、先祖の方々に思いを寄せる、気持ちを伝えるために墓参は必要な事柄なのだから、墓石を磨くことは、即ち己の心を磨くことと同じになる。

お墓参り一つを取ってもそうなのだから、やはりお正月を迎えるための準備もまた、己のためにやるべきことなのだろう

全日本フィギュア選手権では、若手の躍進が目立った。
表彰台に上ったメンバーもほとんどが10代で、まさに世代交代だ。

皆幼い頃から一生懸命稽古に励み、高みを目指している。
日々の稽古では出来ないことに苦悩し、出来たらまた次の課題が表出して、また苦難の連続だ。
どれほど稽古を積んでも終わることはない。

形に見える稽古だけではなく、心の鍛錬もある。
身体と心のバランスがうまく噛み合わないと、演技にも悪影響を及ぼす。

試合が始まる直前の選手の表情を見るだけで、その日の出来栄えが想像出来てしまう。
目だけ口だけ先生(自分は滑れないくせに、あれこれ言いたいことを言う自身のこと)で恐縮だが、やはり氷の上に立った瞬間、「己には負けない」という強い意志が見える選手は、その意志に導かれるように、素晴らしい演技が出来るのだ。

人間にとって最も大切なことは、敵は常に自分の中にあることを悟り、強い意志を持って目標に立ち向かうことだろう。そして、それこそが自分のすべき役目なのだ

今日で、ブログを始めて2年目を迎えた。
本当は、今年の1月から始めるつもりでいたが、なぜだか思い立って、中途半端な2013年12月27日から書き始めた。

1年を通して、1日1日その日に感じたことを書いてきた。
人様に読んでいただき、何がしかのヒントにしてもらえているのは嬉しいことだし、何より私自身が己を振り返り、先に進むべき道をきちんと整理するためのツールにもなっているように思う。

1年という期間、毎日書き続けることを想像すると絶対無理と思ってしまうが、1日1日なら出来そうな気がする。
その連続がこの1年となった(実際には書けない日が数日あった)。

これからも心に浮かんだこと、気になることを書いていきたいと思う。どうぞよろしくお願いします!

※カテゴリー「縁」シリーズの続き。

今宵は、四半世紀前に勤めていた同僚達との食事会だった。
このメンバーとは、3年前にも一度飲み会をやっているのだが、気付いたら既に3年経っており、今回再びの縁が廻ってきての宴となった。

人間の縁とはつくづくフシギだなと感じるのは、何十年も会っていなくても、ある日急に会うことになったり、連絡が来たりする。すると、これまたとんとん拍子に物事が進み、数十年の時間の流れがウソのように相対することが現実となってしまうのだ。

今回の機会もひょんなことからの再会となったのだが、その前振りがなければ、今回の宴はなかったのだ。
う~~~ん、この縁たるや、ただならぬものを感じる。

再び繋がったこの縁を、大事にしたいと思った

今日は仕事納めだった。
といっても、普通通りに仕事をし、普通通りに帰宅した。
いまいち今年最後の出社といった趣がない。

が、帰りに立ち寄ったスーパーでは、昨日までケーキやチキンで占められていた売り場が、お正月仕様に様変わりしていた。

毎年のことだが、日本人の商魂はすさまじいな~と、感心。
クリスマスの余韻なんてアッと言う間に吹き飛ばし、すぐ次の目標へと向かう。

鮮魚売り場では、「生魚の仕入れは今日で最後だよぉ~」とお兄さんの声に押され、思わずお正月用の魚を買ってしまった。
まあ、確かに明日になればすべてのものが高くなるわけだしな~と、まんまと商売人の罠にハマってしまった。

自分の仕事は納まっても、生きていくうえでの仕事はまだ納まらず…だ。
お正月に向けてのカウントダウンのカウンターが回ってるうちに、本当の仕事納めをしたいものだ。
飲んだくれて高いびきのかける正月休みを迎えるためにも…

今日はクリスマスのせいか、スーパーに行くと、鳥のから揚げや、手羽元の照り焼き、はたまた鳥の丸揚げ等々、まさにお惣菜コーナーはチキンづくしだ。

本来は七面鳥を食べるのがクリスマスなのだろうが、日本ではそれを見ることも口にすることも滅多にない。
初めて七面鳥を見た時には、そのグロテスクな形容に驚いた。
そして、その鳴き声たるや…。機会があったらぜひ聞いてみて欲しい。何とも不気味な鳴き声だ。

と、話の筋から逸れてしまったが、ずらっと並んだチキンの数々を目にすると、なぜか食欲が失せた。
このスーパーだけでも何十匹の鶏が調理されていて、日本国中のお店に並んでいるであろうチキンのことを思うと、残さず食べてあげないとかわいそうだな、とも思った。

いずれにしても、チキンに限らず、他の動植物も元は命だ。
私たちはそれらを頂いている、ということを忘れず、感謝の念で粗末にしないように食べさせていただかねば…と思った

先日、東京駅100周年記念Suicaが大人気で、買えない人が多くいて、物々しい騒ぎになっていた。
端から見れば「そんなことで…」と思うかもしれないが、欲しい人にしてみれば、何が何でも欲しいし、地方から高い交通費を払って、わざわざ上京している人だっているのだ。
売り手側の思惑以上に、買い手の情熱は凄まじいものなのだ。

この件に関わらず、最近の企業や役所は、想像力が乏しすぎると思う。
自分達がやっている仕事が、どれほど多くの人に影響を与えているのか、ネットで便利に情報を入手することが出来る現在において、アッと言う間に多くの事柄が伝わってしまうのに、その事の重大さに気付かなすぎなのだ。

消費者や利用者から詰め寄られて初めて気付く、それが今の日本社会だ。
言われなければ、事件が起きなければ手を打たない、ヘタをすると、何かあっても何もしない。

先手を打てるほど物事を俯瞰して仕事をしている人達がどれほどいるだろうか。
全てが後手後手、先手を打てるくらいの危機感を持って日々仕事に取り組みたいと思っている

年末の慌ただしい街並みは、クリスマスムード一色で、夜のイルミネーション等は何とも美しいものだ。
一年で夜が一番賑やかな時だろう。

若い頃はそんな喧騒に身を置き、オシャレをしてこじゃれたレストランで食事をしたりするのが楽しかったものだが、この頃では、静かな場所で気の合った仲間と、もしくは一人でゆっくり、じっくり流れる時間を楽しむことに面白みを感じたりもする。

都会にいると、静かな時間なんてあるのかと思うが、案外住宅街はひっそりしていたりする。
冬の空は澄んでいるから星も見えるし、ご近所の庭からは緑豊かな香が漂ってくるし、朝には鳥のさえずりも聞こえてくる。

時には五感を澄まし、自然の音や匂いを愛でるのもまた一興だ

帰りの電車で、私の前に20代前半とおぼしき男性がスマホをいじりながら座っていた。
車内は空いていたが、次の駅に着くと、結構人が乗ってきた。

座っていた席がシルバーシートだったこともあるのだが、その若者は乗ってきた初老の男性に気付くと、自分の隣が空いているにも関わらず、その男性に席を譲った。
その後、空いてる席に座るのかと思いきや、友達が座っている側へ行き、またスマホをいじっていた。

席を譲る時、ちょっと照れたような表情をしたその若者に好感を持った。
見た目は、いまどきのちょっとチャラ男っぽい風情で、どちらかといえばイケメンの部類だ。
横着に座っていそうにも見えなくもないが、案外ピュアなんだな、と微笑ましく思った。

普段はイケメンぶっている若者が、想像以上に優しい姿を見せた時、やっぱり女性はズキュン!と胸を打たれてしまうのだ。
イイ男は、やっぱり何をしてもイイ男なのかも

最近の人間は、なかなか自宅で亡くなることが出来ない。
突発的なことでもない限り、何かあれば救急車を呼び、病院の先生が診断し、治療をし、必要があれば延命措置をされ、自然に死ぬことは容易ではない。

だが、よくよく考えてみて欲しい。
寿命を全うし、後は自然にこの世と別れることが己の使命であるところまで来ているのに、医学という名の手段によって、人間として自然には死ねないのだ。

中には延命措置をしてでも生きたい、という人もいるだろう。それは個人の選択の自由だから、それも尊重すべき意思だ。
だが、自分の意思の及ばないところで、勝手に治療方法を決められ、胃瘻や点滴だけで長らえさせられるというのは、人間としての尊厳を無視しているのではないか?と思う。

人間も自然生命の一つなのだ。
動物や植物は、自然の営みの中で生まれ、生ききり、そして死んでいく。

人間はもう人間ではないのだろうか…とさえ思ってしまう

♪もう~い~くつ寝ると~、お正月~♪
という歌がある。

姪とこの歌の話をしていて、寝太郎の姪は、「お正月」じゃなくて、「寝正月」だね、と私。
♪もう~い~くつ寝ると~、寝正月~♪

「っていうか、私はいつも眠いよ」と姪。
もういくつ寝なくても、いつもが寝正月とは、何とも羨ましい限りだ。

学生の頃は、確かにどんなに寝ても眠かったしな。
その気持ちはよ~~~く分かる。

子供にとって、お正月は凧揚げしたり(今時の子はしないのかな?)、お年玉をもらったり出来る楽しい行事だが、大人にとっては、まさに「寝ることが楽しみ」な正月、まさに「寝正月」といってもいいのかも?

今日は人間ドックだった。
毎度のことながら、バリウム検査って昔と変わらない。
ここ最近は、ずっと胃カメラ検診だったが、今回は久しぶりにバリウム検査にしてみた。

胃カメラも麻酔を舌の下に乗せたり、痛~い筋肉注射を打たれたり、カメラが胃に入る時の不快感たるや最悪だ。
おまけに、「ゲップはするな」と言われるし、苦しくて涙と鼻水は出まくるし…。

バリウム検査も発泡剤を飲んだらやっぱり「ゲップするな」と言われるし、バリウムの量もハンパないし、検査中はレントゲンの上でグルグル回されるし、検査後は下痢の洗礼だし…。

どっちを選択しても地獄の責苦といっても過言ではない。
検診というより、人体実験だぁ~~!!と思ってしまう。

これだけ文明が進化してるんだから、もうちょっと痛くない、不快感のない検査方法はないものだろうか

街はクリスマスイルミネーション一色で、年末の忘年会も相まって、夜の街は賑やかだ。

会社の忘年会も年に1度のこと。
普段は深く付き合うことのないメンバーとも、お酒が入ればおしゃべりも進むものだ。
こうやって、1年1年同じ仕事を繰り返しながらも、少しずつ何かが変化しているのだと思う。

日本には四季がある。
その移ろいを感じながら、季節に応じたイベントがあり、それらを享受することで人は前へ進めているのだろうなと感じる。

だが、それらもある意味イリュージョンだ。
毎年同じように見えるが、何一つ同じ事柄はないのだ。

同じことの繰り返しと思っていることこそ、実は幻想であって、今この瞬間こそが何にも代えがたい現実であり、過ぎてしまえば、また幻想となってしまうのかもしれない

会社にいると、仕事の出来る人、そうでない人に分かれることが良くある。
といっても、人間誰にだって何がしかの才能や天分がある。
たまたまその仕事が向いてなかった、ということもあるだろう。

だが悲しいかな、人のセンスというものは一生変わらない。
センス=リズム感とも言えるだろうか。
仕事に対するテンポ、いわゆる間の悪さだけはいかんともしがたい。

出来ないことを出来るようになるには努力で補えるが、テンポやセンスといったものは努力で補うことはとても難しいと感じる。
物事には必ずといっていいほど、テンポがある。
それを私たちは知らず知らず習得しては、仕事に反映しているのだ。

幼い頃から培ったリズム感は、侮れないのだ

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