2014年12月

2014年12月16日

カウンター1000

今年の12月27日で、ブログを始めて1年になるのですが、その前に本日ビューワー数が1000を達成しました!
私の拙い文章を楽しみに読んでくださる方々がいらっしゃることが嬉しく、ありがたいです。
読んでくださっている皆様に御礼申し上げます。本当にありがとうございます!!!!!

そもそも私がブログを始めたきっかけは、私の思いを余計な言葉を重ねずシンプルに伝えたい、ということでした。
友人と話をしていても、大概私は聞き役に回ることが多く、話をしたい人にしてみると、何はなくとも話させて欲しい!という印象の人が多く、なかなか私が口をはさむ余地がないのです。

結局いつも時間切れになって、私が話すことはほとんどないまま…ということが続いたので、それらに対する思いをブログで伝えることにしたのです。

友達にはここに来てもらって、私の思いを伝えるツールになっていたわけです。
友達にある事柄は、大概誰にでも通用することなので、読んでくださった方にとって何かのヒントになれば嬉しいな、と思っています。

これからも、日々起きてくる事柄や感じたことを綴っていきたいと思います。
今後とも、よろしくお願いします

enji_152 at 19:49|PermalinkComments(0)今世 | 感動

2014年12月15日

キレイごとでは

選挙の結果は、なんだかな~と言うのが正直な感想だ。
というか、今回はまったく勝負にもならない選挙だった。
自民党の大義を大手振って実行するためのものだからだ。

憲法改正も、消費税増税も、秘密保護法等々、政府にとって都合の良いように進めるためだ。
そうなることで、下々である国民の生活がどうなるのか、真剣に考えている人がどれほどいるのだろう。
考えたところで、歴史は流れていく。これまでだってそうだ。

戦争は反対と言いながらも軍需景気で大儲けする人はたくさんいるし、それがなければ国も回らない。
何とも皮肉だ。

今の日本は先の大戦前の状況と良く似ている、という方が多くいる。
その当時を生きている人たちだけが危機感を持っているのだろうか。
当時を生きていても、目先の欲得だけを追い求め、将来のことを考えない大人達がこの世の中を先導しているように思えてならない。

世の中キレイ事だけでは済まないことは十分承知しているが、あまりにも目先のことだけに捕らわれ過ぎている今の日本に危機感を覚えてしまう

2014年12月14日

勝利の女神は

今宵のGPファイナル男子、羽生選手が2連覇を達成した。
中国杯でのFSではどうなることか…と肝を冷やしたが、己を信じ、サポートしてくれる周囲の方々を信じて、NHK杯に出場した。

まさに満身創痍での出場で、結果こそついてこなかったが、あれだけの大けがをしながら、ひるむことなく次にチャレンジした羽生選手の逃げない心に感心させられた。

身体の痛みだけではなく、心にも痛みが伴っていただろう。
練習中に他の選手とまたぶつかるかもしれない、といった不安もあっただろう。
多くの葛藤を抱えながらも、最終的にはGPファイナルの切符を手にした。

それからの羽生選手の腹の括り方は見事としか言いようがない。
どこどこまでも己との葛藤と闘っているのだ。
敵は他の選手ではない、どこまでいっても己でしかないのだ。

表彰台に立ちたい、世界のトップに立ちたいなどと言ってる間は、決してトップに立つことは出来ないだろう。
己を見つめ、掘り下げ、逃げない、立ち向かう精神、それに打ち勝った時にこそ、勝利の女神は微笑んでくれるのだ

enji_152 at 21:20|PermalinkComments(0)今世 | 感動

2014年12月13日

結局のところ

明日は衆議院議員選挙のため、今日も駅前は怒涛の?演説合戦が繰り広げられていた。
候補者の声もダミ声になり、必死に最後のお願いをしていた。

私の住む地区は激戦区だそうで、先日も安倍総理が応援演説に来ていた。
応援される議員は、誰もが知る二世議員で、と~きどき駅前で演説やってるけど、誰も足を止めることなく通り過ぎていく。
いつぞやは、ポケットに手を突っ込んだまま演説していて、その姿を見ただけで人となりが分かってしまう。

対抗馬となる議員は、昔からこの街でずっと議員をやっており、選挙以外の時でも時間のある限り、ずっと演説をしている。
そういう姿を、街の人たちはちゃんと見ているものだ。その証拠に、足を止めて演説を聞く人はいるし、声援を送る人もいる。

直接その議員と話したことも接近したこともないけど、普段から地道にがんばっている姿には感心している。
政策がどうであれ、党の方針がどうであれ、基本となるのはその議員の在り様だ。

バックボーンがどんなに大きくても、その人自身の器が小さくては先は見えている。
大きな力がバックになくても、1人1人の1票が集まれば大きな力になっていく。

最終的には、己に負けず、ひたすら地道にコツコツやってきた人が勝つ、というわけだ


enji_152 at 18:50|PermalinkComments(0)今世 | 課題

2014年12月12日

平常心の持続

私がよく自分に言い聞かせるのは、「平常心を保つ」ということだ。
感情が高ぶったり、緊張したりといった、平常では感じない感情に襲われた時、冷静さを失い、感情が先走ってしまうからだ。

感情を出すことは悪いことではないが、私の場合大概後悔するからだ。
「ああ、またやってしまった…」といった具合に、反省猿になるわけだが、それならば思ったことをすぐに言ったり行動に表したりせず、一呼吸置くことを意識している。

一足飛びに出来るわけではないが、意識しているだけでもストッパーは効くものだ。
そして、それを継続していると、徐々に平常心を保てるようになる。
まだまだ反省の日々であるが、これも己の意識の問題なのかと思わされる。

平常心を維持し続けることで、余計な混乱を招くことなく、あるべき姿、進むべき道に迷わずに進んで行けるのだろう

enji_152 at 19:55|PermalinkComments(0)今世 | 課題

2014年12月11日

残すところ

今年も残すところ3週間となった。
つい先日お正月を迎えたと思ったが、アッと言う間の1年だった。

年ごとに自分への課題というものがあるだろう。
意図して組まれた課題ではないにしても、これまで生きてきたがために生じた課題だ。
それを占いなどでは、易学などでそのバイオリズムを表したりするのかもしれない。

人間には良い事柄もそうでない事柄も万弁なく巡ってくる。
出来ることなら良い事柄ばかりであって欲しいが、なかなかそうもいかない。
それでは、人として成長出来ないからだ。

今年の課題も残りの日々で片づけねばらないだろう。
来るべき新しい年が、今年よりももっと良い年になるよう、最後のラストスパートといったところだろう。
今をしっかり生ききらなければ、明日も、来年も、未来もやって来ない

2014年12月10日

所変われば

先日、金沢産のダイコンを購入した。
いつもは関東圏内の野菜を購入することがほとんどなのだが、縁あって手に入った。

普段通りにヌカを入れて下茹ですると、いつもと勝手が違う。
なかなか白く透き通らないと思ったら、既に柔らかくなっていた(大根は良い具合に茹で上がると白く透き通るのが目安だ)。

出所の違う食材を調理するということは、新しい発見だ。
育った土地や育ててくださった方の愛情がたっぷり注がれたダイコンだ。
大事に頂かねば!

人も食材も、その土地柄によってそれぞれの良さがあるものだと、このダイコンを通して思わされた

enji_152 at 20:31|PermalinkComments(0)今世 | 気付き

2014年12月09日

必要な事柄は

生きていれば、日々多かれ少なかれ、いろんな雑多事に振り回されることがある。
自分のせいで発生したものならまだ辛抱も出来るが、周囲の動向によって発生したものにはカチン!ときがちだ。

だが、不満を言っていても仕方ない。やるべきことはやるしかないのだ。
それをブツクサ文句を言いながらやるのか、よし、ここは気合を入れてチャチャっと片付けるぞ!と意気込んでやるのとでは、出来栄えも結果も大きく変わる。

イヤイヤやったことは自分の身に付かないし、後あとまでグチグチ文句が口をついて出る。
最初はイヤだな~と思っても、腹をくくって取り組めば、思いの他達成感もあり、やってしまえば意外とラクだったりもするし、その経験がまた後々生きてくるのだ。

イヤだな~と思う事柄も、案外実は自分が引き寄せていたりする。
表面上は望んでいなくても、自分の心の奥底にある何者かが、現在や将来の自分にとって必要であるべき事柄を察知し、引き寄せているのだ。

今はどう考えても結びつかない事柄も、後に結び付く、自分の糧となるのだと思い、巡ってきた事柄には心を込めて当たること、それが将来の自分が更に生きる道に繋がると思う

2014年12月08日

かけがえないもの

今宵は、気心の知れた仲間と師走会を楽しんだ。
この仲間とは、もう数十年来の付き合いだが、いつ会っても変わらず、心から安心し、信頼して付き合うことが出来る。

世間に対する時、心に少しばかりの予防線を張ったり、見栄を張ったり、嫉妬したり、なんて感情も起こる時があるが、この仲間とはそれがまったくないのだ。

相手が幸せだと感じれば私も嬉しいし、辛いことがあれば悲しくなる。
まるで、家族のような存在になっている。

時間が折り重ねてくれた信頼関係だが、これこそが「かけがえのない」宝物だと心から思う

enji_152 at 23:57|PermalinkComments(0)今世 | 感動

2014年12月07日

無欲の勝利

昨日の話「生き残る人は」のつづきになるが、会社勤めをしていると、出世のためにあれこれ画策をし、人を蹴落としてでも上へ昇ろうとする人がいる。

上昇志向と言えばそうなのかもしれないが、人を傷付け、騙して出世したところで、100%良いことはない。
なぜなら、そこに恨みツラミ、妬みがあるからだ。

人の感情は形には出来ないが、怨念の塊が波動に乗って、当人に降りかかるのだ。
それが何人、何十人と連なれば、否が応でも病気にもなってしまうものだ。

目に見える形で出世だけを、自分さえ良ければ良いというような生き方をしていると、間違いなく将来は暗澹たるものとなってしまう。

出世したいという欲は悪いことではないが、それはあくまでも周りから認められ、祝福してもらえる形であることが最も望ましい。
良い欲を持つこと、そのために周囲に喜ばれる生き方をしていれば、知らぬ間に結果が形となって現れる。

良い欲は無欲と言って良いのかもしれない

enji_152 at 18:11|PermalinkComments(0)今世 | 人の道

2014年12月06日

生き残る人は

昔に比べて、最近の芸能界は人柄が良いと言われる人が息が長いように見受けられる。
もちろん、「芸」があることが大前提で、人さまからお金をもらって観てもらう「芸」なのだから、人より秀でるものがあることは当たり前のことだ。

「芸」が磨かれ人気が出ると、往々にして天狗になりやすいのが人のサガだ。
若い頃ならそれもありだろう。
天までも伸びた鼻が、いつしか挫折を味わうことでポキッと折られ、それまでの人生を見つめ直し、これまで以上に芸の道で精進し、精神も鍛えられていく。
すると、更に芸にも磨きがかかり、人柄も向上していく。

こういう芸能人は間違いなく成長するし、良い仕事が回ってくる。
自分が味わった苦労を忘れず、常に謙虚な気持ちを持ち続け、人に感謝していく。
それが長く第一線で活躍出来る秘訣だろう。

だが、この精神は私達一般人にも共通する課題だ。
芸能人の姿を通して、人としてのあるべき姿を教えてもらっているように思う


enji_152 at 19:05|PermalinkComments(0)今世 | 人の道

2014年12月05日

ちょっとした手間だけど

1日仕事を終えて帰ると、夕飯を作る気が失せる時がある。
最寄駅近辺のデパートやスーパーでは、お買い得になったお惣菜が売られている。
誘惑に負けて、ついつい買ってしまう時もある。

お店で売られているものはおいしいものが多い。
自分で作ると、お店と同じものは出来ないが、それなりに近いものは作れる。

家に食材があれば、自分が食べたいものを想像して作ってみる。
だが、それも元気のある時だけだ。
帰り道に売られているお惣菜の誘惑にはなかなか勝てない。

それでも、何とか誘惑に打ち勝ち、家にある食材で食べたいものを作ってみると、案外おいしく出来たりする。
プラス、おいしいお酒があれば言うことはない。

少々の手間はかかるが、自分の手で作れば節約にもなるし、おいしくいただけるものだと思う

enji_152 at 20:48|PermalinkComments(0)今世 | 気付き

2014年12月04日

灯台下暗し

心が元気になると、外に出たくなる。
今頃の季節だと、紅葉が見頃だ。
山へハイキングに行ったり、有名な庭園などに行っては、雄大で美しい景色を愛でることが出来る。

だが、世の中には遠出したくても出来ない人もいる。
身体が不自由だったり、高齢で思うように出歩けなかったり、多忙過ぎたり、子育てや介護で家を空けられなかったり…などなど。

そんな時は、近所をふらっと歩いてみると良い。
隣近所の庭に植えられた樹木が紅葉を迎えている。
な~~んだ、遠くに行かなくても、こんな身近に美しい景色があったのか…と思わされる。

近すぎて気付かないものだが、自分の身近に目を向けてみると、いつも見ている風景が案外穴場だったりするものだ

2014年12月03日

心を元気にするには

心が元気じゃない時は、大抵身体も不調だ。
自分でもこのままじゃいけない、何とかしなきゃ…と気ばかりが焦るのだが、どうにも身体が言うことを聞かない。

気持ちが落ちている時はムリせず、その状況にあえて甘んじてみるといいかもしれない。
ムリに元気になろうとしない。ムリに何かしなくてもよいのだ。

そのうち時間が経つと、周囲の状況も変わっていき、知らぬ間に自分もその輪に戻りたい…と思えればしめたものだ。その時が来たら、動き出せば良いのだ。

気持ちが少し上向いてきたら、近所を散歩してみると良いだろう。
最初は5分でも10分でも良くて、季節の移ろいや、街の喧騒や自然の美しさに心が向きだすことが大事なのだ。

そうやって、周囲から刺激をもらうと、自然と身体も動きも軽くなる。
身体が軽くなると、心も軽くなる。
そして、知らぬ間に心も身体も元気になっていくものだ。
それが、人間に与えられている自然治癒力なのだ

2014年12月02日

おやめになっておくんなさいまし3

おやめになっておくんなさいまし2のつづき

JR博多駅には喫煙所があった。
「混雑時にはご利用いただけない場合があります…」といったアナウンスが流れたのだ。
JR東日本管内は全面禁煙のため、このアナウンスには驚いた。

JR九州といえばモダンな列車が増え、東京よりもオシャレな列車がたくさん走っている。
通勤電車でさえも、足元も広く座り心地の良い座席や、つり革にも一工夫されているし、見た目もモダンだ。

なのに、未だに喫煙がまかり通ってるなんて!
街を歩いていても、歩きタバコは東京より多いし、やはりまだまだ喫煙天国なんだな…と思わされる。
それは、地方に行けば行くほど感じる。

喫煙もリフレッシュのひとつではあるが、やはり公共の場では「おやめになっておくんなさいまし」と思ってしまう

enji_152 at 20:02|PermalinkComments(0)今世 | 人の道