前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2015年01月

旅行から帰ってきて、余韻に浸る間もなく、今日は朝からバタバタしていた。
全ての予定が終了した頃には、すっかり夜空に星が瞬いていた。

旅行の前後は、休みを取るためにいつもより多めの事柄をこなさなくてはならない。
行く時も直前まで予定をこなしていたし、帰ってきてからもそうだ。

旅行で疲れているはずだが、「やらねばならぬ」という使命感からか?今日も元気に予定をこなせた。
明日もすでにやること満載だ。

次回の南国からのお誘いを受けられるように、心機一転、未来へ向けてしっかり自分のやるべきことを、心をこめてこなしていきたいと思う(使命を果たさないと、ご褒美は巡ってこないからね)

南の島から4のつづき

今日は旅行最終日。
昼過ぎの便に搭乗のため、午前中は連れのリクエストで首里城に行った。
読谷を8時過ぎに出て、首里城には9時ちょい過ぎには到着したのだが、既に首里城の駐車場は満車。団体観光客でごった返していた。

昨年来た時には改修工事をしていたが、それも完成したようで、中の展示室なども以前よりも増え、充実していた。
だが、あまりの人出にゆっくり見る感じもなかったが、久しぶりの首里城にやはりなぜだかホッとした。

車は首里城の敷地からほど近い所に停めたのだが、そこから首里城公園に向かう途中、なぜか心惹かれるというか、かなり呼ばれてる感じのする場所があった。
往きにそんな雰囲気があり、首里城を見ての帰り、やはり呼ばれている空気をひしひしと感じた。

そこの建物を確認すると「玉陵(たまうどぅん)」と言って、琉球王朝歴代の王や王妃、その家族の墓だった。
以前から一度行ってみたいと思いつつ、機会を逸していたが、今回はたまたま予定していた駐車場に入れなかったことが幸いしてか?玉陵に巡り合うことが出来た。

玉陵の中はやはり何とも言えないエネルギーが充満していた。
久高島以来のゾワゾワ感が全身に走った。
陵墓にお参りをすると、なぜだかとても安心した気持ちになった。

自分の家の墓にお参りしてもそんな気持ちにはならないが、なぜかここではそんな気持ちが湧いてきたのだ。
とても久しぶりにお参りした(現実には一度もない)感覚なのだ。
やはり、私の前世が琉球王朝時代の人間だった、というのはもしかしてそうなのかも?と思ってしまうほどだ。
「懐かしい味」参照。

沖縄に行く度、少しずつ私が沖縄に惹かれる理由が明かされていくような気がする

20150130玉陵

南の島から3のつづき

今日の午前中、ホエールウォッチングに参加した。
ケラマの沖近くにザトウクジラが子育てのために冬の間海流しているのだ。

冬の海は沖縄といえどもやはり揺れる。60人乗りの船では、かなり揺れる。
それでもクジラに遭うまでは!と、酔わないように気合いをいれた。

読谷の漁港から小1時間ほどでクジラのブリーチが目撃され、どうやら親子のクジラと他に数頭いることが確認された。
クジラは、息継ぎのために約15分おきくらいに海面に現れ、潮を吹いたり、身体についた寄生虫を落とすために豪快にジャンプしたり、尾びれをヒラヒラさせたりするのだ。

船からクジラの距離は100メートル以上離れているし、クジラが現れると、数頭の船が追いかけるものだから、クジラは逃げていく。しばらく待っていると(船が待機している)と、落ち着いた海に安心したクジラが思いがけない場所からジャ~~ンプ!そこでまた歓声が湧くと同時に船が追いかける。
そんなことを数回繰り返し、最終的には4回ほど大きなジャンプを見ることが出来た。

ホエールウォッチングはやらせじゃないし、ましてやアトラクションでもない。
大自然が相手だし、私達人間は、大海にお邪魔させてもらっている身だ。
見たい気持ちはあるが、クジラを驚かせるような見方はどうなんだろう…と、不安に思った。
ハワイでクジラやイルカを見た時には、深追いしない場所で待っていたからだ。

クジラにしてみれば、人間が見たいだけとはいえ、追いかけてくるのは大きな迷惑なのかもしれない…と、帰りの船でゲロを吐きながら思った(クジラの逆襲か!?)

南の島から2のつづき

今日の沖縄本島は曇っているが、外に出ると雨が上がってくれるからありがたい。
運転をしていても小雨程度に収まってくれているから、なおありがたい。

今朝は古宇利島、今帰仁城へと向かった。
古宇利島では、前回時間の都合で行けなかった、ハート岩を見てきた。
ハート岩をとりまく海流は思いのほか強く、荒々しい波が押し寄せては引いていく。

ハート岩の側まで行くには、結構足腰が丈夫じゃないとキツイかも。
女子高生の集団が「杖が欲しい」と言っていたほどだ。

やはり何事も一見するべきだな、と思った。
テレビで見るよりもっと雄々しいエネルギーを感じたし、カップルのための~なんて甘~い感じのエネルギーでは決してなかった(周囲の岩々からも、かなり強いエネルギーを感じたからだ)。

ハート岩は、観る角度によって、2つの岩が重なって1つのハートに見える、というトリックも隠されている。
機会があれば、ぜひ自分の目で確かめてみると良いだろう

20150128ハートロック

南の島から1のつづき

今日は朝から雨だった。
私が沖縄に毎年行くようになってから、雨に遭ったことは数えるほどもない。
雨雲レーダーを見ると、五月雨式に雨雲が沖縄本島に向かっていた。

午前中は沖縄本島先北端の辺戸岬の近くにある「大石林山」に行った。
沖縄の二大聖地のひとつ(もうひとつは「斎場御嶽」)でもあり、石灰岩で覆われた奇岩の数々の中に、数えきれないほどの拝所がある、正真正銘の大聖地だ。

ガイド案内の元、奇岩の成り立ちや手つかずの大自然が織りなす森の中を説明してもらいながら進んだ。
最初の異変に気付いたのは、ツアーが始まってほどなくの場所にあった大きなガジュマルの木の写真を撮っていた時だ。

大石林山を散策中は雨が上がっていたが、厚い雲に覆われ陽は射していない。
なのに、木々の間から木漏れ日のような光がカメラを通して見えるのだ。
シャッターを押してみると、やはり光の帯や束が写っていた。

ハレーションでも起こしたのかと思ったのだが、なぜかその後も不思議な写真が次々と撮れるのだ。
そのうち、もしかしたらこれは「気」の流れが写り込んでいるのではないか、ということに気付いた。
ここに掲載するものは1枚だけだが、今日撮った写真が200枚以上あり、その3分の2ほどにエネルギーの流れとしか思えない不可思議な光の帯が写っているのだ。

この場所では、多くの方々がフシギ体験をしており、その写真が待合室などにたくさん飾られている。
それを思うと、私がこのような写真を撮ったのも決してフシギなことではないのかもしれない。
ガイドの方にも撮った写真を見せたら、「これほどのものが撮れる人は滅多にいない。あなたは、神様に守られているんだね」と言っていただいた。

沖縄は大好きな場所であり、来る度に地元の神様にご挨拶しながら旅をさせてもらっている。
その気持ちが通じているのかと思い、嬉しく、ありがたく感じた

大石林山のエネルギー流

昨日の舞台が終わった後、その足で羽田から沖縄へ向かった。
今回は、本島の北部と中部が目的地だ。

到着日は夜遅かったこともあり、那覇に1泊し、今朝から北部方面へ向かった。
途中八重岳で桜街道を堪能した。
オリオンビールの春缶にも登場する、緋寒桜だ。桃のように濃い色をしていて、花びらは八重になっている。
本島でも八重桜は持ちがいいのと同じで、沖縄の緋寒桜も3週間~1か月ほど堪能出来る。

日本で一番早い春を堪能出来る場所で、いの一番に花見を楽しませていただいた。
ちなみに今日の沖縄は24度もあった。こんな調子じゃ、アッと言う間に夏になりそうだ

八重岳

今日はフラダンスの舞台があった。
なかなか稽古が出来ず、練習不足は否めないのだが、音楽に乗れた時、自然と身体が動く。

昔から音楽とダンスは切っても切れないものだ。
音を感じると、自然と身体が動いてしまうのが人間の本能だ。

フラダンスは手話の要素が大きく、曲の歌詞を表現したダンスでもある。
歌詞を理解し、それに添えられた音楽を感じること、それが最も大事なのだろう。

人さまにお見せするものなのだから、しっかり稽古をしなければならないのだが、なかなかそう出来ていないことが大いなる反省だ。

とはいえ、お世辞でも見てくださった方々から「よかったよ」と言われると、やっぱり嬉しい。
なんとも単純な私だ

冬野菜の代表格、白菜がおいしい季節だ。
最近はブランド白菜も増えて、たかが白菜とあなどれない。

寒い場所で作られたものほど甘みが強く、葉もしっかりしていて、味わいも深い。
白菜の水分だけで煮た鍋は絶品だ。

他の食材の味わいもあるのだが、白菜の上品で他を邪魔せず味全体をまろやかにする技はあなどれない。
これが白菜の旨味なのだ。

煮ても炒めても、漬物にしてもおいしい白菜。まだまだ旬は続く。
自分も、白菜のように、さりげない旨味を醸し出せるようになれるといいな

人付き合いの中では、表面上はうまく付き合っているようでいても、毎日顔を合わせることになると、少しずつ違和感を感じたり、不満な思いが湧いてくることがある。

とりたてて大騒ぎするほどのことではないが、毎日のことだから、ちょっとずつストレスが溜まっていく。
そんな時、面と向かって文句を言えるような間柄ならいいのだが、そうもういかないこともある。
相手がド天然だったりすると、さらにやっかいだ。

だが、たまに対面する人からやんわりと嫌味を言われた時、聞き流さず、それを懐に入れて考えられる人がいる。
表面上はニコニコ笑っていても、案外グサリ!と心にその言葉が突き刺さり、己を省みるのだ。

そういう人は人間として得だと思う。
相手の気持ちを察知し、さらに自分がより良い方に向かおうという向上心があるからだ。

鈍感な人にはない感じる心。
やはり、ある程度は敏感であることも大切なのかもしれない

日々を生きていると、どうにもならないことや、辛く苦しいことに出遭うことがある。
それが長く続けば続くほどやりきれない気持ちになるものだ。

何事も己の心の持ちようなのだが、落ち込んだ気持ちを高めるにはそれなりの時間が必要だ。
生じてしまった落ち込みの感情は、なかったことには出来ない。
だったら、とことん落ちてみよう。
もう落ちる先がなくなり、諦める気持ちが生まれ、気分が落ち着いたら上を見上げる。
あとは上へ向かうしかない。

とてつもない大きな出来事さえも「なんくるないさ~」と言える自分でありたいと思う。
そして、人の喜びを喜べる自分でありたいと心から思う

それってアリ?(前編)のつづき

今日、会社の入るビルに献血車が来ているというので、さっそく調べてもらうことにした。
問診で、「血液型は?」と聞かれ、「生れてこの方ずっとO型でしたが、最近A型になりました」と私。

「そうですか、じゃ、調べてみましょうね」と、検査技師の方は事もなげに言う。
「そんなことってあるんですか?」と私。「たま~にありますよ」との回答。

血液を採取した後、検査方法を説明され、その操作も一緒に確認させてもらった。
で、出た結果は「A型ですね!」だそうだ。

この世に生を受けてから、ず~~~~~~っとO型だと信じ生きてきた私にはまさに青天の霹靂!
人生において、こんな衝撃はそうあることではない。
たぶん人生においての三大珍事と言っても過言ではないだろう。

でもって、「今日はヘモグロビンの値が低いので献血は出来ませんね」と言われ、何の貢献もしないままジュースだけもらって帰ってきてしまった。
これまた、それってアリ?と言わずにはおれない

組織では、上司の采配次第で仕事の進捗状態が大きく変わる。

上司という生き物は、そもそも自分より出来る人間を部下にしない。
出来る部下を持ち、それを良い意味でうまく使える上司は賢いが、悲しいことに現実はそうではないことが殆どだ。

自分より仕事の出来ない部下を持ち、采配を振るうわけだが、その上司の手腕如何によっては、致命的なダメージが生じることもある。
それでも上司は出来る人にヘルプを求めない。何とかして自力で切り抜けようとする。

人間にはプライドがある。それは使い方次第で良くも悪くも働く。
自分の器量が分かっていれば、そもそも使えない部下を持とうとはしないだろう

今日から元気に出社している。
考えよう次第だが、インフルのおかげで思わぬ身体のメンテナンス&充電が出来た。

夜帰宅すると、12月に受けた人間ドックの結果が届いていた。
そこで驚いたことが!なんと、血液型が変わっていたぁ~~!!!
そんなことって、あるのか???

赤ん坊の頃にはそういうことはままあるらしいが、大人になってというか、かなりのおばちゃんになった歳で、そんなことがあるのだろうか???
人間ドックだし、血液型認定カードまで付いているし…。
違う意味で再検査が必要だ

インフル菌を見送ったものの、身体の中にはまだその残党が残っている。
とはいえ、いつまでも床に臥せっているわけにもいかず、昨日あたりから少しずつ出来ることをやるようになった。

今朝は明らかに体調が回復した感じもあったので、久しぶりに買い物に出た。
何せ1週間も伏せっていたから、我が家の冷蔵庫は空っぽだ。
他にも欲しいものがありで、何だかんだと3時間ばかり買い物に時間を費やしてしまっていた。

さすがに病み上がりのせいか、やっぱり疲れてしまい、帰宅してからまた眠ってしまった。
ほんのちょっと横になるつもりが…どっぷり3時間も寝てしまった。

明日からはまた会社に行かねばならぬ!もう会社じゃ昼寝出来ないぞ!と、自分に言い聞かせつつ、最後の寝太郎に甘んじていた

インフル報告3のつづき

睡眠と薬、栄養のおかげで、大分身体もシャンとしてきた。
具合が悪いと、顔もむくむし、目にも活気がない。
全てがダメダメ状態になってしまう。だからこそ、ゆっくり休むことが必要なのだ。

今年のインフルエンザは、インフルの症状だけにあらず、風邪症状とドッキングしたものが主流らしい。
熱だけでは許して?もらえず、解熱後の風邪の諸症状にも悩まされた。
治りが遅い=それだけ身体が弱っていた、ということだ。

普段の生活でも健康に気を付け、風邪をもらわない予防にも余念がなかったが、やはり知らず知らず身体に負担をかけているのだな、と反省した。
反省しても、がんばらなくてはならいこともある。精神力で乗り切ってしまえるのが良いことなのかどうか…。
時には弱音を吐くことも大事なんだな…と思わされた。

今回人生初のインフルエンザ罹患を通して、思わぬ身体の休養となったこと、健康であることのありがたみを実感出来たこと、普段気付かずにいるが、身体の中では治癒力ががんばってくれていること等々、改めての気付きがたくさんあった

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