前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2015年02月

最近のテレビ番組は、ドキュメンタリーや、旅番組、深夜だとナレーションもないただの街や景色だけを放映しているものが多くある。

旅行好きの私にとっては、旅番組は見ているだけで楽しい。
次はこんなところに行ってみたい、ここは行ったことがある、などとたくさんの妄想と思い出が巡って、新たな旅立ちをも予感させてくれる。

47都道府県どこを取っても、つまらない場所がない。
観光地にグルメ、アクティビティにも事欠かず、風光明媚の地に、人を思いやる人間の温かさ…等々、心から癒される場所だらけだ。

何よりごはんのおいしさは、世界中を見渡しても日本が一番だと思う。
出汁の文化で、素材を生かす食事を作る。これこそ日本の真骨頂だ。
その繊細さが根底にあるからこそ、どのジャンルの食事もおいしいのだ。

世界から見たら小さな島国「Japan」だが、どこよりも数多くの遺産がある「Japan」だと自信を持って言えるだろう

日々生活をしていると、1日の中でもやらなければならないことが多くあり、簡単に出来ることでさえ、面倒くさいな~と思う時がある。
ましてや、本当に手間ヒマのかかる事柄であると、余計に面倒くささに拍車がかかる。

そう思う理由は、出来るのに気持ちが乗らなかったり、出来ないからやりたくなかったり、今更新しいことにチャレンジすることに意味を見いだせなかったり…と、言い訳はいくらでもあるだろう。
だが、それをクリアーしないと、いつまでも立ち止ったままだ。わかっちゃいるけど、前へ進めない、ってことだろう。

物事をこなすこともそうだが、気持ちのうえでも素直になれなかったり、見栄を張ったりと、なかなか本心を上手に表現することが出来ず苦しむこともある。

結局のところ、目の前に壁を作っているのは自分であり、それを壊すのも自分の心ひとつというわけだ。
生きている間、どこどこまでも己との闘いは続くのだ

人にはそれぞれの魅力や役割がある。
それは、人と比べるべきことではないし、どういう仕事に就いていても、それが自分にとって力を発揮出来ることであるなら、それが最もベターな状態なのだ。

もちろん、自分の力量を超えていたとしても、そこを目指し努力し続ければ、高みに行ける可能性はある。
だが、そもそも以ている資質はいかんともしがたい。

背伸びすることは悪いことではないが、力量を超えすぎると、自分も苦しいし、周りにも迷惑をかける。
どんなに憧れ続けていることでも、自分にその資質がないと悟った時は、キッパリと諦めることが必要だ。

そして、本当に自分を必要としてくれる場所で、力を存分に発揮すれば良いのだ

人は安定した生活のために毎日働き、理想の生活に近づこうと努力する。
プライベートな事柄だけでなく、仕事や趣味においても、安定志向についつい陥りがちだ。

自分の外堀を固めて、安住の地にいることは居心地が良いが、それが長くなればなるほど、外の状況は分からなくなる。
安住の地は一見安泰のようだが、意外と足元をすくわれる原因なのかもしれない。

人の思考も、企業も、商品も、一切のものが変化し続けている。
赤ん坊がずっと赤ん坊ではないように、私達も日を追うごとに年齢を経て、老いていく。
いつまでも若いままではいられない。

変化することを恐れず、それを楽しむくらいの度量で毎日を過ごしていきたいと思う

スマートフォンの普及率は約4割ほどらしいのだが、私の周囲は誰も彼もスマホを携帯している。
私は未だガラケーなのだが、使用機種が丸6年を迎えるにあたり、そろそろマジで次を考えなければかな、と思っている。

会社でスマホを支給されているので、操作に対する不安はないのだが、何せ携帯でネットをしたり、動画を見たり、ゲームをしたり、なんてことはほとんどない。
携帯電話の利用としては、メールがメインで、時々電話を使うくらいだ。
それなのに、スマホに替えるのも何となく癪に障る…。

ならば、SIMフリーのスマホでも良いのだが、何となく胡散臭い気もする。
それは、安いからには何か裏がありそう…?とか、どうでも良いことを勘ぐってしまう。

高いには高いなりの、安いには安いなりの理由があるのだろう。
その辺りをもう少し開示してくれれば、検討のしがいもあるのだが…。
何とも悩ましいのである

昨日地元の食品館で、まぐろの解体ショーをやっていた。
高知県からやってきた黒まぐろだ。
子供達は目が点になった状態で、自分より大きなマグロを前に固まっている。
時間の都合で、ショーは見れなかったが、多くの人出でにぎわったことだろう。

そこで解体されたまぐろが売れ残り、今日はお買い得品で売られていた。
仕事帰りの時間帯で、更に半額値になっているではないか!
中トロと赤身がほどよく混じった部位を選んだ。

そして、何と今日はその他にもブリにカツオ、ほたるいかまである。
しかも、どれもこれも新鮮なのに、半額になっていた。
こりゃ買わない手はないわな~と思い、思わずガッツリ購入してしまった。

家に帰ると「こんなにたくさん誰が食べるの?」と家人に突っ込まれたが、良くて安いものは思わず手が出てしまう。
そうかと思えば、お買い得品がまったくない時もある。
なかなか物事思うようにはいかないものだ

野菜や果物をカラッカラになるまで干すと、保存もナマよりきくし、何より味が濃くコクも出る。
野菜であれば、濃厚な出汁が出るし、栄養価も高くなる。触感もシャキシャキしてよりおいしく感じる。
果物であれば、甘さが何倍にもなるし、味も濃厚だ。

もともとある栄養や味が、干されることで凝縮するのだが、「干す」だけで食べ物の価値がグン!と上がるとは、何ともフシギだ。

人間も多くの苦労を経験すると、他人の痛みも理解出来るし、優しくもなれる。
大変な思いをしているのに、優しい心持ちになれるというのもまたフシギなことではあるが、人の痛みを我が痛みに置き換え、何とか力になりたい…と思えるのは、生物の中でも人間だけかもしれない。

人間には他人を思いやるという良心がある。
己に振りかかる苦労は出来れば御免蒙りたいとも思うが、それがあるからこそ、己の心が磨かれ、霊格を上げていけるのだ、ということを肝に銘じておいたほうがいいのかもしれない

身内の4才児がなかなかの根性者だ。
良く言えば己の意思を貫く、悪く言えばわがままということだ。

大人に甘えたくて、人の気を引こうとする。
だが時と場合によっては、子供が介入すべきでない事柄もある。
その時、周りの大人が「ダメなのだ」ということを真剣に教えられるか、そこが大きなカギになる。

子供がかわいいからと言って、言うことしたいことをさせていては、当人の機嫌はいいかもしれないが、行く先は決して良い方向には進まない。
ダメな時には、心を鬼にして叱ることはとても大切だ。

大人の世界と子供の世界の境界線を曖昧にすることは、子供に対しての冒涜でさえあると思う。
私は、自分の子供でなくても、その子のことを思えば、その時は恨まれても叱るようにしている。
その場凌ぎで適当にやり過ごすのか、長い目で見てその子の将来を見据えて叱るのか、子供に対する愛情の度合いで変わってくるのだろう

旅行に行く時、自分で飛行機や列車、宿やレンタカーを手配し、観光地や食事をリサーチしたりと、全てを自分で手配すると、お金も時間もかかる。その変わり、自由に旅を楽しむことが出来る。

自分で手配するのが苦手という人にはパッケジツアーがオススメだ。
旅する足も宿も、ツアーの内容によっては観光地巡りもしてくれる。
ただ、こちらは時間の制約もあるし、巡る場所も食事も決め打ちだから、自分の思うようにはいかない。

だが、何といってもノーマル運賃よりは、時期にもよるが圧倒的に安いことだ。
ヘタをすると、飛行機片道分の代金で済んだりすることもある。

なのに、それに対して思ったようなサービスを受けられなかった、というクレームを付ける人が多くいる。
そもそも論として、不自由があるからこそ代金が安いのだ。そこのところ、分かってるのかな~?と、いつも思う。
満足のいくサービスを受けたければ、ノーマル運賃を払えばいいだけのことだ。

安かろう、悪かろうでは困るが、代金に見合ったサービスを受けているのだから、クレームを付けるほうがおかしいのだ。また、繁忙期はよりサービスも煩雑になる。

満足のいく旅行をしたければ、ノーマル運賃を払うか、もしくは閑散期を狙って安くで行く。それしかないのだ

最近の商品には注意書きがとても多い。
まずは商品パッケージの隅に「これはイメージです」とあり、アレルギー品目の表示に、お湯を入れたら熱くなるものであればその旨が記載されていたり、商品の本来の使用用途以外に使うと問題がある…等々。

以前旅行会社に勤めていた時、やはりパンフレットにモリモリの注意書きを記載していた。
まずは掲載する写真すべてに「イメージ」を記載し、天候等により旅程に変更があることや、搭乗する飛行機によっては朝早いため朝食が食べられないこと等々…こちらも数え上げればキリがない。

ほんの少し前の日本人は、何をどうしたらこうなる、といった生きる上でのデメリットを暗黙の了解で承知していた。
そのリスキーさえも分かったうえで、多くを楽しみ、学んでいたように思う。

最近の世相としては、すべて起きるであろう事柄を書き出さないと許してもらえない、下手をすると訴えられるというありさまだ。
内容にもよるが、告知してないほうが悪いという裁判結果が出てしまうことにも疑問を抱かざるを得ない。

幼い子供に咀嚼出来ないものを与えるな、ボール型の洗剤は子供の手に届かないところへ置いてくれだの、公園の遊具でケガしたら訴えるだの…等々、逆切れにもほどがある!言われなければ、教えてもらえなければ悟れない、己の無知を省みろ!と言いたい

核家族が増えて、世代の離れた者同士の交流が減ったためか、若手の社員が年配の先輩とうまくコミュニケーションを取れない、という問題がある。

上司の言うことは、仕事であれアフター5であれ、ある程度の威厳や拘束力があったが、今やそれも地に落ちている。上司が注意してもそしらぬ顔、呑みに誘えば速攻断る。
それが悪いというわけではないが、年長者に対して友達に接するような態度はいかがなものか?と思う時がある。

バリバリの昭和のオヤジのエゴも大いに批判されてしかるべきだが、余りにも先輩や世代の違う者に対しての配慮や気遣いがなさすぎるな…と感じることが多い。

子供の頃から、幅広い年齢の方々と交流を持っていればそんなこともないのだ。
やはり、地域の皆で子育てをする、3世代、4世代で暮らす、という図式は必要不可欠なように思えてならない

日々やるべきことをやり、不断の努力を続けていても、なかなか結果が出ない時がある。
まだ努力が足りないのだろうか?と思うこともあるが、体力、気力共に全力を尽くした、と思えたらそれが最大の努力なのだ。

待てども果報が巡って来ない時は、寝て待つくらいの気持ちが大事なのだろう。
そこで慌てて余計なことをしては元も子もないし、周囲にも迷惑をかけてしまう。

そもそも生きている間、思い通りになることなんてほとんどない。
自分の意のままにならないからこそ、たま~に巡ってくるラッキーがこの上なくありがたく思えるのだ。

すべきことをやり遂げたのなら、あとは寝て待つ気持ちで、良い結果だけを妄想しつつ、毎日を大事に暮らしていきたい

仕事を人から教えてもらう時、まずは手順を教えてもらい、自分なりにまとめ理解し、そしてやってみる。
だが、教えてもらった通りのような同じ仕事はひとつもない。
似たような内容ではあっても、都度最適なものが仕上がるように教えてもらったことを土台として、己の頭で考える力が必要となる。

なのに、教わる側は「これは教わってないから分からない」と言う。
確かに、100%正確に言えばその通り(細かいところまでは手が回らない)だが、仕事なるもの、「一を聞いて十を悟れ」と言われ続け、先輩の仕事を盗み見て覚えた私からすると、1から100まで教えてあげないと理解出来ないのだろうか…と疑問に思う時がある。

順を追って教え、その人用の手順書を作る時間も取り、復習する時間を与えても、それでもまったく理解出来ていない姿を見ると、何とも情けなくなる。これも時間が経てば解決する問題なのであろうが…。

何事にも応用力が必要だ。
己の脳みそをいかに柔軟に使えるかが大きなカギになるだろう

30代の頃はジャズダンス、モダンバレエにハマって、年に数回舞台に立たせてもらっていた。
昼間は会社で働き、夜はダンスの稽古、舞台が近づけばほぼ終電の毎日だった。
素人ながら、まるでダンスが仕事のような日々を送っていた。

この頃は一人暮らしをしていたので、自分で好きなように時間も使えたし、スタジオの皆と同じ目標を持って精進していくことは、苦しいこともあったが、やはり楽しかった。
そんな時間を共有した仲間とは、今も良き関係を持たせてもらっている。

仕事にしろ、趣味にしろ、同じ目標に向かって苦楽を共にした仲間は、その年月と共に同志になっていくのだろう。
それも、向かうべき道が同じ、最終地点が同じだからこそだ。

一人では到底出来得ないことも、志を同じくする仲間がいれば、その道のりもラクになるし、やりがいも感じる。
まさに「目標あればこそ」、人は前進出来るのだろう

1月にフラダンスの披露をしたが、今年はあと2回披露の場が決まり、新曲の練習も始まった。
新しいことを憶えるのは大変ではあるが、細かく振りを確認しながら身体に憶えさせていく。

まずはカウントでの練習をして、ある程度覚えたら曲に合わせて踊ってみる。
若い頃ならすぐに身体が順応するのだろうが、歳を取れば取るほど、身体への伝達も遅くなる。
脳が振りと曲を理解し、身体へ動く指令を出す。指令を出すにはまずは振りを憶えることが先決だ。

脳から身体への伝達がスムーズにいくようになって初めて迷わず踊れるのだ。
たかだか4、5分の曲とはいえ、その間中ずっと踊り続ける、それも心から笑顔で踊るのだから、そうなれるまでには相当の練習が必要だ。

2015年もすでに2月の後半に入る。うかうかしている場合ではない。
次なる課題クリアーのためにも、日々精進が必要だ

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