2015年03月
2015年03月16日
思いのズレ
人の気持ちは十人十色と言うが、近しい人とでも、対相手との会話はなかなか思い通りにいかないことが多い。
ある程度は、この人はこういう性格だから、と相手が不快に感じないような会話を進めていくが、ちょっとした言葉尻に気持ちが引っかかったり、普段なら流せる言葉も、その日に限ってこだわってしまう時がある。
どんなに相手のことが分かっているようでも、毎度毎度うまくいくとは限らない。
基本的に相手を負かしてやろうとか、攻撃を加えてやろうなどと思わない限り、相手のことを思いやり進める会話はトラブルになりにくいが、それでも時には思わぬ方向に会話が進み、「こんなはずじゃなかったのに…」と落胆する時がある。
相手を思いやった結果がこうだとやりきれない。まさに、真意が伝わらず、互いの気持ちにズレが生じてしまった…ということだろう。
そういう時は、時間を置くことが大切だ。
自分の考えや思いを振り返ったり、相手のその時のことを思い返したりしてみると、知らぬ間にそのズレに気付かされることがあるものだ
ある程度は、この人はこういう性格だから、と相手が不快に感じないような会話を進めていくが、ちょっとした言葉尻に気持ちが引っかかったり、普段なら流せる言葉も、その日に限ってこだわってしまう時がある。
どんなに相手のことが分かっているようでも、毎度毎度うまくいくとは限らない。
基本的に相手を負かしてやろうとか、攻撃を加えてやろうなどと思わない限り、相手のことを思いやり進める会話はトラブルになりにくいが、それでも時には思わぬ方向に会話が進み、「こんなはずじゃなかったのに…」と落胆する時がある。
相手を思いやった結果がこうだとやりきれない。まさに、真意が伝わらず、互いの気持ちにズレが生じてしまった…ということだろう。
そういう時は、時間を置くことが大切だ。
自分の考えや思いを振り返ったり、相手のその時のことを思い返したりしてみると、知らぬ間にそのズレに気付かされることがあるものだ
2015年03月15日
パッケージツアーのオキテ
関東近郊を巡るには、バスツアーや添乗員付きのツアーに申し込むことがある。
個人旅行も楽しいが、団体旅行も色んな発見があって面白い。
集まるメンバーは違うのだが、常連のお客様の多いツアーになると、暗黙の了解的な感覚がある。
それは、ある種の連帯感を生むし、それに馴染めないとツアーは楽しくない。
まずは、初対面同士の挨拶だ。
バスなり電車なりに乗り合わせた時、気持ちよく挨拶が出来ると第1関門突破だ。
次は、観光やトイレ休憩などで、一度乗り物を離れた後の集合時間に遅れずに戻ってくることだ。
万が一、集合時間に遅れたとしても、きちんと詫びを入れれば、その後はスムーズに進む。
観光なども終わりホテルに入り、食事時にレストランで顔を合わせた時や、売店で同じツアーの人だと感じたら、軽く会釈したり、他愛のないおしゃべりなどのコミュニケーションは更に大切だ。
些細な気配りの連続で、団体旅行は更に楽しさを増すのだ。
リラックスするはずの旅でも、やっぱり日本人は気配りを忘れてはいけないのだろう
個人旅行も楽しいが、団体旅行も色んな発見があって面白い。
集まるメンバーは違うのだが、常連のお客様の多いツアーになると、暗黙の了解的な感覚がある。
それは、ある種の連帯感を生むし、それに馴染めないとツアーは楽しくない。
まずは、初対面同士の挨拶だ。
バスなり電車なりに乗り合わせた時、気持ちよく挨拶が出来ると第1関門突破だ。
次は、観光やトイレ休憩などで、一度乗り物を離れた後の集合時間に遅れずに戻ってくることだ。
万が一、集合時間に遅れたとしても、きちんと詫びを入れれば、その後はスムーズに進む。
観光なども終わりホテルに入り、食事時にレストランで顔を合わせた時や、売店で同じツアーの人だと感じたら、軽く会釈したり、他愛のないおしゃべりなどのコミュニケーションは更に大切だ。
些細な気配りの連続で、団体旅行は更に楽しさを増すのだ。
リラックスするはずの旅でも、やっぱり日本人は気配りを忘れてはいけないのだろう
2015年03月14日
しれっと
今日は北陸新幹線と、上野東京ラインが開通した。
たまたま出かける用事があったため、偶然ではあるが、北陸新幹線の勇姿と、いつもは見ることのない常磐線を東京駅で見かけた。
いつもと違う光景に、何ともフシギな感覚に包まれた。
これって、けっこう大事なんだと思うし、事実多くの方々が両線のお祝いに各駅に駆けつけていることを思うと、日本にとっても歴史的な出来事なのだろう。
私の悪いクセで、こういう一大事的な事柄に遭遇しても、あまりピン!と来ないというか、それが今までも、これからもあったかのように自然に受けれてしまうことがある。
だが、よくよく考えてみれば、世の中にはかなりな割合で、記念すべき出来事が多くあるのだろうが、そのほとんどを知らずに生きていることを思うと、どんなに派手な事柄であっても、案外淡々と物事は進んでいるようにも感じる。
未来を作る多くのあれこれも、私のような鈍い人間にとっては、これまた「しれっと」生まれていたのね…という事になってしまうのだろう…
たまたま出かける用事があったため、偶然ではあるが、北陸新幹線の勇姿と、いつもは見ることのない常磐線を東京駅で見かけた。
いつもと違う光景に、何ともフシギな感覚に包まれた。
これって、けっこう大事なんだと思うし、事実多くの方々が両線のお祝いに各駅に駆けつけていることを思うと、日本にとっても歴史的な出来事なのだろう。
私の悪いクセで、こういう一大事的な事柄に遭遇しても、あまりピン!と来ないというか、それが今までも、これからもあったかのように自然に受けれてしまうことがある。
だが、よくよく考えてみれば、世の中にはかなりな割合で、記念すべき出来事が多くあるのだろうが、そのほとんどを知らずに生きていることを思うと、どんなに派手な事柄であっても、案外淡々と物事は進んでいるようにも感じる。
未来を作る多くのあれこれも、私のような鈍い人間にとっては、これまた「しれっと」生まれていたのね…という事になってしまうのだろう…
2015年03月13日
2015年03月12日
試されている
人生には分岐点がある。その時、どちらを選ぶのか?
迷わず選べる場合は良いのだが、どちらを選ぶかで悩む時がある。
それは、それぞれの条件がほぼ同じで、目先の損得だけを考えて選べる問題ではない場合だ。
物事はシンクロしやすいのか?同じような事柄が同時にやってきて、「さあ、私達のどちらを選ぶの?」と、私の選択眼を試されているように思う。
恐らく、どちらを選んでもそれなりに道は付いていくのだ。
どちらを選んだから正解、ハズレ、ということはないだろう。
物事はどちらを選んでも、その後の努力で如何様にも変わっていくからだ。
ただ、自分の努力では補いきれない見えない世界の働きに関しては如何ともしがたい。
見えない未来のことは計り知れないのだが、この選択が自分の未来を決める。
目先の損得に踊らされることなく、自分にとって正解と思える道を選択したい
迷わず選べる場合は良いのだが、どちらを選ぶかで悩む時がある。
それは、それぞれの条件がほぼ同じで、目先の損得だけを考えて選べる問題ではない場合だ。
物事はシンクロしやすいのか?同じような事柄が同時にやってきて、「さあ、私達のどちらを選ぶの?」と、私の選択眼を試されているように思う。
恐らく、どちらを選んでもそれなりに道は付いていくのだ。
どちらを選んだから正解、ハズレ、ということはないだろう。
物事はどちらを選んでも、その後の努力で如何様にも変わっていくからだ。
ただ、自分の努力では補いきれない見えない世界の働きに関しては如何ともしがたい。
見えない未来のことは計り知れないのだが、この選択が自分の未来を決める。
目先の損得に踊らされることなく、自分にとって正解と思える道を選択したい
2015年03月11日
見えているか
今、自分の目の前に広がる状況は、世界から見たらほんの一点にしか過ぎない。
視覚で見える部分も、自分のやっている事柄も、自分を取り巻く状況も、ほんの少しのことだらけだ。
言い換えれば、自分の知らない世界、知らない人のほうが圧倒的に多いということだ。
だからと言って、生きている間に世界中の事柄を見て、世界中の人と出会うことは不可能だ。
今ここにいること、やるべきことは、自分にとって必要であり、縁あっての世界であると悟ることが肝要だ。
時々、まったく縁がなかった所から声がかかることがある。
生きている間、たぶん、いや絶対と言っていいほど縁のない世界からだ。
だが、それってもしかすると、とても面白いことかもしれない。
そこで「NO」と言ってしまえばそれきりだが、「何だか面白そう」と思ってみる(自分にとって良い意味で新しい世界が開けるということ)。
見えていない世界からの声かけは、それはつまり天の声なのかもしれない
視覚で見える部分も、自分のやっている事柄も、自分を取り巻く状況も、ほんの少しのことだらけだ。
言い換えれば、自分の知らない世界、知らない人のほうが圧倒的に多いということだ。
だからと言って、生きている間に世界中の事柄を見て、世界中の人と出会うことは不可能だ。
今ここにいること、やるべきことは、自分にとって必要であり、縁あっての世界であると悟ることが肝要だ。
時々、まったく縁がなかった所から声がかかることがある。
生きている間、たぶん、いや絶対と言っていいほど縁のない世界からだ。
だが、それってもしかすると、とても面白いことかもしれない。
そこで「NO」と言ってしまえばそれきりだが、「何だか面白そう」と思ってみる(自分にとって良い意味で新しい世界が開けるということ)。
見えていない世界からの声かけは、それはつまり天の声なのかもしれない
2015年03月10日
2015年03月09日
桜咲く
今年2度目の桜は、河津桜だ(1回目は沖縄の寒緋桜)。
昨日も関東地方は天気が優れず、静岡県の天気予報も曇り後雨となっていたが、見物している間は泣かれることなく済んで助かった。
昼過ぎに河津に到着し、河津駅から続く長い川の流れに沿うように植えられた、見事な河津桜と菜の花の景色を堪能した。
まだまだ寒い日は続いているが、季節は確実に春に向かっていることを感じさせてくれる。
河津桜まつりは、明日までだそうだが、まだまだ桜は見頃だ。
散り始めている箇所もあるが、今週いっぱいは十二分楽しめそうだ。
春は人生にとっても門出の時。良い意味で桜咲く春でありたいと心から願う
昨日も関東地方は天気が優れず、静岡県の天気予報も曇り後雨となっていたが、見物している間は泣かれることなく済んで助かった。
昼過ぎに河津に到着し、河津駅から続く長い川の流れに沿うように植えられた、見事な河津桜と菜の花の景色を堪能した。
まだまだ寒い日は続いているが、季節は確実に春に向かっていることを感じさせてくれる。
河津桜まつりは、明日までだそうだが、まだまだ桜は見頃だ。
散り始めている箇所もあるが、今週いっぱいは十二分楽しめそうだ。
春は人生にとっても門出の時。良い意味で桜咲く春でありたいと心から願う
2015年03月08日
次の手
最近、食料品の値上げが後を絶たない。
消費税が8%になったのに、さらに円安の影響で、さまざまなものが値上がりしている。
値上げしないものは、1パック内の数や量が減らされていたり、徐々にパッケージが小さくなっていく。
それも苦肉の策なのであろうが、あまりにもみみっちい目減り加減に、益々購買意欲が減退する。
とはいっても、買わずにはいられない。ならば、少しでも良いものを安くで買える方法を考える。
夕方になると、売れ残りが値引きとなり、それに多くの人が群がる。
誰もが節約モードに突入している感は否めない。
同じ商品でも少しでも安く、1割、2割の値引きであっても、日々のこと、積もり積もれば大きな額となる。
世相の変化に合わせて、消費者の動向も大きく変わる。
まさに、次の手を考えていくことが肝要だ
消費税が8%になったのに、さらに円安の影響で、さまざまなものが値上がりしている。
値上げしないものは、1パック内の数や量が減らされていたり、徐々にパッケージが小さくなっていく。
それも苦肉の策なのであろうが、あまりにもみみっちい目減り加減に、益々購買意欲が減退する。
とはいっても、買わずにはいられない。ならば、少しでも良いものを安くで買える方法を考える。
夕方になると、売れ残りが値引きとなり、それに多くの人が群がる。
誰もが節約モードに突入している感は否めない。
同じ商品でも少しでも安く、1割、2割の値引きであっても、日々のこと、積もり積もれば大きな額となる。
世相の変化に合わせて、消費者の動向も大きく変わる。
まさに、次の手を考えていくことが肝要だ
2015年03月07日
縁13
※カテゴリー「縁」シリーズの続き。
「類は友を呼ぶ」ということわざがあるが、自分の周りに集まる人たちとはどんな人だろう?
多くの人との出会いがある中で、自然と人間関係が淘汰されていく。
それは、形式的なことでもないし、理論的なことでもない。
自然の成り行きでそうなっていくのだ。これも人間の本能の成せる業のように思う。
自分にとって居心地の良い人間関係を作れていれば、自分の心も穏やかだ。
周りがギスギスしている時は、自分の心も荒んでいる。
自分の心の持ち方ひとつで、周りの在り方も変わってくる…ということだろう
「類は友を呼ぶ」ということわざがあるが、自分の周りに集まる人たちとはどんな人だろう?
多くの人との出会いがある中で、自然と人間関係が淘汰されていく。
それは、形式的なことでもないし、理論的なことでもない。
自然の成り行きでそうなっていくのだ。これも人間の本能の成せる業のように思う。
自分にとって居心地の良い人間関係を作れていれば、自分の心も穏やかだ。
周りがギスギスしている時は、自分の心も荒んでいる。
自分の心の持ち方ひとつで、周りの在り方も変わってくる…ということだろう
2015年03月06日
2015年03月05日
見てくれている1
今宵は、同僚達との女子会だった。
以前、前職の友達から「私達いつまで女子会って言えるんだろうね…むしろ、婦人会じゃない?」と言われたことを思い出した。
いいのだ、いいのだ、心はいつまでも乙女なのだから(笑)。
毎日会社に勤めていても、なかなかゆっくり飲みに行くことがないのだが、たまに時間をかけておいしいものを食べ、皆で言いたいことを忌憚なく話すのはいいものだ。
会社とは違う顔が見えるし、更に魅力が増すことにも繋がるからだ。
ということは、自分も皆から見られている、ということだ。
他人が自分のことをどう思っているのか、などということは普段あまり気にしてはいないが、私が周囲の人達の違う魅力を発見するように、対する人も私のことをそう感じている可能性はあるかもしれない。
それでもこうやって一緒に女子会に誘ってくれるなんて、嬉しい限りだ。
普段は何気なく過ごしていても、周りはちゃんと自分のことを見ていてくれているのだ
以前、前職の友達から「私達いつまで女子会って言えるんだろうね…むしろ、婦人会じゃない?」と言われたことを思い出した。
いいのだ、いいのだ、心はいつまでも乙女なのだから(笑)。
毎日会社に勤めていても、なかなかゆっくり飲みに行くことがないのだが、たまに時間をかけておいしいものを食べ、皆で言いたいことを忌憚なく話すのはいいものだ。
会社とは違う顔が見えるし、更に魅力が増すことにも繋がるからだ。
ということは、自分も皆から見られている、ということだ。
他人が自分のことをどう思っているのか、などということは普段あまり気にしてはいないが、私が周囲の人達の違う魅力を発見するように、対する人も私のことをそう感じている可能性はあるかもしれない。
それでもこうやって一緒に女子会に誘ってくれるなんて、嬉しい限りだ。
普段は何気なく過ごしていても、周りはちゃんと自分のことを見ていてくれているのだ
2015年03月04日
期限あればこそ
日々勤めていると、同じ仕事の繰り返しだったり、面倒な事柄に当たったりすると、正直うんざりする時がある。
それでも、気を取り直していちから始めるが、やっぱり面倒なものは面倒なのだ。
それが何年も続くと、もう来年やることが見えて更にうんざり感が増してしまう。
だが、それが有期だったらどうだろう?
今年で最後とか、来年からはもうやらなくても良い、といった条件が付けば気楽になる。
とは言っても、同じ職場に勤めていれば、それらから解放されることは未定だ。
何年先も同じ状況と思うと気が滅入るが、そもそも来年も自分が生きているかどうか?
大前提として、明日の命なんて誰にも分からないのだ。
若いからと言って、明日も明後日も、来月も来年も生きているとは限らない。
そう考えると、同じことの繰り返しだと思うことも、今日のこの瞬間が最後になるかもしれない、と考え直すことは出来ないだろうか。
同じことの繰り返しのようでも、実は違う事柄の連続なのだ。
普段あまり考えないことではあるが、気持ちのうえでマンネリ感が発生したら、明日の自分が生きているのか…と、想像してみると、今を大切にする気持ちが生れてくるかもしれない
それでも、気を取り直していちから始めるが、やっぱり面倒なものは面倒なのだ。
それが何年も続くと、もう来年やることが見えて更にうんざり感が増してしまう。
だが、それが有期だったらどうだろう?
今年で最後とか、来年からはもうやらなくても良い、といった条件が付けば気楽になる。
とは言っても、同じ職場に勤めていれば、それらから解放されることは未定だ。
何年先も同じ状況と思うと気が滅入るが、そもそも来年も自分が生きているかどうか?
大前提として、明日の命なんて誰にも分からないのだ。
若いからと言って、明日も明後日も、来月も来年も生きているとは限らない。
そう考えると、同じことの繰り返しだと思うことも、今日のこの瞬間が最後になるかもしれない、と考え直すことは出来ないだろうか。
同じことの繰り返しのようでも、実は違う事柄の連続なのだ。
普段あまり考えないことではあるが、気持ちのうえでマンネリ感が発生したら、明日の自分が生きているのか…と、想像してみると、今を大切にする気持ちが生れてくるかもしれない
2015年03月03日
2015年03月02日
信頼出来る人との出会い
13歳の少年が18歳の少年に殺害された事件は、多くの人達が大きな衝撃を受けたことだろう。
被害者の辛さ、苦しさ、悔しさは計り知れないし、家族や彼を慕っていた方々は、どれほど心痛されていることだろう。ニュースを聞く度に胸が痛む。
加害者の少年は取り返しのつかない事件を起こしてしまったわけだが、彼も幼い頃から自分でどうにも出来ない心の鬼と闘っていたのだろうと推察する。
起こしてしまった事は許されることではないし、おそらく一生をかけて償っても償いきれないほどの罪を犯してしまったことには変わりないが、そこまでのことを仕出かす何がしかの動機があったのだと思う。
自分でコントロール出来ない心を、理解あり、信頼出来る人に出会い、良い導きをもらえていたら、きっと彼はこんな大罪を犯すことはなかっただろう。
歯止めが利かない所まで行き着いてしまったことで、ようやく暴走を止めざるを得ない状況になったことも悲劇だ。
世間には、犯罪をギリギリで踏みとどまっている人はたくさんいると思う。
自分の心をコントロール出来ず、何とか最後の理性がブレーキをかけている…。
そこで、自分を光射す方向へ導いてくれる人と出会えれば…。
それは、家族や友人、親しい方々の思いやりと心がけひとつで、大きく変わってくることのように思う
被害者の辛さ、苦しさ、悔しさは計り知れないし、家族や彼を慕っていた方々は、どれほど心痛されていることだろう。ニュースを聞く度に胸が痛む。
加害者の少年は取り返しのつかない事件を起こしてしまったわけだが、彼も幼い頃から自分でどうにも出来ない心の鬼と闘っていたのだろうと推察する。
起こしてしまった事は許されることではないし、おそらく一生をかけて償っても償いきれないほどの罪を犯してしまったことには変わりないが、そこまでのことを仕出かす何がしかの動機があったのだと思う。
自分でコントロール出来ない心を、理解あり、信頼出来る人に出会い、良い導きをもらえていたら、きっと彼はこんな大罪を犯すことはなかっただろう。
歯止めが利かない所まで行き着いてしまったことで、ようやく暴走を止めざるを得ない状況になったことも悲劇だ。
世間には、犯罪をギリギリで踏みとどまっている人はたくさんいると思う。
自分の心をコントロール出来ず、何とか最後の理性がブレーキをかけている…。
そこで、自分を光射す方向へ導いてくれる人と出会えれば…。
それは、家族や友人、親しい方々の思いやりと心がけひとつで、大きく変わってくることのように思う