前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2015年04月

立派だなぁ~と思う建物は、門構えが違う。堂々としていて、見る者を圧倒する。
さぞや歴史深いお宅なのだろう、神社仏閣などであれば、伝統と格式のある尊い場所なのだろう、と想像してしまう。

人の顔もそうだ。
しっかりした顔立ちをしている人は、性格もきっちり、しっかりしている。
だらしない顔をしている人は、やることなすことだらしない。

顔や門は、全体の一部でしかないが、代表するパーツなのだ。
それを見るだけで、全てが見通せてしまうのだ。

どんな生き方をしているか、既に多くの人に見抜き見通されているのだ

スーパーで、浮浪者らしき高齢者が万引きした品を懐に入れる場面に遭遇した。
すぐ近くに店員がいたから、知らせようかと思ったがやめた。

私が知らせれば、間違いなくその人は万引きの現行犯として捕まっただろう。
それは当然のことだが、その人が手にし、衛生的ではない懐に入れた商品を、再び売り場に戻されることに懸念を抱いたからだ。

それに、こんな生き方しか出来ないこれまでの人生が、今の彼を作っている。
自分でも好きでそうなったのではないだろうが、今は過去の生き方の結果なのだ。

そんな人に、「万引きは犯罪だ」などと正論で諭したところで意味はないだろう。
そんなことは誰もが分かっていることだし、止むに止まれず手を出したのだろうな、とも思った。

今の生き方が未来を作る。
自分の心に傷を付ければ、その傷は何倍にも膨らんで自分に返ってくる。
どんな未来にしたいのか、それは自分の心掛けと努力次第で大きく変わるのだ

※カテゴリー「再び」シリーズの続き。

今宵は、前職の同僚達との飲み会だった。
レディスチームもそうだが、男子を交えた元同僚達も、年月が経った分、たくさんの経験をして大人になっている…はずだった。

だが、やっぱり変わらないんだよねぇ~~。
外見だけはオッサンやオバサンになってるけど、中身はほとんど変わらないのだ。
これって、やっぱり人の本性は早々変わるものじゃない、ということの証明にもなるうえに、そんな仲間とのバカ騒ぎが心地良い、ということなのだ。

これから先また何年後かに会っても、きっとやっぱり変わらないんだろう、とも思う。
良い仲間がいること、これぞまさに得難い宝だ

※カテゴリー「縁」シリーズの続き。

職場でなかなか人が続かない、ということがある。
劣悪な環境でもなく、人間関係がいびつなわけでもなく、まともな神経を持った大人ならば、むしろ居心地の良い職場なのに、人が長続きしないのだ。

何が原因なのか?働く人達も頭を悩ませ、新しく来た人を大事にすることを心掛けているにも関わらずだ。
もっとすごいのは、着任初日に具合が悪くなり、結局来れなくなった人もいるのだ。

私が思うのは、この場所の「気」に合わないのだ。
土地にはその土地ならではのエネルギーや気の流れがある。
その人の心の在り方によっては、居ることが出来ない場所があるのだ。

これもひとつの「縁」と言ってしまえば話は簡単だが、「縁」にも合うものと合わないものがある、ということだ

与論島5のつづき

自然に囲まれた島では、朝陽が昇り、夕には陽が沈む。
それは、島だけではなく、世界中どこも共通なのだが、なぜだか島にいると、それを如実に感じることが出来る。

地平線の彼方から昇る朝陽の神々しさ、夕には再びそこに沈むはかなさ。
いずれも、その光線に照らされた景色が刻々と移ろい、人の心を揺さぶる。
自然の力とは何とも偉大だ…と、痛感せざるを得ない瞬間だ。

与論島の夕陽も目が離せない美しいものだった。
そして、ここから私の離島巡りが始まるのだ

与論島6

与論島4のつづき

映画「めがね」の中のセリフに、「たそがれてる…」というのがある。
美しい海を目の前にして、主人公が東京での生活をあれこれ思いながら、物思いにふける…というものだ。

確かに、あの美しい海を眺めていれば、自然とたそがれることが出来るのだ。
波の音以外何も聞こえてこない。ただただ波が引いては押し寄せる、その繰り返しだ。
無心になる空間でもある。

都会で満員電車に揺られ、毎日忙しく働いていると、自然と心がささくれだってきやすい。
ちょっとしたことでもイラッとしやすくなる。何とも精神にはよろしくない。
人が多い場所では気を遣い過ぎて、人の心は神経をすり減らしやすいのだ。

年に1度でも大自然の中に身を置き、「たそがれる」ことは、とても大事なことだ

与論島5

与論島3のつづき

与論島に行った時は、まだ島巡り初心者で、見るもの、聞くもの、食べるもの、感じるもの、すべてにいちいち感動していた。
その中で、初めて目にし、口にしたのが南国のフルーツだ。

南国で初めて食べるそれらのおいしさと香しさに、一発で好きになった。
今でも南国フルーツ大好きで、夏になると南国からお取り寄せしているほどだ。

島の栄養と、サンサンと降り注ぐ太陽光線に海からの風、それら自然の恵みを一心に浴びたフルーツは、おいしくないわけがない!と言っても過言ではないだろう。

こんな記事を書いていると、また食べたくなった!

与論島4

与論島2のつづき

与論島は、元々琉球列島の一部だ。
明治時代に、鹿児島県に組み込まれ今に至っている。
その名残で、島には琉球と日本の建物や文化・風習が混在している。

その中でも珍しい看板を見つけた。与論島の方言を書いたものだ。
それは、琉球の方言をベースとしながらも、独自に進化?したものだそうだ。
琉球の言葉も内地の人間には外国語だが、与論島の方言もしかりだ。

だが、その島独自の言葉の響きは心地よく感じる。
島の人たちが大事に守り伝えてきた言葉だからなのだろう。
意味は分からなくても、この島にいることを実感させてくれるものだ

与論島3

与論島1のつづき

与論島で地元の方から聞いた話では、島は人間よりヤギのほうが多い。ちなみに、牛も多い、という事実だ。
確かに、道を歩く人は観光客しかいないし、繁華街といっても、小さな銀座商店街があるのみで、一番大きなお店がCOOPだった…。

外に出れば、かぐわしい臭いが漂ってくる。
もれなく、牛舎が…。で、その近くにはレストランが…。
う~~ん、何とも複雑な心境…。だが、そこで食べた料理はおいしかった。
そして、店外に出ると、またしてもかぐわしい臭いが…するのだ。

ヤギ舎もよく目にしたが、このヤギって?
「もちろん、食べるのよ~」と、こともなげに言われ、目の前にいるかわいいヤギに同情せずにはいられなかった。
本土ではヤギを食べる習慣がないから、なおさらかもしれない。
だが、島の人にとっては貴重な食料なのだ。
牛を食べても罪悪感がないのに、ヤギを食べるのには抵抗を感じる…というのも、確かに矛盾している。

だが、やはり食べ慣れないヤギを口にする気にはなれず、かわいいヤギを見て勝手に癒されていた

与論島2

これまで行った沖縄や奄美諸島の旅ログを書きたいと思います。
最初は2005年に行った与論島です。
映画「めがね」の舞台ともなり、ご存知の方も多いでしょう。

私が行った時はそんなに有名ではありませんでしたが、こじんまりとして、の~んびりするには最適な島です。
この時は、鹿児島からプロペラ機に乗り換えて、与論島へ。
宿泊したホテルのビーチをかすめるように飛行機は着陸します。

機内から眺める景色は「わ~、キレイ~~!」と声をあげてしまうほど。
まずは、機内からの眺めをご堪能ください

与論島1

心の声7のつづき

心の声が時々「?」と思うことを発することがある。
現在の私にこれは必要なのか?と思うようなことだ。
現在もそうだが、未来においても必要とは思えないような事柄なのだ。

だが、疑問に思おうが、元々興味のないことであろうが、とりあえずは心の声に従って、浮かんだ事柄に取り組んでみる。すると、フシギなことに想像とは違う世界が広がっていて、あっさりハマることがあるのだ。

これまでの人生でも何度となくそういうことがあった。
周囲からも、「将来それが何の役に立つの?」と言われたこともあったが、長い目で見た時に、それらが必ず役に立つ日がやってくるから面白い。

そうやって、今も心の中では「?」が浮かんでいるが、目標と定めたことに向かっている。
これがクリアーされ、将来どんな形で繋がっていくのか…楽しみにしておこう

お笑い芸人の方は、芝居の上手い方が多いな、と感じる。
先日始まった医療ドラマの初回ゲストで出演していた、女性芸人の芝居に目が釘付けになった。

この方は、前々回クールの朝ドラにも出演されていたが、ドラマの中でも良いムードメーカーでもあり、ピリッとしたスパイスのような存在感を放っていた。彼女のスピンオフドラマを作って欲しいと思ったほどだ。

彼女に限らず、ドラマや映画に、この人芝居が上手いな~という方で、調べてみるとお笑いの方だったりすることがよくあるのだ。

お笑いの方は頭の回転が速いし、機転も効く。
普段から周りを観察し、それを芸に取り込む努力も惜しまないのだろう。
多くの要素を自分の血と肉としているのだから、必然的に多くの事柄をこなせるのだと思う。

好きで始めたお笑いの道も、気付けばその芸が新しい道を切り拓いているのだ。
まさに、芸が身を助けるということなのだろう

身内の5歳児が行方不明になり、ちょっとした大騒ぎになった。
友達と遊んでいたのだが、気に入らないことがあり、そこからプイ!っとどこかに行ってしまったそうだ。
で…、気付いたら知らない所に迷い込んでしまった、というわけだ。

警察に駆け込み、捜索願を出すことになったのだが、その時点ですでに5歳児は心ある方に警察に届けられており、事なきを得た。
今の時世を思うと、心ある方に出会えたことは幸せであったし、万が一おかしな人に連れ去られていてもおかしくないのだ。

迷子になった本人が一番心細かったであろうが、自分のわがままで周囲に心配かけたことをガッツリ叱られ、本人はスネながらも「ごめんなさい、もうしません」と言うハメに…。
そう言うことさえ、本人にとっては不本意だったろうが、周りが自分のことを真剣に心配していることを分かってくれれば良いな…と思った。

5歳児が大人になった時、この出来事を憶えていて、自分は周りから愛されて成長したのだ、と悟れる日が来ることを願っている

今期始まったドラマで、久しぶりにドラマの主演格として復帰した女優がいる。
正確には、ちょっと前に復帰しているが、その視聴率が芳しくなかったため、今回のドラマが復帰作みたいな雰囲気になっている。

その女優があるバラエティ番組で、「私はシリアスな役は絶対やらない。だって、似合わないでしょ」と言っていた。
まあ、そういう考えもあるだろう。演じる限り、役になり切れなかったら演じられないのは最もだろう、と思った。

主演の男優も好きな俳優だったので、楽しみに観た。
ものの30分と経たないうちに、もう観る気を失った。正しくは、チャンネルを変えた。

女優の演技がん十年前に放映されたトレンディドラマの役柄そのままで、髪型も、ノリも、セリフ回しまでほぼ同じ。
と~~~っても興冷めしてしまった。と共に、良い意味での歳を経た演技が見られずガッカリだった。

主演の男優役は人間不信で人と目も合わせられない役柄なのに、なぜか精神科医に延々と長話をする…という展開には、脚本家のというか、制作側の無知さを感じてしまい、もうゲンナリしてしまった。

良い役者を揃えても、調理法を間違うととんでもない方向へ進んでしまう。
まさに宝の持ち腐れだ。

こんなに進化しない女優にもガッカリだが、それを売りにしようとするテレビ局のあさはかさには呆れるばかりだ

フィギュアスケートを観るたびに、いつも選手達の精神力の高さを痛感させられる。
強い選手ほど、自分との闘いであることを自覚している。

人は、何か不都合なことがあれば他人や周囲の環境のせいにする。
その方がラクだからだ。
自分の中に否があるなどと、思いたくもないし、認めたくもないからだ。

だが、それは逃げであり、ただの甘えでしかない。
他人がどうであろうと、環境が整っていなかろうと、それをものともしない精神力で突き進んでいくことこそが、自分との闘いなのだ。

フィギュアスケートの若い選手達から、いつもそれを学ばせてもらっている。
せめてもの恩返しに、心から声援を送りたいと思う

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