前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2015年05月

人と話をしていると、日々の雑多などうでも良いような話の中にも、その人間性が現われているな、と感じる。
言い方は悪いが、その人が賢い人なのか、アホなのか、ということだ。

賢い人の話にはちゃんとオチがある。話の辻褄が合い、何を言いたいのか、その中身が有意義であることが伝わってくる。
そうでない人は、ただ言いたいことだけをダラダラとしゃべり続け、それに自己満足しているのだ。

長年の経験から、自分の中でそれらの選別が進み、今では最初の一言、二言を聞けば、その人となりが分かるようになってしまった。そんなふうに人を選り好みするのはよろしくないと思うのだが、やはりオチのない話を延々と聞かされるのは、苦痛でしかない。

会話は人と人とのキャッチボールだ。自己満足にならない会話を心がけたいものだ

与那国島7のつづき。

与那国島は、台湾まで111kmという場所にあるため、西崎展望台からは天候により、年に数回台湾を望むことが出来る。
石垣島からは127kmの場所にあり、何と日本より台湾のほうが近いのだ。

こんなに離れた場所でも、東京からは半日もあれば行くことが出来る。
ちなみに、東京からは2000km超えの距離だ。おお~~~、そんなにあるのか!と感慨深い。

与那国島では大自然を堪能し、ドラマのロケ地を巡り、動物と触れ合い、海底遺跡で神秘体験をし、おいしいものをたらふく頂いた。
このほかにもいろんなことがあったが、ひとまず連載はこれにて終わり。
また何か思い出したら書きたいと思う。

最後に、西崎に沈む夕陽をご覧あれ!

与那国島8

与那国島6のつづき。

与那国島ではカジキが釣れ、毎年「カジキ釣り大会」があることでも有名だ。
カジキの姿を間近で見る機会は滅多にないが、カジキはおいしい!
切り身でしか味わったことはないけどね。

カジキもそうだが、海に囲まれ、波も荒い島だからこそ、魚がおいしい。
滞在中、毎日のように魚を食べていた。
その日に獲れたサンマの刺身も超うまかった!

島は断崖絶壁で荒波が叩きつけるが、その恩恵は計り知れない。
潮風で育まれた島野菜も絶品だ。

おいしい島の恵みに感謝だ!

与那国島7

与那国島5のつづき。

下記の写真のように、こんなシャープに切り出された岩が自然の産物とは考えにくい。
やはり、何がしかの人工的な建造物と考えられるだろう。

ホテルに戻り就寝した深夜過ぎ、ガタガタと揺れ始めた。すわ!地震か?と思ったが、都会で地震に慣れている私は少しの揺れでは起きない。
と、そのうちバリバリバリ!!と、頭部の壁から激しい音が鳴った。だが、それでも目が開かず、気付くとそこから多くの人が部屋に入ってくる気配がするではないか。

数十人の人達をハッキリ瞳で確認したわけではないが、感覚的に「ああ、遺跡にいた人たちだ」と思えたのだ。
彼らは私のベッドを囲み、何かを伝えようともしているし、私がここに来たことを喜んでくれているようにも感じた。
まったくと言っていいほど「怖い」という感じはなかった。
「会いに来てくれたんだ…」と思いながら、私はそのまま寝てしまった。

翌朝、友達に「昨日地震あったよね?あなたが起きないから大丈夫か、と思って私も寝たよ」と言われた。
そうか、やっぱりあれは夢じゃなかったんだ…と。
その後ホテルの人に昨晩の地震のことを聞いたが、「地震はなかったですよ」と笑顔で返された。

う~~~ん、あれはいったい何だったのだろう…

与那国島6

与那国島4のつづき。

与那国島には海底遺跡がある。
古代のピラミッドか?海底に沈んだアトランティス大陸の一部か?などなど諸説あるが、最近の研究では2~3000年前くらいのものではないか、と言われている。

下記写真の断崖の下の岩場からそのまま遺跡は続いている。
透明度がとても高いため、シュノーケルでここを泳いだのだが、ハッキリ人工的に切り出された石組みを見ることが出来た。

だが、何せここは外洋であり波が高い場所だ。シュノーケルだと必死に泳いでいないと、アッと言う間に流されそうだった。
そして、このシュノーケルツアーに参加した日の前後もというか、この週は私が予約したこの日だけツアーが催行され、なかなかこの場所には行けないようだ。

海面から遺跡を目にすると、何だか呼ばれているような、吸い込まれそうな感覚に陥った。
揺れる海の中で何枚か写真を撮った。その時は気付かなかったが、ホテルに戻り写真を確認すると、たくさんのオーブが写っていた。

つづきは、また明日!

与那国島5

与那国島3のつづき。

与那国島には固有の馬がいる。
日本人に似て短足胴長だが、何とも言えない愛らしい姿をしている。

島の坂上から海岸まで乗馬を楽しみ、その後馬の尻尾につかまって一緒に泳ぐ、というオプションを楽しんだ。
「与那国馬さん、よろしくお願いします!」とあいさつをし、どう見ても小柄な与那国馬に跨るのは気が引けた。

小さいけど馬力のある与那国馬。私のような重たいおばちゃんを乗っけて、優しく歩いてくれて、海の中でも一緒に遊んでくれた。
島の人達も優しかったけど、馬も優しかった。思わず抱きしめてしまったほどだ。

固有種を絶やさないことも大切なことだが、それを絶やさないためにはお金が要る。
何ともせちがらい話ではあるが、観光客のために働いてくれる与那国馬さんに感謝しながら、彼らが元気に子孫を増やしていけるよう、心から感謝を込めてナデナデさせてもらった

与那国島4

与那国島2のつづき

ドラマ「Dr.コトー診療所」の舞台になった建物は、比川地区にある。
建物は健在で、与那国役場が管理しており、私が行った時は300円払うと中も見学出来た。
ドラマの通り、待合室や診察室などなど、ドラマのシーンが蘇ってくる。

小さい島での人間模様には心打たれることや、考えさせられること、学ぶこと、たくさんの思いが湧いた。
こういうドラマは数年に一度のスパンでも良いからずっと続けて欲しいな、と思う。

私が行った時、島の人曰く「来年、スペシャルドラマ撮るんだよ」と言っていた。
だが、それが現実になることはなかった。
きっと、島の人達も楽しみにしている方も多いのだろう。

これほどの美しい島、住んでみなければ分からない多くの事柄もあるだろうが、観光客にとっては間違いなく心癒される時間を過ごせる場所だ

与那国島3

与那国島1のつづき。

与那国の島の両端には、東崎(あがりざき)、西崎(いりざき)がある。
東から太陽が昇り、西にそれが沈むため、この名前になったというのだが、何ともナットク!と感じ入った。

島に到着早々、真昼間の東崎に向かった。
駐車場から岬まで徒歩で10分ほどだが、その途中、放牧された牛や馬の落とし物があちこちにあり、気を付けないと思わぬトラブルに!

暑いさなかにも牛や馬達は元気良く草を食んでいるのかと思いきや…、彼らも暑さを凌ぐため、トイレや東屋の影に集まっているのだ。
暑いのは人間も動物も同じ、ということだろう。

この日は残暑厳しく、これにすっかりやられた私は、人生で初めての熱中症に罹った。
南国の太陽、恐るべし!

20150524与那国島2

与那国島には2008年に行った。
日本の最西端の島であり、ドラマ「Dr.コトー診療所」の舞台となった島でも有名だ。

このドラマが放映されている頃、お台場の職場に勤めていた私は、毎日りんかい線「東京テレポート駅」のホームの壁に掲げられたこのドラマの看板を見ていて、美しく青い海をバックに自転車をこぐコトー先生を見ていた。
毎日残業続きで疲れ果て、そんな時にこんなに美しい島を見たら、何としてでも行きたいと思うようになり、ようやく実現した旅だった。

ドラマでは島の見どころが多く撮影されていたこともあり、どこに行ってもドラマの情緒を感じることが出来たし、たそがれるにはもってこいの島でもあった。

自然の強さと美しさ、食べ物のおいしさ、島でしか感じることの出来ないパワーなどなど、今日から連載したいと思う。
まずは、日本最西端をご覧いただこう

与那国島1

おかみのお達しで、7、8月は1時間早く出社と決まった。
陽の長い夏は涼しいうちから仕事を始めて、早く退社して、プライベートを充実させよう!という施策だ。

言葉だけを聞くと「そうね~、いいわね~!」と思うが、現実はそう簡単ではない。
省庁や役所ばかりがそれを実行したとしても、民間企業はそうはいかない。

まずは役所が率先しなくては始まらないことは分かるが、役所だって民間と連携して仕事をしているのだから、結果的に早く帰れる、というのは夢物語だ。

それに、交通機関も1時間前倒しにして、1時間早く終電にしなきゃ辻褄が合わない。
片道2時間、3時間かけて通勤している人たちがどれほど世の中にいるのか…それが現実だ。

どうせ実施するのなら、法律で全国民がそうなるようにするくらいじゃなきゃ、この中途半端な施策は絵に描いた餅にしかならない

世の中には、「自分の手柄は自分のもの、人の手柄も自分のもの」という人がいる。
言葉巧みに相手に近寄り、愛想良く振る舞って安心させ、心を開いたかな?と思う頃に自分の野心を吹き付ける。
そうやって相手を懐柔した後、手柄を横取りしていくのだ。

一時はそういうこともまかり通るだろうが、そのうち本性がバレて、気付いたら誰からも相手にされなくなる日が必ず来る。なのに、飽きることなく新しい人を見つけては自分の意のままにしようとするのだ。

これは、自分に注目して欲しい、認めて欲しい、という承認欲求であり、ただの「かまってちゃん」(カテゴリー「居心地の良い場所」参照)なのだ。
そして、最終的には居場所を失くし、他人を恨み、自分で自分の首を絞めることになる。

周囲から疎まれていることを認識しながらも、改まれない心の行く末は見えている

生きていくには、周囲と協調性を以て付き合い、己の中に違う思いを抱いていたとしても、それを引っ込めなければならない時がある。

よくよく考えてみれば、世の中のほとんどの事柄は、周囲の好きにしてもらっていいことばかりだ。
ちょっとしたことに目くじらを立てるのも疲れるし、そんなことをして我を通しても、周りから疎まれるだけだ。

だが、時には他人に悪く言われても、筋を通さなければならない時がある。
と言っても、正義を振りかざすのではなく、静かに抵抗するのだ。

例えば、周囲が他人の悪口で盛り上がっていても、その輪には加わらない。
そこにいたら、ス~ッと静かにどこかに行く。
周りに合わせるために、自分の価値を下げる必要はないからだ。

それは即ち、周りから嫌われても良いという覚悟がいる、ということだ。
実際にはそんなことで嫌われることはないだろうが、自分の意としない事柄に迎合する必要はないのだ。

ぶれない精神の柱をズドン!と心の中心に据えておけば、周りも太刀打ち出来ない。
嫌われる勇気、ぶれない気持ち、自分が日々を楽しく生きていくうえで、最も大事なことだ

自分の心が健康か荒んでいるのか、そのバロメーターは、瞳に現れる。
女性ならば、毎日鏡を見てお化粧をするだろう。その時、瞳を観察してみると、そこから放たれる光によって心のありさまが分かる。

キラキラ光っていれば、心も満ち足りている。濁っていれば、心は荒んでいる、というわけだ。
そういう意味では、簡単に心の状態をチェック出来るだろう。

もう一つのバロメーターとして、動物と出会った時の反応だ。
散歩している犬が尻尾を振って近寄ってくれれば、邪気のない人間だ、と言ってくれているようなものだ。

犬や猫だけでなく、赤ん坊や老人もそうだ。
邪心のない人と出会った時どんな反応をされるか?そこにも自分の心の在り方を知る手段がある

普段から買い物中や街中で、知らない人から声をかけられることがよくある。
それは、道を聞かれたり、バスや電車の待合で立っている時だったり、スーパーならばまるで知人かのようにオバさま達から声をかけられるのだ。
私としては、いたってフツウに居るだけなのだが、何なのだろう?

昨日、買い物に行ったお店で肩を叩かれた。え?と思って振り向くと、知らない人だった。
先方は私のことを知っているようで、笑顔を向けてくるので、とりあえず私も挨拶はしたが、未だその方が誰なのか分からない。

そして今宵会社の帰り、駅に着いたところで知らないおじさんに笑顔で会釈された。
え?私?バッチリ目が合っていたしな…。
何だろうな~~~。申し訳ないが、二人共面識がないのだ。

これも未知との遭遇なのだろうか…

※カテゴリー「縁」シリーズの続き。

縁には「不要な縁」もある。
人や事柄との出会いは、必然なのだが、それと出会ったことでマイナス方向に引きずられたり、思わぬ不幸に見舞われることもある。

人との縁は大概似た者同士(同じような価値観)で結びつき、その関係も淘汰されていくものだが、時になぜこのような人が側にいるのだろう、ということもある。

側にいるだけでも、その人から放たれるマイナスのエネルギーは自分にとって負でしかない。
出来ることならとっとと退散したいのだが、そうもいかない時もある。

そんな時は早くその人との縁が切れるよう念じ、その人との対応において自分が負のエネルギーに巻き込まれないよう、精神を強く持つことが何より大事だ。

逃げるが勝ちということもある。ただ、そのような人と出会ってしまうことも、考えようによっては自分のこれまでの環境が恵まれていたことの再認識にも繋がる。

周りに恵まれていることは当たり前ではないのだ。
それを教えてくれるために、時にそういう人との縁が巡ってくるのかもしれない

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