前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2015年06月

今日は公務員のボーナス支給日だ。
ニュースによると、昨年よりも支給率は良いらしい。
国民と民間企業が一生懸命税金を納めているおかげで、公務員はたっぷりボーナスをいただけるわけだ。

同じ職場で働く中にも、ボーナスをもらえる人とそうでない人がいる。
いわゆる非正規社員だが、派遣ならば若干高い時給でボーナス分が含まれているし、パートやアルバイトであれば、寸志程度のものが出るところもあるかもしれないが、大抵がもらえないだろう。

帰りの電車の中で、ほろ酔い気分でほくそ笑んでいる上機嫌組を目にすると、きっと彼らの懐はホクホクなんだろうな~と思う。
日本人の美徳か?それを大げさに振りかざないのだが、やっぱり嬉しさは顔に現れている。
そして、その横には普段と変わらない気持ちでいる人がいた

7月も目前だが、今年も夏休みシーズンがやってくる。
企業によっては、7~9月の間に夏休みを取るよう奨励しているところもあるだろう。

暑い時期、いつもより長めに休みを取って、英気を養おうということなのだが、家族が多ければ多いほど、夏休みのイベントは大ごとだ。
旅行なんてことになれば、費用も時間も労力もハンパないだろう。

行けば行ったで、それぞれが好き勝手なことをするし、やりたいことや食べたいものもなかなかまとまらない…なんてことはないだろうか。
そういう時は、共有する時間と、自由行動の時間を分けるのもひとつの手だ。

幼い子供がいればなかなかそうもいかないだろううが、少しの時間でも自分が満足出来る時間を持つこと、それがとても大事だ。

と…ここまで書いて思ったのだが、リフレッシュのための時間も、結局はいつもと大差ないのかもしれない。
職場から解放されても、家族という集団の中で、結局は同じことを繰り返しているのだ。

だが、違う環境に身を置くことで、ある種のリフレッシュになるのかも。
結局人間は、日々修行ということなのだろう

今日は数十年来の付き合いをしている面々とのイベントがあった。
ここ数年会っていない人もいるし、よく会う人もいる。
各々がそれぞれの再会を喜び、テンションも上がる!

各自の場所で、皆何がしかの事柄があり、艱難辛苦潜り抜けてきたこともあるだろうし、気付けばもうこんな年齢になっていた、なんてこともあるだろう。

日本全国散らばっているメンバーだが、会えばやはり当時のような雰囲気に一気にタイムスリップするし、それぞれの在り方も当時と全く変わらない。
やっぱり、このメンバーとはこんなふうになる(とっても良い意味で)んだよね~、何てうれしいことだろう。

何十年経っても変わらぬ人柄、これはまさに奇跡だ。
こんな人達に囲まれて生きている自分は本当に幸せだな~と、感慨ひとしおだ。

まさに、「幸せの集結」の時間だった

平凡な日常の中には、時としてちょっとしたイベントや大きな行事に出くわすことがある。
そのために何か月も前から準備をし、当日に臨むのだが、それまでの労苦のためか、当日は結構ヘロヘロということがある。

せっかくの本番なのに、身体が言うことを利かないのだ。
それでも、何とか事柄をやりおおせるのだが、そこにはやっと終わったという喜びと、もうちょっとこう出来たのではないか、という後悔がある。

いずれにしても、そのために毎日ボロ雑巾のようにクタクタになるまで働けることは、しんどいことだが幸せなことなのだ。

本番が終わった後しばらくは腑抜けになっているだろうが、その後またコリもせず次の高みを求めてしまうことこそ、人間のサガかもしれない

昨今の出生率は下がっているのに、なぜか保育園に子供を預けられない待機児童が増えている。
各市町村も保育園を新設しているが、なかなか追いつかないのが現状で、地域によっては第2子が生れて育児休暇を取ったら、上の子を退園させる所もある。

これについては賛否両論あるだろうが、子育てをするのに女性だけが大変な思いをしているように思えるのは気のせいだろうか?
仕事を続けるために、家庭で会社で、社会で、保育園で気を遣いまくりのような気がする。

総理は以前「3年間子供抱っこし放題」とかぬかしていたが、現実問題子供とビッタリ3年間も一緒にいたら気が狂ってしまう。なぜなら、どんなにカワイイ我が子でも、24時間一緒にいたら育児放棄したくなるくらい神経が参ってしまうし、カワイイとは思えなくなってくるからだ。

保育園に預かってもらうことで、親も子も新鮮な気持ちで毎日を送れるのだ。
抱っこし放題というのは子育てを真剣にしたことのない人のいい加減なじゃれごとだ。

女性の社会進出をと謳うならば、子供を無償で預かり、発熱してもいちいち呼び出されない制度を作るくらいの心意気をぜひとも見せて欲しいものだ

バブル世代はいろんな意味でおめでたいな、と言うか、イタイなと感じる。
かくいう私もドンピシャ世代だが、同じ世代の人達に、未だにバブルの香を漂わす人によく出くわす。

人の生き方は十人十色、バブル臭を漂わせていても、何の問題もない。
ただ、私がイタイと感じるのは、バブル(浮ついた実体のない感覚)感が未だに抜けず、いつまでも夢見る夢子ちゃんでいることにイタさを感じるのだ。

そのせいで、アラフィフになってもまともな仕事も出来ず、自分が恵まれないのは周囲のせいなどと言い出したり、かと言って努力する気配もないうえに、口だけは達者なのだ。上辺だけを取り繕って許されるのは若いうちだけだ。

浮かれまくっていた黄金期?80年代、それを忘れたくないのか、身に付いて剥がそうにも剥がれないのか?
バブル臭は、ある意味社会悪だとも感じる。

就職難で苦労した世代の人達のほうが人間が出来ているな、と教えられることもしばしばだ。
バブル世代よ、早く自分たちの愚かさに気付かねば!だぞ!!!

仕事が出来る人か、そうでないかは、おおよそ最初の1週間で分かる。

入ったばかりの会社だと、緊張感もあるし、周りの雰囲気に馴染めず、自分をうまく出せないこともあるだろうし、仕事もいつも通りにはこなせないだろう。
それは当たり前のことだ。知らない場所でいつも通りに振る舞える方がむしろ怖い。

仕事はチームワークでやることが多い。
だからこそ、以前からいる人達も新しい人が早く馴染めるように心配りをしてくれるのだが、それに気付けないと先々その職場ではうまく行きにくいだろう。

仕事のやり方にしても、まずはそこのやり方を丸ごと受け止めることが大事だ。
例えこれまで以上にうまくこなせるやり方があったとしても、新人である以上は「郷に入っては郷に従え」だ。

入社して少し慣れると、すぐ自分の我を通そうとする人がいる。
どんなに仕事が出来ても、己の感情を優先する人はチームの中ではうまくやっていけない。

これまで生きてきた過程を振り返ると、そういう人はずっとそうやって自分優先で生きているのだ。
だから、仕事も身に付かず、スキルも上がらず、歳だけを重ね、気付けば周りから疎まれる存在になっているのだ。

自分を生かす術を知らないのだろう

梅雨入りして早や3週間ほど経っただろうか。
その割には、あまり雨に遭遇していない。とは言いつつ、いつ降られても良いように傘は常に携帯しているが…。

梅雨といえば、シトシト、ジメジメ、延々と降り続いているのが昔だろう。
今は集中豪雨、スコールのようなことが多い。

上空に寒気が入り、地上の熱い空気と闘った末、雷が発生し、時には雹が降ったり、竜巻が起きたりする。
この現象が毎日起きるようになったのは、ここ数年のことだろう。

人間が犯した文明開化の影響が、ジワジワと締め付けるように結果として現れている。
文明が悪いのではない。欲望のままに便利さを追求し、自然との共存をないがしろにしたことが罪なのだ。

もう昔のような梅雨は来ないのかもしれない。
ひときわ激しく、厳しい豪雨が私達の上に落ちてくるのだ

帰りの電車内で、私の前で爆睡している18歳の女の子のパスモが、バックの上に開けっぴろげに置かれていた。
バックの手提げにキーホルダーでパスモを吊り下げて使用しているのだろうが、その表面が上に向けられたまま、スマホを握りしめ眠っていた。

故意に見るでもないが、パスモに印字されている通学経路に氏名、年齢がド~~ン!と読めてしまう。
オイオイ、こんな個人情報を電車内でさらけ出すとは…。よっぽど起こして注意してあげようかと思うほどだった。

この事例に限らず、ミニスカートや露出の多い服を着て満員電車に乗る女性も危機感なさすぎだな…と思う。
今や、何がきっかけでストーカーに狙われるか分からない時代なのに、あまりの無防備さにこちらが心配するほどだ。

痴漢の肩を持つわけではないが、露出の多い服を着て痴漢に遭っても文句は言うなと言いたい。男性に勘違いさせる方も悪いのだ。かといって、痴漢しても良いということでもないが…。
それと同じで、個人情報を自らさらしてストーカーに遭ったとしても、これまた然りだ。

己の無知さを実感したほうが良い

地獄絵図7のつづき。

世間には何にでも口を挟み、あれこれ指示をしたがる口だけ先生がいる。
というのも、こういう人は大概実践力がないのだ。
人がやっていることを、さも熟知しているかのようにあれこれケチをつけ、自己顕示欲を満たそうとするのだ。

こういう人が集団の中にいると、これまた地獄絵図だ。
最初は誰もが大人の対応を心掛けるが、そのうちウンザリしてきて、口だけ先生を疎ましく思うようになり、終いには誰も相手にしなくなる。

すると、口だけ先生は逆切れし、逆恨みする。
それでも周囲が知らん顔を決め込むと、皆で苦労して作り上げたものを壊しにかかるのだ。

人の仕業をあれこれ言いたくなるのは人情だが、そこをグッと辛抱し、相手を信頼して任せる。
出来ないことは出来ないと、謙虚に言える勇気が自分を救うのだ。
どんなに出来るフリをしたところで、経験値のない人には何の説得力もないのだ

地獄絵図6のつづき。

世の中には少数派と言われる人たちがいる。
多くの人々が生きていくには、必要最低限の「そうあらねばならぬ」事柄がある。

子供なら勉学に励み、健康な肉体を作り、社会人になったら労働生産し、世の中に還元出来ることが求められる。その過程には、結婚や出産、育児…といった人として、次の世代に受け継ぐ役割も発生する。

だが、世の中には「そう出来ぬ」人達もいる。
原因はさまざまだろうが、私が出来るから他人も同じように出来るとは限らないのだ。

その良し悪しは置いておくとして、他人との違いを認め、互いに手を差し伸べることが出来なかったら社会は成り立たないのだ。そして、手を差し伸べる方が偉いという勘違いは、まさに地獄絵図そのものだ。

手を差し伸べている者が、実は差し伸べられた側から救ってもらっていることに気付かねば、この地獄からは脱出出来ないだろう

地獄絵図5のつづき。

毎日地道にコツコツ努力を重ね、なかなか周囲から評価を得る機会もない日常から、ある時思いがけなく良い事柄が続く時がたま~~~~にある。そう、ごくごくたま~~~にだ。

と、ここで有頂天になってしまうことほど怖いことはない。
周りも持ち上げてくれるし、そうなると益々自分はスゴイことをしたのかな?と勘違いする。

だが、冷静に考えれば、日々コツコツ積み上げてきたものは、いずれは評価を得ることに繋がるのだ。
そんな日が来るなんて夢にも思わず、ただ目の前のことだけを一生懸命こなしていると、思わぬ賛辞に平常心を失う…ということだろうか。

これぞまさしく褒められ地獄、勘違い地獄だ。
この地獄にハマってしまい、宇宙に飛んで行ってしまうほどの高揚感に満たされ、周囲の真意を見抜けなくなることこそ、まさに地獄絵図だ。

昇り調子の時ほど気を引き締めなければならないのだ

地獄絵図4のつづき。

人の話を聞かず、自分の言いたいことだけを延々としゃべり続ける人がいる。
周囲の雰囲気を窺ったり、自分の口から放たれた言葉がどんな影響を周りに与えているかなど、おかまいなしだ。

時には我慢出来ず、どうしても自分の話を聞いて欲しい、ということもあるだろう。
だが、それが常だと、周囲はどんどん引いていく。そして、終いには誰もいなくなってしまう。

「こんなに私はがんばっているのに、どうして誰も分かってくれないの?」という人がいる。
こういう人は、がんばっている自分を周りに認めて欲しくて、自分だけががんばっているのだと思い違いをしているのだ。

そもそも自己中な考え方が招いた事柄で周囲から孤立しているのに、まったくそれに気付くでもなく、終いには周りが悪い!とのたまうのだ。これを地獄絵図と言わず何と言おう。

自分の心の鬼に気付けない地獄…閻魔様もお手上げだろう

会社に行って、淡々と仕事をこなす日々を送っているが、それらも積もり積もれば、一定の形になっていくものだ。
職種によって、ダイレクトに実感出来るものもあれば、ずっと後になってからその成果が分かることもある。

以前、旅行会社で商品を作る仕事をしていた時、普段は机上での作業ばかりで、実際にお客様の反応を見る機会はなかったのだが、たまたま出張で乗り合わせた機内で、商品を購入してくださったお客様が近くの座席に居た。

会社から送られた旅程表を見ながら、これからの旅路をあれこれ楽しそうに語らっていた。
その姿を見た時、この仕事をやっていて良かった!と心から思えたものだ。

他の仕事だが、ちょっと前にやっていた仕事で、なぜだかそれを今頃になって褒めていただく機会があった。
その時はただ目の前のことをこなしていただけだが、それが時間の経過の中で人の目に触れ、思わぬ評価をいただくことになったのだ。

渦中にいる時は何も考えていないのだが、後々人様のお役に立てていたことが分かるだけでも、十分幸せなことだと思った

いつもは快便なのだが、体調に変調を来たす時、便秘気味になる。
すると、それから3日後くらいに身体の調子が悪くなるのだ。
便秘の度合いは、その後にやってくる不調の度合いに比例するから不思議だ。

特に季節の変わり目は身体がその変化に付いていけないのか、ここ数年はずっと体調を崩しがちだ。
歳のせいと言えばそれまでだが、「バカは風邪ひかない」というくらい以前は元気だったが、私も人並みだったということか…。

いずれにせよ、私にとっての便秘は身体からのサインなのだ。
きっと、誰にも身体からのサインは出ているはずだ。
その声を聞き逃さないように、大事に身体を使っていきたいと思う

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