前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2015年08月

波照間島2のつづき。

日本最南端の碑の近くには大海が広がっている。
珊瑚礁が波で削られ、自然に出来た断崖絶壁や、砕け散る飛沫はなかなか見応えがある。

それにも増して、更に美しいのがその青さだ。まさに、紺碧!
陽光の加減が良かったせいか、ホレボレする美しさだ。

これまでいくつかの島に行ったが、そこそこで撮った海の写真を並べて見比べると、波照間ブルーは群を抜いていた。何をもって一番か?とは言い難いし、他の島の美しさは言うまでもないが、それさえも凌駕する美しさなのだ。

その写真を以下に。みなさまはどう感じるだろうか?

波照間島3

波照間島1のつづき。

日本最南端の波照間島は、珊瑚礁が隆起した、面積13平方キロメートルほどの小さな島だが、それなりに起伏もある。
レンタサイクルで島を一周したが、なかなかの運動量だった。

港から最南端の碑がある場所までおおよそ20分ほど走っただろうか、島の中心を突き抜け、両側がさとうきび畑の細い道を下ると、大海が広がる場所へ出た。そこに、その碑はあった。

手作り感満載の碑ではあったが、実物を目の前にすると、何とも感慨深い。
このブログのプロフィールの写真も、ここで撮ったものだ。
美しい風景の中に自分が写るのは好まないのだが、さすがに日本最南端というフレーズに惹かれ、思わず友達に撮ってもらった。実感もひとしおだ

波照間島2

波照間島には2013年9月に初めて行った。
石垣島からフェリーで1時間ほどだが、何せ外洋のため波は高いし、時化になると船が全く出ない。
特に冬場は1~2週間欠航なんてのはザラだ。

だが、日本の最南端(有人島)の島であることから、人気は高い。
ロシアンルーレット並の冒険をはらんでいるからこそ、なお行ってみたい、と思うのだ。

波照間島にも空港はある。2008年を最後に定期便が無くなってからは、石垣島から船で行くしかないのだが、今年(2015年)の10月から1日2便定期便が復活することになった、との記事を見つけた。
ならば、これからは波照間も行きやすくなるだろう。

今日から、波照間島での体験談を記したいと思う。
1日の滞在だったが、見どころは満載だ。明日からの連載をお楽しみに!

波照間島1

我欲10のつづき。

物事何でもそうだが、結局のところ、欲も張り過ぎるとロクなことはない、ということだ。
心の内側から湧く欲望に打ち勝ち、今ある現状を受け止めながら、欲望が現実になっていくよう、日々精進していくしかないのだ。

それは、労苦を惜しまず刻苦勉励することであったり、己の中にいるダークサイドからの誘いに乗らないことであったり…と、課題は山積みだが、最終的には自分との闘いだ。

欲という名の己の感情が、プラスにもマイナスにもなり得る。
その結果がどうなるかは、これまた自分次第だということを肝に銘じておきたい

我欲9のつづき。

良い行いをすることで、人に「良い人」と思われたい我欲の中には、「イヤだ」と言えない、言わないものがある。
心の中では、その人のことが嫌いで、影口を叩くくせに、本人の前では良い顔をするのがソレだ。

特に面倒なことになるのが、男女の間柄だ。
会社などには、大抵といっていいほどエロジジイがいる。
お目当ての子を見つけると、何かと用事を作って、その子の元に馳せ参じる。

ターゲットにされた子は、それがイヤでイヤで仕方ないのに、本人を目の前にすると、なぜかヘラヘラ笑っているのだ。
その笑顔が、エロジジイを勘違いさせていることになぜ気付けないのだろう?
自分が曖昧な態度を取っていることこそが、何よりの原因なのだ。

エオロジジイも、自分は嫌われていることを知っているが、自分の前でヘラヘラ笑う女の子を見て楽しんでいるのだ。
ハッキリ意思表示が出来ないのなら、エロジジイの餌食になっても仕方あるまい!
その中途半端な己の我欲が、悲劇を招いているのだ

我欲8のつづき。

世の中には、人のために自分の時間を使い、人の喜びを自分の喜びに出来る人がいる。
それは素晴らしいことだし、周りも助かって、その人に恩を感じるだろう。
そういう人のことを世間では「良い人」と言う。

その中には、「あの人は良い人だ」と周囲から言われると、そうでなければならない、という魔法にかかってしまい、どんな時でも周囲の目を気にして、知らぬうちに良い人を演じる人がいる。

本当に「良い人」というのは、自分が良い人だなんて思っていないし、今目の前にあることを淡々とこなしているだけ。その結果が、周囲から「良い人」という評価をもらうことに繋がっているのだ。

自分が良い人であることをアピールする時点で、それは我欲になってしまう。
「私って良い人でしょ!私のこと認めてね!」と。

そんな押しつけがましい「良い人」アピールは、迷惑以外の何物でもない

我欲7のつづき。

幼い頃は、自分の思い通りにならないことがあると駄々をこねたものだ。
周りがどんなに迷惑に思おうと、親がぶち切れようと、子供もその時の思いを意地でも通そうとする。

それが悪いことであれば、親から叱られ、泣きながらそれを諦めたり、次の機会を待ったりと、辛抱することを覚えていく。

子供の頃に、親からきちんとしたしつけを受けずに、辛抱することが出来ないまま大人になったらどうだろう。
駄々をこねる大人…いやはや、想像しただけで空恐ろしい。

そういえば、号泣し逆切れしていた議員など、まさにこのタイプだろう。
駄々をこねれば周囲がしぶしぶ言うことを聞いてくれる。それがまかり通って、あの歳まで来てしまったのだ。

欲を持つことは悪いことではない。欲の表し方、辛抱のしどころが分からないから、悲劇を招くのだ。
我欲を成就するには、辛抱がもれなくセットで付いてくるものと心得たいものだ

我欲6のつづき。

人間、生きていればいろいろと欲しいものが出てくる。
生きていくうえで必要なものから始まり、何かにハマると、それが収集癖となる。
というと言い方が悪いが、良く言えばコレクターというべきだろうか?

だが、これも度を過ぎると、場合によっては家族崩壊にもなりかねない。
大げさな、と思われるかもしれないが、「欲しい!」という欲望が抑えられないこと自体、既に己の精神をコントロール出来ていないのだ。

もちろん収集することは悪いことではない。そこに異常なまでの執着を覚えることに恐怖を感じるのだ。
自分一人の世界で完結するならまだしも、そのために人に迷惑をかけたり、ヘタをすると盗んだり、最悪は人を危めてまで手に入れようとする。

きっかけは軽い気持ちだったとしても、いつしか知らぬ間に収集という欲に支配されていては元も子もない。
どれだけ収集したところで、人間死んでしまったら、何も持っては行けないのだ

我欲5のつづき。

中学の同級生に、親からひどい虐待を受けていた女子がいた。
その当時は、虐待という言葉は一般的ではなかった、つまりは、今思えばそういうことだったのか…と。

彼女とは中学3年間同じクラスだったが、いつの頃からか頭は白髪で真っ白、痩せてガリガリ、腕や足などには青たんがいつも数多くあった。
子供だった私は、それが何を意味しているのか、まったく理解出来なかった。

だが、当の本人は学校でも明るく振る舞っていたし、皆から心ないあだ名をつけられても、それに臆することもなかった。彼女のそういう姿を、私は異常と思いつつも、強くいる姿勢を見て、深く心配していなかった。

何度か母親が学校に呼び出されていたが、その容姿は淡麗で、お金持ちの奥様然としていたから、こんなおばあちゃんみたいな彼女が、この母親の子供とは信じがたかった。

だが、きっと彼女は毎日にように親から虐待を受けていたのだろう。今の時代ならば、もっと早く保護してもらえたのかもしれない、そう思うと、もうあれから数十年経っているが、彼女のことを思い返してしまう。

今、彼女が生きているのかさえも不明だが、親の我欲が彼女を苦しめたことは間違いない。
己の欲望が満たされないことを子供にぶつけるなんて…。
今思い返しても、心が痛むばかりだ

我欲4のつづき。

欲には良いものもある。
周囲の役に立つために、何がしかになりたい!という欲望は、並々ならぬ努力を重ね、手にしていくもであり、実現した時には、自分も嬉しいが、周囲にも喜ばれる。

己の欲と言えばそうかもしれないが、それが良い影響を与えていくことであれば、誰もがきっと応援したくなるだろう。
とは言っても、努力をしたからと言って、一朝一夕に事を成すことは難しい。その過程では、何度ももう辞めたいと思うだろうし、この努力が本当に実を結ぶ日が来るのだろうか?と疑心暗鬼に陥ることもあるだろう。
そしてその間にも、周囲に迷惑をかけていることもあるかもしれない。

それでも、己の道を、実を結ぶことを信じて精進したことは、必ず花開く。
信じるきれる欲、どこどこまでも突き進む欲もまた必要なことなのだ

我欲3のつづき。

以前勤めていた職場に、底意地の悪い女がいた。
見栄っ張りで、負けず嫌い。強い者には弱く、弱い者は徹底していじめる、というマンガに出てきそうな性悪女だ。

彼女は20代後半で結婚したが、そのダンナとなった男も、これまた絵に描いたような遊び人男だ。
似た者夫婦だな~と思っていたが、年月が経つうちに、ダンナが浮気を始めた。
プライドの高い彼女はそんなことはオクビにも出さないが、なぜかそういうのは周りに分かってしまうものだ。

で、それから数年後、今度は彼女が浮気をした。いわゆるダブル不倫だ。
ダンナとはすっかり冷めているのに、それでも離婚はしない。それも彼女のプライドだろう。

それからまたしばらく経った頃、彼女は浮気相手の子供を身ごもった。
そして、会社を辞める時に放った「これからは、ダンナ様の子供を大事に育てていきます!」という言葉に、周りが凍り付いたのは言うまでもない。

会社を辞めた後か、その前かは不明だが、彼女はダンナと別れ、不倫相手の住む街に引っ越し、そこで子供を産み育てているそうだ。

己の強欲の結果がこれだ。
生まれた子供も気の毒だが、こんなふうにしか生きられない彼女のことを思うと、かわいそうだな…と思ってしまう

我欲2のつづき。

学生時代仲良くしていた友人が、卒業後添乗員として働いていた。
仕事にも慣れ、定期的に海外へ行っていた彼女だが、ある時「私イタリアに行くの」と言う。
よくよく聞いてみれば、イタリア男に口説かれたらしく、彼と同棲する、というのだ。

女と見れば片っ端から口説くイメージのあるイタリア男か~、などと想像しながら、「大丈夫なの?」と聞くが、彼女はかなり本気の様子。確かにすべてのイタリア男がいい加減というわけではないだろうし、むしろナンパなイメージを持っている私の考え方に問題があるのかも…と思うことにした。

それからしばらくして、「イタリアで病気になって日本に帰れなくなった」と彼女から連絡があった。
「マジ?大丈夫???」と、仲間達と相当心配したが、簡単には馳せ参じれる場所でもなく、何とか元気になることだけを祈っていた。

それから数ヵ月して彼女が帰国したというので、皆で彼女と会うことになった。
すると、イタリアにいる間にかなり深刻な病に罹ってしまい帰国した、というのだ。
だが、イタリア男のことが忘れられないから、病気が治ったらまたイタリアに行く、と嬉しそうに話す彼女。

しかし、話を聞いていると、やっぱり様子がおかしい。
どうも、イタリア男には妻子がいるらしく、彼女はただ単に遊ばれているだけの存在のようなのだ。
それでも、彼女はそんなことは意に介さず、イタリア男との目くるめく?バラ色の日々を語るのだ。

そうなってしまった彼女は、もう学生時代のような利発な子ではなくなっていた。
言い方は悪いが、色情魔と化していた、と言っても過言ではない。
友達皆で今の状態が良いことではない、と話したが、彼女の意思は変わらず…。

その後、病気は快復することなく、結果として心を病んでしまった。
私も毎年年賀状だけは送っていたが、いつの頃からかそれも来なくなってしまった。
今、彼女はどうしているのだろう…

我欲1のつづき。

知人に、子供の頃からおいしいものに恵まれ、結婚した後も食べることには事欠かず、見た目の体型同様、舌も絶大に肥えている女性がいる。

日本全国、いや世界中のありとあらゆるグルメを食べつくし、職場ではしょっちゅう皆にお菓子を振る舞い、お世話になった人には、机の引き出しの奥にしまっている高級菓子をお礼にと言って差し出す。

世界には今日食べるものにも困窮している人達がいる一方、有り余るほどの食べ物に恵まれた人もいる。
その恵みを周りにも施しているからまだいいのかもしれないが、どう見てもやっぱり食べ過ぎなのだ。

そのツケは糖尿病という形で現れ、仕事にも支障を来たすほどになっても、それでも机の奥にある高級菓子が無くなることはなかった。

己の人生、好きなものを好きなだけ食べて、最終的には治らない病気になり、その苦しみに苛まれながら死んでいくのか、好きなものを少しだけ食べて、余りは全て周りにあげてしまうのか…。その違いは一目瞭然だ

人には欲がある。
食欲、性欲、睡眠欲が人間の三大欲求と言われているが、そのどれを取っても、生きていくうえに欠かせないもの。
だが、それらが度を越すと、何やら怪しい雲行きになっていく。

食べ過ぎると太る。太るだけならまだしも、病気に罹りやすい。歳を経れば成人病を引き起こすリスクも高くなる。
甘美な愛の囁きは心地よいものだが、これも過ぎれば病気になる。女性ならば予期せぬ妊娠に繋がるし、何より心が蝕まれていく。
眠たいからと言って1日中寝ていては、怠け癖が染みついて、それこそ社会で生きづらくなる。

簡単に上辺だけをなぞってもこれだけのことが容易に想像出来る。
生きていくうえで必要な欲であっても、「過ぎたるは及ばざるごとし」なのだ。
次回から、私の身近にあった諸々の欲から起きた事柄を書いていこうと思う

一雨ごとに「春」が近くなる、とは良く聞くが、この頃は雨が降るごとに、暑さが少しずつ和らいでいるように感じる。
とは言っても高温多湿のため、何ともじっとり、ねっとりした暑さは変わらない。
それでも、薄紙を剥ぐように、間違いなく次の季節が巡って来ようとしている。

今年はエルニーニョ現象が史上最大?につき、世界中の海水温が異常な高さだそうだ。
そのためか、日本の海岸際まで大きな鮫が何頭も出没している。これまでにない珍現象だ。

だが、これも大自然の営みの顕れだ。
私たち人間が地球を支配し、好き勝手なことをしていることもまた事実だが、自然はそんなことは意に介さない、人間など簡単に吹き飛ばせるエネルギーを、力を持っているのだ。

ただ静かにそこにあるだけのように見える大自然だが、大物であればあるほど泰然としている。
ちょっとやそっとのことでは微動だにしないなどと、私達人間がたかをくくっていると、思わぬ微動が起き、その時になって改めて頭を垂れても遅いのだ。

泰然たるこの地球を、畏れ敬う気持ちを忘れてはならないのだ

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