前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2015年11月

更なる高みへ3のつづき。

今期から浅田真央選手が復帰した。
1年の休養を経て、自分のいるべき場所を再認識し、戻ってきてくれた。

休養とは言いながらも、それまで出来なかった体験をすることで、心は早い段階で復帰を決めていたのではないだろうか、と感じる。そうでなければ、あれほどの演技は出来ないだろう。

プログラムは以前にも増してグレードアップしているし、表現力にも磨きがかかっている。
だが、なかなか思うようにジャンプが決まらない。それでも、GPファイナルに参戦出来るだけの結果を残せるのだから、完璧な演技を披露したら、どうなるのだろう??羽生選手に次ぐ、女子世界最高得点を叩き出すことは容易に想像出来る。

若手が台頭し、ベテランとしては追いかけられる立場として心穏やかではないだろうが、これまで培ってきた経験は伊達ではない。胸を張って、堂々と己の道を邁進してもらいたい。

若い頃のキセキはその時だけのものだ。年を経ても、変わらぬ結果を残せる者だけが本物だ。
浅田選手にはそれだけの力がある。
これまでの経験値を土台に、思いは10代の頃のように、心の銘じるままに羽ばたいて欲しい

更なる高みへ2のつづき。

NHK杯フィギュア女子シングルでは、ニューホープの宮原知子選手が優勝した。
コツコツ真面目に、出来ないことは出来るまで稽古に励む宮原選手の演技には、いつも感心させられる。
小さい身体だが、リンク上の演技では、実際よりも何倍も大きく見えるから不思議だ。

インタビューではいつもはにかんだようにしか発言しないのとは裏腹に、演技には彼女の心の声が盛大に反映されている。
幼い頃から何度も悔しい思いをしてきたその思いが、演技で爆発したように現れている。表現力も年々大人びているようにも見受けられる。

純粋な思いのまま成長出来たら良いのだが、心の声がそれを上回ると、彼女自身が苦しむことになるのだろうな…と、その演技を見ていて感じた。

誰にだって「負けず嫌い根性」があるからがんばれるのだ。それ自体は良いことだ。競争心がなければ、人類の進化はないのだから。
だが、それが主体になると不幸を招く。真に大切にしなければならないものは何なのか?

周囲の無責任な褒め言葉に流されることなく、演技と同じ、ブレのないピュアな強い心を持ち続けて欲しいと思った

更なる高みへ1のつづき。

フィギュアスケートNHK杯での、羽生選手の圧巻の演技には驚かされたが、何よりその技術、芸術性の高さに感動した。

昨日のショートではプログラムコンポーネンツを変更し、4回転を2回も入れ、見事な演技を披露し、ショートの世界最高得点を出しただけに留まらず、フリーの演技も想像を超越するものだった。

フリーの「SEIMEI」は、音符のひとつひとつにピッタリ振りがハマっている様は見事としか言いようがないし、緻密な構成にもうならされる。
そして、何よりそれを完璧にこなす、いやそんな生易しいものではない、身体に沁み込ませた演技を披露できる羽生選手のメンタルの強さに感心せずにはいられなかった。

オリンピックチャンピオンとして自分に恥じない演技をすること、そしてそれに甘んじることなく更なる高みを目指す羽生選手、私達も事の違いはあれども、お手本とさせていただく生き方だと、心から思う

同じ毎日の繰り返しのようでいて、実は毎日が違う1日だ。
会社や学校に行けば、毎日同じ顔が揃うが、同じようでいて、こちらもまた違う。

人は同じだが、それぞれが抱える感情や状況は日々刻々と変わっている。
仕事も同じことの繰り返しのようでいて、それぞれがちょっとずつ違うことの連続だ。

その違いに気付けないと、毎日がつまらないものになっていく。
同じ仕事、同じ顔触れ、同じ、同じ…同じことの繰り返し。

毎日をどう捉えるかで、同じように見える事柄が違ったものに見えてくる。
そして、同じような毎日だが、それもいつかは終わる日が必ず来る。

終わりを迎える日、「楽しかったな~」と思えるか、「つまらない毎日だった」と思うかは、自分次第なのだ

赤ちゃんを見てかわいいと思い、思わず赤ちゃんに触れたくなるのは人情だろう。
昔ならばそういう光景は普通だが、今はそれを嫌がる母親が多いそうだ。

確かに、どんな人かも分からないし、その人がどんな菌を保有しているのか?などと考えると、知らない人に触られるのはイヤだろうと共感出来る。

それと似たものに、会社で人の備品を勝手に使ったり、手にする人が気になる。
自分が席にいる時に、「何これ?」と言いながらならまだしも、何も言わず人の持ち物を手にして、ああだこうだと品定めする人や、離籍中に席に座って、油ぎった手でデスク周りを触られたりする光景を目にしたら…お願いだから、ヤメてくれ!と心から思う。

これも、感じ方の差なのだろうが、不潔だなと思ったり、不快感を覚える人に、自分のものを触られるのはやはりイヤなものだ。だから、電車のつり革にも触りたくない心理は良く分かる。

昔は気にならなかったことだろうが、悪気がないにしても、今はそんな安易な気持ちはまかり通らないのだ

シリア空爆のために飛行するロシア機を、トルコ軍が撃墜した。しかも、戦闘機からパラシュートで脱出する飛行士を銃撃した。
それに対して、ロシアは怒り心頭!決して許さない!と豪語している。

両国の言い分はまったく違うが、そもそも何のためのシリアへの空爆作戦なのだろう。
世界を脅かすテロを叩くために、世界中が一枚岩となっていこう!ということで始まったのに、やっぱりこういうことになる。

世界は、東と西に分かれていて、それぞれの思惑がある。
今回の攻撃はかりそめの大義で、実は世界大戦を起こしたくて仕方ない人達の狙いが張り巡らされているように思えてならない。

人間は学ばない生き物だ。いつの世も争いは無くなることはない。
争いたければ、争いたい人だけでやってほしい。争いを望まない人間を巻き込まないで欲しいと、心から願う。
おそらく、国民の大半は、誰も戦争なんてしたくないと思っているのに…

私たちが毎日を生きているのは、生きているのではなく、生かされているからだ。
自分の意思で「生きたい」と思っても、そうはいかないのが自然界の法則だ。
今が元気だから、明日も明後日も元気という保証はどこにもない。

だが、周りを見渡せば、大概の人が元気に長生きしている。
しかも、好き放題している人ほど人生を謳歌しているようにさえ見える。

だが、実際はどうだろう?
周囲から羨ましがられる環境にいる人ほど、心を病んでいたり、病気ばかりしていたりすことはないだろうか?
何とも気の毒に…と思うような人が、イキイキと生きることを謳歌していたり…。

人にはそれぞれ与えられた使命がある。
金持ちであろうと、貧乏であろうと、それに気付きひたむきになれる者こそが、真の意味での勝ち組なのだ。
恵まれた環境というのは、結果論でしかない。その結果に価値の重きを置くから、心が満たされなくなり、心身に異常を来たすのだ。

自分の使命とは何なのか?
真の勝ち組になるには、まずはそこに気付けないと、人生の土俵にさえ上がれていないことを認識すべきだろう

今年最後の3連休だが、秋の行楽シーズンとも重なり、観光地はどこもかしこも人、人、人…だ。
定番の観光地に人が集まるのは自然の摂理だが、道中の高速道路の混み具合、あれはどうにかならないのか?といつも思う。

自分がそれにハマることもあるし、ニュースなどでその映像を見ると、みなさんさぞやご苦労されているだろうな…と感じる。
それにしても、交通の便が良くなったせいもあるが、明らかにどこに行っても人が増えた気がする。

テレビで特集される観光地は、瞬く間に大勢の人出だ。
ウ~~~~~ン、やっぱり自力で穴場を開拓するしかないのだろうか…。だが、そこに行くまでの道がやっぱり混んでるし…。

で、結局人出の多い時には外出を控えてしまう。
とは言いつつ、カレンダー通りにしか休めないのだから、どうしても周りと同じ行動パターンになってしまうのは仕方ないことなのかも…

世の中には、ズルくて、人の神経を逆なでし、平気でウソをついたり、自分を常に優位な立場に置き、イヤなことは一切やらない、という人がいる。

そんな人間関係がイヤになって、職場を去り、心機一転、新しい職場に行っても、やっぱりそういう人はいるものだ。つまりは、どこに行っても、イヤな人間からは逃れられないのが世の常だ。

人から好かれる人は、他人がイヤがることを笑顔でこなし、決してそれをひけらかすことなく、毎日を楽しく過ごしている。そんな人には、周りも親切を尽くし、何かあったら多くの人が救いの手を差し伸べるだろう。

だが、前出のイヤな奴には、恐らく誰も手を差し伸べないだろう。
つまり、一見するとズルいことをして得をしているように見えても、実は多くのものを失い、最後には一人きり。
有事の際には、まっさきに見捨てられるのだ。とはいっても、性根がズルいと、またそこでうまくスリ抜けることもあるかもしれないが、結局、自分の行いが、そのまま自分に戻ってくるのが物事の法則だから、やっぱり、最後は悲惨な結末しか待っていない、ということだ。

憎たらしい人のことは、そう思えば「かわいそうに」という発想に変わらないだろうか?
まともに相手にするのもアホらしい。こちらが何もしなくても、時間が経てば、間違いなく自滅するのだから

フランスの同時多発テロが起きて1週間が経過した。
パリの人たちは、喪に服しながらも、日常を取り戻すことを優先している。

「彼らが武器で攻めてくるなら、自分たちはシャンパンを飲んで、歌い、踊る。それこそが、彼らが最も憎む行動であることを知っているからこそ、どんな武器にも屈せず、自由で楽しい毎日を謳歌するのだ」というインタビューを報道番組で見た。しかも、フランス人の多くがそう思っている、ということに驚かされた。

フランス人は何て素晴らしい思想を持っているのだろう。
「やられたらやり返す」のが人情だ。事実、各国政府はシリアに攻撃を加えている。
もちろん、それも取らざるを得ない方法なのかもしれない。

話し合いで分かるような相手なら、そもそもテロなど起こさないだろうし、世界を脅威に巻き込む恐れのあるものを放置しておけない、という理屈も間違いではない。

どんな事柄でも、人の価値観は千差万別だ。違いがあることは悪いことではない。
だが、それを免罪符にして周囲を脅かすことは許されるべきことではない。

誰もが平和を願っている。考え方の違う人とでも分かり合っていこうと、日々努力を重ねている。
その努力をせずして、幸せそうな人達を羨み、妬んだ結果がこれだ。

報われない人達を放置した側にも責任はあるのかもしれない。
だが、基本は一人一人が己のやるべきことをやる、というのが原則だ。
それをせずして、周囲を恨んでも、何の解決にもならない。

相手に向けた狂気は、そのまま自分に戻って来る自然の摂理を理解出来ないとは…。
やはり、「武器にはシャンパンを!」だ

バスツアーで山梨から奥多摩に亘る紅葉を見に行った。
曇り空ではあったが、暑すぎず寒すぎず、ちょうど良い気温で、ぶどうもほうとうも堪能し、ころ柿の里では、干し柿の見事なカーテンも見学した。

柳沢峠から奥多摩へ向かう道に、大菩薩ラインがある。
そびえ立つ山肌が露わになり、防御ネットなども張られているが、木の根元がえぐりとられていたり、大きな岩が今にも落ちてきそうだったり、山のあちこちから水が湧き、それが小さな滝となっている箇所がいくつもあった。

大雨が降った日に流れ出た岩々が山肌にゴロゴロと散乱しているし、大きな木が根元から折れて、2重になってる防御ネットを突き破っている箇所さえあった。
これって、放っておいていいのか?と、バスの中からではあるが、思わずゾッとした。

おそらく、大きな地震が起きたり、大雨が降ったりすると、この山は容易に崩壊するのではないか…という思念が湧いてしまった。
あまりの崩落ぶりを目の当りにすれば、誰もがそう思うはずだ。

多摩川の源流は、巨大な岩がゴロゴロしている川だ。キレイだな~と思う反面、これほど大きな岩が、水の力で簡単にどこまでも流れていくのだ。
自然の力は偉大だが、時に人にとっては脅威にもなる。

自然を敬い、感謝の念を忘れないと共に、共存していく道を模索する必要がある

昨日、会社の集団予防接種で、インフルエンザワクチンを接種した。

これまで半世紀を生きてきた私だが、年初に生れて初めてインフルエンザに罹った。
もちろん、インフルエンザの予防接種など、記憶のある限りでは打ったことがない。

というわけで、今年インフルエンザ予防接種デビューをした。
出来ることなら、異物を身体に入れることはしたくないのだが、またインフルに罹ったら周りにも迷惑をかけるし、決まって「予防接種しなかったの?」と聞かれるからだ。

接種後の私の腕は赤く腫れあがり、若干かゆみもある。
注射をしたところが腫れるのは抗体が出来ている証拠で、良いことらしい。
菌を制するには菌を以て制する、ということなのだろうが、やっぱり気持ちの良いものではない。

だが、抗体を作るといっても、自分の力で出来ることではない。
健康で正常な身体の働きがあってこそだ。
自分の身体であっても、自分の意のままにはならないのだから、正常に働いてくれる身体に感謝せねば!

普段の生活を元気に送れること、それこそが最も恵まれた幸せなのだ

そこまでいくと…1のつづき。

お買い得品が出回る夕方のスーパーでは、いつものように「見切り品シスターズ」に出くわす。
というか、いつ行ってもいるのだが、最近私が行く時間帯にズレがあったためか、しばらく顔を合わせることはなかった。

今日久しぶりにシスターズのみなさんに会うハメになったのだが、その中の一人に、「なぜこんなに品の良い人が、こんな輪に加わっているのだろう…」と思うほどのおばちゃんがいる。
どこからどう見ても気品があるのだ。着ているものも悪くない。成り上がりの金持ちというより、昔からの金持ちといった風情を漂わせていた。

そのおばちゃん、久々にご尊顔を拝したのだが、何だか品が無くなっていた。
見切り品シスターズに加わったせいなのか?本当に精神まで卑しくなり果ててしまったかのように、放つオーラも見た目も、お気の毒に…としか思えないほど変わり果てていた。

パッと見はあまり変わらないが、その人が醸し出すオーラみたいなものが輝いていないのだ。
見切り品を買うことは悪いことではないが、見切り品を仕切り、他のお客さんを睨みつけるようなことを日々していると、自然と人としての気品は消えてしまうのだな…と、そのおばちゃんを見て思わされた

日々の生活では、否が応でも人間関係によるストレスは付き物だ。
イヤな人から与えられた不快感たるや、相当なダメージだ。

気にしないでいようと思えば思うほど、イヤな人のイヤな面ばかり目に付いて、気付けば一挙手一投足にイラついてしまう。
そんな時、思わず思いのたけを聞いてくれる人にグチを言いたくなるものだ。

聞いてくれる人が「ウンウン」と頷いてくれればくれるほど、思いのたけはますますエスカレートしていく。
相手が自分の発言をどう感じているかなんて、この際どうでも良くて、一度口を付いて出た心の毒は止まることを知らない。

だが、その毒を耳にするのは聞かされる相手だけではない。その周囲にいる人全員が聞かされるハメになるのだ。
そんな時、私は「あ~~、言っちゃったか…」と、残念な気持ちになる。
言うのは良いのだが、ヒソヒソとしかも延々と続くことに残念さを感じるのだ。

どうせならいっそのこと「まったくさ!やってらんないわよね!!」と、一言デッカイ声で発散してくれるほうがこっちもスッキリする。
終わることのない毒の排出は、周りも自分をも決して良い気持ちにするものではない

フランス自爆テロのニュースに驚くと共に、心が痛んだ。
日常を楽しんでいる人々のうえに、何の前触れもなく砲弾のあられが降ってきたのだから。

フィギュアスケートGPシリーズ・フランス大会も、この影響で2日目のフリーおよび3日目のエキシビションが中止になった。起きた事柄を鑑みれば、致し方ないことだ。

いつもなら、遠く離れた日本からでも、フィギュアの試合を観戦しながら、グランプリには誰が進出するのか、などと言いながら楽しんでいた。

だが、それも、世界が平和であることが大前提なのだ。
今回の事件を通して、世界が平和であるからこそ、スポーツの祭典、各国の催し物が出来、世界中の人達が楽しみを享受出来るのだ…と、改めて思わされた。

事を起こす人達には、その人達なりの大義があるのだろうが、そうであれば、無差別攻撃だけは止めて欲しいと心から思う。
無差別にしか攻撃出来ない大義など、長く続くわけもないし、それに同調する人はいなくなる…それが、自然の摂理だ

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