前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2015年12月

今年も早いもので、大晦日を迎えた。
あまりにも1年が早すぎて、いまいちピン!とこない。

昨年の今頃何をしていたか、何を考えていたか…など、師走の喧騒の中、ツラツラと考えてみた。
アッと言う間の1年であったにも拘わらず、365日の間には、やはり多くの出来事があったな…というのが振り返ってみての感想だ。

自分の中で密かに課題にしていたことは、クリアー出来たこともあれば、出来なかった事柄もある。
人との付き合いのうえにも、残した課題はある。
なかなか、1年で全てをクリアーというわけにはいかない。

などと、一人反省会をしてみた。
こうやってこの1年を振り返ると、来年の課題が自ずと見えてくる。
次の1年でクリアー出来るかどうか、それは未知だが、2016という未来に向けて、心新たに取り組んでいけたら…と願う


最後に、今年も本ブログをお読みくださった皆様に感謝申し上げます。
また来年も、よろしくお願いいたします。
佳き新年をお迎えくださいませ

身内の幼児が遊びに来た。
一人は5歳の女子。こちらは近所に住んでおり、ちょくちょく我が家へ来るので、勝手知ったる仲だ。
もう一人は2歳の女子。こちらは、ちょっと離れた場所にいるので、滅多に会えない。おそらく1年ぶりの再会だ。

2歳児だが、これがまったくの無反応。どんなに声をかけても、遊ぼうと試みても、フリーズして動かないのだ。
すると、5歳児が、一生懸命2歳児に話しかけてあげる。それでも、2歳児はフリーズのまま。

そのうち5歳児が私に一緒に遊ぼうと言うので、二人でゲームを始めた。すると、2歳児がそれをジーッと見ている。
ゲームに一喜一憂する様を、ジーッと観察しているのだ。

固まってるだけにしか見えない2歳児だが、彼女なりに小さい頭で一生懸命この状況を分析し、どうしたらよいかを考えているのだ。その証拠に、彼女は1度も泣かなかった。
周りがどんなに声をかけても、彼女の脳みそはフル稼働しているから、それに反応出来なかっただけなのだ。

5歳児も、幼い頃から(って今も幼いけど)、周囲の大人に愛され、大事にされて育っているからだろう。周りが何も言わなくても、2歳児の手を取り、あれこれと世話を焼こうとする。
これが、愛されて育った子の姿だ。

人は愛され、大事にされると、自然と周囲に対しても優しく、人を大事にする生き方が出来るのだ

電車に乗っていると、小学中・低学年の男女2人と、幼稚園の年長くらいの女の子の3人を連れた母親が乗車してきた。空いてる席にそれぞれを座らせると、自分は立っていた。

上のお兄ちゃん、お姉ちゃんが二人で座ってゲームをしながら、おとなしくていた。
一番下の女の子は向かいの席に座り、その前に母親が立っていた。

母親が目の前にいることが女の子はうれしいらしく、幾度となく母親の気を引くそぶりをしたり、話しかけたりするが、母親は一向に知らん顔を決め込んでいた。
すると、女の子はちょっとばかり母親を困らせる言動に出た。すると、母親はその手をパシッと払ったのだ。
子供は一瞬固まり、おとなしくなった。
向かいに座る、上の二人もその姿を「また始まった、いつものことだ…」といった、諦めの表情で眺めていた。

どうやら、この母親は子育てにウンザリしているように見受けられた。
確かに、育ち盛りの子供が3人もいれば、ストレスも溜まるだろう。

母親は、そもそも子供達を作ったのは自分だということを、すっかり忘れているようだ。
誰かに押し付けられて、いやいや子育てをさせられている、と言わんばかりの悪態ぶりだ。
だが、こういう精神状態の人には、どんな正論も馬耳東風だろう。

子供達のほうがよほど、母親のことを気遣っている姿が痛々しかった。
こうやって、自分が子供達にしたことは、数十年先に間違いなく自分に返ってくる。

この母親がどんな末路を辿るかは分からないが、子供に救いの手を出したら、きっと、邪険に払いのけられることだけは目に見えるようだ。
そんな未来を、今、自分が作っているのだ

年末のスーパーは、かなりの賑わいで、レジも長打の列だ。
長いそれにウンザリした様子の年配の男性が、店員に「レジはどうなってんの?こんなに並んで!」と怒り混じりの質問を投げかけだ。

店員は、「全てのレジは開いてますよ」と言うと、「空いてるの?じゃ、他に並ぶところあるの?」と男性。
店員は、レジがフル稼働と言う意味で「開いてる」と言っているのに対し、他に空いてるレジがあるのなら、そっちに行く、という男性。

「あいている」という意味ひとつとっても、自分の都合の良いように解釈するのだな…と、ちょっとした驚きを覚えた。
店員は、「言い方が悪くてすみません」と謝っていたが、こういう客にはそう言っておくのが賢明だ。

だが、こんな年末の混雑時の買い物なのだから、長打の列は覚悟して買い物に来ないとね。
それが、年末の恒例行事くらいに思えないと、年末の喧騒はただの喧騒になってしまう。
喧騒さえも楽しめる年末にしたいものだ。

などと言っていると、「騒がしくうるさいのが楽しいの?じゃ、うるさくしてもいいんだね」などと、どっかからツッコミが来そうだ。
う~~ん、日本語は難しいね

※カテゴリー「縁」シリーズの続き。

毎日会っていた人でも、突然別れはやってきて、それっきりもう二度と会うこともない、なんてこともある。
そうかと思えば、数十年も会っていなかったのに、ひょんなことから縁が復活することもある。

今宵の宴の仲間はまさに後者で、縁12にも書いたメンバーだ。
書いたブログを見て驚いたが、1年前の宴も同じ日だった!
つまり、1年ぶりの再会だったが、この1年があっという間過ぎて、久しぶりといった感じはしなかった。

だが、話し出すと、次から次へといろんな話が飛び交い、やはり1年経ったのだな~と実感。
あっという間のように思っても、それぞれに1年分のあんなことやこんなことがあったのだ。

1年経って、また再会出来たメンバーに、自分はどんな報告が出来ただろうか?
皆に笑って会えていただろうか?でも、楽しかったと思えたから、この1年はきっと正解だったのだろうと思う。

仲間を通して、自分が見えてくることもある。
次に会った時にも、皆と笑い合っていられる自分でいたいと思う

昨日まで、街はクリスマスムード一色だった。
一夜明けると、そこはお正月ムードに一変した。
毎年のことながら、日本人の商魂のたくましさたるや!まさに、びっくりポンや!

お店のショーケースの内容も、チキンがかまごこに、ケーキがくりきんとんに様変わり。
野菜も昨日まではメリークリスマスの文字のあるシールが貼られていたが、今日はお正月と印字されたシールに変わっていた。
お店の入り口には、早くも門松が立っている。

季節の移ろいにも、世相のそれにもひるむことなく、次へ次へと進もうとするのが日本人の気質なのかもしれない。
先の大戦からアッと言う間に先進国の仲間入り出来たのも、日本人ならではだ。
半世紀以上経った事を、今でもグチグチ言い、未だに賠償金をせしめようとすると隣の国とは大違いだ。

毎度おなじみの日本人魂?でございます

今日で仕事納めの方も多いだろう。
私は28日が最終日だが、会社の方針で、休める人は休んで、ということで、何とか都合がつき、今日無事に仕事納めとなった。
事実上の納会が業務終了後にあり、皆でワイワイと楽しいお酒を飲み、ほろ酔い加減で帰途に着いた。

と、地元でちょうど塾帰りの子供達と鉢合わせした。
クリスマスの夜なのに、しかも子供達は冬休みに入っているであろうに、こんな夜遅くまで勉強とは、何ともかわいそうだな~と思った。

だが、今時の子供達は塾に通うのは当たり前で、学校に通うのと同じように塾に通っているから、周りが思うほどかわいそうなことではないらしい。むしろ、友達が行っているのに、自分だけ行かないほうが心穏やかでないそうだ。

帰り道、私の前にいた小学5、6年生くらいの男子生徒3人の会話がかわいかった。
「あいつさ、声変わりしてやんの」一人がそういうと、二人も同調している。

子供から大人への階段を昇る途中、多くの迷いや不安があるのだろう。
声変わりは、まさにその象徴だ。自分も早く大人になりたい!そんな願望が彼らの会話から汲み取れる。

何ともほほえましい光景だが、大人になってしまうと、仕事終わりに飲んだくれて、ほろ酔い気分の千鳥足で帰途に着く。それが、大人の現実だ

おやめになっておくんなさいまし4のつづき。

歳を経ると共に、価値観の合う人としか付き合わないようになる。
その中のひとつに、喫煙する人とは仲良くならない、というのがある。

どんなに良い人でも、タバコの臭いが身体から染み出ているだけで、「あ~~、残念…」と思ってしまう。
それは、人付き合いのうえだけでなく、仕事面にも影響が出る。

同じくらいのレベルで仕事が出来る人が二人いたら、間違いなく禁煙者を選ぶし、タバコの臭いのするお店には絶対入らないから、そこで商品を買うことはない。

世の中、7割の人がタバコを吸わないのだから、残りの3割の喫煙者は、多くの場面で損をしていることになる。
それでも、タバコを止められないのだから、仕方ない。

大学生のアンケートでも、10人に1人しかタバコを吸わないとの記事を読んだ。
若い世代ほど、タバコに価値を見出していないのだ。

高いお金を払って身体を痛め、禁煙車から嫌われ、多くのチャンスを逃している。
そんな現実があっても、それでも止めないのだから、「損してるよね」としか言えない

スター・ウォーズ エピソードⅦを観た。
エピソードⅣが公開されてから38年だそうだ。

タイムリーでずっとSWを見続けてきた世代には、待ちに待ったエピソードⅦ。
しかも、今回は38年ぶりにⅣ~Ⅵシリーズの面々が出演するとあって、まさに「期待高まる~!」のだ。

30年以上の月日は、あらゆるものを進化させたが、それでもあのメインテーマに冒頭の銀河に流れる字幕シーンは当初と変わらない。
38年前のワクワクが抑えようとしても湧いてくる。

感想は、温故知新だ。旧シリーズの流れを汲みつつも、新しい世界観も描かれているし、シリーズを通しての矛盾も感じない作りになっているところがお見事!
若干、期待値が高すぎて、ひいき目に見ているせいもあるかもしれないが、生きている間に、シリーズの最後を見届けられそうで、一安心だ。

それにしても、善と悪の戦いは、人間にとって、いや銀河全体にとって、永遠の課題なのだろうか…

通勤時に、カツカツヒールの音を響かせて、追い越していく女性がいる。
その中に、歩く度に足首がグキッ!と外側に折れている人を目にする。
それも、一人や二人ではない。

観察するところによると(目の前を歩くので、否が応でも足首が目に入る)、ヒールが細すぎるのと、その人の足にフィットしていないものを履いていると、足首がグキッ!となるようだ。
歩いていて、違和感はないのだろうか?
あれだけカツカツ音を立てて歩くということは、腰にも相当なダメージがあるはずだ。

ヒールのカツカツ音は、マジで頭に響くのでイヤなものだ。
ヒールだから仕方ないじゃない!と叱られそうだが、実は腹筋を上げて歩けば、カツカツ音はしないのだ。
腹筋が垂れ下がって、膝の裏が伸びてない状態で歩くと、カツカツ音はさらに増す。
つまりは、恰好悪いうえに、身体に悪い歩き方をしている、ということだ。

今すぐどうこうということはないだろうが、長年そんな歩き方をしていれば、間違いなく身体に異変を来たす。
そうなってからでは遅いんだけどね

女子サッカーの澤穂希選手が引退宣言をした。
その認知度が低い時からずっと最前線で活躍を続けた澤選手。
これまでの道程は、人には言うに言われぬ数々の事柄の連続だっただろう。

会見の冒頭でグッとこみ上げてくるものがあったのだろう。それは当然だ。
だが、それでもジッと前を見据えて、会見に臨んだ姿を見ると、彼女はまさに侍魂を持っているな、と感じる。
一流の選手になる者に共通する精神だ。

世界中から喝采を送られるほどの選手になるには、幼い頃からの積み重ねが何より大事だ。
地道な稽古をコツコツ重ねることと、何ものにも屈しない強靭な精神を培えなければ、こうはなれない。

「オリンピックに出たい!」「世界一になりたい!」と言う前に、まずは手元の稽古を丁寧に確実にこなすことが大切だ。口だけ先生?がエラそうに言っているが、やはり一流の選手は人の見えないところで誰よりも努力をしているのだ。

何事も一日にして成らずだ

都会に長く暮らしていると、その良さをだんだん感じなくなる。
利便性の良い場所に暮らし、職場までもそう遠くなく、欲しいものはいつでも手に入るし、観たいものもすぐ観に行ける。
それは、実はとても恵まれた状況であるにも関わらず、それが普通になってしまうことの怖さを感じる。

久しぶりに新宿で優雅な?ひとときを過ごした。
高層ビルの窓からは、宝石が散りばめられたごとくのイルミネーションが広がる。
店内は夜景が映えるように照明を抑え、静かにジャズが流れている。なんて、贅沢な空間!

そんな場所でゆっくり食事と酒を楽しむなんて、何十年ぶりだろう…と、ふと我に返る。
若い頃は、大人の世界に憧れていたし、そういう場所に行けば心ときめくこともあったな…とも。

いつも会社に向かうだけの満員電車に揺られていると、こういった非日常を味わうことも減りがちだ。
時にはおしゃれをして、ちょっとこじゃれた場所に行くことも大事だな…と、今更ながら感じた。

この日は、まさにおのぼりさんよろしく、右往左往してしまった

親は子供のことを思い、悪い道に進まぬように、要らぬ苦労をせぬように、という心配りをしてくれる。
それはありがたいことなのだが、果たしてそれで良いのだろうか?

誰だって、自分がやらかしたマイナスな事柄については口にしたくないし、出来れば周りの大切な人達にも、同じ過ちや、後悔を抱いて欲しくないという思いが湧く。

だが、そもそも人間は、自分で事に当たり、痛いを思いをして初めて身に染みて感じることが出来る生き物だ。
どんなに悲惨な体験をした人の話を聞いても、想像は出来ても、腹から分かってはいないのが物の道理だろう。

誰も好き好んで苦労を買って出ることはないだろうが、自分に課せられた事柄からは逃げられない。
そこがどんな世界で、どんな道を歩んでいくのか…。どんなに辛くても、苦しくても、歩むのは自分なのだ。

周囲の愛情はありがたく受け止め、学びの材料のひとつとし、自分が進まねばならないであろう棘の道は、あえて進むしかないのだ。

何事も、己のものにするには、身を挺して取り組むしかないのだ

人にはそれぞれの役割がある。仕切る人がいれば、仕切られる人がいる。
どちらもないと世の中は成り立たない。

仕事にも、それぞれ役目があるわけで、自分が出来ることには限界があるが、出来るだけ会社の意向に沿った仕事が出来るように、誰もが努力しているだろう。

それぞれが適材適所で役目を果たせれば万々歳なのだが、中には自分の実力以上のことをしたがる人がいる。
したがるだけなら良いが、自らしゃしゃり出て、周りのサポートのおかげで何となくこなせてしまい、私は出来るんだ、と勘違いしてしまう。

それが続くと、周囲も何となくこの人に任せていれば良いかも…となり、時間の経過と共にその人に任せることになる。で、任せてみると、やっぱり不備だらけで、にっちもさっちもいかなくなる。
それに気付いた時にはもう後の祭りなのだが…。

やりたいと思う気持ちは良く言えば向上心だが、そもそも自分の資質を冷静に判断出来ないと、結果的に周囲に迷惑をかけることになる。
己を知り、身の丈に合った生き方をすること、それが最も大切なことなのだ

羽生選手の完璧な演技に世界中が湧いており、誰もが祝福モードだが、中にはそれを面白く思わない者がいる、との記事を読んだ。
羽生選手が、というわけではなく、何でも完璧にこなしてしまう人間に対して嫉妬を抱き、好きになれない、というものだ。

前回クールの朝ドラの主役の女優も、女性のアンチが多いそうだ。
かわいくて頭も良くて性格も良く育ちも良い。誰からも愛される女優を「嫌い」と言う人達がいるのだ。
それも、彼女に対する嫉妬以外の何ものでもない。

人は自分が手に出来ないものを手にした人を羨み妬む。
うらやましいと思うくらいならまあまあだが、それを妬む、恨む、となるとタチが悪すぎる。
それらを手に出来ないのは、自分にそれだけの才覚がないだけの話なのだから。

キレイな女優さんのようになりたくて、その人が使う化粧品や服を買って真似したところで、そもそもの器がまったく違うのだから似合うはずもない。それは、どんなにがんばったところで、そうなれることは有り得ないのだ。

無い物ねだりで人を妬むより、自分にしかないものを磨き、人から羨ましがられる人になるほうが早道だ。
他人と自分を比べている間は、間違いなく幸せにはなれない

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