前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2016年03月

霊(みたま)様のこと10のつづき。

亡くなった父は、今世では大成したとは言い難い人生だったが、趣味の植木いじりには精を出していた。

軽石に蘭の枝を根付かせるのが好きで、いくつも作品?をこさえていたが、ほとんど根付かず、なかなか思うような成果が出ないままだった。

その他にもいろいろと作っていたが、作っては枯らしたり、ムダに大きくなり過ぎたりで、狭い庭にビッチリ父のセンスのない趣味が満載で、家族はウンザリしていた。

亡くなってから、これ幸い?と、そのほとんどを処分したが、ひとつだけ記念に?というか、全部捨ててはかわいそうかと思い残しておいた。
それでも、ただ庭に置いてあるだけで、まったく手入れなどしていなかった。

数日前、それに蘭の花が咲いているのを見つけた。
まさに、父の執念?が実を結んだようだ。

言い方は悪いが、あまりパッとしない今世だったが、亡くなってから念願の花を咲かせることが出来た。
父の思いは、この花を通して生きているのだな…と思わされた

白蘭

人は、この世に生を受ける時に、神様とどういう今世を生きるか、という約束をして生れてくるそうだ。
つまりは、今世での人生の設計図を持ってこの世に生み出されるのだ。

人によって、どんな人生を送るのか、つまりは修行をするのかはそれぞれだが、中にはたいした苦労もせず、いわば修行になってない人がいる。

一見、順風満帆のようだが、人は自らの手でその環境を壊してしまうことがある。
なぜなら、自分の心に人生の設計図があるにも関わらず、それを果たせない危機に見舞われているのだ。
だから、自らその恵まれた環境を手放すような、大それたことをしでかすのだろう。

最近も、障害者を謳って世間から注目されていたO氏が思わぬ不倫疑惑で大騒ぎ。当人もそれをあっさり認める始末だ。

障害者であっても、人生を堂々と謳歌している姿は、同じ境遇の人達の希望の星だったことだろう。
それを思いっきり、真正面から裏切ったのだ。
これで、また障害者の人達に対する風当たりが少なくとも変わる可能性もあるのだ。

売れっ子タレントのB女史もしかりだ。
頭脳明晰で多くのレギュラー番組やCM契約を持ちながら、それを自ら手放すことになったのだ。

恐らく、深層心理で「このままではいけない」という信号が発動されているのだ。
己を自ら窮地に追い込み、修行に当たっているのだろう

世の中の人達は、優しいというか、何で言いたいことをハッキリ言わないのだろう?と思うことがある。
イヤな相手を前にすると、優しいことを言いながら、陰では悪口大会だ。

イヤな人間のイヤな部分とは何だろうか?
自分の癇に障るとか、はた迷惑なことをされる、同じ空気を吸うのもイヤ、ということもあるだろう。

そこまで嫌っていながらも、笑顔で対応できるのって、スゴイな~~!!と、感心しきりだ。
そこで自分の真の感情を抑えているからストレスは溜まり放題、ということで、飲んでグチんなきゃやってらんない、ってことらしい。

人にもよるが、私はハッキリ物申すことにしている。
どんなにオブラートに包んだところで、図々しい人間には馬耳東風だ。

その点、私はズバッ!と相手の急所を付いた一撃を加える。
何度も書くが、相手による。それをしてよい相手と、そんなことをしたら壊れる相手の選定はしている。
それだけのことを言われてしぶしぶ重い腰をあげるのが、図々しい人間だ。

私の「言うことは良く聞くよね」と、周囲は言うが、それは嫌われてもOK!という覚悟がなければ言えるものではない。むしろ、そんな相手からは嫌われたほうが良い。負のオーラをまとった人間に気に入られても良いことは何もない。

誰からも好かれていたい、と思う限りは、永遠に一撃は出来ないだろう。

時には自分のストレス軽減のため、周囲の平和のために、ビシッ!とお仕置きをすることは必要なのだ

最近は、コンプライアンスやアクセシビリティ、ユーザビリティ、ユニバーサルデザインといった事柄がスタンダード、いや、デフォルトになりつつある。
それは、誰しもが平等に多くの事柄の恩恵を受けることに繋がり、恐らくとても良いことなのだと思う。

だが、それらを網羅するために、かなりの手間ヒマやお金がかかっていることも事実だ。
効率的ならそれで良いのか?という問題になると、それはもちろんNOなのだが、便利さを等しく同じように誰もが享受出来ることは理想だが、そうもいかないのが現実だ。

世の中にはお金持ちと貧困にあえぐ人がいる。
努力しても報われない人もいれば、たいした努力もせず大金を手にする人もいる。

「誰もが平等の権利を!」と叫んだところで、何がしかの形での不平等が起きるのは、むしろ自然のことだ。

遺伝子にも、強い遺伝子と弱い遺伝子がある。
昨日も書いたが、自然界の法則で考えるならば、種の存続に重きを置いた場合、強い遺伝子が生き残るように出来ているのだ。

世の中とは、そんなものだ…と良い意味での諦めは大切なことのように感じる。
自分が与えられた環境で感じる不平等を、生かすも殺すも自分次第なのだ。
不平等さを声高に抗議するだけでは何の解決にもならない

昨晩のNHK「SWITCHインタビュー 達人達」は、非常に興味深かった。

獣医師の話の中で、自然界では強い者から獲物を喰らうのだが、猟師が打った鉛弾で、それを食した猛禽類が鉛中毒になり死んでしまう、というものだ。

強い者が先に死ぬということは、弱い遺伝子しか残れず、それはイコール種の存続の危機に繋がるのだ。

人間も動物的観点から見ると、強い遺伝子を残すことが、より強い人間を、人類を存続させることになる。
だが、人間には知性や理性があることで、それを敢えて阻んでいることはないだろうか?

弱い者を守り、強い者が犠牲になる、というのが今の社会の縮図のように感じるのは私だけだろうか?

強い者がどういう者か?弱い者とは?
受け止め方はさまざまだが、人間の強い遺伝子を残していく、ということに重きを置くのであれば、今の社会は真逆の方向に進んでいるように感じる

沖縄のホテルの廊下で旅行客の女性が寝ていたことで、アメリカ軍兵士に強姦された、というニュースが流れた。
それに対し、駐在沖縄アメリカ軍への抗議運動がなされた。

アメリカ軍によるこの手の事件は昔からあり、今に始まったことではない。
それに対する抗議には賛同出来るし、あってはならないことだ。

だが、今回のことは、酔っぱらってホテルの廊下で寝ていた女性に否があるとしか言えない。
だからと言って強姦して良い、ということではもちろんない。

旅の恥はかき捨て?で、我を忘れて泥酔し、挙句の果てにどんな人がいるか分からないホテルの廊下で寝るなんて、言語道断だ。
そんなスキだらけの女性なら、むしろ襲ってほしいの?と勘違いされても仕方ない。

襲ったアメリカ軍人を擁護するつもりはないが、危機感のなさすぎる女性に対しては自業自得であることを認識いただきたい

今宵は、旅行会社時代の仲間達との同窓会だった。
3年ぶりのメンツだが、これまたあっという間に当時にタイムスリップ。

今は、それぞれ違う部署や、違う職場にいるが、苦楽を共にした濃密な時間は、皆の心に刻み込まれている。
その蓄積があるから、いつ会ってもその当時に戻れるのだ。

集った居酒屋は2時間制だったが、気付けば4時間近く語り合っていた。
その時間を、空間を見つめていると、何とも贅沢で、幸せな時間だろう…と、思わず感じてしまった。

人にはそれぞれの「幸せな時間」がある。
それは、何も成し得ずに訪れるものではない。
日々をどれだけがんばれたか、誇りを持って生きられたか…が、大きな鍵だ。

ふとした瞬間に訪れる「幸せな時間」を感じるために、毎日を精いっぱい生きていきたいと思った

なぜウソくさく感じるのか?のつづき。

ウソくさく感じる人は、己の否を認めない。
認めてしまったら、それまでの人生をも否定することになるからだ。

ウソくさく生きることが身に染みているから、そこから脱却することが出来ないのだが、心の奥底では、そんなことではダメだ、と叫ぶ自分がいることにも見て見ぬフリをしている=潜在意識下ではずっとその思いが燻っている。

人間、生まれた時は誰しも水晶のように透明な心を持っている。
それが、日々を追うごとに濁っていくのだ。
それは、その人自身というより、周囲の環境による影響が大きいと言えるだろう。

そして、時が経ち、気付けば「こんなはずではなかった…」自分になっているのだ。
時間をかけて培ったパーソナリティは、そう簡単には覆らない。

それでも、何とか自分を変えたい、真っ当な生き方が出来るようになりたい!と懇願し、そのためならどんな努力も厭わない!というほどの決意があったなら…。

それを取り戻す方法は、生まれた時の透明な心を取り戻すことにある。
その頃の心根に戻れれば…とは言っても簡単ではない。
だが、自分の心の改まりひとつで、そうなれることもあるのだ

ある意味、ウソくさい人のつづき。

ウソくさい人はなぜそう感じるのか?
私の周囲にもそういう人がいる。ウソくささがプンプン臭う。

それらの人に共通しているのは、発する言葉に説得力がないのだ。
人からの聞きかじりや何かの読み物で得た知識を、さも我が知識のように披露するわけだが、実体験ではないから、どこかムリがあるし、聞いても心に響かないのだ。

相手が「?」と思っていても、話すことに酔いしれてるウソくさい人は、そんな周囲の疑惑に気付くこともなく、延々としゃべり続ける…という人が定番だ。

そもそも、ムダにおしゃべりな人は信用ならない。
自分の話をしたいだけで、周りに気遣いなどないし、周りが反応すればするほどテンション上がって、あることないこと、ペラペラしゃべりまくる。
そのうち、ウソと現実の境目が分からなくなるのだろう。

ウソくさい人の言葉には真(マコト)がない。
だから、早かれ遅かれバレるのだ。

どこに行っても同じことを繰り返していても学習しない、出来ない人達だ。
そういう人が心から改まれることは、おそらく不可能に近いだろう

学歴詐称疑惑で話題のK氏だが、ニュース番組のコメンテーターでの姿を何度か見たが、コメントがなぜかいつも的を外していて、煙に巻くような発言が多く、いつも「?」が浮かんでいた。

だが、彼の見た目で世間は大いに騙されていたわけで、今回の涙の謝罪放送も、とーーーっても反省してる風に聞こえるが、どこか言葉が浮ついていて、ウソくさいことこのうえない。これもやっぱり計算だよな~と思うばかり。

なぜなら、詐称を悪いことだという認識があれば、そもそもそんなバカなことはしない。
学生の頃から「ホラッチョ○○」なんてあだ名を付けられていることからも、その舌先三寸は相当なものと見受けられる。

ある番組でこれに対するコメントをしたお笑い芸人が「いっそのこと開き直って、「ホラッチョ○○」で芸人になったほうがウケるんじゃない?」のコメントが、何とも秀逸だと思った。
個人的には、舌先三寸では引けを取らないサンマあたりとぜひやりあって欲しい。

根っからの詐欺師根性ホラッチョと、大物お笑い芸人のバトル、見物だ!

しょっちゅう「閉店セール」と銘打った、ジーンズ専門チェーン店がある。
チェーン店ぐるみでそんなことをしているのか?私の住む町のお店だけがそうしているのかはナゾだが、いつも「閉店セール」のポスターが貼ってある。

店内で商品を物色しても、閉店セールという割にはまったく安くないし、欲しい商品もないから、結局何も買わずに出てきてしまう。
それでも、ノラリクラリと年月は経ち、つい先日そのポスターの色が黄色から赤色に変わった。

そこに書かれた文字は「完全閉店セール」だった。
マジで完全に閉店するのか?字面だけ読めばそう取れるが、何せ「閉店詐欺」の店だけに、にわかには信じがたい。

同じくしょっちゅう「店じまいセール」をやっていた電気店があった。こちらも、とあるチェーン店だ。
もう何年も「店じまいセール」をやっていたが、ある時気付いたら、本当に「店じまい」していた。

結局のところ、「店じまい」と銘打って客にお得感を煽った姑息な商売をしているようじゃ長続きはしないし、自らのクビを絞めているようなものだ。

騙し打ちは一見得したように見えても、得どころか信用を失い、二度と立ち上がれなくなるだけだ

霊(みたま)様のこと9のつづき。

お彼岸で墓参に行った。
春秋のお彼岸、お盆の時期は、どこの霊苑も賑わっている。
我が家のお墓のある霊苑も相当な人出で、まるで観光地のような賑わいだった。

この時期になると、霊様の思いや声、存在感がグッと近くなるように感じる。
お盆の時期もそうだが、もしかするとこの時期は、霊様が私達の世界に里帰り出来る時期なのではないか?と想像する。

だから、今世を生きている私達もそれを感知し、墓参して霊様との間柄を、縁をより確かなものにするのではいか?とも思う。その縁が強固であればあるほど、その見守りも強くなるように感じる。

母も霊感が強いが、「2、3日前からお父さんが来てうるさくてしょうがない、早くお墓参りに行かないと」と言っていたほどだ。

最近の母は歳のせいもあり、到底遠出が出来る体力がないうえに、花粉症に見舞われ、外に出るのも嫌がるほどだが、墓参はぜがひでも!の勢いで、無事に行くことが出来た。
そのおかげで、母の気持ちも落ち着き、父の霊も落ち着いたような?感じを受ける。

人間の心理として、定期的に霊様を思うように出来ているのか?はたまた、霊様の世界の扉が開くのか?それこそ見えない世界の話だから、不確かではあるが、ただひとつ言えることは、霊様を大切にする気持ちは、即ち自分を救うことになるのだ

次の次元4のつづき。

人工知能の開発により、ロボットの性能が飛躍的に発展している。
災害現場では、人間が入れない場所で救助をしたり、人間の肉体では限度のある重労働を難なくこなしたり、妨害されても起き上がる等々、その進化は目覚ましいものがある。

確かに、生身の人間には補いきれない場面では重宝だが、ロボットが台頭すれば、間違いなく人間の仕事は奪われる。

ロボットは人間のように感情がないから、文句は言わないし、スネたりゴネたりしない。
普段から面倒くさい人間関係で悩まされている日々を思うと、確かにロボット相手のほうがラクだな、と思うことしばしばだ。

そうなると、能力のない人間は仕事を奪われ、収入源を絶たれ、生きていくことに困難を来たす。
ロボットが生産する糧で人間はラクになるのか、その奴隷となるのか?

人工知能が既に人間の知能を凌駕していることを思う時、人間の、人類の存在価値はいかばかりか?
次の次元で人類がどれほど生き残れるのか?はたまた、ロボットには及びもしない進化を人類は遂げることが出来るのか?そうでなければ、人類の生存は危ういばかりだ

霊(みたま)様のこと8のつづき

霊(みたま)様のこと7にも書いたが、私は沖縄に浅からぬ縁がある。
その始まりは、20代の頃に体験した、遺骨収集ボランティアだ。

第2次世界大戦で、日本で唯一決戦の地となったのは沖縄だ。
特に本島南部では多くの方々が犠牲となり、未だ風雨に晒されている遺骨が多数ある。

私が参加したボランティアでは、敵国だったアメリカ軍の兵士達も多数参加していた。
当時は敵国であっても、亡くなった方を偲ぶ思いは、万国共通なのだ。

南部の壕で亡くなった方々は、アメリカ軍ではなく、日本軍の火炎放射器や手りゅう弾に晒されて亡くなった方が多い。
アメリカ軍が残した当時のフィルムからも、それは紛れもない事実だし、それらの映像は、日本で大々的に放送されることはない。

どんなに映像を見たところで、亡くなった方々の思いは計り知れないが、せめて私の出来ることで…と思い、この活動に参加させてもらった。
100名以上の方々と共にジャングルに分け入り、壕に入り、多数の遺骨を収集させてもらった。
皆で見つけさせていただいた遺骨は、相当数に上り、中には身元が分かるものもあった。

これだけの霊様に直に触れ合っていたにも関わらず、まったく霊障はなかった。
むしろ、活動の後は、心地よい疲労感だけが残ったほどだ。

それから10年以上経ち、再び私は沖縄を訪れることになった。
すると、そこから堰を切ったように毎年沖縄に呼ばれている?と思うほど、行かずにはいられない状態が続いている。

前世から今世に繋がる見えざる繋がりは、沖縄の霊様達が繋いで下さったもののように思えてならない

霊(みたま)様のこと7のつづき。

友達の家に泊まりに行った時のことだ。
家の構えを見た瞬間、「あ、いるな!」と感じた。
だが、家まで来てしまって、「やっぱり帰る」とは言えず、イヤ~な予感を抱きながらも、上がらせてもらった。

起きている間は良かったが、床に入ってから、やっぱり何だかイヤな気配は消えず、ほぼ眠ることが出来なかった。
翌朝、友達から「眠れた?」と聞かれたので、答えに困っていると、「実は…」と、友達が語り出した。

その家の2階には、大家さんの荷物がまだ残っていて、その荷物の何かが夜中になるとゴソゴソ動きだすのだそうだ。友達は、怖くてそれを確かめられずにいた。

で、私にその荷物を見て欲しい、と言うのだ。
困っている友達を目の前にして、引き返すわけにもいかず、恐る恐る2階に上がった。

部屋を見回すと、ドッキューン!と目が合った。
それは、人形だった。
「ここから出して、ご主人の元に帰りたい!」という思いが伝わってきた。

人形は、大家さんに置いていかれて、寂しい思いをしていたのだ。
そのことを友達に告げ、後日人形を大家さんに引き取ってもらった。
それからは…2階からの物音も無くなったそうだ。

人形は「人の形」をしている。だからか?人の思いが宿りやすいように感じる。
かわいがったものほど、思いが伝わりやすいのだ。

大事にしているものであればあるほど、その処し方には誠意を込めることが大切なのだ

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