前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2016年06月

最近、昭和歌謡曲の特集をテレビで良く目にする。
当時のVTRや、歳を経た当人が歌ったり、若い人達がチャレンジしたり…あの手この手で、昭和を生きた人間を惹きつけよう?との算段らしい。

昔は好きではなかった歌も、今聞くと良い歌だな~と思ったり、今見てもカワイイ歌手だな、とか、昔の人は老けてるな…などなど、いろんな思いが湧いてくる。

殊に、歌は当時を蘇らせる力がある。
子供時代のことなどが鮮明に思い出され、あの頃の自分を思うと、今の自分はまったく想像出来なかったし、気付けばこんな歳になっていた…。
いろんな意味で、感慨深いのだ。

昭和歌謡を聞いて郷愁に浸れるのは、歌が生活の中にあったからだろう。
家族団らんで歌番組を観ては、あれやこれや語ったり、好きな歌手が出たら狂喜乱舞したり…。
昭和は人間がもっと単純だったのだろう。

懐古に浸りつつも、現実を思うと、何故か生きる力が湧いてくる。
時には、こういう番組を観るのも良いものだ

自分の目で見える範囲とは、何と狭いのだろう…と思う。

まずは、自分の後頭部は鏡で照らさないと見えないし、背中やおしりに何かがくっついていても気付かない。
身体の側面も、身をよじらないと見えないし、足の裏も持ち上げないと見えない。

エスカレーターで、左に寄り、右側を急ぐ人が歩いているが、時々その人の後ろ姿に衝撃を受ける時がある。
スカートがめくれている人、カバンのチャックが開いている人、ロングスカートで階段を掃除する結果になる人、荷物が落ちかけている人…等々。

エスカレーターだけでもこれ以上の珍事の宝庫なのだから、自分の見えない部分には、どれほどの事柄が転がっているか…想像するだけで笑えるし、ゾッとする。

都心の電車はしょっちゅう停まるため、動いていれば急いで飛び乗る習慣が身に付いてしまった。
なぜなら、一本逃したために足止めを喰らうハメになるからだ。
数分毎に走る都心の電車だが、信じられないことに、急がねばならない理由がそこにはあるのだ。

そして、自分が乗った後の電車が停まってしまった…なんてこともザラにある。
その時思うのは、「これに乗って良かった」ということ。
見えているものの後には、見えざる出来事が起きているものだ

現代のアイドルは、クラスに一人はいるであろう、ちょっとカワイイ子が多い。
ちょっとカワイイと、自分も芸能人になれるのかも?と、勘違いしたい気持ちは、幼い少女の幻想で「かわいいな」と思うが、それを真に受けてマジでアイドルを目指すのが、現代の在り方なのだろう。

昔のアイドルは、手が届きそうで届かないものだった。
誰もが憧れのまなざしで、食い入るようにアイドルを応援していた。
それもまた、時代を反映しているのだろう。

手の届くアイドルと、手の届かないアイドル。
どちらもアリなのだろうが、偶像というものは、やはり手の届かない存在だから、良いのかもしれない。

だが、ひとつ言えることは、両者共、私達と同じ人間だ。
普通の人が経験することを、同じように経験していくのだ。

アイドルを通して、自分の生き方を見つめることにもなるし、力をもらえる。
観る側の私達も、アイドルに元気を与え続けられるよう、共に精進したいものだ

イギリスがEUから離脱するニュースは、世界中に衝撃を与えている。
日本から見れば、やはりヨーロッバという一括りの概念で、各国を見がちだ。
これまでEU連合で、ヨーロッパが統一していたように見えていたからなおさらだ。

今回のことで、早速ロシアと中国が手を結んだ。
お互い、ヨーロッバが分裂することを手ぐすね引いて待っている、ということだろう。
ロシアは帝国時代を復活させ、中国は世界の中心となるべく画策に余念がない。

だが、このままヨーロッパが簡単に分裂するだろうか?
難民受け入れ問題など、多くの課題はあるが、分裂すれば、アメリカを始め、列強国の思うツボだ。
誇り高いヨーロッパ民族が、そんなアホなことはしないと信じたいが…。

それにしても、ロシアも中国も、自分達が世界を制覇し、一番の大国になりたがっているのは見え見えだ。
同じ穴のムジナの両国。最後に笑うのはどちらだろう?

どちらが制覇しても、世界にとって良いこととは到底思えない。
狐と狸の化かし合い=バカ試合にならぬことを祈るばかりだ

世の中には、「喜び上手」な人と、「喜び下手」な人がいる。

暮らしは豊かとは言えないが、毎日をイキイキと過ごしている人は、精神も充実しているから、多少の苦労は苦労とも思わず、明るい未来を夢見ながら精進している。

衣食住も人並み以上に恵まれていながらも、何故だかいつもイライラして、ちょっとしたことにも怒りを覚える人は、どう見ても幸せそうには見えない。

他人から見ると、何不自由なく恵まれた環境にいながら、幸せを感じられないなんて、想像もつかないが、「幸せ」を感じる尺度は、他人には計り知れないものなのだろう。

ということは、物質的に恵まれていることだけが「幸せ」ではない、という結論が出る。
では、何がもっとも大切なのか?

それは、自分の心持ち、気持ちの問題なのだ。
どんな状況下であれ、自分が「幸せ」と思えば幸せだし、「不幸」だと思えば不幸なのだ。

そして、「幸せ」な気持ちは、「幸せ」のエネルギーしか引き寄せないし、「不幸」な気持ちは、更なる負の連鎖を招いてしまうのだ。

さて、自分の「気」持ちは、いずこに?自分の胸に手を当てて考えてみよう

東京、神奈川、埼玉、千葉、茨城、静岡に至るまで、首都圏の列車は直通電車が増えた。
複数県を跨ぐ場合、便利だ。

多くの人達が、毎日東京めがけて出勤するわけだが、朝や夜の通勤時の混雑はハンパない。
以前は9時出勤だったが、あまりの混雑ぶりに辟易して、30分早い時間帯の出勤に変えたほどだ。

直通電車は、トラブルがなければ言うことないが、なぜだか、毎日のように遅れるのが日常だ。
人身事故、車内点検、お客様混雑、急病人対応、ホームの落とし物、非常ベルが押された…等々、トラブルの数は枚挙にいとまがない。
その度に電車は止まり、何万人という人たちに影響を与えている。

トラブルが起きた場所だけが停まるのならまだしも、その影響は、複数県を跨ぐ直通電車にモロに反映され、しかも、JR以外の私鉄線にも跨るからやっかいなことこのうえない。

毎日、毎日、列車遅延、運転停止のメールが飛んでくることを思うと、この状態はいったい?と疑いたくなる。
便利になるはずか、不便を招いている。

まさに、進化しているんだか?退化しているんだか?
むしろ、退化したほうが良いのかもしれない。複数県跨ぐから、毎日列車は遅れるのだ

この世の食物連鎖の頂点にいるのは人間だ。といっても、勝手に人間がそう決めているだけだが…。

自然界では、小動物や草食動物を肉食動物が喰らい、肉食動物が力尽きた後には、ハゲタカやハイエナ達がその肉を喰らう。
肉が腐り落ちた後には、ハエがたかり、バクテリアと化し、土へと戻っていく。

人間の吐しゃ物を、時々街中で目にすることがある。
自分の吐しゃ物なのだから、片付けるべきだろうが、予定しない嘔吐であれば、片付けられない、というのが本音だろう。
心では、「申し訳ない」と思いながらも、ムカつきと嘔吐の苦しみで、それどころではない、というのが現実だ。

その吐しゃ物はどうなるのか?
場所によっては他人が片づけてくれるが、誰も処分しないでいると、どこからともなく鳩やスズメがやってきて、吐しゃ物をついばんでいるのだ。

その光景を見て、「エッ?」と思った。
自分には絶対そんなことは出来ない。なぜなら、他人の吐いたものなんて、触るのだってイヤだ。

それを鳥達は、恰好のエサとみなし、ついばんでいるのだ。
ものの数時間もすれば吐しゃ物はキレイに片づけられる。

これも、食物連鎖のなせる業だろうか?
人間は、見えざる生き物達の働きによって生かされていることを心得なければならない

人付き合いをしていると、精神が「卑しい」と感じる人がいる。
「卑しさ」とは何か?

文字にするのは難しいが、些細なことを挙げるとすれば、
人の持ち物に興味津々で、その一挙手一投足をチェックし、それをいちいち口にする。
自分を優位な立場に起きたがり、知らず知らず相手をバカにする。
相手の気を引きたくて、思いつく事柄をベラベラしゃべる。
等々、数え上げればキリがないのだが、そういう行為をする人だからと言って、皆が皆「卑しい」というわけではない。

これは、感覚的なものが強いのだが、卑しさとは、精神の弱さ、乏しさなのだと感じる。
そういう人と一緒にいると、知らず知らずマイナスオーラを引き寄せてしまうからやっかいだ。
そういう人とは、距離感を以て接することが大切だ。

誰も好んで、そんな境遇になったわけではないだろう。
自分でも自分の卑しさがイヤになっているかもしれない。
それに気付かない人がほとんどかもしれないが、それもその人の人生だ。

卑しさをまとっていることは悪いことではないが、自分はそうはなりたくないな、とも思う。
自分に合う場所は、自分の心、精神の在り方が大きく反映しているものだ

人間、上り調子の時や、絶好調の時は、世界は自分を中心に回っている、と勘違いしやすい。
何をやってもすべてが良い方、良い方へ向かうからフシギだ。

だが、そこで自重出来る自分なら良いが、調子に乗っていると、必ずその先には落とし穴があり、まんまと落ちるハメになる。

それはなぜか?調子に乗った時点で、既に運気は尽き、更なる精進もないから、それまで積み上げた功徳は減る一方だからだ。

調子の良い時ほど、良い行いをし、人間として功徳を積むことが大切なのだ。
では何をすれば良いのか?

誰に対しても温かい気持ちで接し、押しつけにならない親切を尽くし、それをひけらかさず、自分の出来ることを楽しんでやり、それが世の中の役に立っていくことをする。
その積み重ねが、未来の自分をより良い方へ導いてくれるのだ。

今の私って、キテる?と思ったら、心の帯をギュッと締め、いつも以上に謙虚な気持ちでいたいものだ

人間には、幸福と不幸の量は、平等に与えられてこの世に生まれてきているように思う。

子供の頃に不幸だった人は、大人になると幸せを掴みやすい。
子供の頃に幸福だった人は、大人になってより多くの苦労をする。

これは、自分を含め、多くの人達を見ていて、しみじみ感じることだ。
子供の頃から、大人になり、今まで不幸だった記憶がない、という人も稀にいるが、すると、今度は自分の子供に苦労させられたり、介護で辛酸を舐めることになったりもする。

一生を通して、ずっと幸せだった、と言える人は、不幸を不幸と思わずにいられたか、ただの脳天気か、それ自体を楽しめたか…様々あるだろうが、苦痛に思わずにいられれば精神的にはラクだ。

そもそも人はこの世に課題を持って生まれてきているのだから、それを達成するための努力や苦労をするのは当たり前のことだ。

多くの難儀があればあるほど、今世の課題をクリアーする時が近づいているのだから、見方を変えると、苦労は買ってでもしたほうが良いのか?ということにもなる。

ただ、人間も生身だ。しんどい思いは、若いうちに早々に済ませ、歳を経ると共に、ラクになっていくほうが良いようにも思う。

両手に抱えて生れてきた「幸福」と「不幸」をどう受け取めるのか?それは、自分次第だ。
それによって、その先にある未来が大きく変わってくるのだから

通勤時には、女性専用車両に乗るようにしている。
同じ混雑でも、女性同士のほうが、まだ我慢出来るからだ。

ホームに電車が入り、ドアが開くと、ドッと降車する人の中に、なぜか背広を着た長身の男性がいた。
後ろから押し出されたが、続いて乗車するようで、ホームでじっと待っている。

降りてくる人が全員女性、乗っている乗客も全員女性という光景に、何となく頭に「?」が浮かんでいるようだが、それが女性専用車だ、という認識がないようだ。

例えば、地方から出てきた人などには、想像出来ない世界だろうし、何がしか身体に障害を抱えているのかもしれないし…と、あれこれ考えを巡らせると、おいそれと「ここは女性専用車ですよ」と、忠告するのも気が引ける。

周囲の女性達も、誰も文句を言わないので、私も知らん顔することにした。
結局、その男性は何事もなかったかのように、次の駅で降りて行った。

女性専用車に限らず、周囲の状況を瞬時に察し、判断することは、日常生活において必須だ。
それが出来ないと、「空気を読めない」ということで、陰口の対象になってしまう。
日本人は、多くは語らないが、周りの流れや雰囲気を察する気質を持つ人種だな、とつくづく感じる。

空気を読む=認知力が、世渡り上手に繋がるのだろう

人生いまいちパッとせず、何をやってもうまくいかない。
今度失敗したら、もう終わりだ~!というような状況を、世間では「崖っぷち」と言う。

確かに、「一寸先は闇」の世では、うまくいかない現状に焦り、見えない未来に気持ちは萎えてしまう。
うまくいかない時ほど、気持ちは沈むだろう。

だが、果たしてそうだろうか?
パッとしない時は、周囲もまともに相手にしてくれないから、そんな状況でも自分を気にかけ、心を向けてくれる人が、真の意味での友人と呼べるだろうし、ピンチの時に手を差し伸べてくれる人が、何より信用出来る人だということも分かる。

反面、人生上り調子の時は、良い人も、そうでない人も、あらゆる人が自分の周りに群がってくる。
そんな中では、真の意味で、自分にとって必要な人が誰かは分からないものだ。

それに、ピンチの時は気持ちも謙虚になりがちだし、何とか上向きの人生にするために、多くの事柄に精進する。
だが、調子の良い時は、その状況にあぐらをかきやすくなり、気付くと足元をすくわれる、なんてことにもなりかねない。

本当の崖っぷちとは、実は、絶好調の時だと心得たほうが良いだろう

芸能人といえどもの続き。

今朝放送されたトーク番組、「サワコの朝」のゲストが宮藤官九郎だった。
彼の脚本、国民的大ヒットとなった、NHK朝ドラ「あまちゃん」が紹介された。

宮藤氏の秀逸な脚本で、演者を光らせ、観る者を釘付けにさせた経緯が放送されたが、VTRの中で、主役である能年玲奈が一度も映らなかったのだ。
他の演者は、脇役に至るまで、細かく映るのに、肝心の主役が出ないなんて!

何とも、事務所側の意図がプンプン臭う!
なぜ、ここまで20歳そこそこの、未来ある女優を叩かなければならないのだろうか。
それを了承するテレビ局もおかしい。

もしくは、彼女のために、意図的に主役を映さず、私のようにそれに疑問を感じて、問題提起してくれることを狙っているのか?
真意は定かではないが、あまりの不自然さに、疑問を感じずにはいられない。

やっぱり、芸能界は現代から大きく取り残されているように思えてならない。

芸能人だって、私達と同じ人間だ。その人権は、守られるべきだ。
この世界で生きていけないまでに叩き潰すということは、またそれを放置している日本の国の在り様が大きな問題だ。

真の意味で、あまちゃんが復活出来る日を、私も祈っている

SMAPや能年玲奈の独立騒動は、平成の世となっても、昭和の古臭い時代と何も変わっておらず、驚きだ。

芸能人が事務所を変わることが、それほど悪いことだろうか?
芸能界は、未だに昭和の在り様がそのまま色濃く残っているように感じる。

若干、芸能人の私生活は緩やかにはなったが、こと契約のこととなると、まるでヤクザ?と思えるほどの束縛と、ピンハネ具合は、今の社会じゃある意味犯罪と言ってもいいだろう。

もちろん、まともな芸能事務所もあるかもしれないが?未だにこんなバカげたことがまかり通っていること自体大きな問題だ。

そもそも、芸能人の労働環境は劣悪以外の何物でもないだろう。
徹夜で撮影なんてザラだし、薬を打ってでも仕事に臨むあたり、まさにブラック過ぎる。

所属する芸能人が事務所に不信感を抱き、契約満了と共に辞めるというのなら、それを引き留めることは出来ないし、まして業界で干すだなんて、人権侵害だ。

ギャラが高いからそれがまかり通るというのは大きな間違いだ。
芸能人は、もっと声を大にして、権利を主張すべきだ

ベッキーの不倫騒動では、この世の終わり?かのような大騒ぎで、本人も憔悴し、家族も近所や赤の他人から後ろ指をさされるような始末だった。

だが、相手の男性は何のおとがめもなく、イケシャアシャアと仕事も続けているうえに、ベッキーがコメントを出したら自分も出す、みたいな、後手後手の対応で、こんなマヌケな男に惚れる価値がどこにあったのか?と思うほどだ。

最近では、円楽師匠が若いお姉ちゃんとの不倫で話題になったが、謝罪会見でさえ笑いに変えて、こちらも何のおとがめもない。

これって、まさに男尊女卑の典型だな、と感じる。
もちろん、男が女遊びをするのだから、女もそうして良い、ということではないが、社会の風当たりの強弱に差があり過ぎるのだ。

舛添さんの件も、多くの不正が明るみに出るまでは黙認されていたわけで、これが女性の議員だったら、もっと早い段階で叩かれていたことだろう。

女が男の頭の上を越えることを、未だに日本の社会は良しとしていないことが分かる。
その割には、女に頭が上がらない男って…。う~~ん、矛盾してるな~

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