前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2016年11月

ハワイで邦人学生3人が死亡 車が木に激突という記事を読んだ。

ハワイの青く高い空、心地よい風に吹かれて、調子こいて車ぶっぱなしてたんだろうな~~~と、簡単に想像出来る顛末だ。
この事件に関わらず、「旅の恥はかきすて」とばかりに、旅先で信じられないような醜態をさらす日本人は多い。

ハワイは日本人が多い島だ。
移住者も多いが、旅行者もおそらく日本人が一番か?と思うくらい、ホノルルなどは右を見ても、左を見ても日本人だらけだ。
ホテルも観光地もショッピングモールも日本語が通じるから、まず不便はない。

ハワイでの事故や事件はあまり報道されないが、ちょいちょい起きていることを思うと、今回この事故が報道されたのがフシギだ。
いつもは、日本では報道されないからだ。

私がハワイ関連の仕事に就いていた間には、何組かの事件や事故を見聞きした。
だが、それらは決して日本では報道されず、人知れずシレッと処理されていた。

一説にはハワイのイメージを損なわせないためあえて報道しない、という話も聞いたことがある。
まるで、夢の国のアミューズメントパークのようだ。

これまで張られていた規制線が外れたことが…フシギだ

仕事帰りにスーパーで買い物を済ませ、すっかり暗闇に包まれた裏通りを自転車で走っていた。
道の奥から、保育園帰りの親子が向かってくるのが見えた。

5歳くらいのお姉ちゃんは、光る運動靴を履いているから、暗い道でもその存在が目立つ。
3歳くらいの妹は、白っぽいマントらしきコートをヒラヒラさせながら走ってくる。
幼い姉妹にぶつからないよう、私は速度を緩めゆっくり自転車を漕いだ。

「自転車が来ているから、気を付けなさいよ!」と、姉妹のお母さんが子供達に声をかけた。
すると、お姉ちゃんはキャーと笑いながら、私の横をすり抜けた。

妹は、私の存在を確認すると、道の端に寄り、ピタッ!と動きを止めた。
どうしたんだろう?と思いながらも、妹に近づかないようにすれ違おうとした瞬間、その子が「私、エライ!?」と、ニコニコしながら言った。

何てかわいいんだろう~~!!!と、感激した私は、その子に笑いかけた。
お母さんは、妹の発した言葉を耳にすると、「エライわね~~!!」と、褒めた。
何て素晴らしい親子だろう!!と、そこでまた私は感動した。

母親の言葉を真摯に受け止め、ケガをしないように道の端に止まった行為もそうだが、そうする自分は「良い子でしょ」と、くったくのない顔で笑いかけるのだ。
嫌味や邪心のない、素直な心だな、とこちらも気持ちが温かくなった。

子供のかわいらしく、純粋な珠のような心を見せてもらった瞬間だった

どこが違う? 年をとって短気になる人、気長になる人という記事を読んだ。

定年退職後に過去の栄光にすがっている人は短気になりやすいそうで、家でも社会でも上から目線で、周囲から一目置かれる存在でいたいらしい。何とも面倒くさい自尊心高過ぎ老人だ。

いくら会社で高い地位にあったとしても、それはその会社だけのこと。一歩会社を出れば、ただの人だ。
それが分かっていないと、いたるところでイタイ行動を起こし、周りから疎まれることになる。

退職していなくても、現役世代にも自尊心高過ぎ人間はいるもので、どんだけ自分がエライと思っているんだろう?とその思考回路を紐解いてみたくなるような人がいる。
常に怒りっぽくて、自分を持ち上げてくれないと機嫌が悪いのだ。
これまた面倒なヤツだ、ということで、やっぱり周りから敬遠される。

というか、ある程度年をとっているのに、カリカリカリカリ怒るのって疲れるだろうな~と、思う。
確かに毎日プチイラすることはあるけど、それに対していちいち怒っていたら身が持たない。
出来ることなら、心穏やかに過ごしたいのだ。

「怒り」はエネルギーの無駄遣いだし、決してハッピーな気持ちにはなれないのだ。
「怒り」は、本当に必要な時にだけ発揮すれば良いものだと思う

カテゴリー「次の次元」のつづき。

最近のテレビ番組は、グルメ、旅、面白くないお笑い、素人頼みのドキュメントバラエティ、スポンサー臭プンプンのドラマなど、何ともお粗末なものが多い。

低予算だと良い番組は作れない、というのが言い分のようだが、果たしてそうだろうか?
国営放送は予算がたっぷりあるから、視聴率を稼げる番組を作れる、と民法放送局は言う。

その国営放送も、最近では視聴者寄りになっている感は否めない。
確かに、高い視聴料を搾取しているのだから、当然と言えば当然だが、何となく違和感がある。

旅番組などで、高級旅館で出された食事を、この世のものとは思えないほど最高!と絶叫するタレント等を見ていると、「そんなの当たり前だろ!」と思ってしまう。
高い宿泊料を払っていてマズかったら、それは詐欺だ。

それは他の番組にも共通する。
高い予算で好評となる番組を作るのは当たり前、低予算でもどれだけ知恵を絞り、観る者の心を掴めるか?

予算がなければ良い番組を作れないのなら、テレビ制作なんて止めてしまえば良いのだ。
テレビがなくても、人は生きていけるのだから…

博多駅前の道路陥没には驚かされたが、1週間ほどで通行再開となり、その復旧の速さに世界から讃嘆の声が上がっている。
確かに、あれだけ大きな陥没を、昼夜問わずの作業で、何もなかったかのようになるのだから、それはスゴイ!ことだ。

だが、再び地盤沈下が起きている、というニュースが流れた。
今のところは7センチくらいの沈下で、想定の範囲内だ、と大成建設と福岡市はコメントを出している。
確かに、それで済めば良いが7センチの沈下って、かなりのものだと思うのだが…。

博多は海に面しているし、もともと地盤の弱いところだ。
一度起きた亀裂は、そう簡単には埋まらないように感じる。

世界では、謎のシンクホールが頻発している。
特にフロリダはそのメッカといわれるほどで、アメリカ大陸から突き出た半島という形状を思うと、周りを海に囲まれているから、やはりもともと地盤が弱いのだろう。

地面、大地は生きている。
人間の浅知恵など思いも及ばない力だ。
地下鉄工事をしているから起きた、などとそんな簡単な話ではないような気がする。

個人的には好きな街、博多。
真の復旧となることを祈るばかりだ

会社組織という場所は、千差万別の能力と性格を持った人達が集まっている。
仕事をしに会社に行ってはいるものの、その大半は人間関係の構築に費やされる。

チームで仕事をする場合、メンバーが皆同じ価値観、認識を持たないと、なかなか前には進まない。
相手がある場合にはなおさらのこと、ひとつの目標に向かって進むことは険しい道のりだ。

日本の風習として、残業する人は仕事をしている、という図式があるが、それって大きな間違いだと思う。
朝早くからガッツリ仕事やれば、たいていは定時に終わるはず。

打ち合わせや会議など、人間関係を円滑にするために費やされる時間が長いから、実務に手をつけられず、終業後に手をつけることになるのだ。

人間も、もっとフラットな感覚で物事をとらえられたらどんなにラクだろうと思う。
感情で物事を考えるから前に進まないのだ。
どんな仕事でもやらなくてはならないし、前に進むしかないのだ。

上司のくだらない御小言や武勇伝、これらはまさに愚の骨頂だ。
能力の劣る社員を皆で面倒を見て、引き上げる作業もこれまたムダでしかない。

それぞれに合った職務をあてがい、その中で全力を尽くせる環境になれば、サービス残業もくだらない会議も減ることだろう。

あーーー、もっとビジネスライクに仕事をこなしたいものだ

あーーー⛄の結末。

東京は朝方から雪になった。
通勤もいつもより少し早く出た。フレックス通勤で、朝早い始業を選んでいるので、通常でも若干ゲロ混み電車を免れているが、今日はこんな天気だから、皆が早めに出るであろうことも計算した。

案の定、いつもより110%増しくらいで混んでいた。
皆考えることは同じようだ。
おとといも、地震の影響で電車が遅れ、ゲロ混みだったことを思うと、それより若干マシ、というレベルだった。

おとといもそうだが、9時始業を目指す人達の通勤とガチあうと、まさに地獄絵図になる。
それを外しているおかげで、今日も想像したよりはスムーズに会社に着くことが出来た。

だが、9時始業の人たちはやっぱり遅れてくる人続出だった。
電車は動いているが、混み過ぎて遅延した、というのだ。

天気が崩れると、普段乗らない人達も公共交通機関を利用するから、さらに混み具合は増幅する。
雪が降っても降らなくても、結局のところ都心の交通機関はゲロゲロだ

今晩遅くから都心は雪になるらしい。
予報では、明日の朝より昼のほうが気温が下がるそうだ。

雪になるとね、都心は大変なんだよ。
北海道や東北の人が見たら、鼻で笑っちゃうくらいの雪の量だけど、5センチ積もったら、それを都心では大雪というし、テレビではこの世の終わりか?くらいに報道合戦が繰り広げられる。

それは、交通網の麻痺が大きな原因だ。
電車やバスの交通機関は間引き運転になるし、道路は渋滞する。
間引き運転なんてするより、いっそのこと運行休止にしてくれるほうが、どれだけ多くの人達が助かるか分からない。
生半可に動くから、会社に行かなければならなくなる、のだ。

交通機関がストップすれば、行きようがないから行かなくで済むのに、中途半端に動くから困るのだ。
なかには死んででも、這ってでも行かなければならない用事もあるだろうが、いっそのこと都心限定で自然災害の日は休日にする、くらいの制定をしてほしいものだ。

明朝のことを思うと気が重くなる。
サザエさんが放送されているわけでもないのに、まるで日曜の夜の気分だ。
さてはて、明日はどうなりますやら…

今朝の地震では、東日本大震災以来の津波警報が出続けた。
地震情報はほとんど報道されず、全局「津波」一色だった。

それだけ先の震災での津波のインパクトと被害が想像を絶していたのだ。
今回は幸い大きな被害もなかったようだが、やはり油断大敵だ。

地震だってこれで終わりではない。
日本全国、いや、世界各国で毎日のように大きな地震が起きている。

日本の建築技術が優秀だから、他国では全壊するような地震が起きても、日本ではビクともしない。
それほど日本の建造物は頑丈かつ柔軟なのだろう。

それにしても、「津波」が来るから「海」や「河」に近づかないようにと言われているのに、やっぱり様子を見に行く人がいる。
それが仕事なら仕方ないが、ただの興味で行くその心理が分からない。

火事現場もそうだが、野次馬根性はどうか?と思う。
己の興味だけで災害の現場に自ら出向き、巻き込まれても知らないよ、ということだ。
毎度のことながら、この手の人はなくならないのだな~と、今朝の情報番組を観て思わされた

最近、我が家の勝手口にやってくる猫の兄弟姉妹がいる。
通り道にしているらしいのだが、裏口でゴソゴソゴソゴソと蠢いている。

勝手口の扉を少し開けて家の片づけをしていたら、何やら気配を感じる。
その方向を見ると、何と子猫が家に上がってきていた。

人間を見てビックリ!して、少し大きな子猫はササッと逃げるが、小さな子猫は逃げ方が分からず右往左往。
出口を開けてあげると、ソソクサと逃げていった。

夜、風呂に入っていると、やっぱり勝手口から蠢く音がする。
風呂上り扉を開けてみると、ガスの室外機の上に、子猫が3匹丸まっているではないか!

ガスによる発熱で暖かいから、そこに小さな子猫が身を寄せ合っている、というわけだ。
見た目はカワイイんだけどね、無責任には飼えないんだよね。

そんなこちらの事情を察してか?子猫達は決して猫なで声で鳴いたりしない。
ただただ、ジッとこちらを見つめ、「ここで良い子にしてるから、寝床にさせてね」と懇願されているように感じた。

兄弟姉妹で力を合わせ?知恵を絞って、野良ネコ稼業を過ごしているのだろう。
猫にも兄弟姉妹を思い合う情がある…。猫に学ぶものアリ!だ

日本には四季がある。
春には花見、夏は海や山を楽しみ、秋は枯れ行く儚さを愛で、冬は雪景色に癒される。
どの季節にも人の心を潤す力がある。

機会があり、紅葉狩りをした。
美しく整備された庭園には、四季折々の草花や樹木が植えられており、水の循環がそれをさらに潤している。
苔蒸す匂いがあたりに漂い、そこにいるだけでホッとする。

庭園の紅葉は今がまさに見頃だった。
緑→黄→オレンジ→赤へと移り変わるグラデーションの何と美しいこと!!!
自然の造形美に勝るものはないとは、まさにこのことだ。

深まる秋、今しか味わえないこの季節を堪能してはいかがだろう

20161120もみじ

子の学力と親の経済力、相関関係があるって本当?を読んだ。

親が金持ちなら子供が優秀か、といえばそうとは言えない。
親が貧乏だと子供は勉強が出来ないか、といえばそうでもない。

金持ちだろうが、貧乏だろうが、「何のために勉強するのか?」「勉強することが自分の未来を作る」「将来の夢を叶えるために必要なことは何なのか?」「自分が生れてきた意味は何なのか?」等々といったことが分かっている親であれば、自ずと何が子供に必要かが分かるから、お金があってもなくても、子供のためになるよう働きかける。

すると、子供は親の気持ちを察知し、自分のために頑張る=学力が身に付く=必要に応じて高学歴になる。
そうあって初めて、真の意味で、社会に出て「役に立つ」人間になれるのだ。
いくら学歴があっても、会社じゃ使い物にならない人はいくらでもいる。

裕福ではない子の学力が低いのは、親の思考力が乏しく、勉学の大切さや、その先に繋がる事柄を考えられないからだ。そんな親に育てられた子供もまた同じ轍を踏む。だから、貧乏から脱することが出来ないのだ。

裕福な子であっても、金儲けしか頭にない親を持った場合、間違いなく子供の思考力は乏しくなる。
親の手前勉強はしたとしても、人間力では裕福ではない子と同等、それ以下になることもある。

どれだけ物事の真理を見極められるか!
豊かでしなやか、それでいて心眼で見極められる思考力が何より大切なのだ

高齢者が自動車事故を起こす事件が話題になっているが、キレる老人も増えた。
昔と違って、高齢者の知恵を聞かずとも、スマホでチャチャっと何でも調べられる。
すると、高齢者と触れ合う機会も減るし、家族であれば同じ話を何度もクドクドされたら辟易する。

高齢者である親達も、自分達のことで子供や孫に迷惑をかけたくない、というので同居せず、子や孫達は核家族となる。
実家に残された親達は、気付けば認知力、体力共に衰えていき、取り返しのつかない事態になって初めて、子や孫はうろたえる、という図式が現代だ。

広い意味で暴走老人を生んでいるのは、家族だ。
それは、子や孫だけでなく、親自身も無用な遠慮をするばかりに、自らの首を絞めているのだ。

子育てをする時、親はどれだけ子供に迷惑をかけられているだろう。
我が子でなければ育てられない、それほどの体力と気力と知力を使っている。
老いた我が身の面倒を看てもらうのは、子供からしてみれば、育ててもらった恩返しなのだから、遠慮などする必要はないのだ。
そこで最も大切なのは、子や孫に依存するのではなく、互いに助け合いながら共に生きていくことだ。

子や孫も、幼い頃から高齢者と接する機会がないから、平気で高齢者を粗末にする。
労わる気持ちのない、自己中な子供が増えているのも、大きな問題だ。

仕事が都会にしかない、ということで都会に出てくる家族が多いが、果たしてそれは究極の選択だろうか?
実家が商売していたり、農家や林業、漁業を営んでいたりはしないだろうか?
先祖代々営んでいたものを捨ててまで都会に出てくる意味はあるのだろうか?
それも、親、先祖を捨ててまで…。

そのツケが、多くの暴走老人を生んでいるのだ

カテゴリー「次の次元」のつづき。

日本人は行列が好き?なようだ。
新しいお店がオープンする、どこぞのおいしいものがどこどこに初上陸する、外国でしか買えないものがここだけで買える、といった希少価値や目新しいものは、並んででも手に入れようとする。

これまでの人生の法則に照らし合わせると、そういう店で長続きしたところは少ない、ように感じる。
物珍しい間は誰もが注目するが、慣れると飽きてしまう、ということだろうか。

それにしても、行列に並ぶ、という行為がスゴイな~と、感心させられる。
欲しいものを手にするまではジッと我慢出来る忍耐力があるのだから、ある意味日本人はやっぱり辛抱強い民族なんだろう、とも思わされる。

だが、それは時に人心掌握に利用されているような気がしてならない。
ポケGO!もそうだが、人の心はこうやって簡単に操れるのだ。

自分の頭で考え、行動することの大切さを、今一度自分の中に落とし込んでみてはどうだろう?

「こたつにみかん」は、日本の冬の風物詩だ。

外が寒いと買い物に行くのも億劫になるから、みかんは箱買いだ。
ダンボールにドーン!とみかんが山盛りになっている様は、見ているだけでワクワクする。
ちょっとノドが乾いた、小腹が空いた、食後のデザート、といった感じでついつい食べてしまう。

我が家では小ぶりのみかんを取り寄せしている。
これだとみかんに付いている、白い筋ごと食べるにも食べやすいからだ。

それは「維管束(いかんそく)」という。
ちょっと舌ざわりが気にはなるが、ビタミンCが豊富なため、風邪やガン予防になるうえに、食物繊維のおかげでお腹にもやさしい、という良いことづくめだそうだ。

確かに、みかんをまめに食べていると風邪をひきにくい、というのは実感だ。
おいしいみかんを食べて、この冬も身体を労わりたいものだ

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