前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2017年07月

母は、無類のキレイ好きだ。
子供の頃は、掃除をしないと階下から2階に雑巾が飛んできたものだ。

キレイ好きだけならまだしも、思い立ったが吉日で、私が休日になると、網戸の掃除したい、雨戸をキレイにしたい、玄関が汚れてる、衣替えしたい、と次々リクエストしてくる。

せっかくの休日も、母のリクエストに応えると、簡単に1日が過ぎてしまう。
しかも、手加減?がないから、何事も徹底的にやる。
自らも率先してやるが、母より確実に若い私のほうが先にバテてしまうほどだ。

さすがに、昨今は高齢過ぎてそこまでやらなくなったが、「やって欲しい」と懇願されることはある。
が、私も母と同じように年齢を経ている。
平日フルで働いているのだから、休みの日くらいのんびりしたいのだ。

額に汗して、というか汗だくになるまで働くのはマジ勘弁だ。
とは言いつつ、この夏も母の指令に振り回されていた。

私が子供の頃は土間があり、風呂場は家の外にあったりした。
つまり、そこは外から土足で入れる場所であり、汚れた服を脱ぐ場所であり、汚物を流す場所でもあった。

その習慣が抜けない父は、家の中にある風呂場で痰を吐いたり、台所でうがいをしたりする。
病気をしてからは、土間と思い込んでいる玄関先でゲロを吐いたりもした。

オイオイ、今は昔と違うんだよ~~と、いくら話しても理解せず、あちこちにおみやげを残していく。
その度にこちらはその後始末に追われる。

育った環境や習慣というのものは、何とも恐ろしく、「三つ子の魂百までも」とは良く言ったものだ。

だが、ここで私は頭がおかしくなったのか?気持ちが肯定に向かわないと、後始末が出来ないことに気付いた。

「人生、こんな機会は滅多にない、ゲロもウンチも、そうそう手にすることはないのだ。これもある種のネタだと思おう、いつかは笑いにしてやる!!!!」と、怒りとも笑いともつかない複雑な感情を抱きながら、まさにその尻拭いをした。

人間、怒りが頂点に達すると?笑いがこみ上げてくることを、この時知った。

戦前生まれだからなのか?九州男児だからなのか?そもそもの気質のせいなのか?
父は、男は仕事、女は三歩下がって自分の後ろを歩き、家のことをやっていれば良い、日々食わせているのは俺だ!という自負が強かった。

現代もこんな思考者はまだまだいるだろうが、決して居心地の良いものではない。
こういう人とは、あまり関わりになりたくないのが、正直な思いだ。

そんな父は、絵に描いた餅のように?自分のことも、家のこともほとんど何もしなかった。
したとしても、後片付けが大変だから、二度としないで欲しい、という有様だった。

そんな習慣は、一生変わることないから、身体が不自由になってからは、なおのこと指令数が増えた。
ごはん食べたい、風呂入りたい、洋服出して、靴下出して、汚れたから洗って~等々、まるで殿様だ。

80歳を過ぎてからは、名実共に障害者となった父は、この世の春を謳歌するかのように、家族を使い果たした。
使われるこちらは、マジたまったものではない。

日々込み上げる怒りとの闘いの連続だった。

親から見れば、子供はいつまで経っても子供のままのようで、何かにつけ、幼い子に言い聞かせるようなことを口にする。

心に余裕のある時は、それらを聞き流せるし、ありがたいとも思えるが、多忙だったり、それどころではないような時には、漏れなくイラッと感が湧き立つ。

殊に、人が忙しい時に限ってあれこれ口を出してくる。
なぜなのか?

よく考えてみれば、自分も幼い頃、忙しくしている親に向かって、わざと意地悪したり、具合が悪くなっていたことを思い出した。
そうか!これは、かまって欲しい!ってことなのだ。

本能的に、自分以外のものに親(子)の気持ちが向かっているから、それを何とか自分に向かせようという本能が成せる業なのだ。

そう心理分析しても、やっぱり忙しい時には苛立つものだ。
まんまと親の心理状況に振り回され、更にイライラ度を高めている自分は、何てアホなんだろう…と、何度反省したことか。

まだまだ、道半ばだ。

人一倍食べることに貪欲な父は、1日に4食+おやつを食べていた。
それは、人工透析をしていても変わらず、死ぬまでずっと食欲が落ちることはなかった。

そんな父は小遣いを渡すと、すぐ食べたいものを大量に買って来て、それを自分が食べるだけなら良いのだが、母や私にも勧めるのだ。
言っちゃ悪いが、父の嗜好はお子ちゃまなため、勧めてくれるものを私は好まないので、ありがた迷惑だった。

私が休みの日は、手のこんだ料理を作ることがあるが、そんな時はいつも側でじっと見ては、食べたい光線を発している。
しょうがないから、味見する?と勧めると、喜んで食べる。

で、その鍋を台所に置いておこうものなら、私が居ぬ間にスプーンを取り出して、ちゃっかり盗み食いするのだ。
その現場を目撃した時は、マジでショックだった。ここまで卑しいとは…。

それからは、父の手の届かない場所に鍋を置くようにした。
何でこんなアホなことをせねばならぬのか…。

父の尽きぬ食欲との闘いは、父が死ぬまで続くのだった。

再同居を始めて常にイラッとしていたことのひとつに、何かと話しかけてくることがある。

テレビを観ている時、パソコンに向かっている時、集中して何かをしている時に限って、必ずと言っていいほど話しかけてくるのだ。
それを無下に出来ず、適当に相手をしてはいるが、それが長くなったり、くどくなると、こちらも生返事になる。

すると、「人の話をちゃんと聞きなさい!」と、漏れなく逆切れされる。

そもそも親と共通の話題が少ないのだから、最初はちゃんと聞いていても、そのうち飽きて適当に相手をすることになる。それが親としてはイヤなのだ。

かと言って、私の身の回りにある話をすると、乗ってはくるが、すぐに自分の過去話へと戻っていく。
おまけに、両親揃って他人との接触を極端に嫌がる。つまり、二人揃って引きこもり気質だから、話をするのは、私しかいない、ということになる。

ひとつ屋根の下にいるのだから、会話は大切だし、くだらない話にも耳を傾けることは必要だろう。
だが、これが毎日となると、なかなか骨が折れる。

何度となく押し寄せてくるイラッと感、これは永遠の課題だろうが、さすがに10年以上一緒にいると、話の勘所が分かってくるし、聞き流す術もうまく?なったようで、今ではそこそこ疎通がはかれているようだ。

と思っているのは私だけで、実は親のほうが諦めた?のかもしれない。

両親と再同居をする時に自分の中で決めたことのひとつに「感情的に怒らない」というものがある。

私が子供の頃、親は感情的にすぐ怒った。
言い聞かせるとか、理論的に教えを受けた覚えはほとんどない。
昔は、おそらくどの家もそうだったのではないだろうか?

殊に、私の両親は二人揃って戦争体験者だ。
何か事があれば、憲兵や警察官等に、すぐ怒鳴られたり、殴られるという経験をして育っている。
父は船に乗って外洋を回っていたことから、軍隊仕込みが抜け切らない。

そんな環境下で育つと、理論なんてものは最初からないし、口答えしようものなら、速攻布団叩きで叩かれたし、門限を破れば烈火のごとく雷を落とされた。

そんな感情的な叱られ方をされると、自分はそうなりたくない、と思う。
だが、親のDNAを覆すのは至難の業だ。

私が湧きたつ感情を抑えられるようになるまでのエピソードを、これから書いていきたい。

生まれた時から親は親であり、ずっと越えられない高い壁だと思っていた。
赤ん坊の時から、ハイハイし、立ち上がり、独り立ち出来るようになるまで、親は育ててくれた。

そんな親はやっぱり偉大な存在だから、歳を経て、老いていく姿を見るのはツライものだ。
だからといって、それは止むことはない。
いつまでも子供でいたいのはヤマヤマだが、いつかは自分も親を越えねばならぬ時が来る。

日々老いていく親の挙動に一喜一憂しつつも、行く先は間違いなく終着地だ。
そう考えた時、親の老いを悲しむのではなく、いかにその時を喜びの思いで迎えることが出来るか?
そこを大切に日々を過ごそうと決めた。

死は決して忌み嫌うものではない。
長い年月、日々起きてくることと向き合い、親は親なりに自分と闘ってきたのだ。
それらが終わり、無事にゴールに到達するのだから、むしろめでたいことなのだ。

喜びの気持ちでゴールのテープを切れるよう、出来ることを精一杯努めたいと思っている。

父が亡くなってから3年が経ち、母は父と同い年になった。
それまでは父の看病のため、母と遠出することは出来なかったので、その後は、二人で沖縄や北海道等々、あちこち旅している。

とは言え、年月を追うごとに母の体力は衰えている。
普通に考えても、80代といえば足腰弱っていてもおかしくない。

それでも、母は飛行機が大好きなので、半年に1度は飛行機に乗っている。
搭乗すると、窓際の席で外をずっと眺めている。
雲の上にいるのが、何とも気持ち良いそうだ。

幼い頃は姉妹弟達の面倒に明け暮れ、結婚後は子育てに、老いてからは父の看病に追われ、思うような自由を満喫出来なかったが、今がまさにその時なのだ。
自由を手にした途端、身体が不自由になるとは何とも皮肉だが、その中で最大限に楽しめる時間を過ごして欲しいと考えている。

子供の頃に私のことを思い、最大限の力を尽くしてくれた母への、せめてもの恩返しだ。

両親と再同居してからは、家計は私が預かることになった。
両親の年金は微々たるもので、私の収入と併せて何とかやっていけるくらいしかなかった。
そこをどう工面しながら、心豊かな毎日を送れるか!それが、私の課題となった。

子供の頃、我が家はどちらかと言えば貧乏だったと思う。
近所にもやし屋さんがあったが、そこに行く度に数十円を渡され、「これで買えるだけのもやしを買って来なさい」とか、米屋に行く時には「いちばん安いお米をください、と言いなさい」などと言われていた。

子供の頃はそれが=貧乏だということに気付いていなかったが、今思えば、我が家は貧乏だったんだ…と、再認識。
そんな惨めな思いは二度としたくない。

決して多いとは言えない収入の中で、惨めさを感じず、それでいて心なしか余裕さえ感じる家計のやりくりは頭の体操にもなるし、それを成し遂げた達成感はクセになる。

貧乏は貧乏なりに?楽しく、明るく、元気に過ごすことをモットーにしている。

ワープロやパソコンが仕事の主流となってからは、自宅でも仕事をすることがあった。

仕事は額に汗してするもの、という概念の父は、家でパソコンに向かう私を見て、「あんなもので金が稼げるのか!」と訝しがり、「何かに騙されているのではないか?」とまで言っていた。

そんな父の言動には頓着せず、私は自分の仕事を淡々とこなした。
父から見たら怪しすぎる仕事だが、そのおかげで毎月収入が入り、大食漢の父の食欲を満たすことも出来た。

そんな安定した日々を送れることに安心したのか?私が仕事をしている時は、黙って2階に上がるようになり、母に「今、仕事してるから、静かにしてないと」とまで言うようになった。

この変わりようには驚かされたが、仕事には額に汗せず、じっとひとつのことに集中して黙々とやる仕事もあるのだと、父は学んだようだ。

私が子供の頃、主に小学~中学生くらいまで、3つの習い事に通っていた。
途中で止めたものもあるが、トータル約6年もの間、それらを続けた。

勉強はあまり得意ではなかったが、習い事は好きで始めたから、そこそこ良い成績を残すことが出来たし、それを通して身に付いた習慣や思考構築力は、今も役立っている。
そういう意味では、父の反対を押し切り、習い事をさせてくれた母に感謝している。

母は幼い頃から習いたいものがあっても、時代や家庭の事情で、それらを諦めて生きてきた。
だから、私には好きなことをさせてくれたのだ。

そんなこともあり、今度は母が新たな習い事を始めた。
区のカルチャースクールで、マイペースで出来ることもあり、気分転換にもなるので、ぜひ行くよう勧めた。
習い始めてからは、それに熱中し、手がけた作品は数えきれない。

気付けば10年以上通った。
いよいよ身体が追い付かなくなり、昨年止めたが、本人としては満足だったようだ。

私が子供の頃に行かせてもらった習い事を、今度は母にお返しすることが出来た。
そして、今度は私が新たなことにチャレンジしている。

親子なれど、学び、高め合う間柄でありたいものだ。

子供の頃、観たいテレビ番組があっても、容赦なく父にチャンネルを変えられた。
特にイヤだったのが、観ている最中、しかもちょうど良い場面で変えられた時は怒り心頭で、文句を言おうものなら、雷を落とされた。

私が世帯主となり、液晶画面の大きなテレビを買い、居間にドーンと鎮座させた。
もちろん、チャンネル権は私にある。
が!父はいつもリモコンを握りしめ、離そうとしない。

昼間は私が仕事に出かけているから、チャンネル権は父にあるようで、母は観たいものを見せてくれない、とボヤいていた。
とはいえ、両親の寝室にもテレビはある。そこで見ればいいものを、居間にある大きなテレビを独占したいのだ。

夜になり私が帰宅すると、食卓の私の席の前に父はテレビのリモコンを置く。
世帯主様、どうぞ、と言わんばかりで笑いがこみ上げるが、そこはポーカーフェースを装い、私が見たいチャンネルに変える。

すると、最初は一緒に観ているが、自分が見たいものではないから、そのうち2階に上がっていく。
その姿を見ながら、子供の頃の仇?を取ったような気分になる。
何ともちっちゃい私だ。

父は大食漢だ。
高齢になってからも、どんぶり飯を2杯は軽く食べていた。
父亡き後、母と二人暮らしになってからは、年間お米は20キロほどしか食べないのに対し、父がいた頃は、月に10キロ、つまり毎月お米を買っていた。

腎臓が機能しなくなった父は、80歳から人工透析を始めた。
漏れなく、食事制限が絶対条件だが、一度もそれを守ることはなかった。
家族がどんなに節制するよう、あれこれ努力しても、もらった小遣いで食べ物を買っては、食べたいだけ食べた。

父の持論として、「食べないから元気が出ない」というのがある。
戦争で食に苦労し、そのせいで健康を害したであろう経験からか?食べれば元気になる!という信念があるのだ。
まさか、食べ過ぎたから病気になったなどということは夢にも思っていないし、家族がどんなに説明しても理解しなかった。

だが、食事制限でストレスを溜め込み精神を病むのと、食べたいだけ食べて苦しんで死んでいくのと、どちらが良いのだろう?
どちらもイヤだろうが、この時の父には二者択一しかなく、もれなく父は後者を選んだ。

それもまた、本人の意思を尊重した、ということになるのだろう。

両親の健康を考え、ストレッチや軽い運動を教えている。
父は最初から拒絶したので教えなかったが、母は乗り気だったので、負荷がかかり過ぎない程度に、あれこれ教えた。

当初は「ああ、確かにいいわね」と喜んでやっているが、そのうち飽きてしまう。
中にはやり続けるものもあるが、効果が薄かったり、面倒だと思うエクササイズは飛ばしたり、忘れたりするのだ。

ある時健康についてのテレビ番組を観ながら、「この体操、良いんだって」と言いながら、やっている。
「それさ~、何度も教えたやつだよね~」と私。
「そうだっけ?テレビが良いって言うから、やってるんだけど…」と母。

母は、私が教えることより、テレビや周囲の人から言われることを尊重?する傾向にある。
その度に、教えた私としては、プチがっかり感に襲われるのだが…(笑)。

こんなことを繰り返しながら、今では周囲から「娘さんの言うことを聞いていれば間違いないわよ!」とのお墨付きをいただくようになった。

母は、周りからそう言われるものだから、今ではその言葉を信じるようになった(笑)。

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