前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2017年08月

人の命は大切だ。
病院側の何としてでも助けたい!という志はありがたい。

だが、そもそも余命いくばくもないであろう高齢者に、人工物を設置してでも生かすというのは、どうなのだろう?
胃ろう治療が物議を醸しているが、人工呼吸器も生命維持装置もこれと近いものを感じる。
それを言うなら人工透析も同様かもしれない。

が、自力で病院に行って帰ってこれる健康状態の治療と、本人の意識はなく物理的に呼吸をさせるだけの治療とは明らかに異なると私は思う。

当人だって、そんな状態で長生きしたいなどと思っているわけではないのだ。
その意志を無視してでも、三次救命救急は生かすことしか見ていない。
せめて、当人や家族の思いを優先するくらいのことは出来ないのだろうか?と、疑問しか湧かなかった。

言い方は悪いが、そこしか引き受けてくれるところはないわけで、こちらの選択肢はない。
良いも悪いもなく、父はそこに搬送されることになった。

救急車が近所まで来て、隊員の方が3名我が家へ上がり、父の状態を確認すると、すぐさまタンカーに乗せ救急車に運んだ。

私は隊員の方に事の次第を説明しながら、救急車に同乗した。
勝手知ったる?救急車内部、というのもこれで何回目だろう、恐らく年に1度は救急車に乗っている気がする。
なもんで、どこに何があるかもおおよそ分かっているので、救急隊員の方が働きやすいように振る舞う。

先方もこちらのことを憶えている様子で、「ああ、またね、今度は何?」みたいな暗黙の了解的な雰囲気が漂い、搬送する病院も手早く探してくれる。

結果的に一次救急で運ばれた病院で検査だけ行った結果、腸ねん転から腸閉塞を患っていることが分かった。
この病院ではベッドが満床であることから、別の病院に搬送されることになったのだが、これが最終兵器?と思しき三次救命救急だという。

つまり、ここでは万が一のことがあった場合、延命をするというのが前提だそうだ。
こちらとしては、86歳の老人に延命のために気管支を切開し、人工呼吸器を据え付け、否が応でも生かす、という手段は好まない、と伝えた。

だが、三次救命救急ではそれを了承しない限り受け入れられない、というのだ。

下剤と下痢止めの摂取を頻繁に繰り返しては、「ウンコが出ない!」「下痢が止まらない!」と毎日同じことを言い続けていたある日、お腹が痛いと言って父はトイレから出てこなくなった。
そのうち嘔吐もし出した。

父はいつもご飯をかきこむクセがあり、まさにがっついた犬のようにガツガツ食べるから、お腹壊したんじゃないの?くらいに思っていたが、夕飯後もそれは続いた。
就寝の時間が過ぎても腹痛を訴えていたが、翌日が透析日だったことから、様子を見ることにした。

普段は2階で寝るが、この夜はトイレから離れられないというので、1階の居間に布団を敷いた。
翌日私は仕事があるため、母に付き添ってもらった。

朝5時頃目が覚めたので階下へ行くと、父がのたうち回っていた。
母に聞くと、「ずっとこの調子で、私も寝れなかった~」と何ともノンキだ。

さすがにその様子はただ事ではないと判断し、救急車を呼んだ。

父のおみやげは、いつどこにあるか分からない。家の中でも気を付けていないといけない。

ある日、階段に何か落ちているのを見つけた。どうやらティッシュのようだ。
父は鼻水をかんでは、そのままポケットにつっこむという、これまたシュールな趣味?を持っている。それが、ちょいちょい落ちていることがあるのだ。

今回もそれかと思い摘み上げようとすると、色が付いているのが見えた。
何だかイヤ~~な予感がする。
その予感はまさに的中で、ティッシュと思ったものはトイレットペーパーで、そこには父の排泄物が付いていた。
アブナイ、アブナイ、うっかり手にするとこだった。

で、何でこんなものが階段に落ちているか父に聞いた。
すると、「ウンコ漏らすから、ケツにトイレットペーパーをはさんでいた」と。
で、「それが落ちたんだ!」だそうだ。

ふーーーん、そういうことか!
と、トイレットペーパーをおしりに挟む父の姿を想像すると…自然に笑いがこみ上げてくるし、父なりに健気に?気を遣っていることが分かった。

だが、結局はおみやげを落としていくのだった。

下剤と下痢止めを数年間飲み続けたことが原因で、救急搬送されることになるのだが、そうなるまでには何度とない粗相があった。

下剤を飲むと数時間後には便意を催すのだが、2階で寝ている父が1階にあるトイレに行くまでに、アラアラ…クッサ~という感じだ。

当人が一番ツライだろうから、あえて何も言わないが、その臭いの強烈なことといったら…。
一度それを嗅ぐと、2、3日は鼻からその臭いが取れないのだ。

透析も年数を経ると体臭も徐々にキツくなるし、排泄物のそれも相当なものだ。
トイレで上手に出せればまあまあだが、たま~に父が歩いた後に、点々とおみやげが…。

臭さと汚さで、ヒ~~~~ッて感じだが、これも回を増すと、だんだん笑えるようになってきた。
「じいさん、ウンコ垂らしてる~~~~」ゲラゲラゲラ(笑)。
といった感じで、笑いながらクッサイ排泄物を片すのだ。

笑いの偉大さを、じいさんのそれから学んだのだった。

透析をする者は食事、水分制限を課されるが、父は食べたいものを食べたいだけ食べていたから、便秘とは無縁かと思いきや、ご多分に漏れずそれに悩まされていた。

原因はおそらく病院で処方される薬と推察される。
1日3回、処方された薬は欠かせない。服用しないと身体はすぐむくむし、血圧も上がり、さすがの父も苦しい思いをすることになるから、これだけは真面目に服用していた。

その中には、漢方薬の下剤もあったが、規定の量の服用では頑固な便秘には効かず、倍以上の量を一気に服用し、数時間後に下痢をし、今度は下痢止めを飲むという、何とも悪循環なことを続けていた。

それが段々エスカレートしたことで、薬の管理を私がするようになったが、私の知らないところでこっそり下剤と下痢止めを飲んでいた。

それが数年続くとどうなるか?
それは、父が亡くなる2ヵ月前に救急搬送される形で現れた。

父が人工透析をすることになった大きな要因は、もともと腎機能が強くないのに、味の濃いものが好きだったことと推察する。
血圧は高いが、糖尿病ではなかった。大概は糖尿病から腎機能が弱るので、「糖尿でもないのに…」と、いろんな方から言われた。

この血圧の高さは尋常ではないのだが、当の本人はいつもケロッとしていて、まったく自覚症状がないのだ。
もちろん、病院から血圧を下げる薬をもらって、これも飲んではいたが、常に150前後を行ったり来たりしていた。

さすがにその数値になると気になるのか、家でも血圧を毎日測り、病院でもらった用紙に書き込んでいた。
それに応じて薬を出してもらっていたが、何度も200超えがあり、それでも1日おきに元気に?通院し、ごはんもペロッと平らげていた。

こんな高血圧でも、意識を失ったことは一度もなく、ちょっと頭が痛い、くらいのレベルだった。
本当はもっと辛かったのかもしれないが、そんな素振りはなかった。

血圧が高いことに気を取られ、あれこれ気に病まれるとこちらも滅入るが、そういうことがなかったことは、ある種父の才能かもしれない…と、今更ながらに思った。

人工透析をする人間は、身体の毒素を自力で体外へ排出出来ないため、塩分や脂分を控え、極力腎臓に負担をかけない食生活を強いられる。もちろん、量もセーブされる。

80歳を超えてもどんぶり飯を平らげる父にしてみれば、そんな地獄のような辛抱は出来るわけがない。
どんなに病院で説教されようが、そんなのどこ吹く風で、「食べないから元気にならないんだ!」を連呼する。

とにかく空腹欲求には従順なのだ。
食べた後は血圧も上がるため、息も上がるようだが、それでも食べることを止めない。
とはいえ、認知症で食べ続けているわけではない。

幸いにも、父は自分の歯があるため、人並みの老人性のボケはあるが、認知症ではない。
というのは、自分の歯でないと、認知症になりやすいという臨床結果があるそうだ。

ちゃんと朝、昼、夕飯を食べたことは憶えているが、その間にも空腹に襲われるそうだ。
つまり、腎臓以外の内臓はいたって元気なため、腹が減るのだ。

80歳を過ぎているということだけでも、十分長寿だ。
そんな老人に、わずかばかりの長生きのために、ストレスかけまくるのは違うよな~とも思う。
病院の先生の言うことはもっともだが、この歳になったら、やはり本人の思うがままにしてあげるのが一番だと私は思った。

そんなわけで、父は好きなものを好きなだけ食べ、通院しては苦しい思いをし、看護師や医師に叱られながらも、自分の好きなことを貫いたのだった。

顔面傷だらけの痛々しい姿を目の前にしつつ、事の顛末を聞くと、裏口からコソ泥のように忍び込んだはいいが、ビル内は薄暗く、気付いたらコケていたそうで、手を付く前に顔面を強打した、ということだった。

そらみたことか!と、ここぞとばかりに父にお灸をすえた。
が、それは私だけでなく、病院の看護師さんからもこっぴどく叱られたそうで、もう二度と裏口から病院には入らない、と約束してくれた。

顔面強打したものの、足腰は丈夫で骨折などもなく、つくづく頑丈なじいさんだと感心するばかり。
それもそれ、人工透析しているのに、骨密度は常に100%超えなのだ。
もともとの骨が丈夫なうえに、普段の食事が功を奏しているのだろう。

後で分かったことだが、顔面強打したことで、実は前歯が折れていた。
これは、父が亡くなるちょっと前に分かったのだが、その時にはもう歯医者で治療を受けられるだけの体力が残っていなかったから、何とか取れかけた前歯のまま過ごしていた。

いずれにしても、これだけイタイ思いをしなければ学ばないとは…父の頑固さ、強情さは、骨密度以上だ。

透析の順番で1番札を取りたいがために、透析仲間の一人が病院の裏口に目を付けた。
ここは守衛さんがいるため、朝早くから開いているらしく、それに気付いた一人がそこから出入りするようになった。

真面目に?表玄関で待っていた父は、自分が一番だと思って意気揚々と開院時間に入ると、既に1番札が取られていて、どういうことだ?と探りを入れたところ、上記のことが分かったそうだ。

それからは、父も負けじと?裏口から入るようになるのと、これまで以上に早く家を出るようになった。
家を出て、透析が始まるまで2時間以上を1番札のために費やしているのだ。

いい加減そんなことはやめるよう再三説得したが、本人は1番札をゲットすることだけが生き甲斐?らしく、頑として止めようとしない。
そんなことばかりして、ビルの管理会社から叱られるのじゃないか?と、心配していた。

そんなある日会社から帰宅すると、父の顔に眼帯が付けられ、その周辺が青たんになり、ボッコリ腫れ上がっていた。
「どうしたの?」と聞くと、「転んだ」と言う。どうやら、コケて顔面を強打した模様だ。

父を始め、1番札をゲットしたい透析仲間が、朝早くから病院の前で待っている。
入り口付近には大きな木があり、それをグルリと囲むように柵があり、それが小休止出来るような作りになっているため、そこに順番待ちをするお仲間が座っているのだ。

当時高校生だった姪が朝の通学時に父を見つけたそうで、「声をかけたらジイジ嬉しそうだったよ」と話してくれたことがある。
姪が学校に行くのは8時前だから、7時過ぎに家を出て、1時間以上病院の入り口前で待機している、というわけだ。

透析患者は一応、1級障害者だ。そんな体力?があるとは、想像だにしえない。
本当はめっちゃ苦しいのかもしれないが、それでも1番札を取るために、這ってでも早く行く、ということなのだろうか。

そんな些細な事に喜びを見出し、達成感を得られるのなら、それはそれで良いのかもしれない。
だが、透析仲間の1番札ゲット攻防戦は日々激化し、ある日を境に禁忌を冒す輩が現われた。
そして、父もそれを真似するようになったのだった。

父の超せっかち気質は昔からで、どこに行くにも一番早くスタンバって家族をせかす。
出かけた先では、いの一番に帰りたがる。いったい何のためのお出かけなのか!?
このせっかちに、いつも家族は振り回されていた。

父が透析のための通院で早く行きたい理由を、本人に聞いてみた。
「1番の札を取るためだ!」だそうだ。

透析をするベッドや、その後の医師の診断の順番で1番を取りたくて、早く行くのだそうだ。
でないと「帰るのが遅くなる!」とのこと。

あのね~~、透析の後何の用事もなく、帰宅後は昼ごはんをガッツリ食べて寝るだけなんだから、何番でも良いだろうが!と思うが、父にとっては重要課題なのだ。

だが、そんな重要課題をクリアーするために、父はその後とんでもない目に遭うことになるのだった。

治療拒否しては救急搬送され、シャント手術も3回行い、また振り出しに戻って、透析のための通院生活が始まった。
退院したばかりでは体力もないだろうから、朝は出勤前に私が車椅子を押して病院まで送り届ける。

ここで困ったことは、父は超せっかち人間で、病院には9時までに行けば良いし、私の通勤時間を考えると、8時過ぎに家を出れば十分間に合うのだ。

なのに、透析の日は朝6時前から居間にスタンバっている。
私は身支度もあるし、朝ごはんだって食べたい、なのに、「まだ行かないのか?まだか?」と、せかすのだ。
そんな父のせっかち気質には、何度ぶち切れそうになったことか。

病院に着くと、車椅子をさっさと降りて、勝手知ったる処置室に入っていく。
残された私は車椅子を折りたたみ、所定の場所に置き、看護師さんに挨拶をして会社に行く。
帰りは昼頃母が迎えに行き、家に連れて帰る。

そんな日々が数ヵ月過ぎた頃、体力もついてきた父が言ったことは、「明日から俺は一人で病院に行くから、もう送ってくれなくていいからな!」だった。

それは、超せっかち気質の父ならではの提案で、次の日からは7時前から病院に行った。
オイオイ、あんたはいったい何時間かけて病院に行くの?
とは思ったものの、自分の意思で早く出かけるのだから、それを尊重することにした。

転院してから、1週間ほどで退院出来た。
築地の大きな病院で装着してもらったシャントは上出来らしく、これまでよりラクに透析が出来るようになったらしい。

ラクというのは針の通りが良く、詰まったりしない、ということだ。
半日かけて身体中の血液を入れ替えるのだから、柔軟で頑丈な人工血管でなければ使い物にならない。
先に二度も手術したシャントは、簡単に言えばポンコツだった、ということだ。

退院し家に帰った日、父は思わぬ行動に出た。
母と私に向かって、「今回はお世話になりました!」と土下座して言ったのだ。

事の次第に、母も私もフリーズした。
今まで生きてきた中で、私達が土下座させられることはあっても、父がそんなことをしたのは、生まれて初めてだったからだ。

何か言わなくては!とあれこれ考えて出てきた言葉は「明日からは、ちゃんと通院してよ!」だった。
父は、「分かった」というと二階に上がり、ゴーゴーいびきを掻いて寝てしまった。

父が入院した部屋は、1日3万円、もちろん個室、ベッドの頭側の壁には「イエス・キリスト」の絵が掲げられている。
キリスト様に見守られ、定期的に様子を窺う看護師さんに見守られ、透析や検査の時間になると車いすに乗せてくれ、あれこれ話しかけては談笑してくれる、そんな夢のような時間を過ごし、父は超ご機嫌だった。

そんな好環境のおかげで、1週間もせず転院出来ることになった。
それを父に告げると、「ここを出たくない!!あの病院に戻るのはイヤだ!!!」と、駄々をこねた。

病人にお金のことは言いたくなかったが、「このままずっとここにいたら、うちは破産だよ」と話し、しぶしぶ転院を承諾してもらった。

転院後、「あの病院の看護師さんは優しかった、何でもしてくれた、ごはんもおいしかった、個室だから良く眠れた、ここはイヤだ~~~~!!!!」と、案の定文句タラタラだった。

どこまでいってもこんな調子の父に怒りがこみ上げてくるのだが、それも段々アホらしくなり、どんなに駄々をこねようが、こちらは淡々と事務的に対応することにした。
そうでもなければ、前には進めないのだ。

病気をしている当人が一番ツライだろうが、周りだって十二分に辟易だ。

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