2017年08月
2017年08月16日
エピソード4-7:人工透析生活7
救急搬送された翌日、3度目のシャント装着手術となり、その時間は病院で待機して欲しいという病院側の要請により、ほぼ1日病院に居た。
手術まではICUで集中治療を施され、本人の意識も朦朧としていたが、予定通り手術は行われた。
無事に手術は成功し、翌日から一般病棟に移ることになった。
これから毎日3万円がカウントされるのか…と思うと、1日も早く転院出来るよう、担当医にお願いした。
大金持ちならば、たかが?1日3万円くらいでうろたえることもないだろうが、そのお金は私が払うのだ。
親のためとはいえ、子供の頃からかわいがられた記憶のない私がなぜ払わねばならぬのか???
暗澹たる思いと、道義的にそうせざるを得ないやるせなさに、何とも言い切れぬ不条理しか感じなかった。
結果的には姉が半分払ってくれたが、それでも納得のいかない話だ。
手厚い治療と看護を受け、父はご満悦だった。
そりゃ、そうだよ、しつこいようだが、1日3万円も払ったら、パーフェクトな看護を受けられるのは当たり前だ。
どこも引き受けてくれなかったのを引き受けてくれたのだから、感謝する思いもあるが、もしお金がなかったらどうだったのだろう?
「誰しも等しく治療をする」、という病院の方針も、結局は「地獄の沙汰も金次第」ということだ。
う~~~~ん、やっぱり割り切れない思いが残るばかりだった。
手術まではICUで集中治療を施され、本人の意識も朦朧としていたが、予定通り手術は行われた。
無事に手術は成功し、翌日から一般病棟に移ることになった。
これから毎日3万円がカウントされるのか…と思うと、1日も早く転院出来るよう、担当医にお願いした。
大金持ちならば、たかが?1日3万円くらいでうろたえることもないだろうが、そのお金は私が払うのだ。
親のためとはいえ、子供の頃からかわいがられた記憶のない私がなぜ払わねばならぬのか???
暗澹たる思いと、道義的にそうせざるを得ないやるせなさに、何とも言い切れぬ不条理しか感じなかった。
結果的には姉が半分払ってくれたが、それでも納得のいかない話だ。
手厚い治療と看護を受け、父はご満悦だった。
そりゃ、そうだよ、しつこいようだが、1日3万円も払ったら、パーフェクトな看護を受けられるのは当たり前だ。
どこも引き受けてくれなかったのを引き受けてくれたのだから、感謝する思いもあるが、もしお金がなかったらどうだったのだろう?
「誰しも等しく治療をする」、という病院の方針も、結局は「地獄の沙汰も金次第」ということだ。
う~~~~ん、やっぱり割り切れない思いが残るばかりだった。
2017年08月15日
エピソード4-6:人工透析生活6
救急で病院に到着すると、救急隊から連絡を受けていた病院のスタッフ数名が駆け付け、見事な連携プレーでまずは処置室へ運ばれた。
私はこうなるまでの経緯を救急隊の方と共に医師に説明し、それを受けながら医師が次々とスタッフに指示を出し、必要な検査が行われた。医師も数名処置に当たり、あっという間に治療方針が決まった。
今装着されているシャントは既に使い物にならないそうで作り直しとなり、肺に溜まった水を抜き、並行して人工透析もすることになった。
父は1時間も経たないうちに大きなベッドに寝かされ、身体中にチューブが挿入され、否が応でも治療を受けざるを得ない状態になった。
手術は翌日となり、その日私は帰宅することになった。
帰りに受付に寄るように言われ、入院の手続きをすることになった。
受付で言われた、
「内金として20万円お支払いください」
「入院日は、一番安い部屋で1日3万円です」
この二言に、ガーーーーン!!!!と、頭をハンマーで殴られた!確かに殴られたのだ!!!
え???20万???1日3万?????
救急隊の方が「よろしいですか?」と言っていたのは、このことだったのだ。
父の具合よりも、この病院から請求される額を思うと、私のほうが卒倒しそうだった。
私はこうなるまでの経緯を救急隊の方と共に医師に説明し、それを受けながら医師が次々とスタッフに指示を出し、必要な検査が行われた。医師も数名処置に当たり、あっという間に治療方針が決まった。
今装着されているシャントは既に使い物にならないそうで作り直しとなり、肺に溜まった水を抜き、並行して人工透析もすることになった。
父は1時間も経たないうちに大きなベッドに寝かされ、身体中にチューブが挿入され、否が応でも治療を受けざるを得ない状態になった。
手術は翌日となり、その日私は帰宅することになった。
帰りに受付に寄るように言われ、入院の手続きをすることになった。
受付で言われた、
「内金として20万円お支払いください」
「入院日は、一番安い部屋で1日3万円です」
この二言に、ガーーーーン!!!!と、頭をハンマーで殴られた!確かに殴られたのだ!!!
え???20万???1日3万?????
救急隊の方が「よろしいですか?」と言っていたのは、このことだったのだ。
父の具合よりも、この病院から請求される額を思うと、私のほうが卒倒しそうだった。
2017年08月14日
エピソード4-5:人工透析生活5
救急車を呼んで、早々に搬送されたのは良かったが、80歳過ぎの高齢で、人工透析を1か月もせず、肺に水が溜まった老人など、引き受けてくれる病院はなかった。
普段通院している病院は透析専門のクリニックで入院設備はない。
その紹介先にも問い合わせてくれたものの、やっぱりどこも引き受けてくれなかった。
そりゃ、そうだよな、そんな老人引き受けて万一のことがあって訴訟でも起こされたら、たまったものではないだろうし、1か月も治療を拒否するような頑固ジジイなど、誰も看てはくれないのは当然なのだ。
救急車の中で1時間以上行先を模索してもらったが、最終的に引き受けてくれたのは、築地にあるあの有名病院だった。
救急隊員に「この病院しか引き受けてくれませんが、よろしいですか?」と聞かれた。
良いも悪いも、道義的に放置も出来ないから、引き受けてくれるならどこでも!
ということで、救急車は一路築地方面へ向かった。
我が家から築地まで、交通ルールに則るならば、間違いなく30分以上車でかかるのだが、救急車はアッと言う間に到着。やっぱ、速いわ…と、違うところで感動しきりだった。
そして、救急隊の方の「よろしいですか?」の真の意味が分かることになるのだ。
普段通院している病院は透析専門のクリニックで入院設備はない。
その紹介先にも問い合わせてくれたものの、やっぱりどこも引き受けてくれなかった。
そりゃ、そうだよな、そんな老人引き受けて万一のことがあって訴訟でも起こされたら、たまったものではないだろうし、1か月も治療を拒否するような頑固ジジイなど、誰も看てはくれないのは当然なのだ。
救急車の中で1時間以上行先を模索してもらったが、最終的に引き受けてくれたのは、築地にあるあの有名病院だった。
救急隊員に「この病院しか引き受けてくれませんが、よろしいですか?」と聞かれた。
良いも悪いも、道義的に放置も出来ないから、引き受けてくれるならどこでも!
ということで、救急車は一路築地方面へ向かった。
我が家から築地まで、交通ルールに則るならば、間違いなく30分以上車でかかるのだが、救急車はアッと言う間に到着。やっぱ、速いわ…と、違うところで感動しきりだった。
そして、救急隊の方の「よろしいですか?」の真の意味が分かることになるのだ。
2017年08月13日
エピソード4-4:人工透析生活4
「もう病院には行かない!」と言い、テコでも動かず、透析を拒否した。
病院には事の次第を話し了承してもらったが、先方にとっても迷惑な話だ。
機能しない腎臓で、人工透析をしないということは、身体の老廃物が体内に溜まるということだ。
1日1日少しずつ毒素が体内に溜まり、徐々に身体はむくみだし、足はぞうさんのようになり、肺に水が溜まり出し、呼吸も苦しくなる。
それでも、本人は頑として病院に行こうとはしなかった。
1か月ほど経つ頃、いよいよ虫の息となり、「救急車を呼んで欲しい!」と懇願してきた。
ほ~~ら、言わんこっちゃない。透析が辛く苦しいのは分かるが、そもそもそんな原因を作ったのは自身だ。
それなのに、ツライから病院行かない、家に引きこもってどんどん具合が悪くなって、今度は病院に連れて行け!というのは、周りにしてみれば、マジで迷惑以外の何物でもない。
こんな状態になるまで家族が放置していたと思われたら堪ったものではない。
私は、父に自分の意思で治療を拒否していたことを一筆したためさせた。
救急搬送されて、万が一のことが起きた時のためだ。
非情と思うかもしれないが、家族にとって父の傍若無人は私が生れた時からずっと続いており、病気をしてもこのテイタラクだ。それくらいのことをしなければ、こちらの立つ瀬がないのだ。
世の中は、被害者とおぼしき人物の悲劇の部分だけを切り取って同情するが、少なくとも我が家において、同情すべき?父の長年の動向については、それに値しないことを声を大にして言いたい。
むしろ、被害者はこっちだ。
ということで、父の所望通り救急車を呼ぶことになった。
病院には事の次第を話し了承してもらったが、先方にとっても迷惑な話だ。
機能しない腎臓で、人工透析をしないということは、身体の老廃物が体内に溜まるということだ。
1日1日少しずつ毒素が体内に溜まり、徐々に身体はむくみだし、足はぞうさんのようになり、肺に水が溜まり出し、呼吸も苦しくなる。
それでも、本人は頑として病院に行こうとはしなかった。
1か月ほど経つ頃、いよいよ虫の息となり、「救急車を呼んで欲しい!」と懇願してきた。
ほ~~ら、言わんこっちゃない。透析が辛く苦しいのは分かるが、そもそもそんな原因を作ったのは自身だ。
それなのに、ツライから病院行かない、家に引きこもってどんどん具合が悪くなって、今度は病院に連れて行け!というのは、周りにしてみれば、マジで迷惑以外の何物でもない。
こんな状態になるまで家族が放置していたと思われたら堪ったものではない。
私は、父に自分の意思で治療を拒否していたことを一筆したためさせた。
救急搬送されて、万が一のことが起きた時のためだ。
非情と思うかもしれないが、家族にとって父の傍若無人は私が生れた時からずっと続いており、病気をしてもこのテイタラクだ。それくらいのことをしなければ、こちらの立つ瀬がないのだ。
世の中は、被害者とおぼしき人物の悲劇の部分だけを切り取って同情するが、少なくとも我が家において、同情すべき?父の長年の動向については、それに値しないことを声を大にして言いたい。
むしろ、被害者はこっちだ。
ということで、父の所望通り救急車を呼ぶことになった。
2017年08月11日
エピソード4-3:人工透析生活3
話しは前後するが、透析を始めるにあたって、紆余曲折あった。
透析をするため2009年5月に、主治医から紹介された大きな病院で、シャント(人工血管)を腕内部に装着する手術をし、その後地元の病院に転院、3週間ほど入院した。
それから2ヶ月ほどで先に作ったシャントがうまく機能せず、再び同じ病院で手術を受けることになった。
その際の病院の対応が悪く、裸のままベッドで長い時間放置された父は寒がり、その対応もなかったことから、父は担当医に激怒した。
父の言い分はもっともだし、病院には病院の都合があるのだろうが、寒がる父を放置した病院側の失態は否めず、2回もシャント手術をするハメになったことは不信感の要因となった。
父の感情も、病院側の不手際も、私にとってはウンザリ以外の何物でもなく、早く状態が落ち着くことを祈るばかりだった。
それでも、何とか手術は終わり、しばらくは父も真面目に透析通院した。
だが、シャントの具合があまり良くないのと、通院しても治らない現状に嫌気が差したのか?
「もう透析はしない!」と父が宣言したのは、同年8月のことだった。
2017年08月09日
エピソード4-2:人工透析生活2
人工透析は週に3日、ほぼ半日かかって身体中の血液を機械で入れ替える。
そのため、拘束時間も長いし、透析前も最中も食事が取れず、食いしん坊の父にとっては、まさに地獄の時間だ。
おまけに、治療が終わるとグッタリ疲れ果て、自力で歩くこともままならないほど、体力を消耗するのだ。
透析日は、帰宅して腹いっぱいご飯を食べ、そのまま爆睡、それが父のルーティンとなった。
透析を始めたばかりの頃は、往きは私が車いすを押して病院まで連れて行き、昼過ぎに母が迎えに行く、それが習慣となった。
私は父を病院に預けた後はそのまま会社に行き、フルタイムで働き、帰ってからは家事をした。
今思うと、よく持ったなと思うが、渦中にいる時はそれがフツウだから、想像するより苦ではなかった。
だが、そんな習慣に慣れた頃、父が治療拒否をした。
それは、透析を始めてから半年ほど経った頃だった。
そのため、拘束時間も長いし、透析前も最中も食事が取れず、食いしん坊の父にとっては、まさに地獄の時間だ。
おまけに、治療が終わるとグッタリ疲れ果て、自力で歩くこともままならないほど、体力を消耗するのだ。
透析日は、帰宅して腹いっぱいご飯を食べ、そのまま爆睡、それが父のルーティンとなった。
透析を始めたばかりの頃は、往きは私が車いすを押して病院まで連れて行き、昼過ぎに母が迎えに行く、それが習慣となった。
私は父を病院に預けた後はそのまま会社に行き、フルタイムで働き、帰ってからは家事をした。
今思うと、よく持ったなと思うが、渦中にいる時はそれがフツウだから、想像するより苦ではなかった。
だが、そんな習慣に慣れた頃、父が治療拒否をした。
それは、透析を始めてから半年ほど経った頃だった。
2017年08月08日
エピソード4-1:人工透析生活1
高齢になれば免疫力も下がり易く、病を発症するリスクは高くなる。
再同居の前から、父は腎臓機能が悪く通院していた。
糖尿病ではなかったが、血圧が高いにも関わらず、味の濃いものを好んだことが仇となったのだろう。
投薬で凌げるうちは良かったが、いよいよそれも適わなくなり、80歳になって人工透析を始めた。
人工透析を始めるにあたり、腕にシャントという人工血管を作るため手術をした。
それが体内に装置されてからは、死ぬまでずーーーーっと、透析をしなければ生きられない。
腎臓の機能が死んだと、分かりやすく父に告げても、差し当たり身体に異変がないから、というか異変はあったのだが、本人がまったく気にしていなかったため、人工透析を受けさせるまでの説得は骨が折れた。
こちらの心配など意にも介さず、ようやくシブシブ納得し?「しょうがないから病院に行ってやる!」というスタンスで、父の透析生活が始まった。
再同居の前から、父は腎臓機能が悪く通院していた。
糖尿病ではなかったが、血圧が高いにも関わらず、味の濃いものを好んだことが仇となったのだろう。
投薬で凌げるうちは良かったが、いよいよそれも適わなくなり、80歳になって人工透析を始めた。
人工透析を始めるにあたり、腕にシャントという人工血管を作るため手術をした。
それが体内に装置されてからは、死ぬまでずーーーーっと、透析をしなければ生きられない。
腎臓の機能が死んだと、分かりやすく父に告げても、差し当たり身体に異変がないから、というか異変はあったのだが、本人がまったく気にしていなかったため、人工透析を受けさせるまでの説得は骨が折れた。
こちらの心配など意にも介さず、ようやくシブシブ納得し?「しょうがないから病院に行ってやる!」というスタンスで、父の透析生活が始まった。
2017年08月07日
エピソード3-10:最初の一歩10
両親との歳の差は永遠に縮まることはないのだから、その差分、違いがあるのは当然だ。
自分が子供の頃の親は若くて元気で、身体もリズミカルに動いていた。
何をするにも親のほうが達者で、子供だった私は、何ひとつ敵うことはなかった。
それが、いつの間にか親の面倒をみる側になって、歳を追うごとに、親は出来ないことが増えていく。
親から教わったことが出来るようになった事柄を、今実践していることを思うと、これもまたいつの間にか立場が逆転していることに気付かされる。
歳を経て身体の自由が利かなくなるほど、長い年月を親は生きてきたのだ。
そう考えると、これまで生きてきただけでも、すでに人として合格なのだ。
後は、来るべき国替の時までをどう過ごすか?
悔いなく今世を全う出来ること、その手伝いをすることが私の最上級の課題だ、ということにも気付かされた。
自分が子供の頃の親は若くて元気で、身体もリズミカルに動いていた。
何をするにも親のほうが達者で、子供だった私は、何ひとつ敵うことはなかった。
それが、いつの間にか親の面倒をみる側になって、歳を追うごとに、親は出来ないことが増えていく。
親から教わったことが出来るようになった事柄を、今実践していることを思うと、これもまたいつの間にか立場が逆転していることに気付かされる。
歳を経て身体の自由が利かなくなるほど、長い年月を親は生きてきたのだ。
そう考えると、これまで生きてきただけでも、すでに人として合格なのだ。
後は、来るべき国替の時までをどう過ごすか?
悔いなく今世を全う出来ること、その手伝いをすることが私の最上級の課題だ、ということにも気付かされた。
2017年08月06日
エピソード3-9:最初の一歩9
中学の頃から一家の夕食を作っていた私にとって、両親との再同居でまた料理をすることは、さほど苦ではなかった。
あの頃と違うことといえば、料理の種類が多くなったことから、好みに差が生じたことだ。
私は社会に出てから、世界各国の料理を堪能する機会がしばしばあったため、それを家でも再現しようと試みた。
が、両親にとってそれは食べ慣れないことから、マズイものとなった。
作っても、結局食べてもらえなければ、意味がない。
嗜好ひとつ取っても、ジェネレーションギャップの溝はなかなかに深い。
子供は時代の波に乗れても、親はそれに乗ろうとはしない。
そこが、親と子のボーダーラインなのかもしれない。
どんなに努力しても埋め合えない溝はある。
あとは、いかにそれと向き合い、上手にこなしていくか?
これもまた、新たな課題のひとつとなった。
あの頃と違うことといえば、料理の種類が多くなったことから、好みに差が生じたことだ。
私は社会に出てから、世界各国の料理を堪能する機会がしばしばあったため、それを家でも再現しようと試みた。
が、両親にとってそれは食べ慣れないことから、マズイものとなった。
作っても、結局食べてもらえなければ、意味がない。
嗜好ひとつ取っても、ジェネレーションギャップの溝はなかなかに深い。
子供は時代の波に乗れても、親はそれに乗ろうとはしない。
そこが、親と子のボーダーラインなのかもしれない。
どんなに努力しても埋め合えない溝はある。
あとは、いかにそれと向き合い、上手にこなしていくか?
これもまた、新たな課題のひとつとなった。
2017年08月01日
エピソード3-8:最初の一歩8
ジェネレーションギャップとは、世代間において、物の考え方や習慣等が明らかに違うことを言う。
新卒で入社した時、年配の方が結構いて、それらの価値観や思考には、明らかに付いていけないことが多々あった。
ということは、親といえども埋められないギャップがあることは明らかだ。
いくら親に育てられたとはいえ、親とは接しない時間では、親の知らない世界が展開し、親の世代で学ぶことのなかったことを学んでいる。
そりゃあ、思考に溝が出来るのは当たり前なのだ。
とはいえ、それをムリに埋めることもなかなか難しい。
乖離した価値観や思考とどう折り合っていくのか?
そもそも、同世代でもそうだが、他人と同じ価値観ということは有り得ない。
ということは、親であっても、自分と同じであることもまた有り得ないのだ。
親も自分とは違う別の人格で、違う価値観で生きている。
そこに気付けた時、ちょっと気がラクになった。
新卒で入社した時、年配の方が結構いて、それらの価値観や思考には、明らかに付いていけないことが多々あった。
ということは、親といえども埋められないギャップがあることは明らかだ。
いくら親に育てられたとはいえ、親とは接しない時間では、親の知らない世界が展開し、親の世代で学ぶことのなかったことを学んでいる。
そりゃあ、思考に溝が出来るのは当たり前なのだ。
とはいえ、それをムリに埋めることもなかなか難しい。
乖離した価値観や思考とどう折り合っていくのか?
そもそも、同世代でもそうだが、他人と同じ価値観ということは有り得ない。
ということは、親であっても、自分と同じであることもまた有り得ないのだ。
親も自分とは違う別の人格で、違う価値観で生きている。
そこに気付けた時、ちょっと気がラクになった。