前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2017年10月

大手コンビニエンスストアで、24時間営業を検討している、という記事を読んだ。

私は昼型生活なので、深夜のコンビニを必要としないから、さほど大きな打撃はないが、夜型人間にとっては、やはり必要不可欠なのだろうか?

とはいえ、スーパーなどは一定の時間になれば閉店する。
だからと言って困ることはない。空いてる時間に行けばいいだけの話だ。

昼間しか営業せず困るのは役所や銀行だ。
どうしたって必要に迫られ、会社を休んで行かざるを得ないこともある。
だからといって、それを24時間営業にしろ、と言う声はあまり聞かない。

そもそも人間は自然の一部だ。
朝陽を浴びて動き出し、太陽が沈めば家に帰り寝る。
それが人間の基本だった太古を思う時、現代の生活にムリがあるのだ。

自分の体には、何世代にも亘る自然の遺伝子が流れている。
その流れに逆らうことなく、人間らしく、自然らしく生きられたら…と願う。

3大メガバンクが、数年をかけて約3万人以上を削減するとの報道がされた。
ATMやネットバンキングの台頭で、店舗来場者も減ってきたことから、銀行はますます機械化されていくだろう。

ニュースでは、削減人員のリストラはせず、新規事業への配置換え等に当てると言われているが、現実はどうだろう。

銀行と業務提携した企業へ出向や、新規事業立ち上げといっても、どこぞの財閥や大手の傘下の元での始動だろうから、そんな簡単な話ではない。

慣れ親しんだ銀行業務から、ヘタをすれば180度真逆の世界へ配属される可能性だってあるのだ。
そこで心機一転がんばれるだろうか?若ければまだしも、中高年には事実上の窓際通告と同じだ。

人間は文句を言うし、現状に満足出来ず、機嫌次第で仕事の良し悪しにも影響を及ぼす。
だが、少なくとも機械は操作したらそれ以上のことはしない。

さてさて、人間と機械、どっちが使い易い戦力になるのだろう?

久しぶりに大きな病院へ行った。
これまでは、父の付き添いで行くことはあったが、自身のために行ったことはなかった。

そこは、2時間待ちの3分診療なんて言われた時代もあったが、今は違う。
受付のシステムから分類化されており、次のステップへ進む間のそれぞれの待ち時間は以前のように長くない。

要所要所の待ち時間が分刻みだと、そんなに待たされたように感じないからフシギだ。
結局、最初の受付から会計が終わるまでにかかった時間は2時間ほどだった。
昔なら、診察まで2時間待たされたから、各段の進歩だ。

病院も各患者のデータが蓄積され、それぞれの部署で確認出来るからこそ、トータル的にスムーズな流れを生み出せるのだろう。
これでこそ、システム導入した意味がある、というものだ。

それでも、まだまだ工夫出来る点もあるだろうが、それもきっと時の流れと共に解決していくことだろう。
システマチックになることもまた、生きていくうえでありがたい恩恵だな~と感じた

無駄な動きや無駄遣いを好まない私は、会社帰りのスーパーで見切り品を見つけるのが得意?だ。
というか、定価で物を買う概念がほぼない。

見切り品でも、賞味期限が少々過ぎていても、保存方法をきちんとすれば腐りにくいし、おいしくいただける。
そうやって、少しでも安い食材を組み合わせて、あれこれ料理する。

以前はランチくらいはケチケチせずに、とお弁当を買ったりしてもいたが、夕飯の残りが出たり、見切り品で安い食材が出ることで、弁当を作る習慣がついた。
というのも、母のお昼も用意せねばならなくなったことが大きな要因ではあるが、それならば自分のお弁当も一緒に作れば一挙両得だ。

スーパーも、最寄の駅周辺に3店舗あるので、それぞれの得意分野の食材のボトムを調べ、これを買う時はこのスーパーとも決めている。
そうやってうまくやりくりすると、食費はかなり抑えられる。

無駄な動きも好きではないので、1日の予定を決めたらいかに効率良くそれらをこなせるか?を考え、それ通りに行くと、満足度もアップする。

そうやって普段はきっちり節約に徹すると、大好きな青い海に会いに行ける、というわけだ。
つまりは、年に数回のお楽しみ旅行のために、日々節約に励んでいる、ということだ

「えーっと、今日は木曜日?」と母。
「そうだよ」と私。

「んーーっと」と言いながら、壁にかかったカレンダーを見入る母。
「あ、13日か!」と母。
「それ、金曜日じゃん?」と私。

「んーーーっと、じゃあ、20日か!」と母。
「それも金曜日だよ」と私。

「え?そう?じゃ、27日?」と母。
爆笑する私。

「って言うことは、あんた給料出たの?」と母。
「うん、出たよ」と私。

「いいねぇ~~、で、給料上がった?」と母。
「給料は年に一度しか上がらないよ」と私。

「あら、そうなの?もう上がったかと思った」と母。
その後、私は涙を流しながら笑い転げた

先の衆院選では、悲喜こもごもの結果となった。
選挙特番やその後のニュースを見ていて感じるのは、政治家個人の無責任さだ。

党首の采配がうまくいけば誰も彼もが、よってたかってその甘汁を吸おうとする。
それが一転すると、今度は手の平を返して罵倒する。
党首に任せたのが間違いだった、責任を取って辞任してもらわねば!などと一斉に攻撃する。

党首一人がすべてを決めたわけではないだろうし、うまくいかないからと言って、その責任を一人に押し付けるのって、学校で子供が一人の子をよってたかっていじめるているのと同じだ。

大人が、国を一線で担う政治家でさえこの有様だ。
社会からイジメがなくならないのは当たり前だ。

それにしても、自ら党首を務めるだけの才もない者に限って、他人を批判する。
批判はしても、代替案を出せない。文句だけなら誰だって言えるのだ。

真に国民のためを考えたら、無責任なヤジを飛ばすだけなんて…。
いったい、何のために政治家になったのか?
己の胸にぜひ聞いてほしい。

昨今は足腰が弱り、あまり外に出ない母にとって、唯一の話し相手は私だけのようで、何かにつけあれこれ話しかけてくる。
出来る限り私も相手をするよう心がけてはいるものの、たま~にリアクションに困ることもある。

朝ごはんを食べている時、しげしげと私を見つめる母が、
「あんた、そんなにハゲて…かわいそぉにぃ~~」と言った。

確かに、この数年髪が薄くなっているし、分け目から地肌が見える。
だが、これくらいは世の中の女性にはアルアルだ。

会社勤めをしていると、薄毛の女性が多いなというのが実感。
私の会社にもそういう人を見かけるから、私自身はちょっと気にするくらいのことだった。

それを、しみじみ「かわいそうに…」なんて言うものだから、それが私のツボにハマり、思わず吹き出してしまった。
相変わらず、母の観察力とそれに対する発言は面白すぎる

関東地方は、昨日から朝方にかけ台風の影響で大雨、強風に見舞われた。

特に通勤時間帯に上陸する予報だったため、電車も前日から間引き運転をすると報道していた。
だからさ~~~~、間引き運転にするとさ~~~、地獄なんだよ。
いっそのこと、電車止めてくれないかな?といつも思う。

私が利用する電車も特定の区間のみの運転プラス間引き運転との情報を得たため、いつもより早めに家を出た。
幸い、その時間は台風の目に入っていたため、ほぼ雨は止んでいた。

駅につくと想像より人はおらず、電車も1本待っただけで乗れた。
車内はいつもより混んではいたが、思ったほどの混雑はなかった。
が、それはおそらく自分の沿線だけで、他は大変だったかもしれない。

会社に着いてみると、他の人たちもほぼ定時にやってきた。
誰もが早め早めの行動で、いつも通りに到着した感があった。

昼前には青空が広がり、朝からの大騒ぎはいったい何だったのか?といった感じだ。
いつものことながら、自然災害には脆い人間社会を思うと、自然の偉大さを改めて実感させられる

サントリーホールでオルガンコンサートを聴いた。
パイプオルガンの音色の素晴らしいことは言うまでもなく、打楽器奏者とのセッションも新鮮だった。

宗教音楽要素の強いパイプオルガンだが、少しのアレンジで違う世界が広がる。
そこに身を置くだけでも居心地良く、心もリセット出来た。

そこで更に感動したのは、司会進行の川平慈英だ。
誰よりもこの演奏会を楽しみにしていて、進行役もイキイキとこなしていた。

始めは、彼と音楽がイコールにならなかったが、休憩後に披露された彼の歌を聴いて、この方は歌が、音楽が好きなのだ、ということを実感した。
演者の引き立て方もさりげない中に、最高の賛辞を送りつつ、心からこの空気を楽しんでいることが伝わってきた。

彼にとっては仕事のひとつに過ぎないのだろうが、これほどまで心血を注ぎ、喜びの気持ちで取り組んでいる姿勢に感心させられた。

誰にとっても仕事は一変通りになりがち、慣れ切ったものになりがちだ。
そこを改めて新鮮な気持ちで取り組むこと、コンサートと共に、それ以上に大切なことを教わった一日となった。

先週の今日(10月5日)、会社の帰り道をダラダラ歩いていた。
普段はシャキシャキ歩けるのだが、この日は何だか身体が重く、思ったように歩けない。

ようやく帰り着いたもののやっぱり何だか具合がおかしい。
で、体温計で測ってみると、何と38度!
この日は早々に寝たからか、翌朝熱は下がったが、やっぱり具合は良くない。

それでも何とか会社には行き仕事を終え、帰りにかかりつけ医に診てもらった。
そこでウイルス感染の風邪に罹っていることが判明した。

「あんたも具合悪いんだから、しばらくはお昼ご飯は作らなくてもいいよ」と母。
その言葉に甘え、翌日からはお弁当作りを休むことにした。

今週に入ってもまだ弁当を作る気力、体力がないため、晩ごはんの残りや軽食を買って、それをお昼にしていたが、今日はめぼしいものが家になかった。

すると、「私のお昼は?」と母。
えーーー、「具合悪いからしばらくは作らなくても良い」って言ったよね?と、ツッコミたかったが、まだ本調子でないことから、「悪いけど、何か自分で考えて食べて」と私。

帰宅して「お昼何食べた?」と聞くと、
「食べるものないから、お菓子食べたぁ~」と母。

「あんたはマリー・アントワネットか!?」とツッコミたかったが、まだその気力もない。
こんな状況でも、母の破壊力は絶好調だ。

※フランス革命時に、民衆は明日食べるパンもない極貧状態の折に、皇太子妃であったかのマリー・アトワネットが「パンがなければクッキーを食べれば良いじゃない」と言った(真偽は不明)、ということから思った事柄だ。

人生最大級?な大風邪に見舞われたうえに、会社の健康診断結果が配布された。

総合的に判断して問題のある人は、強制的に検査を受けねばならない。
で、私はその対象となっていた。

以前からチョコチョコ不具合はあったが、今回は私にとってこれまた最大級に悪い結果が下された。
数年前に橋本病と診断されていたが、経過観察だけで投薬もなく、定期的に検査しているだけだった。

それがここにきて、おそらくそれが原因と思われる不具合がアチコチから見つかった。
これは、いよいよもって腹を括り治療してもらわねば!という感じだ。

ここでムリをして出来なくもないが、爆弾を抱えたまま決して快方しないで放置するのはやはり良いことではないだろう。

幼い頃から大病もなく、インフルエンザも50歳過ぎてから初めて罹ったくらいの健康体だった。
これまで元気に過ごせたことは、ありがたいことでありキセキだった。

これからは、身体を労わりながら大切に使わせてもらおう。

木曜日の夜に38度の高熱を発した。
市販の風邪薬を飲み、おでこと首筋に冷えピタシートを貼って早々に寝た。

翌朝に熱は下がったが、どうも調子はいまいちだった。
会社を休めなかったので、何とか行ってはみたものの、頭はボーッとしている。
これって、ヤバイパターンだな~とか思いながらも、何とか無事に仕事を終えた。

帰りに掛かり付けのクリニックで検査をしてもらった。
医師曰く「インフルより立ち悪いウイルス感染症に罹ってるから、この3連休は絶対安静!」とのこと。
幸い、多く予定を入れてなかったため、すべての約束をキャンセルし、この3日間はひたすら静養した。

振り返ればこの1年(ってまだ3か月あるけど)、一度も具合の悪かったことはなく、忙しく走り続けていたからか、ここに来てガタが来た?らしい。

インフルではなかったものの、それより以上にひどい感染症があることに驚いたし、それは抗生物質が効かないのだと。
3連休、医師の言いつけを忠実を守ったものの、症状はあまり改善していない。

明日もまた病院に行く予定だ。

高齢になると物忘れに拍車がかかるが、いつも感心することのひとつに、名前の呼び方がある。

「あの~、Aちゃんじゃなくて、Bちゃんじゃなくて、Cちゃんじゃなくて、Dちゃんじゃなくて…Gちゃん!」と、呼びたい人の名前をなぜか最後に言う母。

母には3人の子供と5人の孫と、4人のひ孫がいる。
それらの誰かの話をしようとすると、決まって違う人の名前を呼び、その次もまたその次も違う名前を言いながら、ようやっと呼びたい人の名前に辿り着くのだ。

これって?
思い出すのにどんだけ時間かかってんねん!かかり過ぎや!ってツッコミたくなるが、客観的に見ると、かなりスゴクない?

みんなの名前がどんどん出てくるし、最後にちゃんと呼びたい人に辿り着くのだから、たいしたものだ。
これもある種の母の特技?だと思う。

それにしても、毎度のことながら相手を呼ぶだけでも、きっと母は骨が折れることだろう、と推察する。

自分もそうだが、歳と共に勘違いや思い違いなんてことはよくある。
自分が間違った時は、テヘヘ…といった感じで適当にごまかすのに、親が間違ったことをしたり言ったりすると、すぐムキになって言い返したりする。

それが親子であり、感情をダイレクトにぶつけられる間柄ではあるが、その感情はまさにダイレクトに心に突き刺さる。
親といえどもナイーブな感情もあるし、高齢になったことで抱える不安もある。
そこに容赦ない感情をぶつけたらどうだろう?

認知症になると、物事の判断が出来ないように思いがちだが、そうではない。
表向きは理解出来ていなくても、深層心理はちゃんと理解しているし、自分に対する周りの対応も分かっているのだ。

だからこそ、表面上はボケたような行為を快く受けとめるためにも、私は笑いに変えている。
そうすることで、受ける側も当人も知らず知らず笑顔になるからだ。

表層的な事柄は変わらないが、心は笑いを通して明るくいられる。
こうあり続けることもまた、己の精進に繋がるのだ。

週末は用事があり、母共々遠出していた。

足元もおぼつかず、普段は使わない杖をついてまで行く先は空港だ。
そう、母は飛行機が大好物で、年に数回は乗せないと機嫌が悪くなる。

かくして、今年2度目というか、往復をそれぞれ1カウントとすると、3回目の搭乗となった。
羽田空港は広く、搭乗ゲートまでは遠いところもある。
今回搭乗するゲートはほぼ空港の端だったが、がんばって歩いてくれた。

機内では窓際に座り、ずっと空を眺めている。
見ているだけでテンションが上がってくるらしく、「何だか元気になってきたぁ~~~~!」とご満悦だった。

飛行機が離陸し、安定飛行になると飲み物サービスが始まる。
それに合わせて食べるお菓子を用意していたので、母に渡した。

すると、「私、栗のお菓子は好きじゃないのぉ~」と母。
「え?それここで言う?しかも、今更言う?」と私。

栗の季節になると、今まであれこれ栗味のお菓子食べてたよね、なのに、今頃?しかも、機内で?
あまりの突然の告白?に、爆笑するしかなかった。

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