前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2017年11月

私の所属する部署は女性が多い。しかも、皆仕事が出来るうえに、人柄も良い。
忙しく仕事をこなしていれば、他人のことなど気にする暇もなく、効率よく仕事をこなすため、打ち合わせもダラダラやらない。パパッと決めて、チャチャっとこなす。

で、たまに皆でランチをしたり、呑みに行ったりすると、会話が盛り上がる。
ほぼ同じ価値観で仕事に取り組んでいるから、無用なトラブルも起きないのだろう。

だが、ここに男性が加わると面倒くさいことこのうえない。
そういう人達は上に立っていることが多いのだが、女性より飲み込みは遅いし、自分の我で仕事を進めようとするから最悪だ。

挙句の果てに何を勘違いしているのか?挨拶しても返さない、自分より下と思われる人は見下す、といった感じだ。
あ~~、何ともちっちゃいオッサンだな~~と、いつも思う。

全ての男性がそうではないが、仕事の出来ないオッサンは、中身もちっちゃい、ということは実際にあるようだ。

夕飯は鍋の予定で、食材を煮込んでいた。
そこに、う~~ん、何か足りないなぁ~!と思い、いろいろ考えて思いついたのが「ゴマ」だった。
ゴマを入れたら風味も良くなるだろう、と保存していたすりごまを見つけて、鍋にドバ~っと大量投入した。

これでゴマ感満載のおいしい鍋になる!と、一人ワクワクしていた。
しばらく鍋をかき混ぜていると、何やら妙なニオイがしてきた。

こ、こ、これは!!!あ~~~~、やっちまった~~~~!!!!
とニオイでやらかしてしまったことを悟った。
古くなり過ぎたゴマが酸化し、異臭を放っていたのだ。

とはいえ、食べないわけにもいかないと思い口にしてはみたが、あまりの酸化臭にやっぱりリタイア。
食材が作られる過程での多くの手間、自然の恵みに詫びつつ、処分した。

炊事で失敗することはこれまで数えるほどしかなかったが、今回は大失敗だった。
家族にも迷惑かけたし、食材もムダにしてしまった。
ただただ、それらに詫びるしかなかった。

熊本市議の女性議員が、生後7か月の赤ん坊を抱いて本会議に出席した、というニュースを目にした。

女性の権利向上や、働くママ達へのエールとも取れるかもしれないが、そこは職場だ。
自分の職場に置き換えて考えたら、赤ん坊がいたら仕事など手につかないだろうし、周囲も気を遣わざるを得ない。

この議員がなぜ赤ん坊を連れてきたのか真意は不明だが、結果的に一緒に来た友人に赤ん坊を預けたのだから、パフォーマンスかもしれないが、そもそも赤ん坊を議場に連れてくる必要があったのだろうか?

職場は生産の場であり、食うか食われるか?生きるための糧を紡ぎ出す場だ。
大人達は殺気立つこともあるだろうし、口汚い言葉を吐くことだってある。
それは大人の社会だから出来ることだ。そこに子供がいたらどうなるだろう…。

居酒屋に子連れが常態化している昨今だが、大人の社会と子供の社会は、本来分けて考えなければならない。大人の社会に、無理やり子供を連れ込むことは、虐待だ。

職場は大人の世界だ。そこに赤ん坊、子供を連れてくること、私は反対だ。


母と電車に乗る時は、シルバーシートがあるドアから乗車する。
大概、老婆を見た人は、何も言わなくても席を譲ってくれる。

シルバーシートは、高齢者や妊婦、身体に障害のある人等が優先的に座れる席なので、こういう制度はありあがたいし、席を譲ってくださる方にも感謝している。

今日乗車した車内はソコソコ混んでいて、空席はなかったのでシルバーシートを目指した。
6席のそこには、ほぼ高齢者で埋まっていたが、2席だけ10代後半か20代前半くらいの健康的な若い女性が座っていた。

こちらをチラッと見たものの、席を譲る気配はない。
シルバーシートの手すりに母を捕まらせたが、それでも譲る気はないらしく、シカト状態だった。

すると、シルバーシートではない違う席から一人の女性がわざわざ来てくれ、母に席を譲ってくれた。
私は、「シルバーシートがあるから大丈夫ですよ」と言ったものの、その方の好意に甘えることにした、というか、さっさと母がその席に向かったのだ。

席を譲ってくれた方は、弦楽器らしきものが入ったケースを抱え、その他にも2つほど大きな荷物を抱え、手には楽譜を握っていた。
そんな状態で席を譲ってくださるなんて!まさに神様のような方だと思った。

シルバーシートでふんぞり返る若い女性二人組を見ると、何とも残念な気持ちになった。
彼女達も数十年後は、間違いなく老婆となるのだ。
その時、自分のしたことは必ず返ってくる。

こういう時、人間力の高い人と、そうでない人の差を感じる。
自分が抱えた荷物の多さをものともせず率先して席を譲ってくださった女性には、間違いなく明るく輝く未来が待っているものだ。

幸せの量の差は、人間力の差から来るものだろうな、と今日の出来事で考えさせられた。

私もこの方のような生き方が出来る人間にならせてもらわねば…とも思わされた。

元SMAPの3人の活躍は、ネットニュースでは良く目にするが、テレビの芸能枠で目にすることは全くない。
先日も、今年一番輝いた男達に送られる「GQ MEN OF THE YEAR 2017」に3人が選ばれたが、それをテレビで目にしたことはない。他にも6人の有名人達が受賞したが、インタビューは他の方だけが画面に流れ、3人の姿は引きの映像でしか映されなかった。

本来なら、全面に出る3人であるはずなのに、テレビ各局は何をビビっているのか?無用な忖度で彼らを前面に出そうとしない。

メディアの使命は平等でなければならないはずなのに、どう見ても元事務所への忖度でしかない不自然さだ。

だが、もしこの立場が逆転したらどうなるのだろう?
今度は元事務所のタレント達を表舞台に出さない、なんてことだってあり得なくもない。

目に見えない大人の事情で、見る者を欺くマスコミも、個人の感情で未来ある若者の生きる道を邪魔する元事務所も、決して良いことはないだろう。
自分のしたことは、必ず自分に返ってくるものだ。

今年の流行語大賞は「忖度」……だな。

人は狭い世界で日々を過ごしているが、そんな中にも見えない他人との一線がある。

通勤時にあるビルの清掃を仕事とする高齢女性二人が、庭にある植え込みに隠れて毎日タバコを吸っているのを見かける。
仕事前の一服なのか?サボッているのか?は不明だが、学生じゃあるまいし、植え込みの影でコソコソ吸っている姿は美しいとは言い難い。

そんな二人はいつものごとく一服するためにつるんで姿を現した。
すると、一人が「今はダメ、あそこにいる!」と小声でもう一人を制するのが聞こえた。

その方向に目を向けると、掃除道具一式を詰め込んだキャリーをドンとその植え込みの側に起き、周囲を掃除する一人の高齢女性がいた。

あ~、なるほど、そういうことか…と合点した。
つまりは、彼女達は相反する間柄なのだ。だから、タバコを吸おうとやってきた二人はその場を去ったのだ。そして、そこにいたもう一人の女性は、彼女達が仕事もせず?ここでタバコを吸っていることを好ましく思っておらず、わざとそこの掃除をしているのだろう、と推察した。

どんな世界にも、こんな事はあるものだ。
そして、またここにも…。

自分が生きる世界は、というか生きる活動範囲は狭いな~と感じる。
1日に動ける距離も、出会う人の数にも限りがある。

学校でも会社でも、自分を取り巻く世界は、せいぜい数十人といったところだろう。
その小さな組織の中で、周囲とトラブルにならぬよう、時には本音を避け、ムリに笑顔を作らなくてはならないこともある。

違う世界に憧れ、念願叶いそこに行けたとしても、その中でも結局は狭い人間関係、環境の中で生きていくしかないのだ。

世界は広いが、自分を取り巻く世界はやっぱり狭い。
その狭い世界をどう生きるか?楽しくするか?広がりを持たせるか?

それは、自分の心持次第なのだろう。

職場に、「思い立ったら吉日!」と言わんばかりの行動力を持つ同僚がいる。
仕事は出来るし、何でもやることが速い。
発言も間違ったことは言っていないし、困った人がいればすぐにでも駆けつける、といった感じだ。

一見すると良い人だな~と思うのだが、長い時間一緒にいると、なんだか居心地の悪さを感じる。
なぜだろう?と考えてみると、一見良い人そうな振る舞いは、実は自分のためだった、ということが見えた時、腑に落ちた。

仕事を効率良くこなし、無駄な作業はガンガンそぎ落としいく。
だが、それは周りの承諾なし、というか有無を言わさず承諾させて進むから、周りは置いてけぼりをくらっているのだ。

自分のしていることは周りのためと思いながらも、実は周りを振り回し、結果的に問題が起きるとその尻拭いは他人にさせる、といった具合だ。

一人でマッハのごとく走り続ける人に助言は意味がない。というか、耳にさえ入らないだろう。
こうなると、あとは転んで痛い目に遭うまで、生温かく見ているしかないのだろうか…。

昔の自分を見ているようで、胸が痛くなる…。

日々元気に過ごしていると、あっという間に月日は流れる。
気付けば1か月が、気付けば半年が、気付けば1年が過ぎていた、といった具合だ。

成人してからは余計それが速いように感じる。
気付いたらもうこんな年齢になっていた、というのが正直な感想だ。

その間何をしていたのか?思い出してみると、思い出せないくらい多くの事柄を経験したな~という感じでもある。そして、それらがあるから、今の生活が成り立っているのだ。

自分が目指すべきもののために、目の前の事柄をこなしているうちに、知らず知らず身に付いていた、ということだろう。

これからもまだまだ学ぶことは多くあるし、果たすべき役割も山積みだが、これもまたひとつひとつこなしていくのだろう。

10年後、20年後の自分を想像すると、まさに未知との遭遇だし、そこに到達するためにも、今をしっかり生きねば!と思わされる。

「怒らない人あるある」という記事を読んだ。

「他人に興味がないし期待していない」「怒ること自体がめんどくさい」と書かれていたが、その通りだな~と思う。

怒ることは疲れるのだ。体力がないと怒れない、とここ数年しみじみ思っている。
他人に興味がないのもそうで、人のことを気にする気力も体力もない、というのが実情だ。

毎日仕事と家事に追われていると、マジで人のことなどかまっていられないのだ。
自身に降りかかる事柄をこなすので精一杯だ。

若い頃は体力もあるし、人のことも気になったりしたが、今はほぼ皆無だ。
人と接するにも体力がいることを思うと、新しい人間関係を構築する気にもなれない。
知らない人間との絡みは、怒りの原因となりやすい。

怒るには、それなりの体力と気力が必要なのだ、と改めて思った。

日馬富士の暴行事件が大きく報道されている。
酒の席でスマホをいじっただけが原因ではなく、事件に発展するまでには、それ相応の事柄があったのだろうと推察する。

人間関係は当事者間にしか分からないことが多くある。
最初は些細な事柄だったり、一方的にどちらかだけが怒っていたり、悪気がないことが裏目に出たり…ということもあるだろう。

私も過去にその存在自体に不快感を覚える人がいた。
すると、その人のやることなすこと全てに嫌気が差し、終いには口を利くのもイヤになるほどだった。

何が原因か?と改めて考えると、そもそもの価値観が合わないことが大きな要因ではあるものの、大人の対応としてやんわりとやり過ごすことも出来たのだが、当人が発する負のオーラがあまりにも凄すぎて、側にいるだけで気分が悪くなるほどだった。

私がそう思っているということは、相手も同じように私のことがイヤだったはずだ。
相反する思いを抱いた者同士、うまくいくわけがない。

最終的には相手が耐え切れずブチ切れて大騒ぎになったが、そのおかげでもうその人と対することがなくなった。
イヤな相手がいなくなってホッとしたというのが本音ではあるが、そんな人とでもきちんと大人の対応が出来る自分にならなければ…とも反省した。

側にいるだけで不快に感じる相手に対し、もっと鈍感になれればな~と思う。

10月早々に大風邪をひき、そこから喘息に移行。夏の終わりに受けた会社の健康診断にひっかかり、強制検査をすることになり、検査の結果、新たな課題?が現われ、ただいま経過観察中。

と、そんな中また新たな問題が!?
朝、着替える時に右顎のあたりに違和感を覚えた。
触ってみると、小さなシコリのようなものがあり、触るとイタイのだ。

なんだ?こりゃあ~~?
歯からばい菌が入ったのか?耳からか?はたまたリンパが腫れたのか?
あれこれ考えながら、時々しこりを触ってみる。
グリグリしたら潰れるかと思いきや、そんな気配もなくイタイだけ。

会社の帰りに行きつけの歯科医院に行き、先生に事情を話し診てもらったが、どうも歯科医の範疇ではないとのことで、明日改めて内科か?耳鼻科?を受診するつもりだ。
先生の見解では、恐らく内科ではないか?とのことだった。

ちなみに、膝にも水が溜まり、ただいまプチびっこ状態だ。
あ~~、何だか身体中エラーだらけだ。悪いものはすべてひっくるめてやってくるのだろうか?

新しい年を気持ちよく迎えるためにも、年内中に決着がつくと良いのだが…。
いずれにしても、軽症のうちに手当が出来るよう気を付けたいものだ。

先日に引き続き、今日も田園都市線が朝からストップした。
通勤時間帯に電車が止まることほど迷惑なことはない。溢れる人の山の中で身動き出来ず、ひたすら状況が変化するのを待つだけになる…なんてこともある。

記憶にあるだけでも、ここ数年は毎日のように電車が止まっている。
私が利用する沿線の運行情報をメール登録しているので、何かあるとすぐにお知らせがくる。
それが来ない日はまずないのだ。

自分がそれに巻き込まれる確率は低いが、利用する沿線だけでもこれだけのトラブルがあるのだから、すべての沿線のことを考えると、相当なトラブル数だろう。

原因は、首都圏に人が集中し過ぎているからだ。
それでも、絶えることなくマンション建設は進み、地方から人が都心に集まってくる。
今でさえ飽和状態なのに、これ以上人が増えたらどうなるのだろう?

日本の人口は減っていると言われているが、都心の人口は増えるばかりだ。
誰もが必要にかられて都心に集まっているのだろうが、何とか制御しないと、取り返しのつかないことになりかねない…と不安は募るばかりだ。

年末が近づき、喪中ハガキが届くようになった。
季節は徐々に寒さを増しているせいか、会社での訃報通知メールも頻繁だ。

高齢で寿命を全うした報せであれば、家族の方にとっては悲しみだとは思うが、その方に敬意を表する気持ちになる。
だが、中には若くして亡くなった方の報せを目にすると、心が痛む。

人には持って生まれた運命(寿命)があると思う。
それを全う出来たのであれば、若くてもアッパレ!だろうが、志半ばだったり、思いがけない病気や事故でこの世を去ることになった方にしてみれば、思いが残ることもあるだろうと推察する。

そうやって考えると、半世紀も生きている自分は、生きているのではなく、生かされているのだなと、改めて思う。
その命をどう使うのか?これまでは自分や家族のために心血注いだ事柄が多かったが、それを世の中に生かせるような働きにさせてもらわねば…と思わされる。

今ある命は、自分の力など微々たるもので、自然の力、周囲の方々の尽力あってこその賜物だと思う。
少しでも誰かの、世の中の役に立てる生き方が出来るよう精進していきたい。

久しぶりに母を連れて川崎に行った。

母の中にある川崎のイメージは昭和のままで、最初は「エー、カワサキ~~?」と行くのを渋っていた。
「まあ、そう言わずに…」と説得し、連れだした。

駅に着くと、間口の広い改札に次々と人が流れ込み、その勢いに圧倒され、改札を出てからも人の波は途絶えることがなかった。
人の多さにも驚ろいていたが、駅を出た時の母の反応は、「ここ本当に川崎?ぜんぜん違うねぇ~~」と感心しきりだった。

用事を済ませ、また駅に戻ってきた時も、西口にあるラゾーナに買い物に行った時も、目を白黒させ、「ここが川崎?ふーーーん」と、感心しきりだった。

川崎の再開発ぶりにかなり感心したらしく、「やっぱりたまには外に出ないとダメね~~」と、母。
どの口が言ってるんだ?と思ったが、未知との遭遇で、脳も心もリフレッシュ出来たようだ。

思考も肉体も凝り固まった高齢者には、刺激が必要だ。

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