前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2017年12月

大晦日を迎えるたびに、一年の速さを感じる。
今年はあんなことがあったな~、こんなこともあったな~と思い返してみると、365日ってけっこうな長さだ。

渦中にいると毎日が速くて速くて、ずっとジェットコースターに乗ってる気分だが、一年の最終日にそれから降りてみると、走っていた時のことが懐かしくもなる。
こうやって毎年毎年を過ごして、気付けば半世紀以上生きている、というか、生かされている。

明日には2018が始まる。平成も最後の年となる。
毎日は同じような日々の繰り返しだが、決して同じではないし、過ぎた日は戻らないし、戻れない。

生きるということは、来る日を迎え続けることの繰り返しだが、来た日をどう過ごすかで、更に巡って来る年が大きく変わる。

今日を全力で生きていれば、行く年を悔いなく見送れるし、前を向けば来る年がそこにある。
2017も無事に過ごせたことに感謝!だ。

今年も無事に仕事納めを迎え、年末年始休暇に入ったが、この時期は家事に追われ大忙しだ。
それでも、出来ることには限りがある。その中で最優先事項は年賀状だろう。
いい加減これも止めたいのだが、長年の慣例はそうそう止められない。

すでに今日は30日だが、大慌てで作成した。
母の分とまとめて100通ほど作成するのだが、最近はもっぱらパソコンでデザインし、印刷する。
そこに手書きで一言添えて、というのが定番となっている。

半日ほどかかって全てを作り上げ、母の分を渡した。
すると、「あら、これってプロの人が作ったみたい!」と母。
「知らなかったの?私プロよ」と私。
「へー、そうなんだ…」と母。
「それでず~~~っと、ご飯食べてるんだけど」と私。
「そうなの?」と母。

年賀状作りのプロというのではないが、デザインなどを作ることを生業としている。
長年私がPCに向かっていることは知っているはずだが、それで生計が成り立っているとは知らなかった様子の母。

う~~~ん、またしても母の認識は恐るべし!だ。

「さんまのご長寿グランプリ」を観て大笑いしている。
このコーナーは、「さんまのスーパーからくりTV」のコーナーだったものだが、これを抜粋してひとつの番組にしている。
ご長寿の方々の発言はまさに天然だが、いつもその破壊力の凄さに涙を流している。

人を笑わせることは、人間にとって一番難しいことだと思う。
お笑い芸人に高学歴だったり、頭の回転が速かったり、俳優業もこなせるマルチな方が多いのも、頭の良さ、賢さならではの技だと感心している。

若いうちは、頭で考えた笑いを繰り広げるが、ご長寿の方々はそれとは違う。
長年の生き様が、ご長寿となった際に現われるのだろう、と推察する。

何の計算もないのに人の心をつかみ、笑いを招くのだから、その働きは何とも尊い。
ご長寿を大切にするべきだ!というのも、ここにヒントが隠されているように思う。

我が母も毎日あれこれしでかしたり、腰くだけの発言をしてくれる。
おかげさまで、私は毎日大笑いしている。

母の歩んだ道が今ここに繋がって、周りに笑いを振りまいている。
母もそうなれるだけの人生経験を積んだのだな~と、密かに尊敬している。

屋外でスマホを使ってキャラクターをゲットするゲームは相変わらず人気らしく、今朝通勤時に最寄の駅を降りた広場では、多くの人がスマホの画面に釘付けになっていた。

広場のある一角に横一列に並び、静かに、もくもくとそれに取り組んでいる。
人が近くに寄っても全く気付く気配もなく、スマホに魂を奪われた?かのように、顔を上げることはない。

就業前ではあるものの、この光景はいささか異様だ。
一本の電線に多くの鳩が止まっているようにしか見えない。

これって、ある種の洗脳だな~と思う。
バーチャル世界のキャラクターを倒し、宝物をゲットして、自己満足に浸る。
この光景を目の当たりにすると、これを応用し人心掌握するなんてことはお茶の子さいさいだろう。

バーチャル世界に迷い込んで、出られなくなることもないとは言えない。
私達が生きているのは、紛れもなく現実世界なのだが…。

2017年も残すところ5日となった。
クリスマスも終わり、スーパーの陳列は一気にお正月モード全開だ。

食品売り場はおせち関連が大半を占めるうえに、値段もグッと跳ね上がる。
いつもは100円で買えるかまぼこも、パッケージを変えると300~500円ほどになる。
中身は同じなのに、一気に三~五倍だ。

とあれこれ見て回っていると、「福袋」があった。
これって、例年ならお正月明けから陳列されていたはずなのに、今年は早くも売り出されていた。

お正月は帰省する人も多いから、前倒しで売り出したのだろうか?
「福袋」は通常価格よりお得だし、良い品なら人にもあげられる。
帰省みやげを狙って、早めの「福袋」販売なのだろうか…。

いずれにしても、これってフライングだよね~~と思いながら、所狭しと陳列された福袋を物色した。

我が家では、2日に一度風呂掃除をする。
人によっては、それはちょっと…と嫌悪感を示されるかもしれないが、衛生的には問題ないようにしている。

昨日は出かけていて帰りも遅くなったが、風呂掃除の日だったので、疲れた体にムチ打ちながら?母が風呂掃除をしていた。本当は私がするつもりで段取っていたが、気付いたら仕事を奪われて?いた。
母に感謝しながら、真新しお湯に浸からせてもらった。

今日は2日目だから、追い炊きだけで良いなと思いながら風呂場へ行くと、ありゃ、風呂掃除してあるじゃん!

というわけで、「今日もお風呂洗ってくれたの?」と私。
「だって、今日洗う日でしょ」と母。
「ううん、昨日洗ってくれたじゃん」と私。

「え?そうだっけ?だったら、洗う時にそう言ってよ!!」と母。
そう言ってあげたいのはヤマヤマだが、私は会社にいるわけで、それはさすがに言ってあげられない。

「風呂掃除してください」「風呂掃除不要です」、なんて札でも風呂場の扉にかけるしかないか…。

あ~、今年も年の瀬だなぁ~と思う風景を目にした。

会社帰りに寄り道をした。
多くのお店が入るビルの1階には、良く当たると言われる宝くじ店がある。

そこに並んだ列の長さにビックリ!!
あ、そうか、明日で年末ジャンボの販売が終わりなんだ、と気付いた。

列に並んだ人の数だけ、たくさんの夢が溢れている。
当たらないよな~とは思いつつも、当たるには買わなければ始まらない。

毎年ここに並ぶ長蛇の列を目にするたび、1年の締めを実感するし、新しい年がもうそこまで来ているのだなぁ~とも思う。

恒例の風物詩は、まさに平和の象徴だ。

JAL、約3億8,000万円の詐欺被害 不正メールで偽口座に振込み指定の記事を読んだ。

2010年に経営破たんし、多くの従業員がリストラされ、5000億円以上もの銀行負債を放棄させ、公的資金で経営再建したものの、またしてもこれほどの不始末を仕出かすとは…。

あんたたちには、学習能力!危機管理能力がないのか!!!と、マジでハリセンでぶっ叩きたくなる。
どれほど多くの人達をどん底に突き落とし、大金をドブに捨てたことか…。

振込詐欺は認知能力の低い高齢者が陥るとの認識だったが、大企業でさえこのテイタラクだ。
最近では、大手企業が毎日のように不祥事を詫びる会見をしていることも嘆かわしい。

大手という名の看板にあぐらをかき、何をしても許される、咎められなければ、バレなければ、という油断と慢心が蔓延しているように感じる。

どこまで行っても、どんなに社員教育に励んでも、JALのおとぼけ気質は相変わらずだ。
影で泣いた人達も「またか…」とため息をついていることだろう。

今年はラニーニャ現象のせいか、すでに氷点下を記録した。
北陸、東北、北海道は大雪で、このままこれが続けば大ごとだ。

会社の温度設定は冬19℃だそうで、朝いちは温風が出ているが、就業開始1時間後には既に冷風に変わっている。19℃を保つために冷風が出るのって?
ちなみに、夏は28℃を保つために、熱風が出る。

オフィス内より廊下のほうが、さらに言えばトイレのほうが暖かいのだ。
就業中はひざ掛けはもちろんのこと、足元の暖も欠かせない。
冷風により手がかじかむから、キーボードを打つ手もままならぬ…。

ああ、なんてこった!!!
これで風邪ひいたら労災下りるんですかね???と、毎日思うのであった。

スター・ウォーズ/最後のジェダイを観た。

このシリーズは、最初からずっとタイムリーで観て来たので、今回も公開が待ち遠しかった。
前回の最後のシーンからすると、マーク・ハミル演じるルーク・スカイウォーカーが全面に出てくることは予想出来たし、なぜ彼が島に籠っているのか?

レイア姫とハン・ソロの息子であるダークサイドに堕ちた?カイロ・レンの行方や、ニュー・ヒーローであり、カイロ・レンを凌駕するフォースを持つレイの存在も気になるなる!
あれこれ妄想すると、早くエピソード8が観たくて仕方なかった。

40年前にエピソード4を初めて見た時の衝撃たるや!まだCGもない時代によくぞここまで!と感心したものだし、内容の奥深さにも大いに感銘を受けた。

フォースは特別の力のように思うが、実は誰にでも備わっているものだ。
それを発揮するかムダにするか、生かすか殺すかは、自分次第なのだ。

世界は光と闇が交互に訪れる。それはどちらが良い悪いではなく、どちらも必要な事柄だ。
それらとフォースをどう絡めていくか?それによって世界の在り方も決まっていく。

自分の中にあるフォースは何と言っているだろう?
常に己に問いかけていくこと、それが自分の進むべき道を教えてくれるからだ。

この映画が遺作となったレイア姫を演じたキャリー・フィッシャー。
彼女の人生は、まさにスター・ウォーズに始まり、スター・ウォーズに終わったのだな…と、スクリーンを通して思わされた。
フォースと共にあらんことを!

AIここにも!太陽系と似た新たな惑星系を初発見という記事を読んだ。

地球から2500光年離れた宇宙に、太陽系と似た8つの惑星を持つ惑星系が発見された、とNASAが発表した。

2500光年がどれくらいの距離なのか?既に想像の範疇を越えすぎているが、宇宙の彼方には太陽系と同じかもしれない?世界が広がっているとは!宇宙はやはり計り知れない。
それを見つけたのが人工知能AIとのことで、その機能もまた計り知れない。

人間は地球という惑星で生きているが、宇宙には数えきれないほどの惑星があるわけで、そこに生物がいたとしても不思議ではないだろう。
私達は宇宙人という表現をするが、先方にしてみれば、こちらも宇宙人だ。

AIも宇宙空間も、まさに人智を越えたところにあることを思うと、人間が考えることなんてたかが知れている…と己のちっぽけさを痛感する。

両手を空に伸ばし、計り知れない世界の、宇宙の広がりを全身に受けてみる!と妄想してみると、少しだけそのパワーを感じることが出来る気がした。

お歳暮の季節ということで、我が家にもありがたいことに荷物が届いた。

この手の品物は欲しいと思っても、自分のためにはなかなか買わない。
どちらかというと、他所様に差し上げる物という概念があるせいか、こういう機会でもない限り手に入ることは稀だ。

届いた品物の中に、ふぐちりセットがあった。それこそ、自分ではなかなか買えない代物だ。
ふぐはあっさりしているが、身はぷりぷりで、その出汁もコクがあっておいしい!

中身を見て喜んだ母は「明日食べよう!」とノリノリだ。
「明日は私夜は予定あるからダメだよ」と答えると、「そう?じゃ、あさってね!」と母。

我が家には珍しいふぐちりセットの中身を手に取り、あれこれ母と話しながら冷蔵庫にしまうことにした。
すると、「じゃ、明日食べようね!」と母。

「だからぁ~~~、明日は食べれないよぉ~~」と私。
「そうなの?食べたかったな」と母。

「じゃ、一人で食べる?食べてもいいよ」と私。
「しょうがないな、じゃ、待っててあげる!」と母。

確実に子供に還っている母。
元気なうちに「ふぐちり」ちゃんと食べさせてあげるからね!

「今晩、荷物届くからね」と私。
「何が来るの?」と母。
「ウナギ」と私。
「え??なんで、そんなもの頼んだの?」と母。

そう、母はウナギが嫌いなのだ。
そのせいで、私は大人になるまでウナギを食べたことがなかった。
初めて食べた時、「おいしい!なんでこんなおいしいものを食べないのか?」
と母に聞いたところ、「子供の頃さんざん食べたからイヤだ!」と言うのだ。

嫌いなものを無理強いするわけにもいかず、家ではウナギは諦めていた。
が、先日ネット通販でおいしそうなウナギを見つけ、どうしても食べたくなり注文した。

すると母は「それは、イキがいいの?」と聞いてきた。
まさか!?生のウナギが来ると思っていたのか?そんなバカな~~とは思ったものの、母はマジだ。

確かに、昔は流通もままならない時代だったことを思うと、すでにかば焼きとなり冷凍で送られてくるなんて、夢にも思っていないようだ。
実際に届いたウナギのかば焼き真空パックを目にすると、「あら、良いウナギね~~」だって。

想像以上の母の言動にはいつも笑わせてもらっている。

12月8日は日本がハワイの真珠湾を攻撃したことから、アメリカとの大戦が始まった日で、開戦記念日でもある。

記念日といえば、誕生日、結婚記念日、祝日、命日といったものから、大災害に見舞われた日なども含まれる。
どちらかといえば、心待ちにしたいのが記念日という感覚だが、真逆の出来事もあえてそう呼ぶことで、人々の記憶から風化させない、ということにも繋がる。

その日の終業後、地元の駅に降りたつと、「今日は真珠湾攻撃のあった日で、多くの若者達がこれを境に招集された日である」と演説している団体がいた。

さらに、「今、みなさまに赤紙をお渡ししています。この赤紙ひとつで、将来ある若者達が戦場に散っていったのです。どうかこの赤紙を受け取ってください!」と訴えていた。

戦争の悲惨さや命の尊さを訴える演説を耳にすることはこれまで多々あったが、赤紙を配っているのには初めて遭遇した。
と共に、この赤紙にリアリティを感じた。この紙の数の分だけ、人の命が戦場に散っていったのか…と。

この出来事は、私にとって開戦記念日をより心に強く刻むものとなった。
楽しみな記念日と、そうでない記念日も、自分の中でどう息づくのか、そして、それらを無駄にしない生き方をすることが、今生かされている者の使命なのだ、とも思わされた。

同僚に意固地な人がいる。

上辺だけの付き合いならそれほどではないが、一緒に仕事を進めるうえにおいて、時々ゲンナリする時がある。
仕事は一人でやっているようであっても、組織である以上は、誰もが納得のいく方法で進める必要がある。

だが、その同僚は正当論ではあるものの、己の意見を押し通そうとすることが多い。
同僚の言っていることは間違っていないし、そうあれれば理想ではあるが、人が多く係わる限り、そう簡単にはいかない。何事にもある程度の時間が必要だ。

またある時には、誰が見ても大風邪をひいているにも関わらず、「風邪ではない、アレルギーだ!」と言い張る。いやいや、咳と鼻水がひっきりなしだったら、どうしたって風邪だし、アレルギーなら薬で抑えることが出来る。そうできないから風邪なのだ。

といった具合に、自分の言いだしたことは曲げないし、変えようとしない。
どこどこまでもマイペースだが、周りはウンザリだ。

自分の思考にしがみついている人というのは、結果的に孤独になる。
自らそれを招いていることに気付いていない。

人間はそう簡単に変わるものではない生き物なのだ。

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