前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2018年02月

「スマホ認知症」20代の物忘れ外来患者もの記事を読んだ。

スマホ依存の行く末が認知症とは、何とした悲劇だろう。
スマホで検索すれば、欲しい情報が数秒で手に入る。その結果で、あれこれ用事をこなしたり、仕事に生かしたり、遊びに出かけたりといった具合に、今やスマホは欠かせない生活道具だ。

電車に乗ると、ほとんどの人がスマホの画面に洗脳されている姿は何とも異様だ。
仕事で一日中パソコンを見ているので、私は外ではスマホを使うことはほとんどない。もちろん、電車の中でも用事がない限り使うことはない。

スマホの小さな世界に浸り、そこから抜け出せなくなると、今度は脳が休めずに認知症になるとは…。
脳だって休ませないとオーバーヒートで悲鳴を上げる。

便利なスマホではあるが、何事もほどほどが肝心だ。

高齢者の自動車事故があとを絶たない。毎日のように、「アクセルとブレーキを踏み間違えた」との報道がある。

今の日本は超高齢化社会であり、車がなければ生活出来ない人のほうがほとんどなのに、なぜ高齢者向けの車は開発されないのだろう?

高齢者でなくても、「アクセルとブレーキの踏み間違い」はあるのだから、もっと明確にそれらを区別することは出来ないのだろうか?

ある町工場が開発したものに、ひとつのレバーで、踏み続けるとブレーキが作動し、右側に足の重みを傾けるとアクセルになる、というものがあり、今ある車にその器具を取り付けている人も多くいるそうだ。

車を作るメーカーがそこを開発しないのがフシギでならない。
安全抑制装置なるものもあるらしいが、自動で車が危険を察知し完璧に止まるわけではないのだから、やはり片足でふたつのレバーを踏み分けるということは危険を伴う。

というか、安全面、渋滞改善を鑑みると、やはりAIによる自動運転が良いと思う。
人間が運転するから危険なのだ。タクシーも利用したいが、運転手がわざと遠回り運転したり、タバコ臭い車内だったり、聞きたくもないラジオを聞かされたり等々…と、いつもイヤな思いをさせられていることを思うと、早くAI運転手が登場することを心待ちにしている。

と、話は逸れたが、これからのものづくり産業は、高齢社会日本の行く末を見据えることが最重要課題だろう。って、すでに取り組んでるよ!との声が聞こえてきそうだが、まだまだ…のように思えてならない。

結構な運動量をこなさないとすぐ太る体質だが、歳のせいか足腰に過度な負担がかけられず、今はウォーキングとストレッチくらいしか出来なくなった。

ならば食べる量を減らしたというか、胃腸が若い頃のように受け付けず、自然と減っているし、仕事中もほとんど間食もしないし、暴飲暴食もしない。にも拘わらず、どんどん太り続けていた。

ある時「腸内細菌がデブ菌だと太る」という情報を得、それには納豆菌が効果的ということで、せっせと納豆を毎日食べた時期もあったが、それでもやっぱり痩せなかった。

もうこれはどうしようもないのか…と諦めかけた頃、体調のあちこちが不調を訴え出し、掛かり付け医から「大学病院でちゃんと検査するように」とまで言われ、行ってみたら数値的にはかなりヤバイ状況になっていた。
あれこれ検査した結果、臓器には何の異常もないが数値だけは高い。しばらく要観察となった。

そんな時、あるヨーグルトドリンクに出遭った。
騙されたと思ってこれを飲み続けたら、あらフシギ!悪かった数値がウソのように標準値にはなるわ、血圧は下がるわ、終いには体脂肪まで落ち出したのだ。

つまり、デブ菌がヤセ菌に変わった!ということだろう。
どんなに努力してもどうにもならなかったデブ菌が、このヨーグルト菌でウソのように生まれ変わったのだ。

痩せたうえに健康になるなんて、凄すぎる!!!というわけで、業者の回し者?のように、周囲に勧めているが、体質によっては合わない人もいることが分かった。

確かに納豆菌じゃ何の解決もしなかった自分の体質を思うと、人には合う菌と、そうではない菌があるようだ。それを見つけるまでが大変なのだ。

今は、このヨーグルト菌を夜寝る前に摂取し、寝ている間にデブ菌を駆逐しつつ、免疫力も高めている。
適量の食物と運動とヨーグルト菌を摂り、健康でいられること、何ともありがたいことだ。

「女性専用車両」反対派とカウンターが、渋谷駅前で衝突が物議を醸している。

女性専用車両に反対する人達の言い分も分からないではないが、そもそも論として、これが出来た原因は「痴漢」がいるからだ。それは、主に男性が女性に痴漢をする、というものだ。

毎日何百万人という人達が首都圏の電車を利用しており、通勤、通学の時間帯は、身動きひとつ取れないほどの混雑なのだから、痴漢する気がなくても、異性が密着する環境にあること自体、「異常」なのだ。

そんな環境を、鉄道会社も政府も疑問に思わないのか?解決に至るまでの対策が全く追い付いていない。
「痴漢」が犯罪だというのに、それを見過ごしているのが現状だが、何もしてないと言われるのも何だし?ということで、苦肉の策?で出来たのが「女性専用車両」だと思う。

首都圏の電車の利用率は、おおよそ男性が6割、女性が4割というデータがある。
ならば、通勤、通学の混雑時のみ、例えば偶数車両は男性用、奇数車両は女性車両などという手もあるし、その割合に応じて車両を分けても良いのでは?とも思う。

痴漢を擁護するつもりは毛頭ないが、密着状況で痴漢をするな、というほうが土台無理なのだ。
ならば、「女性専用車両」というのが精いっぱいの策ということになるのだろう。

犯罪と言うのならば、痴漢した者を「市中引き回し」にするか、「社会的制裁」を加えるか?くらいのことをしなければ、痴漢が無くなることはないだろう。

歳のせいか?食べられる量が減っている。
お腹は空くし、もうちょっと食べたいとも思うし、デザートは別腹とも思う。

腹8分目くらいでやめておけば良いのだが、欲求通りに食べてしまうと、後がツライ。
満腹になると消化に時間がかかり、毒素分解が追い付かないらしく、徐々に体調が悪くなるのだ。

今週は外食が数回あったが、お店で出されるものは量も多いし、出されるとついつい食べてしまう。
で、満腹になったは良いが、それが身体を蝕む結果となり、昨晩はとうとう高熱を発してしまった。

「食べ過ぎ」=「体調不良」となる図式を思うと、その欲望との闘いとなる。

子供の頃はお金がないから、自分の食べたいものを自由に買えず、いつも空腹だった。
大人になり好きに出来るようになると、今度は身体が受け付けない。

人間は、粗食で生きていけるように出来ているのだろう。

今日の平昌オリンピックは、フィギュアスケート女子シングルFSが行われた。

勤務中につきタイムリーでは観れなかったが、その結果はSPとほぼ同じだった。
SPもそうだが、FSも上位の選手はほぼノーミスの演技を披露した。

こんな大舞台で実力を出し切れるなんて、どれほどの研鑽があったのだろうと、想像を絶する困難の連続だっただろうに、途中で投げ出すこともなく、最後まで成し遂げた選手達に大拍手を送りたい。

日本女子二人も自己最高得点を叩き出すほどの力があるのだから、本当にスゴイことだ。
ただただ、その大健闘を讃えたい。

ロシアの金、銀コンビの異次元の滑りには、良い意味で呆気に取られるばかりだ。
強過ぎだし、それだけのパワーには圧倒される。
にしても、女子のレベルはどんどん上がっている。

フィギュアに限らず日本勢も、メダルを獲得する選手は女性が多い。
女性の力はまさに無限大のようだ。

日本航空の時代錯誤ー驚きのメッセージカードーの記事に賛同だ。

日本航空を使ってお気に召したところをカードに書いて社員に渡してくれ、という通知が来たそうだ。

はぁ~!?何を考えてるんだ!!
時代錯誤どころか、民間企業としてサービスを提供するのが仕事なのに、その仕事ぶりを誉めてほしいとは?有り得ない発想だ。

「クレームがないこと=誉められている(当たり前のこと)」という図式がサービス業の使命なのだから、いちいち誉められねばサービスは向上せず、従業員のモチベーションは上がらないのか?と言いたい。

過去この企業にいた身として思うことは、相変わらず上層部は「アホ!」だ。
経営破たんし、世間からあれほどのバッシングを受けても、その時は殊勝な姿勢だったが、数年でV字快復したら、あっという間に元の木阿弥だ。

どういう意図で、上記のようなカードを顧客に送り付けたのかその真意は不明だが、明らかに世間ズレしている。トンチンカンにもほどがある。

こんなことしてると、また同じ轍を踏むぞ~~~!!
と言ってもみても、お気楽な上層部には届かないんだろうな。

お金持ちがモノを減らす理由とは?貯金も増えるモノとの付き合い方という記事を読んだ。

以前から家にあるモノを整理したいと思っていた。
とはいえ、家中の収納品を思うと、心が萎えるし、いざ片付けようと試みるものの、それを「もったいない精神」で拒む家族がいると、やっぱり手を付けられない。
金持思考の通り、エイヤ!っとバッサリ断捨離出来たらどんなに良いだろう、と思う。

結局のところ、押し入れに入っているものはほぼ使っていないし、昔誰かから頂いた品物とか、箱に入ったままいつか使うかも…と、お眠りになったままだ。
服も古いものは整理するものの、思い出の品とか、頂きものとか…いろいろ考えるとやっぱり捨てきれない。

家中のものを整理する時は引っ越す時なんだろうな…と想像する。
とはいえ、そう簡単に引っ越しも出来ず…八方塞がりだ。

モノが捨てられないから貧乏なのか、貧乏だからモノを捨てられないのか…。
どっちもどっちだが、出来ればお金持ち気質になりたいものだ。


昭和の時代は、何をするにも「根性論」がまかり通っていた。

特にスポーツ界では、「根性がないのか!根性があれば出来る!根性がないからダメなんだ!」といった具合だ。

人によっては目に見えない「根性」に振り回され、押し付けられ、悩まされることもあっただろう。
では「根性」とは何か?と言えば、恐らく「辛抱」ではないか、と推察する。

事を成すに当たり何が大切かといえば、目標に向かってのたゆまぬ「努力」だ。

その中には、自身が精進することは言うまでもなく、自分を取り巻く環境、家族、親族等の事柄にも取り組まねばならない。目に見えないやるべきことの山をひとつひとつクリアーしながら前に進むのだ。

それらは、「根性」=「辛抱」なくしては出来得ないと思う。

フィギュアスケートを観ていると、その「根性」=「辛抱」を重ねた道程が、演技に現われている、といつも感じる。
根性論を大上段にかざす気はないが、辛抱なくしては、やはり人の心を打つ演技は出来ないのだ。

凡人の私でも、辛抱を重ね、目の前のやるべきことをクリアーしていけば、いつかは誰の役に立つ生き方が出来るのかも…と、自分に言い聞かせている。

オリンピックにおいて66年ぶりに、フィギュアスケート男子シングルで、羽生選手が金メダル連覇を達成した。

FSも固唾をのんでテレビの前で応援していた。ジャンプがひとつ決まるごとに観る側のドキドキ感も高鳴る。ステップもスピンもどれも精一杯を演じる姿を目の当たりにすると、心揺さぶられる。

結果的に金メダルを手にしたが、それを得れるだけの努力、精進を重ねてきたのだ。それがこの結果に繋がったのだ。

羽生選手のメンタル力を誰もが絶賛する。彼のぶれない姿勢は、一貫して自分との闘いであることを分かっていることだ。

自分に不幸が降りかかると、大概の人がそれを他人や周囲のせいにする。
そういう人に限ってその原因が自分にあるとは、露とも思っていないのだ。

不孝が降りかかっても、それをバネとして高みを目指す努力をすれば、先には必ず幸せが待っているものだ。幸という結果を得るには、人知れず、努力を積み重ねていくこと、それが何より大切なのだ。

平昌オリンピックで、男子フィギュアスケートSPの競技が開催された。

11月に大阪で開催されたグランプリファイナルの練習でケガをし、全日本も欠場した羽生選手だったが、世界ランキング1位ということもあり、本オリンピック選手に決定していた。

オリンピックまで、羽生選手が表舞台に立つことはなかったため、誰もがケガや本人の動向を気にかけていたことだろう。

そして、今日のSPだ。ほぼ完ぺきに近い演技を披露した羽生選手。
リンクに乗りジャンプを再開したのは、ほんの2週間前だったというから驚きでしかない。

リンクに上がれない間も、今自分が出来ることを粛々とこなしていたのだろう。
その精神力の強さと高さに、ただただ感服するばかりだ。

この3か月間に羽生選手が成した事柄が、今日の演技に繋がったのだ。
中継するアナウンサーが「まさに異次元!」と言葉を放ったが、こんな異次元級の技を見せてもらえたことに感心と感謝しかない。

明日のFSも、思う存分楽しんで欲しいと、心から願う。

「社内での義理チョコをやめて子供食堂に寄付」という記事を読んだ。

今日はバレンタインデーで、相も変わらず義理チョコを準備した人もいただろう。
というか、この儀式?って、どう見てもお菓子メーカーの陰謀?だ。

それにまんまと乗って、周囲からお金を集めてまで義理チョコを贈る風習は、現代ではブラックの部類だろう。皆の気持ちが同じで、義理チョコを贈るなんてことは…恐らくない。しぶしぶ周りに合わせているだけ、というのが本音だろう。

そんな不満が残る状態で義理チョコを贈るならば、それを真の意味で誰かの役に立ててはどうだろう?
それではお菓子メーカーからブーイングが起きそうだが、チョコをあげたつもりで寄付をするのだから、もらった人がそれでチョコやお菓子を買えば、ある意味イコールとなる。

義理チョコそのものを否定する気はないが、いやいやシブシブするのであれば、こういう形に昇華するのもアリだな、と思った。

「あ~あ、もう数も数えられなくなってきた…」と、ため息をつく母。

朝の血圧が少し高い母のために、カカオ含有率が高いチョコレートを買ってきた。
朝、昼、晩1包ずつ食べると高血圧に効果があるとのことで、「いくつ入ってるか数えて」と頼んだ。

「あら、それは、それは、おめでとう!順調にあの世が近づいてきたね!」と私。

長い人生の課題をすべてクリアーし、今は最後の?穏やかな日々を過ごしている母は、あの世に還るにあたり、今世でのことを少しずつ忘れている。

それは、とても幸せなことだと思う。
思い残すことなくこの世での事柄に決着を付け、魂の還るべき場所へ帰るのだ。

死を忌み嫌う風習は、実は逆だと思う。
中には若かったり、事故や事件に巻き込まれて、決してめでたいなどと口が裂けても言えない状況でこの世を去る方も多くいることを思うと、おいそれと口に出来ることではないかもしれないが、それも実はその人が選択して生きた今世での課題だとしたらどうだろう?

見えない世界のことを多く語ることは無責任かもしれないが、こと、長寿を全うした人に関しては、やはり尊敬すべき人生であり、めでたいことだと感じる。

ということで、我が母は順調に子供に還っている。私は、それを温かく見守っている。
数十年後、私も母のように「めでたい人生であった」と言えたら…と願う。

国家ぐるみでドーピングに手を染めていたロシア選手は、国家としての平昌オリンピックには参加出来ないというニュースを昨年耳にしており、今回ロシアの選手の参加はあるのか、と気にしていた。

ドーピング疑惑のない個人選手は参加出来ることになり、フィギュアスケート団体競技で、「Olympic Athletes from Russia」という名称で、ロシア選手達の活躍を目にすることが出来た。

国家上げてドーピングを推奨し手にした金メダルなんて、何の意味もないし、ドーピングを強要された選手の心に一生埋められない傷を負わせたことに、国家は気付きもしないし、勝利さえ手にすればそれで良しとする国のあり方を突き付けられたように感じる。

本来オリンピックはアスリート達の祭典なのに、今や政治や国家に良いように利用され、競技時間でさえ放映権を高く買ってくれた国の放送時間に合わせたものになっており、ただの金儲けの祭典になっている。

フィギュアスケートでのロシア選手の活躍は言うまでもないが、またしても目を見張る若手の女子が誕生した。ドーピングしなくても、これだけの選手を生む国なのだから、正々堂々と戦えば良いのに…。

いずれにしても、今のオリンピックは選手主導ではない。それが残念でならない。

高齢者向けスマホアプリを開発した80代日本人女性の記事を読んだ。

この記事にある82歳の女性は、以前テレビでも紹介されており、人生100年を生きるうえでのヒントになる方だな、と感じていた。

60歳でパソコンを始めて、80歳でアプリを開発するとは!
この方のインタビューで心に残ったのは「これをしてもしなくても、誰の迷惑にもならないでしょ」というものだった。

自分のために新しいことを学び、開発すること、それは自分の楽しみでもありながら、人の役にも立っている。何とも理想的な生き方だ。

100年を元気に生き続けるヒントは、ここにある。
何もせずポケーっと生きようとも、何かにチャレンジし、気付いたらそれが社会の役に立つことになろうとも、同じ時間に変わりはない。ならば、ささやかでも、自分の出来ることをやり続ける。

若者だろうが、高齢者だろうが、生きている間は、精進し続けることが大切だ、ということだ。

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