前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2018年05月

引っ越しが決まってから、引っ越しまでおおよそ2週間ほどしかない。
それまでに、不用品の処理、引越業者さんとの打ち合わせ、必需品の買い替え、行政手続きに、光熱費等の転居依頼等々に追われ、目の回る忙しさだ。

ことに不用品の処理にはお金がかかる。今やゴミはお金を出して引き取ってもらう時代だ。
物のなかった時代から見たら、現代は贅沢極まりないのだが、だからと言って処分しないわけにもいかず、気持ちと現実のギャップにも悩まされている。

思い出の品だったり、長年愛用したものは手放しがたいが、それ以上に新古品も多くあることを思うと、古いものを処分し、新しいものを使うほうが有用だろう。

結局、人は必要最低限のものさえあれば生きていける、ということなのだ。
そのために、今はフル回転でその準備をしている。

その先には、シンプルな生活が待っている。

かねてより引越しを検討していたので、今年に入ってから断捨離を進めていた。
長年の溜めに溜めた品物の数々といったら…(@_@;)

暑くなる前には引っ越したいと思い、ここ1か月ほどマジで物件探しに奔走した。
家庭の事情を考慮した物件を探していたので、なかなか思い描くものに出合えず、出合っても予算が…と苦戦していたが、ようやく理想の物件を見つけることが出来た。
審査も無事通過し、いよいよ契約にこぎつけるまでとなった。

審査が通り、引越しまでには2週間くらいしか待ってもらえないそうで、これから引越し業者を探し、荷物の選別をし、荷造りをしなければならない。
引っ越すにあたっては、役所や住所を知らせるべきところへの手続きが満載だ。
こんなフル稼動な事柄を、たった2週間で、しかも平日は仕事あるし、その中でこなすのだから、マッハ級の忙しさになることは必須だ。

だが、良き物件に出会えることも、その審査が通ることも、縁なくしては成せぬ業だ。
この時期に探したから出会えた物件だし、そのタイミングを逸していたら、その縁はないものだった。
人との縁も、家の縁も、まさに運命の巡り合せだ。
そのためなのだから、2週間のマッハ級の多忙など大したことではないだろう。

良き縁をさらに進化出来るよう、気合を入れて進んでいきたい。


会社でも、中高年のオジさん達は電話ばかりする。メールで事足りることも、いちいち電話で確認したがる。

電話が嫌いな私はかけることはまずない。火急の時か致し方ない時にしか使わない。
電話が嫌いな理由は、話が長くなるのと、都合かまわず話すことになると、予定が狂うからだ。
メールなら気付いた時に確認すれば良いし、返事も落ち着いて考え返すことが出来る。

私が就職した頃に台頭したのがファックスだった。必要なことを紙に書いて流すのは便利だな、と思っていた。
だが、オジさん達はファックス送信後に電話でそれを確認するのだ。意味ないじゃ~ん!

メールもSNSも、付いていけない人は永遠に使わない。そして今あるものは、未来においては古いものになっていく。

数十年後、新たな文明の利器に付いていけるかどうか…だな。

昨晩、日大の監督とコーチの記者会見が行われた。

まあ、何ともお粗末過ぎる会見に呆れるばかりだった。
監督は頑として「自分は言ってない」と言い張り、コーチは始終目が泳ぎまくり、明らかにウソの言葉を並べている姿は、何とも痛々しかった。

生徒と監督側、どちらがウソをついているのかは、明々白々だ。
おまけに、広報部のおじさん、大丈夫か?こんな人が大学の広報を仕切ってるなんて…。
日大も終わりだな…と、誰もが思ったことだろう。

権力を笠に着た監督と、それに服従のコーチの姿は、お代官様と越後屋の図式そのものだ。
いつの世も、こんなアホな図は変わらないのだ。

そういえば、最近も総理を守るために、元秘書官がウソを並べたてていたが…。
権力者に弱いのが人の常だが、こんなアホなことをしても、周囲は皆見抜いている。

こんなふうに真実に蓋をしても、そのニオイは駄々洩れだ。

アメリカンフットボールで日大の選手が反則キックを関西大学のQBにし大けがをさせた問題は、大きな波紋を広げている。

日大のアメフット監督は、「何も言い訳はしない、全て自分の責任」と言いながらも、詳細は一切語らず、それで幕を引こうとした。
そこには、ケガを負わされた者、反則をした者に対しての思いやりや懸念といった情は一切見られなかった。

その会見を受け、反則をした20歳の選手が、顔を出し自らの言葉を発した。
彼の言葉は真実だな、と誰もが感じたことだろう。そこにはウソや矛盾はなかった。
むしろ、監督やコーチに追い詰められていた情景がありありと見えた。

「真実」というのはこういうことを言うのだ。

適当な言葉を並べ、誤魔化そうとする政治家もそうだが、狭い組織の中においては、往々にしてこれが慣例となっている。

ケガを負わされた関西大学の選手も気の毒だし、反則をせざるを得なかった選手も被害者と言える。
日大の、いや、現代社会の詭弁が、罪のない若者やそれに関係する人たちを不幸に巻き込んでいることに、平気でウソをつく大人達は気付かねばならない。

ついたウソは、必ず報いとなって自分に返ってくるものだ。

加計問題はまだまだ終わりそうにない。

首相元秘書官が証人喚問に応じたものの、誰がどう見ても事実を語っていないから、結果的に油に火を注ぐだけの結果となった。
その後もあちこちから矛盾を指摘する文書や証言が出てきて、疑惑はますます深みにはまっている。

何のために真実を隠し、誰のためにウソをつくのだろう?
もっともなことを語っても、それがウソだと誰もが見抜いているから、いつまで経っても問題は解決しないのだ。

「総理のお友達に便宜を図った」
それだけのことだ。それをなぜ隠すのだろう?

真実を語らない限り、この問題はずーーーーーっと続くのだ。


めんつゆが販売された当初は、何て便利な調味料が出来たのだろう!と感激したし、今もお世話になっている。
それがあれば、出汁を取る必要もないし、味付けも万人がおいしいと思えるようになされている。
和食、洋食にと、何にでも活躍する万能調味料だ。

こんな便利なものでさえ、売上減とは!ビックリだ。
確かに、現代人は料理をする暇もない風潮にあり、すぐ食べられる総菜や冷凍食品に手が伸びてしまう。

特に冷凍食品の進化はすさまじく、ほぼプロの味だ。自分でこれだけのものを作ろうとすれば、材料も手間もかかるが、これなら手頃な料金で買えて、家でチン!すれば出来上がりだ。
昔のような侘しさなどなく、ちょっとこじゃれた器に盛れば、立派な一品となる。

世の中の進化はまさに飽きない。私達の食はどこに向かうのだろうか。

ハワイ島のキラウエア火山噴火の勢いが止まらない。
ハワイ島には何度も行っていたので、あちらには知人もおり心配は尽きない。

日本で同じ規模の噴火が起きたらかなりのパニックになるだろうが、ハワイ島の人達は呑気という言い方は失礼かもしれないが、良い意味でジタバタしないのだ。

溶岩はキラウエア火山の女神ペレの髪の毛と信じられており、この島はペレのものであるから、彼女が怒ると溶岩が流れるのだ、と言う。
「ペレが怒ったのだから仕方ない」と言いながら、溶岩が吹き出せば、まるで花火でも見るかのようにフィーバーするし、溶岩の傍まで行って写真を撮るといった行為が普通なのだ。

日本人から見れば驚きの連続だが、そもそもハワイ島であるこの自然は、すべてペレ(神)のものであり、自分達はその恩恵を受けて生かされているのだ、という心持は日本人も学ぶべき事柄だ。

ハワイ島に限らず、自然豊かなこの日本だって、大自然があればこその賜物だ。
その恩恵に感謝する心を強く持ち続けることが何より大切なのだ、と痛感する。

先だってより断捨離を継続中だ。
平日は仕事があるため、主に休日に活動しているが、やってもやっても終わらない。
マジで年内に終わるのだろうか?と思うほどだ。

それでも、ゴミ収集の日には通常の何倍ものゴミを出し、粗大ごみも数日置きに出しているため、収納棚の中も徐々に空きが目立つようになった。

選別し有用と思ったものは保存しているが、それらもよくよく考えれば、やっぱりもう使わないものが残っていたりする。

昔から持っているものや、ちょっと価値のあるもの、人からの頂きものなどは特に悩ましく、心を鬼にして処分することが出来ないのだ。

もったいないから取っておいたところで、年月が経てばそれらは漏れなく劣化し、二度と使えない姿になっているものも多くあったことを思うと、これからは本当に必要な物だけを置くことにしよう、と思った。

自分の欲望であれこれ集め、結果的に捨ててしまうことに心が痛む。
元々収集癖はないが、さらにモノを持たない生き方を徹底したいと思うようになった。

まだまだ断捨離はつづく、のであった。

家族と同居しているのに「異常死」の高齢者、都内で年2000人という記事を読んだ。

家族と同じ屋根の下に住みながら、親の死に気付かないケースが年2000件以上あるというのだから驚きだ。

家族とはいえ、仲の良い家族もあれば、犬猿の仲と思しき家庭もあるだろう。
いくら血の繋がりがあるとはいえ、人間の感情は別物で、一度作られた心の壁は容易には壊せないのだ。

例えば一軒家で上と下の階に分かれて暮らしていれば、否が応でも生活音はする。
それが無くなっておかしいな?と思っても、すぐには様子を見に行かず、一週間くらいして初めて様子をみる、というのが現代だ。

親も子もそれぞれの言い分はあるし、立場や環境の違いもあるから、分かり合えないことも多々ある。
だからと言って、それぞれが自分の思いを優先すればどこまで行っても解決はしないばかりか、溝はどんどん深まるばかりだ。

親が孤独死しても心が痛まないことをどうこう言うつもりはないが、親にしたことは必ず自分に返ってくるものだ。

自分が親の歳になった時、その立場をどう思うのだろうか…。未来は間違いなくやってくるのだ。

STAP細胞騒動の小保方晴子さんが文春グラビア登場で失ったものの記事を読んだ。

理研の研究者であった彼女がその地位を奪われ、ウソつきのレッテルを貼られ、世間からバッシングされてから…時は流れ、なぜかマスコミに顔を出すようになった。

彼女が真の研究者であったのかどうか?は定かではないが、世間でも数少ないリケジョを育成し、男女平等を推し進めるため、たいした実力もない者が担ぎ出されたのが今回の事件に繋がったのではないか?と感じる。

各記事や報道にはウソもあるだろうが、彼女が博士号を取るために提出した論文は、他者のまるっとコピペだったという事実はかなりの衝撃だ。当人にしてみれば、論文を出せと言われたから出しただけで、他人のものを失敬したことに対する罪悪感はないのだろう。

こんな感じで、彼女は周囲から言われるがまま、成すがまま進んだ道が思わぬところで脚光を浴び、持ち上げられつつ、落とされたわけで、恐らく「何で?」くらいにしか思っていないと推察する。

男女の違い、能力、適性の違いがあるのは当たり前のことで、そこを予算消化のためであったり、世論を納得させるためだったり、要は適正の有無に関わらず、無理やり型にはめこんだ末路が、こういう悲劇を生んだのだ。

器ばかり整えても、中身が伴わなければ何の意味もない。
適性を適正に選ぶこと、それが何より大切だ。

子供用「つり革」が人気との記事を読んだ。

子供用の「つり革」は、電車に付けるというものではなく、親が手を離せない時に、親のズボンやバックなどにベルトを通し、その取っ手(つり革)を子供が握る、というもので、「こわっか」という商品だそうだ。

現実として、電車のつり革が子供サイズになったら、揺れる度に座る人の顔面を直撃することになるわけで、それこそ流血騒ぎだ。
かといって、子供が掴まるところがない現実を鑑みると、この商品はナイスアイデア!と言っていいだろう。
子供に限らず、背の低い人や高齢者にとっても使える商品になるかもしれない。

何事も工夫次第、アイデア次第、ということだろう。
もっとこんなものがあったら良いのに~という物はまだまだあるものだ。
たまには、自分で創意工夫してみるのも一興だ。

ベビーカー注意喚起に「波紋」との記事を読んだ。

東武鉄道がベビーカー利用者に呼び掛けた注意喚起だが、賛否両論巻き起こっている。
今回は、ベビーカーを利用する側に向けてのものだったから、余計に波紋が広がっているようだ。

ベビーカー利用者も気を遣いながら電車を利用している人もいれば、傍若無人な人もいる。
私もこれまで何度もベビーカーに体当たりされた経験がある。でも、謝る人はほとんどいないのが現実だ。

特に、通勤時間帯の乗車はマジで勘弁して欲しいと、個人的には思う。
それでも、乗車せざるを得ないこともあるだろうから、一概に無下にも出来ないが、大荷物で乗車する人もそうだが、お互いが気を遣いながら譲り合うことが出来ればベターだが、なかなかそうもいかないのが現実だ。

昔はエレベーターもエスカレーターもないなか、ベビーカーを抱えて駅の階段を上り下りしたり、電車にも乗降していた。それを思えば、今のママ達は幸せだ。
電動自転車だって、昔はなかったのだ。重たい子供を乗せて、フーフー言いながら自転車を漕いだものだ。

文明の力に感謝しつつ、周りにも感謝しつう、もう少し謙虚な気持ちでお互いいられれば、もっと住みやすい社会になるはずだが…。

平日は朝からバタバタで、1日を走り続けている。
夜、お風呂に入り、床に就く時が一番幸せを感じる。

休日は、用事がなければ朝から穏やかな気持ちで目覚め、朝ごはんをゆっくり時間をかけながら食べる。
昼間、外に出れば家族連れや大勢の人で賑わう場所にいることもあるが、ここでもなぜか心穏やかだ。

電車に乗るためエレベーターに乗った時も、後から来る人のために「開」ボタンを押し続けたり、降りる時も同様に、他の人を先に降ろし、自分は最後に降りる。それでも、気持ちは焦ることがない。

そのせいで一本電車を乗り遅れても、休日だからまあ良いか、といった心持で次の電車を待つ。
電車に乗って運よく席に座れやれやれと思っていた矢先、次の駅で高齢者が乗ってきたから席を譲る。

休日だとなぜかいろんなことが穏やかに捉えられるし、気持ちも穏やかだ。
そんな時、ふとユーミンの「やさしさに包まれたなら」の曲が頭の中で流れた。

やさしい気持ちで過ごしていると、すべてが輝いて見えるし、目に映るすべてが自分に向けてのメッセージだな…と、納得する休日となった。

おやめになっておくんなさいまし13のつづき。

「今後喫煙者は一切採用しない」は違法か?弁護士に聞いたの記事を読んだ。

あるIT会社が喫煙者を今後採用しないことにしたそうだ。
喫煙者は非喫煙者に比べ休憩時間が必然的に長くなるうえに、タバコ臭さは周囲に相当な迷惑をかけている。

2020年の東京オリンピックに向けて、東京では禁煙の範囲が拡大している。
飲食店も対象だが、そもそも食べ物を食べる場所で喫煙すること自体おかしいのだ。
路上喫煙も、飲食店も、公共の場では禁煙にして欲しいと節に願うばかりだ。

喫煙者を採用しなければ、ある意味皆が同じ立ち位置となる。
喫煙者を採用するのであれば、その分給料の査定を低くするとか、非喫煙者の給料や福利厚生を手厚くするなどしなければ、平等とは言えないだろう。

非喫煙者が皆真面目に働いてるとは言えない場面もあるが、少なくとも喫煙のために席を外すことはないし、周りにタバコにまつわる迷惑をかけることもない。

ならば「喫煙者しか採用しない」という会社があっても良いかもしれない。
そこでなら、喫煙者も大手を振って喫煙出来るだろう。

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