2018年05月

2018年05月09日

皆同じ

男が知らない女風呂の世界 女性はタオルで身体のどこをかくすの?という記事を読んだ。

このタイトルは笑えるな~と思い記事を読み進めると、男性から見た女性の神秘?謎?に対する素朴な疑問が描かれていた。

男性が風呂に入る時は大切な箇所?をタオルで隠すそうだが、女性はほぼほぼ隠さないと記事に書かれていた。確かに、温泉や銭湯に行って、身体をタオルで隠す人はあまり見ない。

というか、人間付いてるものは形状は違えども皆同じだ。
それなのに、なぜそんなに隠そうとするのか?そのほうがフシギだ。

男性に至っては、大切な箇所の大きさくらいの差だろうに、そんなに大切に隠さなくても良いんじゃない?というか、堂々としているほうが見る側も気持ち良い?というものだ。
むしろ堂々としているのは女性のほうかも…?

誰もが同じ人間なのだから、付いているものも、漏れなく同じと思えば恥ずかしいこともないだろう。

2018年05月07日

新種の世紀

妻が怖くて帰れない 「帰宅恐怖症」が家庭も職場も破壊するの記事を読んだ。

共働き家庭が今や当たり前になりつつある昨今だが、家庭における家事の分担は、相変わらず女性に負担が多くかかっている。

家事、子育て、仕事を両立するのは並大抵のことではない。家事はある程度手を抜くことは出来ても、子育てに待った!はないし、子供が常に聞き分けが良いとも限らない。忙しい時に限って病気はするし、具合が悪いとグズルし、兄弟姉妹がいれば立て続けに病気にかかったりもする。

昔の日本は父親が働き、母親が家庭を守る、という役割が決まっていたから、それなりの不協和音はあっても、現代ほどではなかっただろう。

記事にもあった通り、夫も妻を助けたいと思っていても、妻が思い描く通りの助けにはなっておらず、そこに妻は立腹する、という構図はどこの家庭にもアルアルだろう。

働く父親の姿を見て育った夫にしてみれば、家事のことも子育てのことも、皆目見当がつかないのだ。
妻は家庭を守る母親の背中を見ているから、自分もそうあらねばならぬ、という呪縛にかかっている。

親の寿命もここ100年ほどで倍以上に伸びたことから、そこに介護も加わる。
しかも、人間の歴史において、子育ては脈々と受け継がれているが、介護の歴史は浅すぎる。

現代は、ある種の「新種の世紀」と言っても過言ではないだろう。
夫と妻の役割分担をハーフハーフにするのであれば、子供の頃から男女同じように育てる必要がある。

これまでの価値観はすでに大きく崩壊している。男だから、女だから、という括りで縛るから、大人になった時おかしくなる。

「仕事」「家事」「子育て」「介護」も出来る人間を育てること、それが大きな課題であり、未来の在り方に繋がるのだ。

2018年05月06日

働き方改革の真の敵とは?

管理職の残業漬けは「妻の命令だった」という記事を読んだ。

政府が勧める「働き方改革」では、残業を減らし早く家に帰ったり、趣味や勉学に励んだりと、ワークライフバランスを大切にしよう、と推奨しているが、現実にはなかなかそううまくは行っていない。

その要因は様々だろうが、上記記事のような、長く会社で勤めるためにも、日々残業して会社に奉公して欲しい、という妻の願いもあるそうだ。

妻の言い分も分からなくはないが、家では粗大ごみと化している夫の存在は、働くことで給料を上げる、会社に忠誠を尽くすことで、妻の願いを叶えようとするその姿は…何とも健気である。

夫に本当にやりたいことや、それが生活費を稼ぐ道となれば妻も文句は言わないのだろうが、好きなことだけして生活費は誰が稼ぐの?ということになると、妻が今の会社で長く働け!というのも納得だ。

自身のワークライフバランスを充実させるためにどうすべきか?を自ら考え、行動出来る人のほうが少ないように思う。特に日本人は指示待ち人間が多いし、一番に退社するなんて怖くて出来ない、周りの空気を読みながら退社する人がほとんどだろう。

いずれにしても、自らの頭で物事を、人生を考え、構築することが出来ない人間には、「働き方改革」は絵に描いた餅でしかない。

働き方改革の前に、自主性を培う生き方が必要だな…と感じる。



enji_152 at 20:09|PermalinkComments(0)今世 | 課題

2018年05月05日

生きざまが未来を作る

高校の担任教師が今年の春に定年退職した。その祝いを、同級生でやることになった。

当時一クラス50人いたらしいが(そんなにいたのか、記憶にない)、今連絡が取れるのは約半分で、残りの半分は消息不明だ。
連絡の取れる半分に同窓会の案内が行ったが、参加者は先生を囲んで10名となった。

今回は退職祝いと同窓会を兼ねており、前回の同窓会が卒業30年後で、それから5年が経ち今回は35年ぶりの再会となった者もいた。

当時はあまり付き合いのなかった子とも、お互い多くの事柄を経たせいか、懐かしさだけが先に立ち、お互いのこれまでの道程を慰労出来た。あ~、これが同級生の良さなのだな~と、感じ入った。
皆からの祝いを先生は大いに喜んで下さり、私達も微力ながら役に立てたかな~と、嬉しく思った。

卒業して35年も経てば、一人一人違う経験、暮らし、人生がある。
遠くにいたり、仕事がある者もいるが、その気になれば連絡くらいは出来るものだ。
それさえも出来ない状況にあるということは、そうなるべく人生を歩んだ結果だろう。

長い年月の果てに、先生に顔向け出来る生き方をした者だけが、今回の出席者ということなのだろう。
同じ35年の歳月であっても、それぞれの生きざまが未来である今を作った、ということだ。

これからの人生も、先生に顔向け出来る人生を歩んでいきたい、と改めて思った。


2018年05月04日

初の光

GWの最中、墓参に行った。

久しぶりの墓参だったので、いつもより丁寧に墓石を磨き、風雪にさらされ溜まった土埃や、雑草等も丁寧に抜いた。やってもやってもなかなか思うようにキレイにはならないが、山の上にあるお墓なので、太陽がダイレクトに射す中、体力も限界となり、掃除に見切りを付けた。

花や食べ物のお供えを並べ、心を静めてご先祖様に手を合わせた。
万全な掃除が出来なかったこと、なかなか参拝出来ないことをお詫び申し上げ、そんな子孫をお守りくださっていることにお礼を申した。
そして、これからのこともお守りいただけるよう、お願いさせていただいた。

いつもしていることだが、最後に墓参出来ない家族に見せるため、写真を撮った。
世間ではお墓の写真は撮らないほうが良いという意見もあるが、墓参したくても行けない身内もいるため、それを見せることで安心することを思うのと、お墓の痛みなどもチェックできるので、記録として撮っている。

すると、今回初めてお墓にいくつかの金色の小さな光が映り込んでいた。
日中であり、周囲には誰もいなかったし、フラッシュもたいていない。
う~~ん、これは一体?我が家のお墓でこんなフシギな写真が撮れたのは初めてだったこともあり、何だかワクワクしてくる。

ご先祖様が墓参を喜んでくださっていれば、何よりありがたい限りだ。

2018年05月03日

1点で全てが無になる

TOKIOの記者会見では、メンバー一人一人の思いが、人柄が、テレビの向こうから、痛いほどダイレクトに伝わってきた。見ているこちらも胸が痛くなる。

山口君が犯した罪は許されるものではないが、ここまで大事になる背景には、彼らがそれだけ世の中に大きな影響を与える存在であることが要因だと感じる。

アイドルと言えども、皆40歳前後で年長者にいたっては50代が目前だ。
それだけ長い間、アイドルとして、一人の芸能人として業界で活躍していることで、どんな行いも常に100点でなければならない立場になっていたのだ。

その自覚のなさが、世間に対する甘さが、今回の事件を引き起こした要因のひとつだと推察する。
毎日毎日気持ちを張りつめ、誰の目にも常に満点でなければならない行いが常になることは、並大抵の努力ではないだろう。

だが、99点では落第なのだ。残りの1点が欠けただけで、大事になるのがこの業界で生きる者の定めだろう。といえは、一般人だって同じだ。毎日会社に通い仕事をする、周囲との付き合いにも粗相をせず、家庭でも仲睦まじくいるために努力し続ける日々は、芸能人だろうが、一般人だろうが、さほどの差はない。

人間、生きている限り100点でなければならない…そうでなければ、社会からはじかれ、奈落に落ちていくことになる。
たった1点を落としたことで、想像だにしない大事になる…こともあるのだ。

enji_152 at 21:18|PermalinkComments(0)今世 | 人の道

2018年05月02日

断捨離をすると

長い間同じ家に住んでいると、どんどん荷物が増えてくる。

これは昔使っていたものだから、これは〇〇さんからいただいたものだから、ちょっと古いけどまだ使えるから、昔着れたお気に入りの服、また着ることもあるから、取っておこう!と、いつまで経っても物が捨てられず、気付けば押し入れもパッツンパッツン!

で、押し入れに仕舞ったもののほぼ9割ほどは使うことなく年月だけが過ぎていくのだ。
ということで、思い切ってもう何年も使っていないものを処分することにした。

新古品でも年月が経つとしみが付いている。もったいないから取っておいたものが、全て使い物にならなくなっていた。
見た目ちょっと古いくらいだが、人目に付くものはやはり二度と使わないのだ。

何かを手にするたびに当時の思い出が蘇ってきて、なかなか断捨離は進まない。
時間との戦いでもあるので、心を鬼にして不要品をガンガン袋に詰めていく。

この連休を活用し断捨離をするので、まだまだ終わってはいないが、これをすることで、なぜか心の整理も出来ているような気もする。

物質の断捨離=心の断捨離にも繋がっているようだ。

2018年05月01日

元号は必要か?

元号の存在感薄れる? 改元まで1年「西暦の方が便利」との記事を読んだ。

来年には平成から新元号に変わる予定だが、世界広しといえども、元号があるのは日本だけだ。
元は中国王朝からのお達しで元号を始めたらしいが、その中国でさえ今はもう元号はない。
日本だけ律儀に未だに元号を使用しているが、日常生活においては、何とも不便だ。

昭和生まれからすれば、平成、新元号と、3元号を生きるわけだが(明治生まれの人が、大正、昭和と生きたのと同じ感じ)、元号で年数を計算するのは正直面倒くさいし、分かりづらい。
今は、昔と違いコンピューターでチャチャっと計算出来るが、そもそもこれは必要なのだろうか?

私が生きている狭い価値観の中では無用でしかないが、もっと視野を広げれば必要なこともあるのかもしれないが、それがなくては生きていけないか?といえば、NOということになる。

西暦はキリストの生誕から始まっているから、天皇制を謳う日本がキリストを主とした暦にはNOなのだろう。

世の中では賛否両論あるものの、まだまだ元号は続いて行く…のが日本という国の証だろう。

enji_152 at 20:16|PermalinkComments(0)今世 | 課題