前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2018年07月


経産省が推奨する月末の金曜日はいつもとは違うちょっと贅沢な時間を過ごす「プレミアムフライデー」だが、民間企業からしてみれば、月末の超忙しいときに、ちょっと贅沢な時間など過ごせるか?というブーイングはあちこちから聞かれる。

すると、「意識的に休む」ことを推奨するもので、月末金曜日に限定するものではない、という言い訳が…。
まあ、定義付けとしての「プレミアムフライデー」ということなのだろうが、設定日そのものがお役所仕事感満載で、決行出来ている企業は1割ほどというから、いかに的外れな施策であるかは明明白白だ。

すると、今度は日曜日の夜遊んで、月曜日を午前半休する「シャイニングマンデー」だと。
何だかな~~。午前休で午後から会社行くなんて、面倒くさいことこのうえない。いっそ全休にして欲しいものだ。

役所的には「休みの動機を作ってやった」ということなのだろうが、そんなことをしても休む人は休むし、休まない人は休まないのだ。
それに、プレミアムフライデーもシャイニングマンデーも、公休ではない。自分の有給休暇を取り崩してそれに充てるのだから、あんまり意味がない。

お膳立てされた休日より、自分が休みたい時に休むのが、真の意味での「ちょっと贅沢な時間」だと思うのだが…。

台風12号の威力は凄まじい。
都心は午前中穏やかだったが、昼過ぎから雨脚が強くなった。

我が家では自転車を外に置いているので、濡れないように、風で倒れないように、頑丈に装備した。
だが、ものの数分で自転車は風に倒された。こんなに重たいものがいとも簡単に倒されるとは!

今度はカバーに付いてる装具に紐を通し、柱に括りつけた。
それでも、やっぱり数分後には風に倒されていた。
結局、びしょ濡れになりながら、家の中に入れることにした。

雨の降り方もスコール以上のものだし、突風は予想もしないところから吹き荒れる。
これでは傘など何の役にも立たない。

こんな時、人間の無力さを痛感する。
台風、地震、雷、豪雨、津波、熱波、竜巻、噴火…自然の営みは壮大過ぎる。

人間など、「吹けば飛ぶような存在」だということを肝に銘じたい。

小笠原近海にいる台風12号は、着々と日本列島を目指して?いる様子。
気象庁の予報通りなら、関東地方は今夜半から雨となり、明日1日大雨のようだ。

その後は東海、近畿、中国、四国方面へ進むらしい。
妙な蛇行をする台風進路は、今までにないまさに予想不能な動きをしている。

明日も明後日も仕事の方もいるだろうし、行かねばならぬ用事を抱えた方もいるだろう。
そんな方々からバッシングされそうではあるものの、明日が公休日で良かったと思う。

会社勤めをしている方は、土日が休みの方も多くいるだろう。
これが平日だったら、普段でも地獄絵図の通勤地獄なのに、台風と重なると漏れなくその度合いは増す。

台風の影響で電車は止まったり、間引き運転がされたりと、中途半端な運行形態になればなるほど、通勤命の社会人はドツボにハマる。
やっとの思いで出社出来ても、これまた中途半端なタイミングで早期退社を促されようものなら、これまた朝同様の退社地獄に巻き込まれる。

たかだが出勤ひとつでなぜこんな地獄絵図を味あわねばならぬのか?
そういう意味で、明日が休みで良かった、と胸を撫で下ろしている次第だ。

誰の身の上にも、どこの場所でも、大きな被害が出ないことを祈るばかりだ。

学校にクーラーを入れることを反対する人達がいる、というニュースを耳にした。

確かに、私が子供の頃はクーラーなんてものはなく、熱風吹きすさぶ教室で、汗だくになりながら授業を受けていた。
だからなのか?子供は我慢しろ、というのはちょっと違う気がする。

忍耐、辛抱を学ぶ場は他にもたくさんある。
欲しいものを我慢したり、兄弟姉妹に親を独占されてかまってもらえなかったり、テストで良い結果を出すために勉強したり、親に言われてしぶしぶ?塾や習い事に行ったり…と、子供時代は我慢と辛抱の連続だ。

近年稀にみる暑さが続いている中、気象庁も「命の危険が差し迫っている」とまで言っているのだから、クーラーくらい入れてあげても良いんじゃない?と思う。

快適な空間で学ぶことで成績が向上すれば、なお良いわけだし、じっと机に座って勉強すること自体が、子供にとっては既に修行の一環でもある。

自分達が苦労したのだから、若い人も同じように、という思いは分からないではないが、人生は良いこともそうでないことも同じ量だと私は思っている。
「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」なのだ。

若い人達が未来においてどんな苦難に出遭うか出遭わないか、この世には既にいないであろう私達には想像だにし得ないが、人生はそんな甘いものではない。

時は流れている。未来の形はどんなものか…。
クーラーを入れたか入れなかったかは、些細な事だ。

今手元にある現実と、過去に受けた己の苦悩のみを振りかざしてギャーギャー騒ぎ立てること、その行為は愚かでしかない。


都会生まれ、育ちの人には、自然豊かでのどかな暮らしに憧れることもあるだろう。
端から見れば、田舎はのんびりしてて良いな~と思うのはごもっともだ。

私は幼少を東京で暮らし、幼稚園から中学までとある田舎で暮らした経験がある。
まずは標準語しか喋れなかったことから、いきなりいじめられた。
おまけに髪の色も赤茶色だった(天然)ことから、いじめに拍車がかかった。

幼稚園なのに、ロッカーの隅に追いやられ、殴る蹴るはフツウだったし、ビン牛乳の蓋開けを回してもらえなかったり、園庭に並べば後ろから髪を引っ張られたり…と、何とも理不尽ないじめは小学校に入っても続いた。

小学校に入ると、姉の同級生からも目を付けられ、ある時男子生徒から校庭で突き倒され、えんぴつを顔に突き刺された。
その芯はかろうじて眼球を外したが、目のフチに刺さり、未だにその時のえんぴつの色が残っているほどだ。

東京から来た異物者とみなされ、理不尽な洗礼を受けた私は、それだけで田舎が嫌いになった。
このままではマジで殺されると思い、自分が強くならなければ!と、ある時一念発起?し、いじめてくる相手にかかんに挑んでいった。
毎日生傷が絶えない喧嘩の日々を送っていたが、そのおかげで強くなり、そのうちいじめられなくなった。

田舎でイヤだったことのひとつに、人の家庭の事情や晩ご飯の中身まで近所の人が知っていたことだ。
すべてが丸見えで、そういう話を常としている何とも低レベルな事柄もイヤで仕方なかった。
それらは良くいえば義理人情かもしれないが、ただの過干渉でしかない。

まあ、そんなこともあるから、むやみやたらと田舎に住みたいとは思わない。
たま~~に旅行で出向き、のんびりと命の洗濯をする、くらいでちょうど良いのだ。

上記の記事にも出ている通り、都会で育った人間は、田舎を選択する場合は、都会の人達がたくさんいる場所を選ぶべきだ。
土着の人達と仲良くやろうなんて…そう簡単なことではない。

以前石垣島に行った時に、タクシーの運転手が「ここはよそ者の町だから」と、新興住宅群を差して言った一言が忘れられない。
結局、よそ者はよそ者でしかないのだ。

NHKで毎週金曜日の夜8時頃から、「チコちゃんに叱られる」を放送している。

設定5歳児のチコちゃんから「ボーっと生きてんじゃねぇよ!」と叱られるのだが、これは、回答者であるゲストがクイズに正解出来ないと、チコちゃんに叱られる、というものだ。

5歳児とはいえ、声はお笑い芸人なので、言うことがいちいちオッサン臭いし、ムダにウンチクが多い。大の大人に向かって「ああ、そうなの?」「ふーん」「まあ、そういうこともあるよね」という相槌が、やっぱ中身オッサンじゃん!とツッコミたくなる(でも、それが面白い)。

で、先日の放送で「大人になるとなぜ時間が経つのが速いのか?」というものがあった。
出演者はもちろん正解を出せず、チコちゃんから「ボーっと生きてんじゃねぇよ!」と叱られる。
5歳児だから?許されるけど、大人が面と向かって言ったら、おそらく速攻殴られるだろう。

と、まあそれは良いとして、その答えは、「大人になると毎日が同じようなことの繰り返しで、感動、つまりトキメク心がないから」というものだ。

子供の頃は見る物、聞く物、すべてが初めてで新鮮だから、それらをイチイチ覚えている。それは、時間を要することだし、覚えている=時間を長く感じる、ということだが、大人になると新鮮な事柄がほぼ皆無となり、気付けば日々のルーティンに追われていた…ということになるから、あっという間に時間が過ぎるのだそうだ。

確かに…最近トキメイテないな~と、自己反省。とはいえ、そうそうトキメクような事柄は起きない。
せめて、自然を愛でたり、友達と会ったり、普段見れないものを見たり…と、創意工夫が大切なようだ。

人間生きている限り、トキメキは大切だ。
それを忘れてしまったら、「ボーっと生きるだけ」になり、チコちゃんに叱られそうだ。

例年以上に続く暑い毎日に、既にバテている。
過去に2度熱中症になった経験があるから、そうならないように気を付けていたものの、やっぱり今回もやってしまった。

普段の通勤だけでクラクラな毎日を過ごしている。
途中で行倒れないようにちゃんとご飯を食べよう、と心掛けていたら、これが裏目に出た。

とある日の退社前頃から何だか気分が悪くなった。それは、いわゆる嘔吐の予感…だ。
会社を出て最寄の駅に行く間にそれはどんどんエスカレート。
駅に着いたらトイレへ直行。便器に向かって、まさにマーライオンと化してしまった。

それから何とか電車には乗ったものの、途中でまた気分が悪くなったが、ここで降りてまたトイレにかけこむだけの体力も残っておらず、じっと目をつぶってやり過ごした。
自宅最寄の駅に着いたのでトイレにかけこんだが、これが和式のトイレしかなく、とても吐ける感じではなかった。

何とか家まで我慢しようとしたものの、途中の公園で吐き気を催し、公園のトイレで再度マーライオンに。そこから息も絶え絶え?状態で帰宅。そこからまたマーライオンとなった。

その後はもう起きていられず、速攻寝た。
胃のムカムカは治まったものの、とてつもない睡魔で朝まで寝てしまった。

連日の暑さと疲労の蓄積で、胃が働かなくなったのだ。これを世間では「胃バテ」というらしい。
それからは食べる量も減らし、胃にも負担をかけないよう心掛けている。

夏バテに胃バテ…次は何バテだろう。

都心では、今年の梅雨はあった?というくらい雨が少なく、梅雨明けも記録的早さだった。
それからというもの、毎日猛暑が続いている。
かつてここまで暑かったことはなかった、と思うほどだ。

南の島に行くと、朝早く起きて仕事をし、日中は身体を休め、夕方陽が傾いたらまた働く、ということがった。
ここでは日中の暑さはハンパない。南国特有の射すような太陽光線下で働くこと自体、無謀でしかない。
南国での働き方は、自然にあがらわず、人間も生き易い仕組みが出来ている。

今や南国より気温の高い都心も、それを見習うか、他に方法を模索しないと、熱中症で倒れる人が続出する。
子供達も屋外でスポーツだなんて…。慣例な事柄もあるだろうが、「命に危険を及ぼす暑さ」をあなどってはいけない。
その時は何事もなくても、後から具合が悪くなることだってあるのだ。

また明日から出勤せねばならない現実を思うと気が重くなるばかりだが、働かなければ生きてはいけない。
自然にあがらわず、共生出来る道を開拓しなければ、犠牲者は増える一方だ。

世の中は日々刻々動いており、一時も同じという事はないし、その巡り合せも同様だ。

人間も生物も生きとし生けるモノはすべて、時間の経過と共に成長し、衰退していく。
どんなに栄華を極めたことがあっても、それは永遠ではない。
長年に亘りそれを持続しているということは、それなりの精進を継続しているからだ。

人生は因果応報だから、自分のしたことはすべて自分に返ってくる。
良いことも、悪いことも、すべてが自分に降りかかるのだ。

その因による報いを受けて喜ぶ者、悲しむ者、恨む者、妬む者…さまざまではあるが、それもこれも全ては自分が発端だ。

社会には良きこと、悪しきことがあり、それらは自然淘汰されていく傾向にある。
悪しきことが無くなるのは喜ばしきことだが、中には良きことが消えていくこともある。

人間にとって真に必要な事柄が淘汰されていることは嘆かわしいし、消滅する前に手を打つ必要があるだろう。
だが、そもそも日本人が減少の一途を辿っている現実を思うと、それも自然の流れなのかも…とも思わされる。

日本もあと半世紀もすれば多民族国家になっていることだろう。
一世紀も経てば、純粋な日本人は絶滅危惧種になっているかもしれない。

自然淘汰の流れは、良くも悪くも、止むことはないのだ。

日本列島は、毎日酷暑が続いている。

35℃で猛暑と言われているが、体感温度は40℃以上だろう。
特に、アスファルト道路やビルが林立する都心は、まさに地獄の釜状態だ。

地方都市でも40℃を越える日が続いている。こちらも体感温度はプラス5℃はあるだろう。
人間の体温より高い空間で生きることは、肉体にとっては過酷過ぎる。

そんな内地を後目に、沖縄では30℃前後の日々が続いている。
台風接近により海水温が低いことが原因らしいが、常夏沖縄より内地のほうが気温が高いなんて、誰が想像しただろう?

沖縄の日差しは内地のそれとは比べものにならないくらい痛い(差すような感じ)のだが、内地のそれは真綿で首を絞めるような、ジワジワとした痛みだ。湿気が高いからそれは余計に不快感を増幅させる。

数十年前誰がこんな状況を予想していただろう?南国より気温が高くなるなんて…。

人生はどこで何が待っているか分からない。一生安泰、ということは決してないのだ。

今年の夏は日を追うごとに暑さが増している。
毎日のように熱中症で搬送される方、なかには残念ながら亡くなる方もいる。

特に高齢者は暑さを自覚しにくい。
我が家にも高齢の母がいるが、放っておくとクーラーも入れないまま、汗だくになっている。
水分、塩分、糖分も、こちらが用意し摂取するよう促さないと、口にしない時もある。
高齢になると、それらの判断がしづらいのだ。

暑さだけではなく、高齢になれば徐々に体力も精神力も認知力も衰えていく。
高齢になるまで酷使した肉体だから、当然の成り行きだ

先の西日本豪雨でも、高齢の方が多く犠牲になった。
田舎の大きな家で高齢者が一人暮らしだったり、子供がいなかったりして、逃げ遅れてしまった…。

そんな時離れて暮らしていた子供は間違いなく後悔する。
「一緒に住んでいれば…」と。

何事もそうだが、後悔先に立たずだ。手遅れになってから手当をしても、時既に遅しだ。
なぜ人は早め早めに手を打とうとしないのだろう。

己の怠惰が招いたこととはいえ、一生ぬぐえない傷を自ら追うことになるのに…。

人付き合いが面倒な現代人だが、SNSには敏感だ。
他人のことには感心がないのかと思いきや、のぞき見根性で他人のSNSをチェックしては揚げ足取ったり、批判したり…と、感情の行方は今やいびつだ。

他人が発したものの内容にもよるが、良く聞くのが芸能人や有名人などが公開しているSNSに過剰反応をするのは、何だ?とフシギに思う。

有名人が掲載するものを見て元気になるとか、好きだから、その人に近づけるために頑張る!と言ったことなら、その有名人もファンもまさにWin2の関係になれるが、それを見ては腹を立て、あれこれ批判するのって…。

有名人の中には「好きじゃなきゃ見なければ良い」ということを言う人もいる。
それは正しいと思う。発信する側だって、批判されるより同調してくれるほうが良いに決まっている。

これらに限らず、自分の思考と違う人に対して、顔が見えないと異常なまでの攻撃をする気質は、それがその人の本性だと思うと、空恐ろしい。

嫌いな人間の情報は見なければ良いし、それを見て不快な書き込みをするような卑しい人間にはなりたくないものだ。

イヤなことは「ふ~~ん」で済ませれば、それで良いだけの話だ。

年を追うごとに、夏は暑さを増し、冬は大雪が日本全国に広がっている。
台風も竜巻も集中豪雨も、頻繁になり勢力が大きくなっている。

最近気象庁の会見やニュースなどで良く耳にするのが、「生命に危険を及ぼすレベル」という文言だ。
西日本豪雨の時も、連日続く人間の体温越えの猛暑の昨今でも、同じようにアナウンスされている。

生命に危険を及ぼすほどの気象状況は、ここ数年のことだ。
自然災害は昔から尽きることなく続いているが、その機会が多くなっていることを思うと、これらはやはり人災なのだ。

自然の生態系を破壊し、人間が便利を追い求めれば求めるほど、これらは勢力を増していく。
「生命に危険を及ぼす」と言っていられるうちはまだ良いが…。
その先のことを、今手を打たなければ、「生命の危機」に瀕することは目に見えている。

ある都市銀行がシステム入れ替えのため、この3連休ATMが使えない。

ATMが出来るまでは、平日営業時間内に銀行に出向かねばならなかった。
それが今では営業時間外でもATMを利用することが出来、何とも便利でありがたい。

そのシステムも時が経てば老朽化したり外部から攻撃を受けたりと、進化せざるを得ない状況だ。
たかだが数十年前まで、銀行に限らずどの会社も紙で仕事をしていた。
今あるシステムに登録している内容も全て手書きで、膨大な書類が常だった。

コンピューターが台頭し、誰もがデータをシステムに保存したり、構築したり…と、目まぐるしい変化について行けない人も多くいるだろう。

先日地元の金融機関で口座を作る機会があったが、その時も書類に記入するのではなく、タブレットに専用のペンでタッチしたりサインするだけで済んだ。これまた便利な賜物だ。

だが、これらも一旦システムに不具合が起きると、全てのサービスが止まってしまう。
順調な時は良いが、ひとたび何か事が起きれば、100が0になってしまう。

人間自身がコンピューターのように簡単にいかないのだから、他の事柄をすべてシステムで掌握することにムリがあるのかもしれない。

中にはデジタルをあえて使わない会社もあるそうだ。
人間が真の意味で人間らしく生きていくには…?課題は尽きない。

大手町で開催された「和ルミネーション」を見てきた。

ビルとビルの谷間に、日本伝統の和傘が並べられ、オレンジ色の光に照らし出されていた。

和ルミネーションは、丸の内朝大学の有志のみなさんで始めたイベントだ。イベントのプロ集団ではないが、ここまでの準備と開催に漕ぎつけるまでには、幾多の困難があっただろう…と推察した。
協力してくれるスポンサーやクラウドファンディングで資金を作ったものの、きっと手弁当だった事も多くあっただろうな…とも思わされた。

見る者は開催された時だけ、簡単に言えばおいしいとこ取りで見させてもらっているわけだ。
次回の開催にはぜひ何がしかの協力が出来ればな…とも思った。

「都会の砂漠に咲く江戸の華」は、メンバー達の思いの結集なのだ。
心癒され、東京の…遠い江戸の文化に思いを馳せることが出来た。

「和ルミネーション」の来年の開催も楽しみにしている。

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