2018年07月
2018年07月11日
ストレスの素
職場に、いちいち面倒くさい人がいる。
一見は当たりも柔らかいのだが、柔らかさを保ったまま、言いたいことを言い、人を意のままに動かそうとする。
人のした仕事にいちいちケチを付ける。
致命的な事柄でない限り、普通は見て見ぬフリをするか、黙ってカバーするのが組織で働く人の在り方だ。でなければ、それらをいちいち相手に報告し、それにあたらせるなんてことは時間のムダだし、無用な感情の軋轢を生むだけだ。
言っていることは間違っていないし、その通りだが、時にはスルーすることも必要な時もあるし、それが相手への思いやりになることもある。
常にスルーする必要はないが、何かを発見!するたびに喜々として言ってくる人との付き合いは、なかなかにしんどい、というかウザ過ぎる。
周囲の一挙手一投足を観察し、気付けばすぐ口を開く…。言われる立場からするとそれはストレス以外の何物でもない。
当の本人は善意だろうが、空気を読めない、匙加減を図れない人の善意は転じて悪意でしかない。
こんなくだらないことに振り回されてストレスを溜めてる私も未熟者だが、こういう面倒な人とは必要以外に関わりたくないものだ。
2018年07月09日
普通であることのありがたさ
西日本を襲った豪雨は、平成最大の被害を出している。
まさかこんなことになるとは…と、誰もが思っているだろうし、自然の猛威はこれ以上になることも感じずにはいられない状況が続いている。
九死に一生を得て避難された方々は、避難所などで不自由な生活をされている。
救援物資も足りてないだろうし、食べる物も不自由なことだろう。
ある高齢のご婦人がインタビューを受けていたが、その中で「非常食はパサパサして食べられない」というのがあった。
非常食は柔らかくないし、口の水分を多く取られる。
唾液の分泌が多くない高齢者にとってそれを口にすることは、若い人達の不自由さの何倍にもなるだろう。出来ることなら、いつも食べているものを提供してあげたい…とは思うものの、今はそれが出来ない。
こういう非常時でも人は通常を求める。それは悪いことではないし、非難すべきことでもない。
だが、平和に毎日を生きることが出来ていたこれまでのことを思うと、どれほどの恵みを受けていたかが良く分かる。
これは自身への苦言だ。今ある生活は当たり前ではないのだ。
当たり前にある日常に感謝しても感謝しきれない…その思いを忘れないようにしたい。
2018年07月08日
自然の猛威と脅威
西日本の豪雨は想像を絶する被害を出している。
被害に遭われた方の心中を察すると胸が痛むばかりだ。
海水温が高くなったことが原因で、台風は年を追うごとに増えているし、その影響を受けた梅雨前線が活発になる…などと文字で書くとそれだけのことのようではあるが、それが今回のような豪雨をもたらしたのだ。
昨年の夏は大分で同様の被害があった。
それが、北九州、中国、四国、近畿にまで跨ったのだから、どれほどの猛威であるかが分かる。
雨は人が生きていくには必要な産物ではあるが、それも過ぎれば人間にとって脅威となる。
だが、それを生み出したのは温暖化を引き起こした人類の生活にある。
便利な生活と引き換えに、人類は自然の猛威を享受することになった。これは、自然の摂理だ。
被害に遭われた方々に出来る限りの協力をさせていただくと同時に、自然の摂理を人類は真剣に受け止め、解決への道を進まなければ、これ以上この猛威が続けば、人類自体が消滅することになりかねないのだ。
2018年07月04日
得意を生かさなければ意味がない
大人になってわかった「体育の授業の無意味さ」反響呼ぶの記事を読んだ。
体育に限らず子供の頃に学んだことは、大人になり社会人として働くようになって、ほぼそれらを使うことはないのが現実だ。
それこそ「読み書き、そろばん」が出来れば、世の中渡っていけるとさえ感じる。
というか、名門大学を出ている人達でさえ、まともに日本語の文章は書けないし、漢字も読めない、簡単な計算さえ暗算出来ないことも多々ある。
小中高で学んだこと全てが無駄とは思わないし、思考能力を鍛えるという意味では、それらもそれなりに意味があるのかもしれないが、大人になってもそれをまともに構築出来ない人が多い現実を思うと、それさえも個々人の持つ能力の差が大いにあると思う。
そもそも人は容姿が皆違うように、能力にも違いと差があり、それは良し悪しという問題ではなく、それらを如何に社会で発揮するかが大切なことを思うと、能力にあった教育、方向性に導いてあげることが何より大切だと思う。
人には生まれる前に神様から与えられた天分と役割がある。
それを生かすには?自分の使命を全うするには?
そこを見極め、精進していくことが、人間に生まれた意味であり、何より肝要なことなのだ。
2018年07月03日
新しい生活
先月の中旬に引越しをした。
物件が決まってから引越しまで2週間ほどしかなく、引っ越してからもなかなか片付けが出来ず、あっという間に2週間が経ってしまった。
昼間は働いてるから片付けは必然的に週末になるのだが、それはそれで他にも用事が入っていたりして、なかなか時間が作れずにいる。それでも居心地良い住まいにするため、気付いたらひとつずつ片付けるようにしている。
とはいえ、以前の家より狭くなったため、相当な品々を処分したにも関わらず、相変わらずモノが溢れている。ん十年生きた証達はやはり捨てがたいのだが、快適な住まいにするためには捨てざるを得ない。泣く泣く多くを手放すこととなった。
だが、無くなったからといって普段の生活に困ることはないのが現実だ。
思い出は品物ではなく、心にあればそれで良い、ということになる。
新しい住まいはかなり快適だ。これまでの不自由は何だったのだろう…。
だが、その不自由を経験したからこそ、新しい生活に感謝出来るのだ。
「苦あれば楽あり」とは良く言ったものだ。
より良い未来に向け、新しい生活を満喫していきたい。