前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

2020年06月

東京ではここのところ、コロナ感染者が毎日50人を超えている。
コロナウイルスは収束の兆しがないことは、世界を見れば一目瞭然だ。
ならば、ウイルスと共生していくしかない。

にも拘わらず、コロナ以前と同じ生活を続けようとする人の何と多いことか!
報道で毎日のように「夜の街で感染拡大!」と、声高に言われていることの意味を考えたことはあるだろうか?

これは未来において、こういう世界は無くなりますよ、ということだと私は思っている。
夜の世界に限らず、人が集う場所がことごとく進化せざるを得ない、ということだ。

エンタメ業界ではネット配信に切り替えて新しい道を模索している。
これまで舞台を生で観ていたことも、近い将来ではほぼ無くなるだろうし、大きな声をあげてコンサートに酔いしれたり、スポーツ観戦したことも懐かしい思い出となるだろう。

現在は、江戸時代から明治維新に転換した時よりも、遥かに未知の転換期の渦中にある。
いい加減そのことに気付けないと、近い未来での生き方に不満と不安しか感じないだろう。

時空は人類だけのものではない。
地球が生きているから私達が生かされているのだから、地球にとって不都合なことは淘汰されていくのだ。

日本は生ぬるく収束したかのような楽観ムードが漂っているが、それが幻だったことを嫌が応でも認めざるを得ない日はもうすぐそこまで来ているのだ。

周囲のお気楽モードに惑わされることなく、今自分が何をすべきなのか?真剣に考え、次の手を考えていかなければならないところまで来ていることを肝に銘じ、早く行動に移したほうが良いだろう。

「リモートワークの体で、実際は出勤していた」――立ちはだかる「昭和おじさん」の壁、ある地方公務員の告白【#コロナとどう暮らす】を読んで笑ったが、笑いごとではない!

PCもろくに使えない昭和のおじさん、たくさんいるよね~~と、同感。
頭が凝り固まっているからなのか?新しいものを吸収する能力が無くなったからなのか?

毎日出勤してPC触っているはずなのに、いつまで経ってもブラインドタッチも出来ないし、エクセルやワードを使いこなすなんて、夢のまた夢。
挙句の果てに、やり慣れないSNSに手を出して、うっかり発言で炎上!する始末。

こういう人達に共通するのは、昔の武勇伝が全てで、そこから脱却、進化する気がないことが大きな要因だろう。
だから、上司という立場を利用して部下を終電まで呑みに付き合わせる。
呑むだけではなく、カビの生えた昔話を延々とリピートし、聞きたくもないヘタクソな昭和歌謡を熱唱され、部下にとってはまさにパワハラ以外の何物でもないだろう。

こういうおじさん達が企業の進化と部下の成長を阻んでいるのだ。

政治家もそうだが、ITが何たるかも知らない人が大臣になる現代、まともにPCやスマホも使いこなせない人を重職に置くことを禁止したら良いだろうとも思う。

世界でIT、AI化が否が応でも進んでいる最中、いつまでも旧態依然とした日本社会の在り方は危機的、いや末期的といっても良いかもしれない。

人間も進化しないと、気付いたら周りに誰もいなくなった…ということになるかもしれない。
それでも昭和のおじさん達は武勇伝を語ることは止めないのだろう…ある意味おめでたいことではあるが…( ;∀;)

依存症に「なりやすい人」「なりづらい人」の差を読んだ。

人は一人では生きていけないから、大なり小なり何かに依存していると言えるだろう。
だが、パチンコなどの賭け事、酒、タバコ、異性等々、依存度が深くなると、やっかいなことになることが多い。

収集癖も一種の依存ではないかと思った時から、私は全ての収集を止めた。
なぜなら集めないと気が済まなくなるし、どこまでいっても終わりがないからだ。
中にはそれが誰かの役に立ったり、歴史的大発見に繋がることもあるが、それは稀だ。

人は家族や周囲の大切なものを守るものが増えれば増えるほど、そのために何かに頼り、度が過ぎると依存に陥りやすいのかもしれない。そのほうが考えなくて済むから「楽」という見方も出来る。

先の記事によると、依存症は「脆弱性遺伝子」が原因のひとつであると書かれていたが、それは遺伝子に何がしかの欠陥があって、何かのきっかけでそれが発動してしまう、ということらしい。

自分の意思でコントロール出来ないとなると、さらに厄介ではあるが、人には誰しも依存症なるものが多かれ少なかれあることを思うと、遺伝子のせいにするのは腑に落ちない。

人付き合いにしろ、物に対する執着にしろ、肉体が無くなれば全てを失うことになる。
どんなにお金儲けをしても、あの世に持ってはいけない。

人は一人で生まれて一人で死んでいくことを思うと、多くのものに執着し、手元にそれらを置いておくことが無意味に思うようになった。

もちろん、生きている以上必要なものはあるから、最期の時まで困ることがない程度にそれらを活用するだけのことで、必要以上に追い求めることはないと思っている。

とはいえ、人間は弱い生き物だ。何かに依存したり執着することで安心出来ることもある。

昔の自分もそうだったが、一旦すべてを手放してみると案外サッパリして、他人に期待したり、依存することもなくなったし、物欲もほぼ無くなった。

毎日ごはんが食べられて、親しい人たちと笑って過ごせれば、それだけで充分幸せだ。
依存、執着から脱却すれば、想像以上に生き易い世界が見えてくるものだ。

「誰?このオバサン」と思ったら鏡に映った自分だった……。ママたちの嘆きが止まらない!は身につまされるが…。

ある日ふと自分の姿を客観的に見た時「老けたな~」と思う時がある。
いつからだっけ?ちょっと前まではもう少し髪の毛も濃かったし、痩せてもいた。今やブヨブヨで張りツヤもなく、見た目、ザ・オバチャンだな~と、ショックを受けつつも現実を受け止めるしかない。

旅行の時は風景は撮っても自分をそこには入れないようにしている。せっかくの景色が自分が入ったら台無しだわ、とも思うし、自分が入った写真など見たくもない。

だが、そもそも劣化は生きている以上避けられないことだし、それが自然の姿だ。
今や美容整形やサプリメント等で若さを維持することはいくらでも可能だが、一見若そうでも、背中が曲がっていたり、膝が折れたまま歩く姿を見ると、そのギャップに違和感しかない。

若く見られたければ、トータルバランスに気を配ったほうが良い。
顔だけとか、胸だけとか、一部だけ特化した若返りはむしろ痛い。

見た目若干見苦しくても、毎日を笑って過ごせていればそれで充分だと思っている。
劣化上等!どーーんとかかって来い!!と、開き直っている。

ハッキリ物言って嫌われる人・好かれる人の差を気にしては生きていけない。

世の中思ったことを100%ズバッ!と言えたらどんなにラクだろうと思うことしばしば。
そうすればストレスもないかと思いきや、案外言ったことを後悔することにもなったりする。

とはいえ、人から言われっ放し、誤解されっ放しではマズイこともある。
自分のことだけならまだしも、周囲に波及するような事柄だったりとか、今ここで言わないと取り返しのつかないことになるといった局面もある。

そこには相手からどう思われるとか、嫌われたらどうしようなどと思ったことはない。
そんなことをいちいち気にしていては、自身を保てないからだ。

人からどう思われるかも大事ではあるが、それよりもまずは自分がどうありたいか、自分は何を真髄として生きているのかを自覚したうえで、それからブレてはいけないと思っている。

ブレてはいけない自分の一線を冒されたら、それはやはり良い意味で闘うべきだ。
そこで大切なのは、感情的にはならず、出来れば相手を傷付けることなく、さらには笑いに変えられる方向性でズバッ!と言うように心がけている。

例えば、若い女性が年配の女性を見下すような発言をした時「そうね~、そういうこともあるよね。でも、よく考えてみて。私もあなたもン十年後には歳を取って、若い子から同じこと言われちゃうのよぉ~」といった感じだ。

人はいつまでも自分だけは大丈夫と思うフシがあるが、他人の粗は意外と自分の粗だったりするものだ。それを陰口叩くのはどうかと思う。

そんな感じで、聞き捨てならないことに関しては、モヤっとしたくないので、嫌われても良いから返すことにしている。とはいえ、話が通じる相手限定だが…。

何を言っても理解出来ない人には、最初から何も言わないことにしている。

荒川決壊したら…避難先はどこ?「江東5区」広域避難の限界露呈は他人事ではない。

昨年10月に見舞われた台風19号では、都内でも45年ぶりに多摩川が氾濫し多くの被害が出た。
その際、荒川も決壊寸前だったと後で知った。

現実問題として、荒川が決壊したら墨田区、江東区、江戸川区、足立区、葛飾区はどうなるのだろう?
地図で見ると江東区は荒川と隅田川に挟まれた、いわば中洲のような地形となっており、それを取り囲むように上記他4区があるから、荒川が決壊すれば被害は甚大だ。

江戸時代以前、東京駅の八重洲側(延長線上含め)はもともと海であり、埋立により今の地形となっているから、上記5区の海抜はほぼ10メートル以下の地域ばかりだ。そんなところで川が氾濫したり、津波が来れば水没する。

台風や大雨、津波が来た際、上記5区が避難する場所は一部の人にはあっても、ほぼないに等しい。
だからといって今更どこかに引っ越すわけにもいかないだろうし、日々の生活がある。

後は一人一人が自衛するために今出来る対策を立てるしかない。
上記5区以外であっても、自然災害は未知だ。
他人事とは思わず、いつ何時何があっても良いように、その対策と心の準備だけは万全にしたい。

篠原涼子主演の「ハケンの品格」が13年ぶりに帰ってきた。
13年前もタイムリーで観ていたが、今回も思わず観てしまった。

多くの資格を持ち、どんな難題でも正社員以上のパフォーマンスを発揮するスーパー派遣社員こと、大前春子の働き方は、13年前ではあり得ないほどのマイペースぶりだったが、現在はそれが一部当てはまっているものがあって、先見の明があるドラマだったのでは?などと思っている。

実際、こんなスーパーマン的な派遣社員がいるかどうかは別としても、ドラマの中で描かれている、正社員は使い物にならないという図は、どこにいっても「そうそう!」と頷けるものばかりだ。

新卒で入社し、その会社しか知らない人間にとってみれば、そこだけが自分にとっての世界であり常識だ。どんなに理不尽なこと、不可思議な事柄でも、その中では当たり前であると、知らぬ間に世間からズレた生き方を強いられることになる。

そんな時、多くの会社を渡り歩き、多様性のある働き方が出来る人間が来ると、その会社のズレや時代遅れを見事に一刀両断し、周りはそれに圧倒されてしまう。

つまるところ正社員がポンコツなのは、ひとつのところに居続けるからである。
稀に出向とかで関連会社に異動することもあるが、所詮関連会社だ。似たような働き方だから、ほぼ進展はない。

正社員も真逆の業界に出向させるなどし、否が応でも精進せざるを得ない状況にすれば、少しは使い物になるかもしれない。
いくら学力が高くても、最終的には人間力がモノを言うし、それが生きる力だ。

ポンコツと言われたくなければ、自らを律しつつ精進するしかないのだが、その方法が分からないという者が殆どだろう。

早い話、ひとつのとろこにずっといると、人間はポンコツになる、ということだ。
ポンコツのまま定年を迎え、ポンコツ気分のまま老後をぬくぬく過ごせればよいが、世間はそんなに甘くはない。

コツコツ貯めた企業年金をまんまとだまし取られないよう、せいぜい人間力を磨いておくことだ。

「女性の社会進出」妨害する日本の悪習の正体は男尊女卑の風習が根深いからだと思う。

女性の社会進出が叫ばれるようになるまでの日本は、男は外で稼ぎ、女は家を守る、が定番だった。

幼い子供であれば母親に甘えたいから、家に居てくれることは安心でもあったし、母親も我が子の成長を間近で見届けられることに幸せを感じる人も多かっただろう。

だが、それは果たして女性だけだろうか?
女性は出産するから、一層その思いが顕著ではあるものの、女性であっても我が子を愛せない母親もいるし、男性であっても母親以上の愛情で子育てをする者もいる。

つまりは子育ても特性なのではないかと個人的には感じている。
とはいえ、長年培われた日本の男尊女卑文化がそれを阻む。男は稼ぐ、女は守る、という構図がいつまで経っても亡霊のように付きまとっている。

この記事にあるように、出産後の職場復帰でよくあることが「発熱による保育園からの呼び出し」だ。
この際呼び出されるのは必ずと言っていいほど母親であり、父親が呼び出されることはない。
夫婦で話し合って行けるほうが行く、という家庭は稀だろう。

知り合いに、子供が母親にしか懐かず、父親では面倒をみれないから、仕方なく母親が対応する人がいる。だが、これは夫婦での話し合いと協力体制が出来ていないからだ。

どんなに子供がぐずろうが泣き叫ぼうが、両親共に懐く状況を作らない限り、いつまで経っても父親が積極的に子育てに参加することはないだろう。
そして、父親の仕事が多忙であることを言い訳に、結局母親だけにしわ寄せが増える結果となる。

女性の賃金が上がらないのも納得いかないが、男性のように上がり切ったところから下降するよりは、変わらず同じ程度をもらえるというのは、考え方を変えれば乱下向がない分安定しているとも取れる。とはいえ、男性のような収入を得ることは現実的には有り得ないのもまた現実だ。

女性が子供を産む限り、いつまでも現状は変わらないのだろうか…。
昔ある女優が言っていたが「玉子で子供産みたい」というその思い、分かる気がする。

テレワーク勤務中は通勤がないため、朝ウォーキングと仕事の休憩中にラジオ体操をするようにしている。正確にはNHKのみんなの体操だが…。

午前と午後の2回5分間放送されるため、タイマーをかけて体操をするよう心掛けている。
朝の体操は子供から大人まで出来るもので、手の先から足の先まで全身を使い、途中筋トレとおぼしきストレッチもある。

午後はラジオ体操やオリジナルのリズム体操などで、子供の頃毎日やっていたラジオ体操は身体が覚えていてスムーズに動く。
大人になり改めてやってみると、全身の筋肉をほぐす運動なのだということが良く分かる。

パソコンと1日中にらめっこしているので、特に肩周りの筋肉が固まっているところを、体操で徐々にほぐしていくのだが、これが日を追うごとにその効果が現れた。

やるな!ラジオ体操!!

ということで、これからも地味にコツコツ毎日続けていきたいと思っている。
マジでオススメよ!

緊急事態解除後もテレワークが続いているため、自粛時とほぼ変わらぬ生活をしている。
そんな中、久しぶりに電車に乗った。

休日の朝早い時間のせいか余裕で座れるうえに、7人がけの座席に2人ほどしかいない。
まさにソーシャルディスタンス状態で、これが理想的な現実なのだろう。

車内をボーっと眺めていて、ふと違和感を覚えた。
つり革広告は変わらず掲げられているが、その更に上にある車体の天井近いカーブがかった広告スペース欄に広告がないことに気付いた。

思わず車内中をくまなく確認したが、1つか2つある広告の他は全てブランクだった。
この現象、過去に見たことがあるな…と思い出したのは、2011年の東日本大震災直後だ。

あの頃は広告そのものを自粛する風潮があったが、今回は間違いなく広告を出す側が広告費を削減するために出していないのだ。

こんな光景ひとつで日本の景気が後退していることを確認出来るとは…。

コロナが収束しつつあり、能天気に浮かれてハメを外している場合ではないのだ。
経済を回すことは大切なことだが、振り込まれた定額給付金に肝っ玉が太くなって散財していると、先々泣くハメになるかもしれない。

コロナ第2波、第3波が来た時、今回支給された給付金がまた出るだろうなどと国の体力を当てにしていると、間違いなくそれは外れることを今から肝に銘じておいたほうが良いだろう。

COVID-19の感染が日本でも多く報じられ始めたのは2020年に入ってからで、この半年の間に感染ピークから収束に向けて、実にさまざまな事柄が様変わりした。

通勤における満員電車から1日が始まり、組織の中で自分の役割を勤めあげた後は同僚と一杯、といった日常が無くなった。
エンタメ業界を始めとする娯楽関係にも行けなくなったし、夜の街からもネオンが消えた。
人と会うことが無くなり、誰もが引きこもる生活が始まった。

24時間眠らない街であった都心は、不要不急の分野において眠らざるを得なくなった。

その中で大きな進化を遂げたのはマスクだろう。
それまでは不織布がメインであり、国内生産は全体の1割しかなったそれが、今や畑違いの業界までその生産に取り組んでいる。

マスクは冬に使うものという認識のため、夏に付けるには厳しい側面があるが、さっそく夏に身に付ける素材でマスクを作る業界があり、早くも話題になっている。

私も夏用のマスクとスポーツ用のフェイスマスクを購入し試したところ、息苦しさが軽減されるうえ、通気が良いので汗が吹き出さず助かっている。

コロナのことがなければ、夏用のマスクが生産されることはなかっただろうし、国民のほとんどが夏までマスクを付けることは想像もしなかった。

たった半年の間に起きた事柄を顧みると、2020年はこれまでの歴史にないほどの変化?進化?の年と言えるだろう。

その悪口、乗る?乗らない? 悪口を言う人をうまくかわす方法 悪口ほど生産性のないものはないとつくづく思う。

日々他人から受けるストレスは、悪口と言う名の陰口で発散したくなるものだ。
若い頃は嫌いな人の一挙手一投足が気になり、ムカムカし通しだったこともある。
今も多少あるが、最近はすべて存在をないものとして取り扱うことにしている。

だいたい悪口を言いたくなる人というのは、自分とは真逆の人と思いきや、案外自分の中にあるイヤな面であったりすることもある。
自分の中にあるイヤな部分を、他人から見せつけられてイラつくのだ。

「人の振り見て我が振り直せ」のように、イラつく人の中にある自分の影を見つけたなら、自分が変わることのほうが何倍も楽だと思う。とは言いつつ、長年培った性格や習性はそう簡単には直せないが、少なくとも対するイヤな奴を見て不快感があるのなら、自分はそうならないよう心がけるだけでも一歩前進と言える。

悪口を言ってスッキリしたいだけの人もいるようだが、聞かされるほうはたまったものではないので、私はいつもシレーっとその場からいなくなる。もしくは、耳の蓋が閉じて聞こえなくなり「ねえ、話聞いてる?」と言われること度々。その度に「あ、聞いてなかった」と言う。

ここで大切なのは、そう言うことで嫌われても良いという覚悟だ。
誰にでも良い顔をして聞きたくもない悪口の相手をするのと、悪口を言うような人とはこれを機にオサラバ出来るのとどちらが良いだろう?

私は間違いなくオサラバしたい派だ。
その人に嫌われたからといって、それで人生が終わるわけではないし、自分と価値観の会う人と付き合えば良いだけのこと。

職場などの逃げ場のない環境であれば、むしろ嫌われたほうが無駄な事に関わらなくてよい。
万一意地悪されたり、仕事の邪魔をされるようなことがあれば上司に相談するなり、成果を上げてギャフンと言わせれば良いだけのことだ。

プライベートにしろしがらみの関係にしろ、要は嫌われても困らないだけの揺るぎない自身の信念を持っていることが大切だ。
他人のくだらないうわさ話に自身が左右されるようなら、我慢して悪口大会に付き合ったほうが良いだろう。

次の次元に行けるか行けないかは、自分次第だ。

レジ袋有料化で「エコバッグ」活用に待った!実は「ウイルスまみれ」の危険性を読んだ。

7月からスーパーやコンビニなどのプラスチック袋が有料になる。
それにあたり、既にマイエコバッグを利用している人も多くいるだろう。

私も以前から折り畳めるコンパクトサイズのエコバッグをかばんに忍ばせている。
お店によっては既に有料のところもあるし、袋をもらわないと数円安くしてくれるところもあるからだ。

記事にあるように、確かにエコバッグはそうそう汚れるものではないから、洗う機会も少ない。
が、最近は買い物から帰ると、買った商品もバッグも消毒液で拭くようにしている。

それでも見落としはあるだろう。

ウイルスは目には見えないから、どんなに気を付けても思いがけない場所に付着していることもあるだろうし、自身が知らぬ間に拡散していることもあるかもしれない。

完璧にウイルスを駆逐出来ないからこそ、出来る限りの防衛をするしかないのかな…と、この記事を読んで思わされた。
あまり敏感になり過ぎるのも精神的には良くないから、これもほどほどに…ということだろうか。

北朝鮮が今後取り得る選択肢-南北共同連絡事務所の爆破後の動向が気になる。

南北朝鮮の調整の場である本事務所を爆破するとは…建物は2018年建造とようやく2年経ったばかりだ。
そんな貴重な場所と建物を木っ端みじんに破壊するほど、北朝鮮は怒っていると報道されている。

原因は韓国に在住する脱北者団体が政権批判のビラを撒いたこととされているが、これは表向きであって、内情は北朝鮮の切羽詰まった情勢にあると想像する。

最近では一番の指導者は姿を見せず、その妹が表立っているところを見ると、何か重大な事が起きたことは、誰の目にも明らかだ。

それでなくても内情は火の車であり、コロナ対策は他国のような手も打てず、中国との国境も封鎖されていることから、国民は日々の食事にも事欠いているのではないだろうか。

乱心者にありがちな行為として、最終的に自虐行為に走るというものがある。
未来の自滅が確信に変わった時、他者を巻き込んでやる、というものだ。

この乱心を発端に、なりふり構わず周辺諸国を撒き沿いにするのではないかと危惧している。
世界を巻き込んだ悲劇が起きないことを祈るばかりだ。

在宅→職場「やる気が出てこない人」が当然の訳は何て優しい記事だろうと思った。

テレワークからバックtoオフィスになってやる気が出ないのは脳のせいだと言う。
確かに休み明けの月曜日は頭がボーっとすることが多い。個人的に月曜日はリハビリデーと名付けているくらいだ。

長い間通勤しないというだけで、それまでかけていたエネルギーや思考回路はその期間お休みしていたのだから、やる気が出ない、ボーっとする、というのはある種当たり前の現象だろう。

とはいえ、仕事は遊びではない。自分が働いた対価として賃金をもらっているのだから、その分の成果を上げることは必須だ。

体調の加減で出来栄えに波があることもあるが、せめて給料分はきっちり成果を上げるべきだろう。
でないと、ただの「給料泥棒」になってしまう。

何十年も働いていれば、勤めに出てもらえる給料がどれほどありがたいことか身に染みているはず。
世の中には働きたくても働けない人も多くいる。

勤め人には勤め人の苦労もあるが、対価をもらっている限り苦労があるのは当たり前のことだ。
今時根性論なんてナンセンス!脳の構造には抗えない!と言われることを承知で言えば「気合いが足りないんだよ!」ということだ。

全てが「気合い」で収まれば問題ないが、気持ちの在り方は大切だと思っている。
しんどい時こそ「盗人にならぬよう」自分に言い聞かせている。

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