2014年01月13日
居心地の良い場所2
「かまってちゃん」が進化すると、「かまいたこちゃん」になっていく。
若い頃なら「かまってちゃん」は通用するが、年齢を経ると、徐々に周囲が引いていく。
すると、今度は自らが積極的に人にかまっていく、いわゆる過干渉になってしまう。
他人の一挙手一投足を常に察知し、何かあればすかさず飛んで行っては口を出し、会話の方向性を自分の意図するものにしようとする。それでも、大概周囲は大人な対応をするので、そんな「かまいたこちゃん」のことも、それとなくやり過ごす。
一旦、「かまいたこちゃん」に心を許してしまうと、再び「かまってちゃん」が顔を出し、徐々に依存してくるようになる。結局は、「かまってちゃん」から脱皮できていないのだ。
世の中には、保護者の愛情を十二分に受けていなくても、それを自ら理解し、育った環境に負けまいと己を奮い起こし、精進している人たちもたくさんいる。
居心地の良い場所にい続けることは、すなわち、自分に甘えているだけなのだ。
己の感情を向けるべき相手は他人ではない。常に、己の葛藤との闘いなのだ。
それが理解出来ない限り、「かまってちゃん」も「かまいたこちゃん」も、心から笑える日はないのだろう
若い頃なら「かまってちゃん」は通用するが、年齢を経ると、徐々に周囲が引いていく。
すると、今度は自らが積極的に人にかまっていく、いわゆる過干渉になってしまう。
他人の一挙手一投足を常に察知し、何かあればすかさず飛んで行っては口を出し、会話の方向性を自分の意図するものにしようとする。それでも、大概周囲は大人な対応をするので、そんな「かまいたこちゃん」のことも、それとなくやり過ごす。
一旦、「かまいたこちゃん」に心を許してしまうと、再び「かまってちゃん」が顔を出し、徐々に依存してくるようになる。結局は、「かまってちゃん」から脱皮できていないのだ。
世の中には、保護者の愛情を十二分に受けていなくても、それを自ら理解し、育った環境に負けまいと己を奮い起こし、精進している人たちもたくさんいる。
居心地の良い場所にい続けることは、すなわち、自分に甘えているだけなのだ。
己の感情を向けるべき相手は他人ではない。常に、己の葛藤との闘いなのだ。
それが理解出来ない限り、「かまってちゃん」も「かまいたこちゃん」も、心から笑える日はないのだろう