地震学者って…旬のもの

2016年04月17日

支援の形

熊本の大地震は、阪神淡路大震災を上回るエネルギーであり、今までの歴史で最も多い余震の数だそうだ。
震度5以上が1日に何度も起きるのだから、その恐怖たるや、尋常ではない。
避難所の生活も、長期化すればするほど、精神面も辛くなる。

こういうことでもないと、普段自分の家でライフラインが当然のように繋がり、食べるものにも、着るものにも困らない生活のありがたさが身に沁みない、というのも皮肉な話だが、当然であることが実はありがたいことの連続であることを悟れることは、日々を生きる私達にとって、とても大切なことだ。

東日本大震災の時より、テレビ番組の規制も少ないように感じる。
被害に遭われた方々の身になれば、テレビから流れる馬鹿笑いは不謹慎なのかもしれない。
だが、考え方を変えてみた場合、災難を災厄として受け止め、日本中が沈んだらどうなるだろう?
娯楽も自粛したら、アッと言う間に日本の経済は回らなくなるのだ。

被害に遭われた方々に心を寄せ、出来る支援をしながらも、通常の生活を送り続けること、それも大切なことのように思う。
また、支援においても、現地に乗り込んで力になること、物資や義援金を送ること、知人を励ますこと、形はいくらでもある。

大事なのは、被害に遭われた方々が1日も早く元の生活に戻れるよう、その力になることだ。
自分の出来ることは何なのか?一人の力は少しでも、それが集まれば大きな力になる。
まずは、自分から始める一歩をみなが踏み出せれば、それだけ早く復興も進むのだから

enji_152 at 19:50│Comments(0)今世 | どう受け止めるか

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