2016年04月23日
財産が全て?
熊本の大地震では、多くの家屋が倒壊した。
長い年月をかけて手にした家や家財道具等々、一瞬にして失ってしまったのだ。
家屋が無くなっても、命が助かればそれだけで充分!という謙虚な人がいる一方で、それらを失ったことを災害のせいにし、恨み節を唸る人も多いだろう。
確かに、先祖代々から受け継いだものや、汗水垂らして苦労の末に手にしたものであれば、余計その思いが強いのは当然かもしれない。
だが、そもそも論として、その家屋、土地は誰のものだろう?
自分が努力した事実は確かだが、土地も家財の元となる資材はすべて自然からの賜り物だ。
私達は、自然から大いなる恩恵を受けて生かされているのだ。
その働きの中で起きる地震、台風、竜巻、干ばつ…等々なのだ。
人間心で考えれば、それらを恨みに思うかもしれないが、その自然がなければ、私達は生かされることはないのだ。
手にした財産が全てという価値観は、いかがなものだろう?
長い年月をかけて手にした家や家財道具等々、一瞬にして失ってしまったのだ。
家屋が無くなっても、命が助かればそれだけで充分!という謙虚な人がいる一方で、それらを失ったことを災害のせいにし、恨み節を唸る人も多いだろう。
確かに、先祖代々から受け継いだものや、汗水垂らして苦労の末に手にしたものであれば、余計その思いが強いのは当然かもしれない。
だが、そもそも論として、その家屋、土地は誰のものだろう?
自分が努力した事実は確かだが、土地も家財の元となる資材はすべて自然からの賜り物だ。
私達は、自然から大いなる恩恵を受けて生かされているのだ。
その働きの中で起きる地震、台風、竜巻、干ばつ…等々なのだ。
人間心で考えれば、それらを恨みに思うかもしれないが、その自然がなければ、私達は生かされることはないのだ。
手にした財産が全てという価値観は、いかがなものだろう?