みっともないに決まってる!ゆとりはゆとり世代だけじゃない

2016年10月28日

傲慢にもほどがある

寿司のシャリを残して何が悪い?と主張する女がいるとの記事を読んだ。
この事例も、昨日書いた電車内で化粧して何が悪い?と同類の臭いがする。

自分でお金を払い、注文した寿司のシャリを残す、それに文句を言われる筋合いはない、ダイエットのためなのだから、余計なお世話だ、と主張する人の思考回路、やっぱり理解出来ない。

寿司のネタもシャリも、お金を払えば食べられる現代だが、そもそもそれはどこから発生するのだろう?
ネタは海や川にいる魚の命を奪い、シャリは大地から生まれ稲となり、太陽や水、肥料と人手によって、ごはんとなる。

ネタもシャリも、多くの命、それを育てる人達の労苦、大自然の大いなる恵みを頂いて、食べることが出来るのだ。

それらを自分で創り出すことは出来るだろうか?人間がどんなに頑張っても、太陽を照らすことも、水を生み出すことも出来ないのだ。
私達は、目に見えない多くのエネルギーの賜物を頂いているのだ。

食事を頂く、ということの大いなる恵みについて、あまりにも人間は無知過ぎる。
もっと、見えない働きに目を向け、耳を傾け、心で感じることが大切だ。

自分のお金で買うものだから、粗末にしても良い、という発想しか生まれない人間は、すでに人間ではない。
感謝を忘れた人間は、ただの動物だ

enji_152 at 20:30│Comments(0)今世 | 人の道

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
みっともないに決まってる!ゆとりはゆとり世代だけじゃない