結果を得るにはわかっちゃいるが…

2018年02月18日

根性論

昭和の時代は、何をするにも「根性論」がまかり通っていた。

特にスポーツ界では、「根性がないのか!根性があれば出来る!根性がないからダメなんだ!」といった具合だ。

人によっては目に見えない「根性」に振り回され、押し付けられ、悩まされることもあっただろう。
では「根性」とは何か?と言えば、恐らく「辛抱」ではないか、と推察する。

事を成すに当たり何が大切かといえば、目標に向かってのたゆまぬ「努力」だ。

その中には、自身が精進することは言うまでもなく、自分を取り巻く環境、家族、親族等の事柄にも取り組まねばならない。目に見えないやるべきことの山をひとつひとつクリアーしながら前に進むのだ。

それらは、「根性」=「辛抱」なくしては出来得ないと思う。

フィギュアスケートを観ていると、その「根性」=「辛抱」を重ねた道程が、演技に現われている、といつも感じる。
根性論を大上段にかざす気はないが、辛抱なくしては、やはり人の心を打つ演技は出来ないのだ。

凡人の私でも、辛抱を重ね、目の前のやるべきことをクリアーしていけば、いつかは誰の役に立つ生き方が出来るのかも…と、自分に言い聞かせている。



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