適性を適正に選ぶべし形あるもの

2018年05月18日

家族とはいえども

家族と同居しているのに「異常死」の高齢者、都内で年2000人という記事を読んだ。

家族と同じ屋根の下に住みながら、親の死に気付かないケースが年2000件以上あるというのだから驚きだ。

家族とはいえ、仲の良い家族もあれば、犬猿の仲と思しき家庭もあるだろう。
いくら血の繋がりがあるとはいえ、人間の感情は別物で、一度作られた心の壁は容易には壊せないのだ。

例えば一軒家で上と下の階に分かれて暮らしていれば、否が応でも生活音はする。
それが無くなっておかしいな?と思っても、すぐには様子を見に行かず、一週間くらいして初めて様子をみる、というのが現代だ。

親も子もそれぞれの言い分はあるし、立場や環境の違いもあるから、分かり合えないことも多々ある。
だからと言って、それぞれが自分の思いを優先すればどこまで行っても解決はしないばかりか、溝はどんどん深まるばかりだ。

親が孤独死しても心が痛まないことをどうこう言うつもりはないが、親にしたことは必ず自分に返ってくるものだ。

自分が親の歳になった時、その立場をどう思うのだろうか…。未来は間違いなくやってくるのだ。

enji_152 at 21:08│Comments(0)今世 | 課題

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