2018年07月21日
自然淘汰
世の中は日々刻々動いており、一時も同じという事はないし、その巡り合せも同様だ。
人間も生物も生きとし生けるモノはすべて、時間の経過と共に成長し、衰退していく。
どんなに栄華を極めたことがあっても、それは永遠ではない。
長年に亘りそれを持続しているということは、それなりの精進を継続しているからだ。
人生は因果応報だから、自分のしたことはすべて自分に返ってくる。
良いことも、悪いことも、すべてが自分に降りかかるのだ。
その因による報いを受けて喜ぶ者、悲しむ者、恨む者、妬む者…さまざまではあるが、それもこれも全ては自分が発端だ。
社会には良きこと、悪しきことがあり、それらは自然淘汰されていく傾向にある。
悪しきことが無くなるのは喜ばしきことだが、中には良きことが消えていくこともある。
人間にとって真に必要な事柄が淘汰されていることは嘆かわしいし、消滅する前に手を打つ必要があるだろう。
だが、そもそも日本人が減少の一途を辿っている現実を思うと、それも自然の流れなのかも…とも思わされる。
日本もあと半世紀もすれば多民族国家になっていることだろう。
一世紀も経てば、純粋な日本人は絶滅危惧種になっているかもしれない。
自然淘汰の流れは、良くも悪くも、止むことはないのだ。