2018年08月01日
想像力の欠如
剛力彩芽のインスタ炎上について、最初は「ふーん、芸能人も大変ね~」くらいに思っていた。
何の悪気もなく、幸せオーラ全開で「私はこんなにハッピー!この幸せをみなさんにもお裾分け!」くらいに思っていたのかもしれないし、それ自体は悪いことではなく、むしろお裾分けされる側にとっても嬉しいことだ。
だが、思いがけず世間からバッシングされたため、それまでの掲載も全て削除する、という。
で、改めて一から掲載を始めたわけだが、内容的にはこれまでと大差なく、自分に正直に、ありのままの思いを伝えます、というスタンスだ。
それも悪いことではないし、何とも正直者だな、とも思う。
それらの何が問題かと言うと、恐らくそれを快く思えない心の貧しい人が世の中には思いのほか多い、ということだ。「人の幸せを喜べない=自分が不幸だから」という図式となる。
天真爛漫に幸せ報告をすればするほど、想像だにしない怨念を浴びることになる。
人の怨念は目に見えないだけに、悪霊などより何倍も恐ろしいと私は思っている。
なぜなら、悪霊からは逃れられるが、生きている人間の怨念からは逃げられないからだ。
生きている限り、ずっと恨まれるのだ。
そんな予想だにしない人の情念、怨念を浴びないためには、むやみやたらとプライベートは公開しないほうが良いと思う。
幸せは、当事者だけが密かに味わっていれば良いのだ。