依存症に「なりやすい人」「なりづらい人」の差を読んだ。

人は一人では生きていけないから、大なり小なり何かに依存していると言えるだろう。
だが、パチンコなどの賭け事、酒、タバコ、異性等々、依存度が深くなると、やっかいなことになることが多い。

収集癖も一種の依存ではないかと思った時から、私は全ての収集を止めた。
なぜなら集めないと気が済まなくなるし、どこまでいっても終わりがないからだ。
中にはそれが誰かの役に立ったり、歴史的大発見に繋がることもあるが、それは稀だ。

人は家族や周囲の大切なものを守るものが増えれば増えるほど、そのために何かに頼り、度が過ぎると依存に陥りやすいのかもしれない。そのほうが考えなくて済むから「楽」という見方も出来る。

先の記事によると、依存症は「脆弱性遺伝子」が原因のひとつであると書かれていたが、それは遺伝子に何がしかの欠陥があって、何かのきっかけでそれが発動してしまう、ということらしい。

自分の意思でコントロール出来ないとなると、さらに厄介ではあるが、人には誰しも依存症なるものが多かれ少なかれあることを思うと、遺伝子のせいにするのは腑に落ちない。

人付き合いにしろ、物に対する執着にしろ、肉体が無くなれば全てを失うことになる。
どんなにお金儲けをしても、あの世に持ってはいけない。

人は一人で生まれて一人で死んでいくことを思うと、多くのものに執着し、手元にそれらを置いておくことが無意味に思うようになった。

もちろん、生きている以上必要なものはあるから、最期の時まで困ることがない程度にそれらを活用するだけのことで、必要以上に追い求めることはないと思っている。

とはいえ、人間は弱い生き物だ。何かに依存したり執着することで安心出来ることもある。

昔の自分もそうだったが、一旦すべてを手放してみると案外サッパリして、他人に期待したり、依存することもなくなったし、物欲もほぼ無くなった。

毎日ごはんが食べられて、親しい人たちと笑って過ごせれば、それだけで充分幸せだ。
依存、執着から脱却すれば、想像以上に生き易い世界が見えてくるものだ。