これも新しい日常となっていくのか思いがけない代替品

2020年09月09日

礼節がないものに魂は宿らない

朝、ゴミ出しのため玄関を開けると、学生らしき若者達数人が我が家の側に屯っており、風貌から察するに撮影のスタッフのようなので「何の撮影?」と聞くと「大学で映画撮ってます」と言う。
この暑い最中大変だね~と思いつつ「がんばってね」と声をかけた。

撮影は朝9時頃から午後2時くらいまで続いたのだが、その間、我が家の軒先で彼らは休憩したり、敷地に荷物を置いていた。

テレワーク勤務の私は昼休みに買い物に出ようと外に出ると、彼らがビックリして立ち上がった。
人の敷地に無断で入り、休憩していたのだ。まあ、それくらいのことは…と思うのだが、だからと言って「すみません!」とか「使わせてもらってます」と言った言葉もなく、ただ単に「あ!」と感嘆の声を上げただけで、そそくさと雲の子を散らすように、その場を離れた。

買い物をしながらも、なんだかモヤモヤするな~と思ったのだが、その原因は「挨拶がない」ことだ。

公道で撮影をするのだから、恐らく必要な許可は取っているのだろうが、そこに映る民家や敷地の家の者に一言あいさつがあっても良いのではないか?と思った。

実際、彼らが我が家の前で撮影していることで、宅配便の車は家の前に付けず、遠くから荷物を持ってくることになるし、デイサイービスの車も少し遠目に止めることになった。

些細なことかもしれないが、我が家にとっても、それに纏わる人達にとっても、彼らが道を塞ぐことは迷惑でしかない。

彼らは自分達の映画を撮ることに夢中で、そんな周囲の反応には気付かない様子だった。
「責任者は誰?」と聞いて説教してやろうかとも思ったが、礼節もわきまえていない人間に言ったところで徒労に終わりそうなのでやめた。

映画や芸術は人の心に訴えるものだが、些細な事柄にも気付けない人間の撮ったものが、人の心を動かせるような素晴らしい作品になるとは到底思えない。

何事も人間としての礼節ありきから始まるものだ。

彼らが撮っているもの、訴えたいものとはいったい何だったのだろう。



enji_152 at 16:41│Comments(0)今世 | 人の道

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
これも新しい日常となっていくのか思いがけない代替品