前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

カテゴリ:未来へ > 次の次元

東京ではここのところ、コロナ感染者が毎日50人を超えている。
コロナウイルスは収束の兆しがないことは、世界を見れば一目瞭然だ。
ならば、ウイルスと共生していくしかない。

にも拘わらず、コロナ以前と同じ生活を続けようとする人の何と多いことか!
報道で毎日のように「夜の街で感染拡大!」と、声高に言われていることの意味を考えたことはあるだろうか?

これは未来において、こういう世界は無くなりますよ、ということだと私は思っている。
夜の世界に限らず、人が集う場所がことごとく進化せざるを得ない、ということだ。

エンタメ業界ではネット配信に切り替えて新しい道を模索している。
これまで舞台を生で観ていたことも、近い将来ではほぼ無くなるだろうし、大きな声をあげてコンサートに酔いしれたり、スポーツ観戦したことも懐かしい思い出となるだろう。

現在は、江戸時代から明治維新に転換した時よりも、遥かに未知の転換期の渦中にある。
いい加減そのことに気付けないと、近い未来での生き方に不満と不安しか感じないだろう。

時空は人類だけのものではない。
地球が生きているから私達が生かされているのだから、地球にとって不都合なことは淘汰されていくのだ。

日本は生ぬるく収束したかのような楽観ムードが漂っているが、それが幻だったことを嫌が応でも認めざるを得ない日はもうすぐそこまで来ているのだ。

周囲のお気楽モードに惑わされることなく、今自分が何をすべきなのか?真剣に考え、次の手を考えていかなければならないところまで来ていることを肝に銘じ、早く行動に移したほうが良いだろう。

依存症に「なりやすい人」「なりづらい人」の差を読んだ。

人は一人では生きていけないから、大なり小なり何かに依存していると言えるだろう。
だが、パチンコなどの賭け事、酒、タバコ、異性等々、依存度が深くなると、やっかいなことになることが多い。

収集癖も一種の依存ではないかと思った時から、私は全ての収集を止めた。
なぜなら集めないと気が済まなくなるし、どこまでいっても終わりがないからだ。
中にはそれが誰かの役に立ったり、歴史的大発見に繋がることもあるが、それは稀だ。

人は家族や周囲の大切なものを守るものが増えれば増えるほど、そのために何かに頼り、度が過ぎると依存に陥りやすいのかもしれない。そのほうが考えなくて済むから「楽」という見方も出来る。

先の記事によると、依存症は「脆弱性遺伝子」が原因のひとつであると書かれていたが、それは遺伝子に何がしかの欠陥があって、何かのきっかけでそれが発動してしまう、ということらしい。

自分の意思でコントロール出来ないとなると、さらに厄介ではあるが、人には誰しも依存症なるものが多かれ少なかれあることを思うと、遺伝子のせいにするのは腑に落ちない。

人付き合いにしろ、物に対する執着にしろ、肉体が無くなれば全てを失うことになる。
どんなにお金儲けをしても、あの世に持ってはいけない。

人は一人で生まれて一人で死んでいくことを思うと、多くのものに執着し、手元にそれらを置いておくことが無意味に思うようになった。

もちろん、生きている以上必要なものはあるから、最期の時まで困ることがない程度にそれらを活用するだけのことで、必要以上に追い求めることはないと思っている。

とはいえ、人間は弱い生き物だ。何かに依存したり執着することで安心出来ることもある。

昔の自分もそうだったが、一旦すべてを手放してみると案外サッパリして、他人に期待したり、依存することもなくなったし、物欲もほぼ無くなった。

毎日ごはんが食べられて、親しい人たちと笑って過ごせれば、それだけで充分幸せだ。
依存、執着から脱却すれば、想像以上に生き易い世界が見えてくるものだ。

その悪口、乗る?乗らない? 悪口を言う人をうまくかわす方法 悪口ほど生産性のないものはないとつくづく思う。

日々他人から受けるストレスは、悪口と言う名の陰口で発散したくなるものだ。
若い頃は嫌いな人の一挙手一投足が気になり、ムカムカし通しだったこともある。
今も多少あるが、最近はすべて存在をないものとして取り扱うことにしている。

だいたい悪口を言いたくなる人というのは、自分とは真逆の人と思いきや、案外自分の中にあるイヤな面であったりすることもある。
自分の中にあるイヤな部分を、他人から見せつけられてイラつくのだ。

「人の振り見て我が振り直せ」のように、イラつく人の中にある自分の影を見つけたなら、自分が変わることのほうが何倍も楽だと思う。とは言いつつ、長年培った性格や習性はそう簡単には直せないが、少なくとも対するイヤな奴を見て不快感があるのなら、自分はそうならないよう心がけるだけでも一歩前進と言える。

悪口を言ってスッキリしたいだけの人もいるようだが、聞かされるほうはたまったものではないので、私はいつもシレーっとその場からいなくなる。もしくは、耳の蓋が閉じて聞こえなくなり「ねえ、話聞いてる?」と言われること度々。その度に「あ、聞いてなかった」と言う。

ここで大切なのは、そう言うことで嫌われても良いという覚悟だ。
誰にでも良い顔をして聞きたくもない悪口の相手をするのと、悪口を言うような人とはこれを機にオサラバ出来るのとどちらが良いだろう?

私は間違いなくオサラバしたい派だ。
その人に嫌われたからといって、それで人生が終わるわけではないし、自分と価値観の会う人と付き合えば良いだけのこと。

職場などの逃げ場のない環境であれば、むしろ嫌われたほうが無駄な事に関わらなくてよい。
万一意地悪されたり、仕事の邪魔をされるようなことがあれば上司に相談するなり、成果を上げてギャフンと言わせれば良いだけのことだ。

プライベートにしろしがらみの関係にしろ、要は嫌われても困らないだけの揺るぎない自身の信念を持っていることが大切だ。
他人のくだらないうわさ話に自身が左右されるようなら、我慢して悪口大会に付き合ったほうが良いだろう。

次の次元に行けるか行けないかは、自分次第だ。

東京都きょう30人以上の感染確認 コロナで、まあ、そうなるわな…と。

6月1日から段階的に営業再開や学校再開となったものの、ジワジワと感染者が増えている。
この感染者数は2週間前のものだから、5月中旬の感染者数となる。

ということは、緊急事態宣言が解除された後は、外出する人も増え、更にジワジワと感染者が増えるということになる。

段階的な解除をしているとはいえども、人が外に出て相対すれば、間違いなく感染するのだから、これまでと同じ生活を送ること自体にそもそも無理があるのだ。

コロナウイルスがいつかは消滅すれば別だが、恐らくこれからも長い付き合いになることは必至だ。
ならば、それを前提とした社会生活を再構築する必要がある。

都内の感染者の大多数が夜の繁華街で感染していることから、夜間の接客業、飲食業が感染源と言わざるを得ない。

これらの業種が生活に必須かといえば、無くても困るものではないが、そこで働く者にしてみれば死活問題だ。

無くても困らないものは世の中たくさんあるが、あって困ることはないし、それが自身の拠り所となる場合もある。だが、時代の変遷と共にそれらも淘汰され、次の世界へ進むしかない時もある。

今までの生活はすでに過去のものだ。
未来の生活をコロナと共にどう進化させていくのか!?

この大きな課題に取り組む前に、まずは一人一人の意識改革が必要だろう。
世界は変わらなければならないのだから。

TBSで7~9月に放送した「凪のお暇」は、現代社会をよく現わしているな、と感心したドラマだった。

周囲の空気を読み過ぎて過呼吸を起こした主人公の凪が、東京の郊外の古いアパートで身一つで目まぐるしい日常としがらみから離れ、隠遁生活?を送る中で出会った多くの人達から、改めて生きることの大切さや、自身を変えていくことを学び、成長する話だった。

現代は「空気を読む」ことが何より大切で、同調圧力が日常になっているのが現実だ。
組織の中では、個人の意見など些細なもので、それが通ることなどほぼなく、何事もお偉いさん達が決めた事柄ありきで物事は進むし、そこで意見を問われたからといって、真剣にそれを汲んでくれることはまずない。

なのに、そこに照準を当て「分かる~!」と、同調しなければいけない生き方は、何とも窮屈だ。
大きなものには巻かれているほうがラクだし、敢えて抵抗する必要もないが、人としてこれだけは譲れない一線がある。極論を言えば、私はそれさえ侵されなければ、他はどうでも良いのだ。

だが、一線を越えられたら、断固として戦うし、己の信念を貫ける場所に逃げる、新天地を目指すことも厭わないのだ。無用な争いを起こす必要はないことを思うと、自分がとっとと次のステージに進んだほうが話は早い、というものだ。

一つの場所に固執し、自分の殻も破れず、周りに合わせ過ぎて精神を病む者が多くいる現代。
どんなに病もうとも、誰も助けてはくれないのだ。

自分を変えられるのは、自分しかいないのだから。


環境少女の警告「第6の大絶滅」のトバ口にいるのは本当かは現実になっていくだろう、と感じた。

20世紀以前から世界は工業化が進み、食糧も豊富になり、医療も発達したため、人口が爆発的に増加した。
人間の日々の営みの賜物で生活は徐々に豊かになってきたが、それと引き換えに自然を破壊し、多くの動植物の命を奪ってきたことも事実だ。

そのツケは、温暖化という形で既に現れている。
海水温が上がれば水蒸気が発生し、雲が湧く。それが雨を降らせるわけだが、その量や勢いが年々狂暴さを増している。

国連の発表によると、このまま温暖化が収まらなければ、2100年に海面が1.1m上昇するそうだ。
そうなれば、今よりも更に激しい雷雨や竜巻、積雪…等々様々な自然現象が猛威を振るうことになるだろう。

そして、その時には動植物も絶滅しているかもしれない。その中には人間も含まれるのだ。

地球にとって、一番の害悪は人間だ。
自然は人間が破壊したものを、修復しようとしているだけだ。
それを、人間は災害という。

人間ありきで物事を考えると、地球は人間が住めない星になってしまう。
火星移住計画があるとか、ないとか、まことしやかに語られているが、地球で生まれた身としては、地球の土として朽ちていきたいと心から願っている。

人生には「思いがけない出会い」があるものだ。

自分の意図によって画策した出会いではなく、偶然の産物であればあるほど、それは自分にとって必要であり、偶然のようであって、実は必然だったりもする。

昨年、私は思いがけない環境に身を置くことになった。
それは、意図したものではなかったし、まさかそんな展開になるとは、露とも思っていなかった。
あれから1年が経とうとしている現状を顧みると、やはり私にとって必要な選択をさせてもらったことに気付かされた。

さらに、そこで出会った人との間柄が、次の展開へと進む鍵を握り始めたから、これまたフシギだ。
同じ職場で働いているだけの仲だったのが、あれよあれよという間に、次のステージの灯火へと繋がろうとしている。

生きていれば願望もあり、それを叶えるために精進もするが、自分の意思とは裏腹に訪れる必然的出会いもまた、自分が成長するための要となる。そこに気付けるかどうかで、自分が持つ願望の展開も大きく変わるのだろう。

何事も「始まりは出会いから」だ。

2月9日開幕の平昌オリンピックは、すでに予選が始まっている競技もある。
4年に一度のこのために、選手達は不断の努力を続けてきた。
その過程は、誰にも言えないほどの苦難の連続だったことだろう。

そんな選手達の聖なる協議会に、政治臭がプンプンする。
北朝鮮が急きょオリンピックに参加することになったにしては、周到な準備が出来上がっているし、その一挙手一投足を世界中がつぶさに観察している様は異様だ。

今後世界がどう変わっていくのかは未知だが、少なくともこの日のために精進し続けてきた選手達を、心から応援したいと思うし、選手達も無用な思惑に振り回されることなく、この機会を楽しみ、ベストを尽くして欲しい。

この機会を悪用しようとする者たちの思惑がぶっ飛ぶくらい!選手達にエールを送ろう!!

「スマホ世代」はPCが使えないとの記事を読んだ。

ちょっと前までは、中高年がパソコンを使えず、キーボードも1本指で入力したり、PCがフリーズすると容赦なく電源を抜いたり、インターネットの画面が開かないからと、マウスを連打し、結果的に同じページがいくつも開いたり…なんてことが日常茶飯事だったが、今やそれが若者世代に移行しているそうだ。

スマホが台頭してからPCの存在感は薄くなっているが、会社に勤めれば否が応でもPCと向き合わないといけない。余談だが、若者達は電話応対もまともに出来ないらしい。社会人としてのマナーがそもそも培われてないから、外部との電話応対も、社内での人間関係もまともにこなせない者もいるという話を聞くと、どうなる?若者!と、ひとごとながら心配になってしまう。

と、話はだいぶ逸れたが、若い子達の脳みそなら、PCをこなすのもお手の物のような気もするが、これもやはりセンスの問題がある。PCに向く人間と向かない人間がいるからだ。

どんなに学力の高い大学を出ていても、PCを使いこなせなければ、電話応対出来なければ、周囲と協調性を以て仕事が出来なければ…会社では使い物にならない。
仕事が出来る人間=学力の高さではないのだ。

2020年から教育要領が変わるそうだ。学力も大切だが、物事を構築する能力、応用能力、思考能力、判断能力等、要は人から指示されなくても、自分の頭で考えて行動する能力、そういった人間力を培う教育方法に変わるのだ。

どんなに難しいことを学んでも、専門性のある職種でない限り、会社でそれらが生きることは残念ながら…ほぼ皆無だ。
自分が使える人間なのか?そうではないのか?客観的に見つめる必要性があるようだ。

もし、後者なら今からでも遅くない。自分の得意を生かせる世界を見つけ、それに向けて精進することをおすすめする。

テレビの視聴率が昔より下がっているのは、若者達の視聴率離れが要因と言われている。
その変わり、年配者はテレビにかじり付き気味だから、番組内容もそれに合わせたものが多くなる。

特に目に付くのが、バブル世代のアイドル達の再来だ。
結婚し、子育てもひと段落したからか?往年のアイドル達をテレビで目にする機会が多い。
それはそれで懐かしくて良いのだが、若い人達が台頭しない要因にもなっているようにも感じる。

SMAP解散後、ジャニーズ事務所が若手を更にプッシュするようになった。
そんな若手もデビューして既に10年近く経っていたりして、若いといえどもそれなりに場数と経験を重ねている。まだまだ未熟な部分はあるだろうが、そんな若手達が活躍出来るというのは、活性化という意味において大切だし、良いことだ。

これは社会の縮図にもつながる。
昨今の年配者は元気だから、いつまでも現役でいることにこだわり、若手の活躍する場が少ない。
自分が活躍した過去の栄光にしがみつかず、その場を若者に譲ってはどうだろう?

そして、年配者は次のステップを自らで創り出すことが肝要だ。
待っていたって、誰もお膳立てはしてくれない。
これまで蓄えた叡智を振り絞り、自分の体力と知力に見合った活躍出来る場に進むことは、社会にとって循環となるし、今の若者達が老いた時の道しるべにもなる。

年配者の皆さま、探せば道はあるものです。
今にしがみつかず、次の次元を目指しましょう!

スポーツ番組や、歌うまを競う番組などを観るたびに、そのレベルがドンドン上がっているな、と感じる。

フィギュアスケートの世界では、男子選手が4回転ジャンプを飛んだのがほんの数年前なのに、今や全種類の4回転を飛ぶまでになったり、女子も浅田選手が打ち立てた記録をあっさり破ったりと、その進化たるや目を見張るものがある。

歌うま番組でも、プロが上手いのは当たり前だが、素人でも聞く者の心を鷲掴みにするような迫力ある歌声を披露する者もいる。
年齢も低年齢化し、10代でも十分プロとして通用する歌声を持つ者もいる。

そんな類稀な才能を持っていてもなお努力を怠ることなく、自分の中の壁と向き合う姿を見ると、こちらも勇気とやる気が湧いてくる。

惜しまず精進する人々の姿こそ、人間が持つ真の在り方だ。
人間に生まれたからには、自分に備わった才能を伸ばす、生かす、それが最も大切なのだ。

AIここにも!太陽系と似た新たな惑星系を初発見という記事を読んだ。

地球から2500光年離れた宇宙に、太陽系と似た8つの惑星を持つ惑星系が発見された、とNASAが発表した。

2500光年がどれくらいの距離なのか?既に想像の範疇を越えすぎているが、宇宙の彼方には太陽系と同じかもしれない?世界が広がっているとは!宇宙はやはり計り知れない。
それを見つけたのが人工知能AIとのことで、その機能もまた計り知れない。

人間は地球という惑星で生きているが、宇宙には数えきれないほどの惑星があるわけで、そこに生物がいたとしても不思議ではないだろう。
私達は宇宙人という表現をするが、先方にしてみれば、こちらも宇宙人だ。

AIも宇宙空間も、まさに人智を越えたところにあることを思うと、人間が考えることなんてたかが知れている…と己のちっぽけさを痛感する。

両手を空に伸ばし、計り知れない世界の、宇宙の広がりを全身に受けてみる!と妄想してみると、少しだけそのパワーを感じることが出来る気がした。

日々元気に過ごしていると、あっという間に月日は流れる。
気付けば1か月が、気付けば半年が、気付けば1年が過ぎていた、といった具合だ。

成人してからは余計それが速いように感じる。
気付いたらもうこんな年齢になっていた、というのが正直な感想だ。

その間何をしていたのか?思い出してみると、思い出せないくらい多くの事柄を経験したな~という感じでもある。そして、それらがあるから、今の生活が成り立っているのだ。

自分が目指すべきもののために、目の前の事柄をこなしているうちに、知らず知らず身に付いていた、ということだろう。

これからもまだまだ学ぶことは多くあるし、果たすべき役割も山積みだが、これもまたひとつひとつこなしていくのだろう。

10年後、20年後の自分を想像すると、まさに未知との遭遇だし、そこに到達するためにも、今をしっかり生きねば!と思わされる。

「昔は良かったな~」と思う時がある。
歳を経て思うことは、若い時はすべてがキラキラ輝いて見えるし、未来は無限大のようにさえ思っていた。

時間は、誰にも平等だ。
どんな金持ちでも、底知れない不幸の渦中にあっても、なぜかこれだけは平等なのだ。

かと言って、その状況が永遠に続くかといえば、それは否だ。
なぜなら自分が歳を重ねて変化しているように、自分を取り巻く状況も刻々と変っていくからだ。
つまり、生きることは=変化し続けることだ。

今が最高の状況にあったとしても、それに胡坐をかき精進を怠れば、あっという間に奈落に落ちる。
今が不幸のどん底であっても、1日1日を大切にしながら、自分の出来る精一杯を頑張っていれば、少しずつ道は開けていくし、その先には必ず幸せが待っているものだ。

それが分かっていないと、いつまでも昔の輝かしかった頃を懐かしむだけで、まさしく現実逃避の日々となる。
どんなに懐かしんでも時間は流れていくし、未来は否が応でもやって来る。

自身の進歩なくして、明るい未来はない。
歳を経ると体力も落ち、若い時のようにバイタリティ溢れる活躍は難しいかもしれないが、今だからこそ出来ることもある。

自分の裁量を見極めながら、最大限に日々精進したいものだ。

今年の頭から、なぜだか身辺整理をし出した私。
これまではあまり気にならなかったことが気になりだし、それは日を追うごとに強くなり、要らないものは捨てたり、整理したり、人にあげたりし始めた。

すると、2月末頃からあれよあれよと、思いもよらない展開が起こり、気付けば春から新しい環境に身を置くことになった。
自分が望んでそうなったわけではなかった、というのもまた面白い。

で、整理癖は未だ収まらず、このGWもずーーーーっと整理三昧の日々だった。
おかげで、もったいないからと言ってしまい続けていた不用品を整理することが出来た。
とはいえ、まだまだ不用品は減っていない。
もしかすると、今年1年かけてずっとやり続けているかもしれない。

そう考えると、身辺の変化はまだこれだけではないかもしれない。
まさに、次の次元の扉の前に立っているのか、それを既にくぐって、新しい道を歩いているのかもしれない

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