前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

カテゴリ:未来へ > 次の次元

河野氏、未明の会見「やめたら」 前例主義の最たるものと批判は、未来の在り方を変えてくれるといいなと思った。

16日に発足した菅内閣の官邸での記者会見が深夜に及んだことに言及した河野氏の発言は、長い歴史の中で、悪しき慣習に一石を投じたのではないだろうか。

これまでの慣習だからと言うことで、記者や官僚の人達の働き方改革などどこ吹く風状態で、何時であろうが構わず決行すること、その時間帯、国民は寝ていることを思えば、まさに国民無視の記者会見だ。

どこの世界にも昔ながらの慣習というものがあり、宝塚音楽学校でも、これまでの慣習を廃止する、という発表があった。

校則ではないものの、予科生は本科生を見かけたら大声で挨拶するとか、先輩が乗っているであろう阪急電車に向かって一礼するとか、先輩へは「はい」または「いいえ」としか喋ってはいけないとか…まさに軍隊じゃん!!

宝塚音楽学校といえば超狭き門であり、幼い頃より英才教育を受けた子女のみが入れる名門校?ではあるが、歴史あるが故に昭和臭プンプンする悪しき慣習がまかり通っている。
令和の世にあって、まだ続いていたとは…。

政治や官僚の世界は、一般人と大きく乖離した非常識がまかり通っているから、日本はデジタル化において遅れを取っている。

この度デジタル庁が出来たことに期待したいが、老害政治家達が余計な茶々を入れなければ良いが…と、若干の不安も残る。

どんなに偉い政治家であろうとも、時代の進化には逆らえないし、取り残されれば、日本はあっという間に他国に占領されてしまうだろう。

老害政治家に忖度せず、若い政治家達で新しい時代を切り拓き、多くの業界、業種において、若者達がもっと活躍出来る世の中になって欲しいと、心から切に願うばかりだ。

コロナ禍、清水寺周辺の名店が続々閉店 わらび餅の洛匠や阿闍梨餅の支店も、ネットに惜しむ声を読んだ。

京都は不案内だが、コロナ禍以前は連日大勢の観光客が押し寄せ、特にインバウンド需要が高くなり過ぎて、現地でも問題になっていた、と記憶している。

それが一気に潮を引いたように無くなり、今はほぼ日本人のみの観光客となっているが、それとて以前に比べたら圧倒的に少ないだろう。

京都といえば老舗が多く、何百年と続く店もあると聞く。それが閉店するのだから、当事者にとってはどれほどの衝撃だろうと察する。

とはいえ、老舗であればあるほど、後継者問題もあったのではないだろうか?
必ずしも血縁者が店を継ぐという時代でもないし、かといって他人が後継者になれるほど甘い世界ではないだろう。

それは京都に限らず、東京でも名店がいくつも閉店している昨今だ。
そもそもに後継者問題があり、そこにコロナ禍が後押しした、ということもあるだろう。

誰の身にも栄枯盛衰はあるもので、それらは大きなうねりとなり、自然と進むべき道が開けていくこともまた現実だ。
今はその現象が露骨過ぎるからショックも大きいし、未来への不安は尽きないだろう。

とはいえ、そこで立ち止まっていても仕方ないし、何の解決にもならない。
不安を楽しみに変えていければ、未来は間違いなく切り拓かれていく。

自然淘汰は容赦ないが、それさえも楽しめるだけの度量を持ちたいものだ。

パソナの本社機能移転で“淡路島”がトレンド入り「素晴らしい」「自分なら転職するかな」とネットで大きな反響を読んだ。

大手企業が本社機能の一部を離島である淡路島に移す、というのはかなり衝撃的だ。

コロナ禍でテレワークが普及し、それが可能は職種は、ネットが繋がればどこででも仕事が出来ることが証明出来たわけで、そうなると、社屋を地方に移転や縮小することは大いにあり得る。

記事には一般人の感想があり「島流しだ」とか「そんな会社辞める」等々あるが、これをウエルカムと受け止められるか、絶望を感じるのかで、未来は大きく変わる。

AIが台頭してきた現代、学習能力の高いAIのほうが仕事が出来ることはたくさんある。
地方に社屋を移転する企業は、それも目論んでのことだろう。

つまり、これは「体の良いリストラ」という見方も出来る。

AIなら文句も言わないし、一度覚えたことはエラーが起きない限りは、間違いなく実行する。
残業代欲しさにダラダラ居残りする無能な社員より、コストも安く済む。

時代は確実に大変革を迎えている中にありながらも、未だ変わらず仕事帰りに飲んだくれてクダを巻くような生活を続けて現実を直視しないでいると、間違いなく後悔することになる。

この大変革を見据え、自分がやるべきこと、精進すること、先を見据えて考え行動しないと、気付けば島流しならまだ良いが「ここはどこ?私は誰?」ということになりかねない未来は、もうすぐそこに来ている。

6月中旬から別系統のウイルス国内に広がるで更に先は見えなくなった。

これまでにも新型コロナウイスルは国や地域により変異していることは報道されているが、さらにそれは進んでいるようだ。
先日もベトナムで大変強い感染力を持った種が見つかったと報道されたばかりだ。

日本でも今年の始めから中国型、ヨーロッパ型が蔓延し、それが進化して東京型、埼玉型となり、そこからまた更に変異した、ということだろう。

ウイルスは自分達の種を残すために変異しているのだ。

だが、人間は相変わらずこれまでの生活を続けようとしている。
ウイルスと共存していくためには、人間も変異しないといけないのだ。
これまでの生活様式から、次の段階へ進まないことには、ウイルスにヤラレテしまう。

もう打つ手がないから、国も最近では自粛要請もしないし、地方自治体へ丸投げしているのだろうか?
いずれにしても、感染したくなければ自衛するしかないのだ。

ウイルスばかりが変異し、人間には策なし、が現状だ。

米ワシントン州で「殺人スズメバチ」初捕獲、当局は巣の捜索急ぐを読んだ。

先日、東京でも野生の日本猿が街を闊歩する姿が撮影されているように、ここ数年、山から野生動物が街に降りて来ている。

山を管理する者がいなくなり、人と動物との境目である里山が減り、人目が気にならなくなったことから、動物達は人を恐れなくなっている。

野生の動物が降りてくるということは、他の生物も同様だ。
これについては、里山減少だけではなく、地球の温暖化が大きく影響していると考える。

地球の温度が上がったことで雨の降る量が増え、山は水を吸い、限界にくると山崩れが起きる。
山林の管理が行き届かないから、山は簡単に崩れてしまい、そこに暮らす生物達が住処を失うのだ。

記事にあるアメリカの殺人スズメバチも、温暖化で巨大化したスズメバチであろうと推察する。

地球温暖化は、人間も動物も生物も、全てが生きられない環境に変えてしまうのにも関わらず、人はそれを顧みようとしない。

未来の地球は生物のいない星になるのだろうか…。

東京ではここのところ、コロナ感染者が毎日50人を超えている。
コロナウイルスは収束の兆しがないことは、世界を見れば一目瞭然だ。
ならば、ウイルスと共生していくしかない。

にも拘わらず、コロナ以前と同じ生活を続けようとする人の何と多いことか!
報道で毎日のように「夜の街で感染拡大!」と、声高に言われていることの意味を考えたことはあるだろうか?

これは未来において、こういう世界は無くなりますよ、ということだと私は思っている。
夜の世界に限らず、人が集う場所がことごとく進化せざるを得ない、ということだ。

エンタメ業界ではネット配信に切り替えて新しい道を模索している。
これまで舞台を生で観ていたことも、近い将来ではほぼ無くなるだろうし、大きな声をあげてコンサートに酔いしれたり、スポーツ観戦したことも懐かしい思い出となるだろう。

現在は、江戸時代から明治維新に転換した時よりも、遥かに未知の転換期の渦中にある。
いい加減そのことに気付けないと、近い未来での生き方に不満と不安しか感じないだろう。

時空は人類だけのものではない。
地球が生きているから私達が生かされているのだから、地球にとって不都合なことは淘汰されていくのだ。

日本は生ぬるく収束したかのような楽観ムードが漂っているが、それが幻だったことを嫌が応でも認めざるを得ない日はもうすぐそこまで来ているのだ。

周囲のお気楽モードに惑わされることなく、今自分が何をすべきなのか?真剣に考え、次の手を考えていかなければならないところまで来ていることを肝に銘じ、早く行動に移したほうが良いだろう。

依存症に「なりやすい人」「なりづらい人」の差を読んだ。

人は一人では生きていけないから、大なり小なり何かに依存していると言えるだろう。
だが、パチンコなどの賭け事、酒、タバコ、異性等々、依存度が深くなると、やっかいなことになることが多い。

収集癖も一種の依存ではないかと思った時から、私は全ての収集を止めた。
なぜなら集めないと気が済まなくなるし、どこまでいっても終わりがないからだ。
中にはそれが誰かの役に立ったり、歴史的大発見に繋がることもあるが、それは稀だ。

人は家族や周囲の大切なものを守るものが増えれば増えるほど、そのために何かに頼り、度が過ぎると依存に陥りやすいのかもしれない。そのほうが考えなくて済むから「楽」という見方も出来る。

先の記事によると、依存症は「脆弱性遺伝子」が原因のひとつであると書かれていたが、それは遺伝子に何がしかの欠陥があって、何かのきっかけでそれが発動してしまう、ということらしい。

自分の意思でコントロール出来ないとなると、さらに厄介ではあるが、人には誰しも依存症なるものが多かれ少なかれあることを思うと、遺伝子のせいにするのは腑に落ちない。

人付き合いにしろ、物に対する執着にしろ、肉体が無くなれば全てを失うことになる。
どんなにお金儲けをしても、あの世に持ってはいけない。

人は一人で生まれて一人で死んでいくことを思うと、多くのものに執着し、手元にそれらを置いておくことが無意味に思うようになった。

もちろん、生きている以上必要なものはあるから、最期の時まで困ることがない程度にそれらを活用するだけのことで、必要以上に追い求めることはないと思っている。

とはいえ、人間は弱い生き物だ。何かに依存したり執着することで安心出来ることもある。

昔の自分もそうだったが、一旦すべてを手放してみると案外サッパリして、他人に期待したり、依存することもなくなったし、物欲もほぼ無くなった。

毎日ごはんが食べられて、親しい人たちと笑って過ごせれば、それだけで充分幸せだ。
依存、執着から脱却すれば、想像以上に生き易い世界が見えてくるものだ。

その悪口、乗る?乗らない? 悪口を言う人をうまくかわす方法 悪口ほど生産性のないものはないとつくづく思う。

日々他人から受けるストレスは、悪口と言う名の陰口で発散したくなるものだ。
若い頃は嫌いな人の一挙手一投足が気になり、ムカムカし通しだったこともある。
今も多少あるが、最近はすべて存在をないものとして取り扱うことにしている。

だいたい悪口を言いたくなる人というのは、自分とは真逆の人と思いきや、案外自分の中にあるイヤな面であったりすることもある。
自分の中にあるイヤな部分を、他人から見せつけられてイラつくのだ。

「人の振り見て我が振り直せ」のように、イラつく人の中にある自分の影を見つけたなら、自分が変わることのほうが何倍も楽だと思う。とは言いつつ、長年培った性格や習性はそう簡単には直せないが、少なくとも対するイヤな奴を見て不快感があるのなら、自分はそうならないよう心がけるだけでも一歩前進と言える。

悪口を言ってスッキリしたいだけの人もいるようだが、聞かされるほうはたまったものではないので、私はいつもシレーっとその場からいなくなる。もしくは、耳の蓋が閉じて聞こえなくなり「ねえ、話聞いてる?」と言われること度々。その度に「あ、聞いてなかった」と言う。

ここで大切なのは、そう言うことで嫌われても良いという覚悟だ。
誰にでも良い顔をして聞きたくもない悪口の相手をするのと、悪口を言うような人とはこれを機にオサラバ出来るのとどちらが良いだろう?

私は間違いなくオサラバしたい派だ。
その人に嫌われたからといって、それで人生が終わるわけではないし、自分と価値観の会う人と付き合えば良いだけのこと。

職場などの逃げ場のない環境であれば、むしろ嫌われたほうが無駄な事に関わらなくてよい。
万一意地悪されたり、仕事の邪魔をされるようなことがあれば上司に相談するなり、成果を上げてギャフンと言わせれば良いだけのことだ。

プライベートにしろしがらみの関係にしろ、要は嫌われても困らないだけの揺るぎない自身の信念を持っていることが大切だ。
他人のくだらないうわさ話に自身が左右されるようなら、我慢して悪口大会に付き合ったほうが良いだろう。

次の次元に行けるか行けないかは、自分次第だ。

東京都きょう30人以上の感染確認 コロナで、まあ、そうなるわな…と。

6月1日から段階的に営業再開や学校再開となったものの、ジワジワと感染者が増えている。
この感染者数は2週間前のものだから、5月中旬の感染者数となる。

ということは、緊急事態宣言が解除された後は、外出する人も増え、更にジワジワと感染者が増えるということになる。

段階的な解除をしているとはいえども、人が外に出て相対すれば、間違いなく感染するのだから、これまでと同じ生活を送ること自体にそもそも無理があるのだ。

コロナウイルスがいつかは消滅すれば別だが、恐らくこれからも長い付き合いになることは必至だ。
ならば、それを前提とした社会生活を再構築する必要がある。

都内の感染者の大多数が夜の繁華街で感染していることから、夜間の接客業、飲食業が感染源と言わざるを得ない。

これらの業種が生活に必須かといえば、無くても困るものではないが、そこで働く者にしてみれば死活問題だ。

無くても困らないものは世の中たくさんあるが、あって困ることはないし、それが自身の拠り所となる場合もある。だが、時代の変遷と共にそれらも淘汰され、次の世界へ進むしかない時もある。

今までの生活はすでに過去のものだ。
未来の生活をコロナと共にどう進化させていくのか!?

この大きな課題に取り組む前に、まずは一人一人の意識改革が必要だろう。
世界は変わらなければならないのだから。

TBSで7~9月に放送した「凪のお暇」は、現代社会をよく現わしているな、と感心したドラマだった。

周囲の空気を読み過ぎて過呼吸を起こした主人公の凪が、東京の郊外の古いアパートで身一つで目まぐるしい日常としがらみから離れ、隠遁生活?を送る中で出会った多くの人達から、改めて生きることの大切さや、自身を変えていくことを学び、成長する話だった。

現代は「空気を読む」ことが何より大切で、同調圧力が日常になっているのが現実だ。
組織の中では、個人の意見など些細なもので、それが通ることなどほぼなく、何事もお偉いさん達が決めた事柄ありきで物事は進むし、そこで意見を問われたからといって、真剣にそれを汲んでくれることはまずない。

なのに、そこに照準を当て「分かる~!」と、同調しなければいけない生き方は、何とも窮屈だ。
大きなものには巻かれているほうがラクだし、敢えて抵抗する必要もないが、人としてこれだけは譲れない一線がある。極論を言えば、私はそれさえ侵されなければ、他はどうでも良いのだ。

だが、一線を越えられたら、断固として戦うし、己の信念を貫ける場所に逃げる、新天地を目指すことも厭わないのだ。無用な争いを起こす必要はないことを思うと、自分がとっとと次のステージに進んだほうが話は早い、というものだ。

一つの場所に固執し、自分の殻も破れず、周りに合わせ過ぎて精神を病む者が多くいる現代。
どんなに病もうとも、誰も助けてはくれないのだ。

自分を変えられるのは、自分しかいないのだから。


環境少女の警告「第6の大絶滅」のトバ口にいるのは本当かは現実になっていくだろう、と感じた。

20世紀以前から世界は工業化が進み、食糧も豊富になり、医療も発達したため、人口が爆発的に増加した。
人間の日々の営みの賜物で生活は徐々に豊かになってきたが、それと引き換えに自然を破壊し、多くの動植物の命を奪ってきたことも事実だ。

そのツケは、温暖化という形で既に現れている。
海水温が上がれば水蒸気が発生し、雲が湧く。それが雨を降らせるわけだが、その量や勢いが年々狂暴さを増している。

国連の発表によると、このまま温暖化が収まらなければ、2100年に海面が1.1m上昇するそうだ。
そうなれば、今よりも更に激しい雷雨や竜巻、積雪…等々様々な自然現象が猛威を振るうことになるだろう。

そして、その時には動植物も絶滅しているかもしれない。その中には人間も含まれるのだ。

地球にとって、一番の害悪は人間だ。
自然は人間が破壊したものを、修復しようとしているだけだ。
それを、人間は災害という。

人間ありきで物事を考えると、地球は人間が住めない星になってしまう。
火星移住計画があるとか、ないとか、まことしやかに語られているが、地球で生まれた身としては、地球の土として朽ちていきたいと心から願っている。

人生には「思いがけない出会い」があるものだ。

自分の意図によって画策した出会いではなく、偶然の産物であればあるほど、それは自分にとって必要であり、偶然のようであって、実は必然だったりもする。

昨年、私は思いがけない環境に身を置くことになった。
それは、意図したものではなかったし、まさかそんな展開になるとは、露とも思っていなかった。
あれから1年が経とうとしている現状を顧みると、やはり私にとって必要な選択をさせてもらったことに気付かされた。

さらに、そこで出会った人との間柄が、次の展開へと進む鍵を握り始めたから、これまたフシギだ。
同じ職場で働いているだけの仲だったのが、あれよあれよという間に、次のステージの灯火へと繋がろうとしている。

生きていれば願望もあり、それを叶えるために精進もするが、自分の意思とは裏腹に訪れる必然的出会いもまた、自分が成長するための要となる。そこに気付けるかどうかで、自分が持つ願望の展開も大きく変わるのだろう。

何事も「始まりは出会いから」だ。

2月9日開幕の平昌オリンピックは、すでに予選が始まっている競技もある。
4年に一度のこのために、選手達は不断の努力を続けてきた。
その過程は、誰にも言えないほどの苦難の連続だったことだろう。

そんな選手達の聖なる協議会に、政治臭がプンプンする。
北朝鮮が急きょオリンピックに参加することになったにしては、周到な準備が出来上がっているし、その一挙手一投足を世界中がつぶさに観察している様は異様だ。

今後世界がどう変わっていくのかは未知だが、少なくともこの日のために精進し続けてきた選手達を、心から応援したいと思うし、選手達も無用な思惑に振り回されることなく、この機会を楽しみ、ベストを尽くして欲しい。

この機会を悪用しようとする者たちの思惑がぶっ飛ぶくらい!選手達にエールを送ろう!!

「スマホ世代」はPCが使えないとの記事を読んだ。

ちょっと前までは、中高年がパソコンを使えず、キーボードも1本指で入力したり、PCがフリーズすると容赦なく電源を抜いたり、インターネットの画面が開かないからと、マウスを連打し、結果的に同じページがいくつも開いたり…なんてことが日常茶飯事だったが、今やそれが若者世代に移行しているそうだ。

スマホが台頭してからPCの存在感は薄くなっているが、会社に勤めれば否が応でもPCと向き合わないといけない。余談だが、若者達は電話応対もまともに出来ないらしい。社会人としてのマナーがそもそも培われてないから、外部との電話応対も、社内での人間関係もまともにこなせない者もいるという話を聞くと、どうなる?若者!と、ひとごとながら心配になってしまう。

と、話はだいぶ逸れたが、若い子達の脳みそなら、PCをこなすのもお手の物のような気もするが、これもやはりセンスの問題がある。PCに向く人間と向かない人間がいるからだ。

どんなに学力の高い大学を出ていても、PCを使いこなせなければ、電話応対出来なければ、周囲と協調性を以て仕事が出来なければ…会社では使い物にならない。
仕事が出来る人間=学力の高さではないのだ。

2020年から教育要領が変わるそうだ。学力も大切だが、物事を構築する能力、応用能力、思考能力、判断能力等、要は人から指示されなくても、自分の頭で考えて行動する能力、そういった人間力を培う教育方法に変わるのだ。

どんなに難しいことを学んでも、専門性のある職種でない限り、会社でそれらが生きることは残念ながら…ほぼ皆無だ。
自分が使える人間なのか?そうではないのか?客観的に見つめる必要性があるようだ。

もし、後者なら今からでも遅くない。自分の得意を生かせる世界を見つけ、それに向けて精進することをおすすめする。

テレビの視聴率が昔より下がっているのは、若者達の視聴率離れが要因と言われている。
その変わり、年配者はテレビにかじり付き気味だから、番組内容もそれに合わせたものが多くなる。

特に目に付くのが、バブル世代のアイドル達の再来だ。
結婚し、子育てもひと段落したからか?往年のアイドル達をテレビで目にする機会が多い。
それはそれで懐かしくて良いのだが、若い人達が台頭しない要因にもなっているようにも感じる。

SMAP解散後、ジャニーズ事務所が若手を更にプッシュするようになった。
そんな若手もデビューして既に10年近く経っていたりして、若いといえどもそれなりに場数と経験を重ねている。まだまだ未熟な部分はあるだろうが、そんな若手達が活躍出来るというのは、活性化という意味において大切だし、良いことだ。

これは社会の縮図にもつながる。
昨今の年配者は元気だから、いつまでも現役でいることにこだわり、若手の活躍する場が少ない。
自分が活躍した過去の栄光にしがみつかず、その場を若者に譲ってはどうだろう?

そして、年配者は次のステップを自らで創り出すことが肝要だ。
待っていたって、誰もお膳立てはしてくれない。
これまで蓄えた叡智を振り絞り、自分の体力と知力に見合った活躍出来る場に進むことは、社会にとって循環となるし、今の若者達が老いた時の道しるべにもなる。

年配者の皆さま、探せば道はあるものです。
今にしがみつかず、次の次元を目指しましょう!

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