前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

カテゴリ: 前世

温暖化で万年氷が解けると… バイキング時代1000点の遺物が現れたを読んだ。

先の記事にある通り、地球温暖化で万年氷が解けたおかげで、ノルウェーで1800年前の遺物が見つかったそうだ。
古いものは西暦300年頃のもので、西暦1000年頃まで続いたバイキングのものらしい。

ロシアなどでも永久凍土が解けてマンモスが現われたというニュースは記憶に新しいが、出土するものは動物だけではなく、生物、植物、ウイルスもある。
氷に閉ざされていたウイルスが息を吹き返し、人類にとって新たな脅威にならないとも限らない。

映画「ジュラシックパーク」のように、ひとつの細胞から恐竜を復元するなんてことも、案外現実に起こり得るかもしれない。

地球は氷河期に向かっているとはいえ、現代の温暖化を思うと、地球の未来は全て一度水で流され、人類がいなくなったところで本格的な氷河期を迎え、全てを凍結し尽くすのかもしれない。

そして、ここから更に1000年後「西暦2000年頃の遺物が発見されました!」という報道がされるのかもしれない。人類が生きていればね…。

コロナ蔓延に見る、100年前のスペイン風邪流行を事例とする特集番組を観たことがある。

100年前はスペイン風邪(現代のインフルエンザ)が感染症であること、現実逃避のため遊興にふける人が多く集まる場所や、祈りのために教会に人が集まることで更なる感染拡大を招いていることが理解されていなかった。
情報の伝達は曖昧で、スペイン風邪の流行は魔女のせいだと言っては、罪もない女性が殺されたりもした。

スペイン風邪流行により経済が回らず、貧困や飢えも蔓延する。感染症と飢えの恐怖が人間を尋常では無くしてしまった時代だったようだ。

現在は100年前に比べれば情報が素早く伝達するし、困ったことがあれば相談出来る窓口もある。
経済もじわじわ右肩下がりになっている現実を思うと、誰もが来年の今仕事に在り付けているかは未知ではあるものの、打つ手はいくらでもある。

100年前にも世界は感染症の恐怖のどん底に突き落とされたが、これまでの100年間で時代は進化し続けてきた。その間には第2次世界大戦もあり、そこでも多くの命が失われた。
日本では広島、長崎に人類初の原子爆弾が投下された。

どん底に何度も突き落とされながらも、人類はいちからの歩みを止めることはなかった。
そのうえに、今があるのだ。

スペイン風邪流行から100年が経ち、コロナ蔓延の現代、私達はまた新たな開拓に向かわねばならない。
生き残る社会になるか、そうでないかは、私達一人一人にかかっているのだ。

令和元年10月31日未明に首里城が灰燼に帰した。
沖縄本島に行けば必ず首里城に足を運んでいたし、個人的に一方ならぬ思い入れがあった。

最後に行ったのは2016年12月だ。
この時、玉陵(たまうどぅん)に参拝した際、抑圧された感情が爆発しそうな感覚に襲われ「大丈夫だろうか?」と、ふと不安を感じた。

以前玉陵を参拝した際には、霊様から歓待されたように感じたが、この時は何か厳しい感情を受け取ってしまった。私のただの勘違いならば良いが…と思っていた。

昨年40年ぶりに玉陵で清明祭が行われ、今年も王家、第二尚氏直系23代当主が祭主を務め仕えられた。
約半世紀ぶりに行われたことで、何か目には見えない働きが動いたのかもしれない、と個人的には感じている。

家事の火元が正殿の分電盤のショートによるものと報道されているが、それが本当ならば不思議な話だ。
何十年も前の分電盤ならまだしも、定期的にメンテナンスも行われているであろうこの場所で、そういうことが自然現象としてあり得るのだろうか…。
今回のことは何がしかの思いが大きく左右しているように思えてならない。

個人的感情で無責任なことを言うべきではないが、それが大切で大事であるからこそ、今回のことを真摯に受け止め、沖縄の在り方に思いを寄せ、霊様も人も共に喜べる場所になって欲しいと、心から願っている。

2016年12月撮影の首里城
20191103_ブログ

「お盆には川や海に入ったり、近づいたりしてはいけない」という言い伝えがある。
この時期には、ご先祖様らが水辺を渡ってこの世に戻って来、そこから帰って行くから、生きている人間がそこにいると、一緒に連れて行かれてしまう、というものだ。

目には見えない世界のことでもあるし、実際に亡くなった方々がそうしているかは自分が死んでみなければ分からない。

この時期、海岸の波打ち際から沖に向かって「離岸流」という大波が発生し、まるで海から引き込まれるように流されていく波が発生する。

また、同様に台風の多い時期でもあるため「土用波」と言われる高波が発生しやすいことから、漁師でさえこの時期は漁には出ない、と言われている。

そんな自然現象も相まって、お盆はご先祖様を迎え、子孫の者がその働きに感謝する、家族で先祖を労わる日だから、水辺には近付くなと伝えられているのだろう。

私も子供の頃お盆が近づくと、夜遅くに人の足音を良く聞いた。「あ、ご先祖様が帰ってきたんだ」と思っていたし、帰る時にも、その足音を聞いていた。

これまた証明出来ない世界のことではあるが、人間の生きる世界は目に見えるモノが全てではない。
気象現象として水辺には近付かないほうが良いという理屈があることも一理ではあるが、水辺には生きている人間には計り知れない世界が広がっているのだと思う。

いずれにしても、どこに行くにしても、出向いた場所に感謝し、お邪魔するという謙虚な心は忘れないでいたいものだ。

日本人の鼻はなぜ低いのかという記事を読んだ。

気候風土の違いにより、人間の鼻は高い人と低い人がいる、というものだ。
寒冷地の人は、冷たい空気が一気に肺に届かないように、高い鼻の空間で冷えた空気を温めて肺に送るそうで、熱帯や湿地帯に住む人達は、空気を一気に肺に届けても問題がないため、鼻が進化しなかった、というものだ

だから、ヨーロッパ系の人達は鼻が高いのだ。
ヨーロッパから移民としてアメリカに渡った人達も、ルーツはヨーロッパ系だからやっぱり鼻は高い。
アフリカ、アジア系の人間は高温多湿だから鼻が低い、ということだ。
なるほど!鼻ひとつとっても進化が影響しているのか…と、納得した次第。

昔から低い鼻がイヤだったが、生きていくうえで見栄え以外で困ったことはないから、「ま、いっか…」とは思っていたが、進化のせいならば低い鼻を恥じることはないのだ。

無理やり整形などして見栄えを整えても、産まれてくる子はやっぱり低い鼻のままだ。
物事にはきちんとした理屈があるのだから、それに逆らう必要はないのだ

日本橋の中央通りから京橋にかけて、日枝神社の山王祭が行われていた。
そうとは知らず、偶然祭りの衆達と遭遇したのだが、東京でこれほど大規模な祭事があるとは、新鮮な驚きだ。

昔から東京は祭りが盛んではあるが、人出の多さから、わざわざ観に行ったことはない。
偶然とはいえ、それに出遭えたことは、ラッキー!な出来事だ。

調べたところ、山王社は江戸城で開幕した時から、城の鎮守として大事にされてきた。
山王祭は、徳川家康を神の祭礼として、平成の現代に脈々と受け継がれている。
そして今年は、江戸城に入城してから、400年の節目の年だそうだ。

江戸時代から比べると、生活様式も文化も風習も、多くの事柄が大きく変化した。
江戸の人が今の世を見たら、「びっくり仰天!」なことだろう。

これだけ世の中が変わっても、江戸の鎮守を敬い、讃える日本人の気質は素晴らしいな、と思う。
どれだけの人が日枝神社の神様に感謝の思いを抱いて祭りに参加しているのかは謎?だが、鎮守の神様に思いを馳せることで、徳川家代々の将軍様も、日枝神社の神様も、きっと喜ばれていることだろう。

そして、その守りのおかげで、私達の今月今日があるのだ

「こんなところに日本人」という番組がある。
世界の秘境や、日本から何十時間もかかる僻地に住む日本人を探して会いにいく、というものだ。

レポーターはお笑い芸人やタレント、女優等と多岐に亘る。
恐らく、日本では味わえない最大級に不自由な思いをしながら、現地の人に聞いて回り、重たいスーツケースをズルズル引きずって探し回るのだ。

多くの困難を乗り越え、ようやく会えた日本人。
レポーター達の感慨はひとしおだろう。その思いは、テレビ画面からジワジワ伝わってくる。
それに加えて、そこで暮らす人達の思いや、それまでの苦労、そこに至る道のりを見せてもらうだけでも、胸を打たれる。

己の使命感から、僻地へ赴き、なかには成り行き上のこともあるが、自身の課題から逃げず、それに取り組み、そこで命を終える覚悟を持つ人さえもいる。

日本人はおろか、アジア人種さえいないような場所で、たった一人の日本人として生きる人達の精神力の逞しさは言うまでもないが、そこには、人智を越えた、「そうせねばおれない」魂の導きとしか思えない、見えざる力が働いているのだろうな、と感じる。

テレビの向こうに映るその人生を観ながら、「私にはムリ」と思ってしまうが、かくいう自分にだって、どんな使命があるか分からないのだ。
そんな時、人は理屈抜きの感情、魂の叫びに知らぬ間に導かれているのだろう

今年はラニーニャ現象かも?ということで、気象庁が経緯を見守っているそうだ。
ラニーニャ現象とは、赤道付近の海水温が下がることを言う。
すると、日本の夏は暑くなる、いや、猛暑になるそうだ。

確か、昨年はエルニーニョ現象(赤道付近の海水温が上がる)で、夏は暑かった、と記憶しているが…。
エルニーニョになろうが、ラニーニャになろうが、結局のところ夏は暑い、ということだ。

暑いだけならまだしも、ここ数年は熱波による干ばつ、大型台風、竜巻、水害…等々。
人間の予想を遥かに越える自然現象が次々と起きている。

そもそも、人間が自然現象を掌握した気でいること自体が間違いなのだ。
自然は、地球は42億年という月日を紡いでいるのだ。
たかだが数千年の歴史しかない人間の考えることなんて、たかが知れている、というものだ。

ラニーニャだろうか、エルニーニョであろうが、その大自然の中で私達が生かされていることを、悟るべきだ

7300年前、薩摩硫黄島と竹島を擁する鬼界カルデラの超巨大噴火が発生し、南鹿児島にいた縄文人は絶滅したそうだ。
大噴火の影響で、島は約6時間ほどで陥没し、海底へ沈んだことが、最近の研究で分かった、と「サイエンスZERO」で放送された。

日本の歴史の中で、超巨大噴火は何度も起きていて、平均すると約1万年に1度起きているそうだ。
1991年に起きたフィリピンのピナツボ火山の大噴火は、世界中の気象に影響を及ぼし、日本も冷夏となり作物が不作となった年でもあった。
長い地球の歴史の中においては、生物が絶滅寸前にまで追い込まれたこともあるそうだ。

日本は火山大国だ。他国に比べると、噴火に遭遇する可能性が高いかもしれない。
超巨大噴火となれば、逃げたところで逃げ切れるものではないだろう。

火山のおかげで温泉もあり、おいしい作物も出来る。
日々受けている恩恵に感謝しつつ、いつかは起きる大噴火という自然の働きがあることを知っておくことは肝要だ

先日の土曜日、近所の幼稚園で運動会があり、昼時には帰りの家族が群れをなして駅へ向かっていた。

一人の園児につき、両親、祖父母、兄弟姉妹を合わせると、多い家族で5、6人近くが連なって歩いていた。
そして、駅近のレストランはそれらの家族で長打の列が出来ていた。

良いお天気の中、かわいい園児の成長を家族で見守り、帰りは皆でごはんを食べて帰ろう、ということだろう。
園児を巡る家族を見つめていると、人は誰一人として一人じゃないんだな、としみじみ思った。

家庭によっては、一人で生きていかねばならぬ者もいるだろう。
だが、目に見える家族はいなくても、間違いなく自分の命は、先祖から引き継いだもので、自分を取り囲む身内の数は会ったことのない人も含めれば、相当な数に上る。

一人で生きているようでも、人は一人ではないのだ。
身内から引き継いだ命、それを助けてくれる周囲の方々のお世話になっての毎日なのだな…と、改めて思わされた

秋のお彼岸となり墓参に行くと、多くの方々が参拝に訪れている。
家族揃って、先祖代々のお墓をキレイにし、花や食べ物を供えて手を合わせる姿を見ると、日本人もまだまだ捨てたものじゃないな、と思う。

日々多くの事件が起き、心が痛むことが多いが、きっとこうやって先祖のことを敬い、手を合わせる心を持ち合わせている人には、ご先祖様のご加護が厚いだろうから、悲惨で不幸な出来事は巡って来ないだろうな、とも思う。

最近、我が家の家系図を作成することになり、本籍地にある除籍謄本を取り寄せる機会があった。
古いものは江戸時代末期までの記録しかないのだが、それでも何十人という血の繋がりがあるであろうご先祖様方の名前や関係性が分かった。

自分の命は、この人達がいてこその賜物だ。
この人達の誰が欠けても、今の自分が生れてくることは無かったのだ。
そう考えると、今こうして生かされている事柄の中には、数多くの必然、偶然的出来事の繰り返しがあってのことなのだと思わされる。

目には見えないご先祖様だが、今ここにある自分は、間違いなくそれらと繋がっている。
そこに思いを馳せながら、墓前に手を合わせることで、そのチャンネルを合わせているのかもしれない。

更に、もしかすると、自分のルーツは、前世と繋がっているのかもしれない…と、ふと思った。
なぜなら、縁のない所には生れてこないからだ。
ご先祖様を大切にすることは、前世の自分をも大切にすることなのかもしれない

歴史は繰り返す?2のつづき。

人間の歴史が始まって以来、争いのない時代などほぼ皆無と言っていいだろう。
自分の国は平和でも、他国では戦争が起きているし、一見平和に見える国でも、いじめやくだらない足の引っ張り合いが無くなることはない。

人間も生物なのだから、食うか食われるか?という意味で、元々闘争本能が備わっている。
だからこそ、自分に敵意を示すモノに対して攻撃を加えるというのは、自然のことなのだ。

「世界中の人が平和でありますように」と願う人間の心理もまた本意だが、恐らくそうなることは99.9%ムリだろう。
人間の心理に何がしかの覚醒がない限り、残りの0.1%が現実となることはない。

戦争は不幸をもたらすだけとは言うものの、戦争で経済が潤うこともあるし、人口減少にも繋がっていることもまた事実だ。
人間の思惑とは裏腹に、歴史はやはり繰り返してしまうのだろうか

歴史は繰り返す? 1のつづき。

琉球王国が滅びるのとほぼ時を同じくして、日清戦争において清も滅亡へと向かう。
清は日本以外にも他国と戦争を興し、植民地化しようとするが失敗に終わる。
そして、日本にも敗戦するのだ。

清にはもう一つの問題があった。
明時代からアヘンが蔓延していたことだ。結果的にはこれが一番大きな問題だったのではないか?と個人的に思う。
アヘンを吸い続ければ、人は間違いなくおかしくなるし、廃人と化してしまう。

今の中国は好景気に浮かれ、素人や学生までも株や土地を買ったはいいが、日本のバブルのように弾けているのが現在だ。
この感じ、清国の滅亡の図式と似ていると感じるのは私だけだろうか?

アヘンで国を滅ぼしておきながら、同じことを繰り返すのだ。
このままいくと中国はどうなるのだろう?
これまた歴史は繰り返すのか?

今の日本は、幕末の頃に良く似ていると感じる。

琉球王朝がその昔、清(中国)と交易を持ちつも、薩摩(鹿児島)に侵攻された後、結果的には450年続いた琉球王朝は日本に統合されてしまう。

今の日本はまさに琉球王朝そのもののように思う。
第2次大戦後からはずっとアメリカの言いなりで、憲法違反を犯してまでアメリカの言い分を丸のみし、中国や韓国
、北朝鮮を牽制する役割を持たされている。

戦争をしないためとは言いながらも、必要とあればいの一番に利用されるのは目に見えている。
小さい島国でありながらも、排他的経済水域面積は意外にも世界6位というから驚きだ。
そんな海洋王国日本の資源や資産を、各国は虎視眈眈と狙っているのだ。

歴史は繰り返すことがあり得るなら、日本はアメリカの51番目の州になってしまうのだろうか…

人には誰しも他人には語れない素性や本性がある。
普段はそれを隠していても、ふとした瞬間にそれが表出することがある。
しかも、当人はまったく気付かないうちに、というところがまさに本性と言っていいだろう。

良い本性ならば良いが、自分でもどうしてこうなんだろう?と思うような事柄もある。
それは、母親のお腹の中で身に付いたものなのか、前世からの宿命を背負っているのか?
自分でも分からないのだから、そうとでも思うしかないだろう。

それに気付いたのならば、それを捨てることは出来ないが、そこから少しでも脱却出来る生き方を学ぶしかない。
人は学んで成長する生き物だ。
前々の巡り合わせから、今手中にある己の業を、少しでも良い物に昇華していけるよう、日々精進したいと思う

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