前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

カテゴリ: 未来へ

米ワシントン州で「殺人スズメバチ」初捕獲、当局は巣の捜索急ぐを読んだ。

先日、東京でも野生の日本猿が街を闊歩する姿が撮影されているように、ここ数年、山から野生動物が街に降りて来ている。

山を管理する者がいなくなり、人と動物との境目である里山が減り、人目が気にならなくなったことから、動物達は人を恐れなくなっている。

野生の動物が降りてくるということは、他の生物も同様だ。
これについては、里山減少だけではなく、地球の温暖化が大きく影響していると考える。

地球の温度が上がったことで雨の降る量が増え、山は水を吸い、限界にくると山崩れが起きる。
山林の管理が行き届かないから、山は簡単に崩れてしまい、そこに暮らす生物達が住処を失うのだ。

記事にあるアメリカの殺人スズメバチも、温暖化で巨大化したスズメバチであろうと推察する。

地球温暖化は、人間も動物も生物も、全てが生きられない環境に変えてしまうのにも関わらず、人はそれを顧みようとしない。

未来の地球は生物のいない星になるのだろうか…。

俳優の三浦春馬さんが死亡したという報道には、驚愕した。
えええ???なんでーーー???と、頭の中が混乱した。
報道によると遺書もあるらしく、自殺らしい…と。

姪が彼のファンだったことから、一緒に舞台を観に行ったこともあった。ドラマや映画での演技にも安定感があり、それのみならず、歌もダンスもウマイ!!将来有望の若手俳優だ。

容姿端麗で天性の才能にも恵まれ、人柄も良く、人一倍の精進も重ねていたと聞くと「もったいない!!」という思いが湧く。

世の中には必死にがんばっても、芽が出ないまま夢を諦めざるを得ない者のほうが圧倒的だ。
とはいえ、当人にしか分からない、私達には想像だにし得ない苦悩があったのだろうことを思うと、余計胸が締め付けられる。

人はこの世に生まれてくる度に、あの世で神様とどんな修行をするかを約束していると言う説が本当なら、自らの命を絶つということは、その約束を反故にする、ということになる。
しかも、これまで生きてきた全ての努力が水疱に帰すのだ。

苦しみから逃れるために自死し肉体から離れられても、魂が無くなるわけではないから、肉体があれば未来を切り拓くことが出来たかもしれないが、肉体を失ったことでそれも適わず、苦しみは増すばかりだ。

運良く来世で生まれ変わることが出来たとしても、今世での課題を放棄しているから、2倍以上の課題を背負って次の世を生きなければならない。

どんなに苦しくても、辛くても、自らの命を粗末にしてはいけない。
それは、自分を生み育ててくれた親、先祖の思いをも断ち切ることになるのだ。

苦しみの最中にあり自ら死を選択した者に、冷静な判断は出来ないかもしれないが、肉体を失くして後悔しても取り戻せないのだ。

彼の魂が救われていくことを祈るしか出来ないが、生きている者は自らの今世の課題をクリアーするためにも、その命を粗末にせず、輝く生き方をして欲しいと願うばかりだ。

今日の東京都でのコロナ感染者は200人を超えた。
新宿区のホストクラブ等を中心に、1日3000人ほどの検査をした結果だそうだ。

新宿区歌舞伎町での感染が拡大していることから、夜の街は客足が減り、飲食業や風俗業は悲鳴をあげている。

店側も感染対策として都が推進する3密回避や消毒等を実施してはいるものの、狭い店舗で数人集まれば必然的に密になるし、黙って呑むなんてことはまずあり得ないし、酒が入れば気も大きくなって、コロナなんてどこ吹く風、といった感じになり、店側がどんなに対策を講じても大した効果は見込めないだろう。

狭い店舗に高い家賃を払い、維持費のために働いているような店の経営というのはどうなのだろう?
そこに固執する意義があるのだろうか?もちろん、それまでになるには並大抵の努力ではなかっただろうし、せっかく手にした店を手放すのは惜しいだろう。

だが、今後もコロナは無くならないのだ。
それならば、一刻も早く次の段階に目を向けるべきだろう。

地方では、中小企業や職人の継承者がおらず困っているとの特集番組を観た。
決してたやすい仕事ではないし、それを継承するには、これまで以上の忍耐と努力が必要となるが、適性が叶い、それを継承することが出来たならば、新たな道が拓けることは間違いないのだ。

方や風前の灯火にしがみつき、方や継承者がいないことで風前の灯火になろうとしている現実を思うと、自分がしがみついたものが本当に必要なものなのか?

今一度立ち止り、広い視野で未来を見据えることが大切だと感じた。

九州の豪雨は「これまでこんなことは一度もなかった」と、被災した住民が口々に言うほどだ。

線状降水帯は同じ場所で長く豪雨をもたらす。
そんな状況で避難など出来るはずもなく、ただただ成り行きを見守るしかない。

河川の氾濫、土砂崩れと次々と自然は崩壊へと向かうばかりで、それまで平和に暮らしていた人間は成すすべもない。

よく「ご先祖様から受け継いだ土地だから」という言葉を耳にすることがある。
そこで生まれ育ち、その土地から離れたこともないし、先祖の供養もせねばならなければ、確かにそこから出るという選択肢はないのだろう。

だが、ここ数年毎年のように豪雨に見舞われていると、土地は削られ、氾濫した泥水で全てが破壊され流されてしまうのだ。

東日本大震災の津波の時もそうだったが、ほんの数メートル高い場所にあった家は被害を受けずに済んでおり、海岸線上にあった家はものの見事に何キロにも亘って流されてしまっていた。

その惨状を目にした時、人間がどんなに大切に守っていたとしても、自然の働きには抗えないし、無常の風は容赦なく吹くものだと痛感した。

大切なものを守る気持ちは尊いが、それらを守る自身の命がなければ話にならない。
温暖化が進む限り、これからも自然災害は更に激しさを増すだろう。

コロナ禍でこれまでの生活様式を改めねばならぬ中、更にその次のことも考えなくてはならない現実を突きつけられているのだ。

多くのものを失くした悲しみは尽きないが、生きている限り前進するしかないのだ。
これまでと同じ生活は送れないのだ、と腹をくくり、次を見据え行動することが何よりも大切だ。

未知の細菌やウイルスも…永久凍土の融解で地球が危ない!を読んだ。

ここ数年で地球温暖化は加速し、毎年のように大雨、大型台風が襲来している。
1日100ミリの雨が降り続けただけで河は氾濫し、街は水に流され沈むのだ。

こうなった原因は、取りも直さず人間の日常にあるから、自然に文句を言うのはお門違いだ。
そうなることを見越して、地球温暖化を止める働きをする者もいる一方で、おかまいなしに二酸化炭素等を垂れ流す者もいる。

人間にはいろんなタイプがいて、それが家族であれば逃げようのない関係性に否が応でも向き合わなければならないが、赤の他人であればその場限りで済まされる。

とはいえ、地球という星そのものがひとつの家族と考えると、現実に起きている自然破壊が、近い未来において自分達のクビを締めることに繋がることを、理解出来ない人達に伝える必要がある。そういう意味で、赤の他人だからと、知らん顔して済む話ではないのだ。

現在は未知のコロナウイルスと闘っている最中であるのに、地球温暖化による永久凍土の溶解で更なる未知のウイルスや細菌が出現したら、この地球はいったいどうなるのだろう。

人類だけが生き残れれば良いという問題ではないのだ。
人類以外の生物が生きられないようなことになれば、間違いなく人類も滅んでいくことになる。

その日の食事にありつけるかどうか、生きるか死ぬかといった瀬戸際にいる者に対して、地球温暖化がどうの、二酸化炭素がどうのと言ってもまずもって伝わらないだろう。

今できることは、事の真相がわかる者達が解決の道へ向けて進むしかないのだ。
そうでなければ、日本の、世界の、いや地球の未来は生物のいない世界となってしまうだろう。

東京ではここのところ、コロナ感染者が毎日50人を超えている。
コロナウイルスは収束の兆しがないことは、世界を見れば一目瞭然だ。
ならば、ウイルスと共生していくしかない。

にも拘わらず、コロナ以前と同じ生活を続けようとする人の何と多いことか!
報道で毎日のように「夜の街で感染拡大!」と、声高に言われていることの意味を考えたことはあるだろうか?

これは未来において、こういう世界は無くなりますよ、ということだと私は思っている。
夜の世界に限らず、人が集う場所がことごとく進化せざるを得ない、ということだ。

エンタメ業界ではネット配信に切り替えて新しい道を模索している。
これまで舞台を生で観ていたことも、近い将来ではほぼ無くなるだろうし、大きな声をあげてコンサートに酔いしれたり、スポーツ観戦したことも懐かしい思い出となるだろう。

現在は、江戸時代から明治維新に転換した時よりも、遥かに未知の転換期の渦中にある。
いい加減そのことに気付けないと、近い未来での生き方に不満と不安しか感じないだろう。

時空は人類だけのものではない。
地球が生きているから私達が生かされているのだから、地球にとって不都合なことは淘汰されていくのだ。

日本は生ぬるく収束したかのような楽観ムードが漂っているが、それが幻だったことを嫌が応でも認めざるを得ない日はもうすぐそこまで来ているのだ。

周囲のお気楽モードに惑わされることなく、今自分が何をすべきなのか?真剣に考え、次の手を考えていかなければならないところまで来ていることを肝に銘じ、早く行動に移したほうが良いだろう。

依存症に「なりやすい人」「なりづらい人」の差を読んだ。

人は一人では生きていけないから、大なり小なり何かに依存していると言えるだろう。
だが、パチンコなどの賭け事、酒、タバコ、異性等々、依存度が深くなると、やっかいなことになることが多い。

収集癖も一種の依存ではないかと思った時から、私は全ての収集を止めた。
なぜなら集めないと気が済まなくなるし、どこまでいっても終わりがないからだ。
中にはそれが誰かの役に立ったり、歴史的大発見に繋がることもあるが、それは稀だ。

人は家族や周囲の大切なものを守るものが増えれば増えるほど、そのために何かに頼り、度が過ぎると依存に陥りやすいのかもしれない。そのほうが考えなくて済むから「楽」という見方も出来る。

先の記事によると、依存症は「脆弱性遺伝子」が原因のひとつであると書かれていたが、それは遺伝子に何がしかの欠陥があって、何かのきっかけでそれが発動してしまう、ということらしい。

自分の意思でコントロール出来ないとなると、さらに厄介ではあるが、人には誰しも依存症なるものが多かれ少なかれあることを思うと、遺伝子のせいにするのは腑に落ちない。

人付き合いにしろ、物に対する執着にしろ、肉体が無くなれば全てを失うことになる。
どんなにお金儲けをしても、あの世に持ってはいけない。

人は一人で生まれて一人で死んでいくことを思うと、多くのものに執着し、手元にそれらを置いておくことが無意味に思うようになった。

もちろん、生きている以上必要なものはあるから、最期の時まで困ることがない程度にそれらを活用するだけのことで、必要以上に追い求めることはないと思っている。

とはいえ、人間は弱い生き物だ。何かに依存したり執着することで安心出来ることもある。

昔の自分もそうだったが、一旦すべてを手放してみると案外サッパリして、他人に期待したり、依存することもなくなったし、物欲もほぼ無くなった。

毎日ごはんが食べられて、親しい人たちと笑って過ごせれば、それだけで充分幸せだ。
依存、執着から脱却すれば、想像以上に生き易い世界が見えてくるものだ。

その悪口、乗る?乗らない? 悪口を言う人をうまくかわす方法 悪口ほど生産性のないものはないとつくづく思う。

日々他人から受けるストレスは、悪口と言う名の陰口で発散したくなるものだ。
若い頃は嫌いな人の一挙手一投足が気になり、ムカムカし通しだったこともある。
今も多少あるが、最近はすべて存在をないものとして取り扱うことにしている。

だいたい悪口を言いたくなる人というのは、自分とは真逆の人と思いきや、案外自分の中にあるイヤな面であったりすることもある。
自分の中にあるイヤな部分を、他人から見せつけられてイラつくのだ。

「人の振り見て我が振り直せ」のように、イラつく人の中にある自分の影を見つけたなら、自分が変わることのほうが何倍も楽だと思う。とは言いつつ、長年培った性格や習性はそう簡単には直せないが、少なくとも対するイヤな奴を見て不快感があるのなら、自分はそうならないよう心がけるだけでも一歩前進と言える。

悪口を言ってスッキリしたいだけの人もいるようだが、聞かされるほうはたまったものではないので、私はいつもシレーっとその場からいなくなる。もしくは、耳の蓋が閉じて聞こえなくなり「ねえ、話聞いてる?」と言われること度々。その度に「あ、聞いてなかった」と言う。

ここで大切なのは、そう言うことで嫌われても良いという覚悟だ。
誰にでも良い顔をして聞きたくもない悪口の相手をするのと、悪口を言うような人とはこれを機にオサラバ出来るのとどちらが良いだろう?

私は間違いなくオサラバしたい派だ。
その人に嫌われたからといって、それで人生が終わるわけではないし、自分と価値観の会う人と付き合えば良いだけのこと。

職場などの逃げ場のない環境であれば、むしろ嫌われたほうが無駄な事に関わらなくてよい。
万一意地悪されたり、仕事の邪魔をされるようなことがあれば上司に相談するなり、成果を上げてギャフンと言わせれば良いだけのことだ。

プライベートにしろしがらみの関係にしろ、要は嫌われても困らないだけの揺るぎない自身の信念を持っていることが大切だ。
他人のくだらないうわさ話に自身が左右されるようなら、我慢して悪口大会に付き合ったほうが良いだろう。

次の次元に行けるか行けないかは、自分次第だ。

東京都きょう30人以上の感染確認 コロナで、まあ、そうなるわな…と。

6月1日から段階的に営業再開や学校再開となったものの、ジワジワと感染者が増えている。
この感染者数は2週間前のものだから、5月中旬の感染者数となる。

ということは、緊急事態宣言が解除された後は、外出する人も増え、更にジワジワと感染者が増えるということになる。

段階的な解除をしているとはいえども、人が外に出て相対すれば、間違いなく感染するのだから、これまでと同じ生活を送ること自体にそもそも無理があるのだ。

コロナウイルスがいつかは消滅すれば別だが、恐らくこれからも長い付き合いになることは必至だ。
ならば、それを前提とした社会生活を再構築する必要がある。

都内の感染者の大多数が夜の繁華街で感染していることから、夜間の接客業、飲食業が感染源と言わざるを得ない。

これらの業種が生活に必須かといえば、無くても困るものではないが、そこで働く者にしてみれば死活問題だ。

無くても困らないものは世の中たくさんあるが、あって困ることはないし、それが自身の拠り所となる場合もある。だが、時代の変遷と共にそれらも淘汰され、次の世界へ進むしかない時もある。

今までの生活はすでに過去のものだ。
未来の生活をコロナと共にどう進化させていくのか!?

この大きな課題に取り組む前に、まずは一人一人の意識改革が必要だろう。
世界は変わらなければならないのだから。

身内に小学5年生になる女子がいる。コロナ禍でずっと休校が続き「暇だ~暇だ~」と言っていた。
たまにしか会えないのだが、会った時には「こういう時だからこそ、自分の好きなものを見つけられると良いね」と話していた。

その後自宅で料理やお菓子作りを覚えたり、ゴム編をしたり、アイロンビーズにも取り組んだそうだ。
久しぶりに会った時、彼女が作り溜めたアイロンビーズを見せてくれた。

小さなビーズをひとつひとつ型にはめ込み、成型して最後にアイロンで固めて、コースターなどに利用出来、実用的でもある。
作品を見てまず思ったのは、彩の華やかさ、デザイン完成度の高さだ。

話を聞くと、小さいビーズをどこにどうはめこんだらうまくいくか、好きな色をどう組み合わせたらキレイに見えるかを考えながら作った、というではないか。

誰から教わることなく、自分で考えたというから、その天性に感心した。

これまで自分の好きなことや才能を見つけられず悶々としていたようだが、今回のことで一筋の光が見えたようだ。

将来デザインなどの世界を目指すかどうかは分からないが、好きなこと、得意なことを生かす楽しさと喜びを感じられたことは、彼女にとって大きな収穫だ。

私もその出来栄えを大いに誉め讃えた。
これまではイライラすることが多かった彼女が、ニッコリ微笑んでくれた。それがまた何とも可愛いのだ。

彼女の未来はこれからだ。
世の中がどうなるかは未知だが、天から与えられた才能を、これからも楽しんで伸ばしてくれたら…と、願わずにはいられなかった。
200530

12月に入ると、この1年間を締め括らねばならぬ!的な出来事が次々起きた。
殊に、後半2週間はまさに怒涛の日々で「仕事→家事→ランチ会に忘年会→突発的出来事→更なる片付けねばならぬ出来事勃発」と、このサイクルに翻弄されていた。

その中にはちょっとしたプチ事故もあり、直接的被害はなかったが、その衝撃で身体にロックがかかったらしく、筋肉が硬直し後遺症が腰に残ってしまった。
普段から交通事情には気を付けてはいるものの、相手からぶつかってこられたら逃げようがないものだ。
それでも、大ごとになることもなかったことは、幸いであった。

一つそういうことがあると、全てが好まざる方向へ走り出す。
詳細は省くが、まあ次から次へとよくこんなに物事が動くな…というほどだった。

もしかすると、来年は展開の年になるのかもしれない。
そんな予感もするし、そのために年内に一気にいろんなことが起きているのかもしれない。

仕事納め後も家のことや親族のことに翻弄され、気付けばもう大晦日。
9連休の年末年始休暇も、あっという間に終わりそうだ。

まさに、師走に相応しい?年の瀬であった。

今年もブログをお読みくださった皆さま、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。

佳いお年をお迎えください!

昨夕皇居前広場で催された、天皇陛下の即位を祝う「国民祭典」の祝賀式典、そして今日は天皇陛下の即位に伴うパレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」が午後3時より行われた。

いずれも令和の新天皇の即位を祝す行事ではあるが、誰もが緊張感と高揚感を以て臨んだのではないだろうか。直接出向けなくとも、テレビやインターネット中継でそれを見ることも出来る。

日本は皇室があるから、他国からも一目置かれているし、その働きがあるから、日本は平和でいられるのだと常々感じている。

即位された天皇陛下、皇后陛下の日々の並大抵ではない研鑽の日々があるから、それを直接見ることは出来なくても、その思いが伝わってくるからこそ、国民は自然と頭を垂れる気持ちにならされるのだろう。

即位に当たり、多くの関係者、警備の方々、どれほどの力が結集したことか、とも思わされた。
誰もがひとえに平和を願い、祈り続ける姿勢が、この行事を成功させたのだと感服した。

これからも、日本が、世界が平和であり続けられるよう、微力ながら祈り続けたいと思う。

TBSで7~9月に放送した「凪のお暇」は、現代社会をよく現わしているな、と感心したドラマだった。

周囲の空気を読み過ぎて過呼吸を起こした主人公の凪が、東京の郊外の古いアパートで身一つで目まぐるしい日常としがらみから離れ、隠遁生活?を送る中で出会った多くの人達から、改めて生きることの大切さや、自身を変えていくことを学び、成長する話だった。

現代は「空気を読む」ことが何より大切で、同調圧力が日常になっているのが現実だ。
組織の中では、個人の意見など些細なもので、それが通ることなどほぼなく、何事もお偉いさん達が決めた事柄ありきで物事は進むし、そこで意見を問われたからといって、真剣にそれを汲んでくれることはまずない。

なのに、そこに照準を当て「分かる~!」と、同調しなければいけない生き方は、何とも窮屈だ。
大きなものには巻かれているほうがラクだし、敢えて抵抗する必要もないが、人としてこれだけは譲れない一線がある。極論を言えば、私はそれさえ侵されなければ、他はどうでも良いのだ。

だが、一線を越えられたら、断固として戦うし、己の信念を貫ける場所に逃げる、新天地を目指すことも厭わないのだ。無用な争いを起こす必要はないことを思うと、自分がとっとと次のステージに進んだほうが話は早い、というものだ。

一つの場所に固執し、自分の殻も破れず、周りに合わせ過ぎて精神を病む者が多くいる現代。
どんなに病もうとも、誰も助けてはくれないのだ。

自分を変えられるのは、自分しかいないのだから。


環境少女の警告「第6の大絶滅」のトバ口にいるのは本当かは現実になっていくだろう、と感じた。

20世紀以前から世界は工業化が進み、食糧も豊富になり、医療も発達したため、人口が爆発的に増加した。
人間の日々の営みの賜物で生活は徐々に豊かになってきたが、それと引き換えに自然を破壊し、多くの動植物の命を奪ってきたことも事実だ。

そのツケは、温暖化という形で既に現れている。
海水温が上がれば水蒸気が発生し、雲が湧く。それが雨を降らせるわけだが、その量や勢いが年々狂暴さを増している。

国連の発表によると、このまま温暖化が収まらなければ、2100年に海面が1.1m上昇するそうだ。
そうなれば、今よりも更に激しい雷雨や竜巻、積雪…等々様々な自然現象が猛威を振るうことになるだろう。

そして、その時には動植物も絶滅しているかもしれない。その中には人間も含まれるのだ。

地球にとって、一番の害悪は人間だ。
自然は人間が破壊したものを、修復しようとしているだけだ。
それを、人間は災害という。

人間ありきで物事を考えると、地球は人間が住めない星になってしまう。
火星移住計画があるとか、ないとか、まことしやかに語られているが、地球で生まれた身としては、地球の土として朽ちていきたいと心から願っている。

先日、テレビの主な視聴者は年配者だ、という話になった。
40代以降の年代がメインターゲットなため、番組の内容も、健康情報、旅番組、懐かしの昭和歌謡ショーを多く目にする。ドラマの主役も中年が多くなっているのも、視聴者目線に対応したものだろう。

では、若者は何を見ているのか?
映像はスマホで観るもので、リビングで家族揃ってテレビを観る、という感覚ではないそうだ。
皆がそうではないだろうが、観たいものを観たい時に一人で観る、というのが主流であることは間違いなさそうだ。

SNSも多岐にわたり、流れになかなか追い付けないのが現実だが、それさえも若者達は上手に駆使しているようだ。
私も遅ればせながらインスタを始めたが、いまいち使い方が分からず苦心している。

老体にムチ打ちながら、少しでも新しいことを吸収しようと精進?しております。

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