未来へ

2024年04月14日

乗り越えて行け!

NHK「新プロジェクトX」18年ぶり復活で男性救済?「光る君へ」「虎に翼」とも強い女性の物語を読んだ。

記事にあるように、NHKの朝ドラ、大河ドラマは芯の強い女性が主人公であり、未来に名を残す活躍をしている。
昨今のドラマの脚本や監督、プロデューサーなども女性の活躍が目立つようになってきた。

少し前までは男性のそれが優位であったが、それが社会のニーズに合わなくなっているからか?女性の才能が開花している現状は素晴らしいことだと思う。

これを性差の別と捉えるのは早計で、男性であっても、素晴らしい才能を持つ方は多くいるし、活躍している方もいる。それが現代とどうマッチするのか?人の心に響くのか?が課題のように思う。

昨今のドラマや映画を見ていると、人の心の機微を丁寧に描いているものが目に付く。
勧善懲悪のような誰が見ても分かるシンプルなものも面白いが、そこにある一人一人の個性や感情といった繊細な描写が視聴者のリアリティとシンクロすることがあるから、より心を捉えるのではないだろうか?と推察する。

日本は未だに男尊女卑文化が根深い。
芯の強い女性が社会からの妨害をものともせず突き進んでいく様は、代弁者のようでもあり、自身を鼓舞する働きにも繋がっている。

他者の活躍を目の当たりにし、それを励みとし、それぞれが自身の務めを果たすこと、更なる高みを目指していくこと、それが大切なのだ。

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2024年03月20日

HIKARI

人は日々自分の成すべきことに取り組んでいる。
課題はそれぞれだが、私の場合は、両親の介護と最期を見送ることだった。

両親合わせて16年間という長い介護の間に学んだことは数知れないが、その中で諦めたこと?もないとは言えなかった。

家族がいれば自分のしたいことだけをするわけにはいかず、日々些細な「諦める」が続いていく。
するとそのうち、自分の願いや希望を失っていく。それは知らぬ間に…だ。

介護も終盤に差し掛かった頃の私は明らかに引きこもりに近い心情であり、親しい友人らはひそかに心配していた、と後に話してくれた。

人は自分の思い通りに生きられないと、知らず知らず心が内向きになっていくのかもしれないと、友人との会話で気付かされた。

介護から解放されまだ数か月しか経たないが、ありがたいことに心揺さぶられる出来事があり、今は日々それに夢中になっている。毎日毎日それを見聞きすることで、心の奥底に仕舞っていた希望の光が出現し始めたように感じている。

物理的な年齢は終盤に向かっているが、心の年齢が老いることはないのだから、もらった元気と勇気をこれからに生かしていきたいと、痛烈に感じているこの頃だ。

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2024年03月19日

自分のことは自分で

樋口恵子×和田秀樹「ひとり老い」のほうが老化を遠ざけられる?「家族と一緒に暮らしていても、孤独を感じないとはかぎりません」を読んだ。

結婚していようがいまいが、人間の最後は一人になるものだ。
どちらが先に亡くなるかは分からないが、見送る側と見送られる側、どちらが良いか?
受け止め方はそれぞれだろうが、亡くなる瞬間は明らかに一人なので、どちらであっても大差はないのかもしれない。

大家族で暮らしていると、一人になることは早々ないだろうが、生きていれば人生何があるかは分からない。思いもしないようなことで自分の周りから人がいなくなることもあるし、自ら孤独を求めることもある。

助けてくれる家族がいることはありがたいことだが、それで自身の活動範囲が狭まったり、家のことをしなくなることで、認知症になるリスクが高まることは否めないと、親の介護を通して実感している。

高齢になると動きも緩慢になるので、何をするにも時間がかかる。
親がするのを待っていると、こちらがタイムオーバーになってしまうため、つい自分で全てをこなしてしまい、結果的に親の出来ることを奪ってしまっていたこともあった。

時間がかかっても出来ることをさせたほうが良いが、器具に慣れなかったり、やり方を覚えられず、さらに時間がかかったりと、一緒にいる者にとってはストレス倍増になってしまうから、ついやってしまうのだ。

そう考えると、家族に心配や苛立ちをかけないためには、一人で暮らすことは有益だ。
万一自分が倒れてしまい、最悪孤独死したとしても、それは仕方ないことだと腹をくくるしかないのだろうと。

家族がいても孤独死する老人が多い昨今を思うと、一人暮らしだからこそ他者との関わりがある分、孤独死の率は低くなるのかもしれない。

どう考えるかは人それぞれだが、自分のことは最後まで自分でやっていきたいと思っている。

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2024年03月13日

これも時代の進化!?

ネット動画が見られるテレビが我が家にやって来た。
それはパソコンでも見られるが、画面の大きなテレビだと迫力も音声も違うので、すっかり虜になってしまった。

テレビにWi-Fiが繋がるのって、これはすでにパソコンなのじゃないか?とも思った。
動画を提供するNETFLIXやTVer、ABEMAなどなど、テレビの中ではひとつのアプリとしてインストールされており、パソコン操作と同様に要らないものは削除出来るし、不具合があれば再インストールも出来る。

ネット動画の種類は豊富だし、自分が見たいものを見たい時に見られるので、番組をリアルタイムで見る必要もなくなった。見逃しても無料で観れたりするし、過去の番組も検索で出てくる。
まあ、何と素晴らしいことか!!

昔のドラマ内で期間限定で活動していたアイドルグループにハマっており、何度もミュージックビデオを見ては元気をもらっている。ドラマと連動しているので、その裏話などもあり、見ていて飽きない。

今や面白くなくなったテレビだが、自分の好きなものを選択して見られることは有意義だ。

遅い時間の電車が混まなくなったのも、家でゆっくり好きな番組を観たいから、なんてことも一因かもしれないな…と思った。


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2024年03月08日

根本的な打開の道を

<変わろう、変えよう>女性の働きやすさ、日本は29カ国中27位 英誌エコノミストを読んだ。

この記事からも、日本の男尊女卑は健在なことが良く分かる。
お隣韓国は日本よりも、それが顕著であることからか?最下位という現実だ。

日本の組織は政治家を見れば一目瞭然だが、未だ男社会=企業や行政、組織がそうなるのは必然だ。
それを誤魔化すために、女性の大臣や管理職などを設置するものの、そもそも女性は出世を望まない傾向にあるし、それに価値を見出していないのが現実だ。

それは組織で出世することに魅力を感じず、給料は上がったとしても、人生を組織に捧げる価値がないことを意味している。

日々組織で働いていると、上司のご機嫌取り、自身の査定のためと、何のために働いているのだろう?と思える人が多い。

例えば、100人新入社員がいたとして、全員が将来社長、役員になれるわけでもなく、途中で否が応でも離脱せざるを得ない状況に追い込まれる。

自分にとってその組織で働くことがこの上ない喜びであり、成果をあげられているのであれば、迷わず上を目指せば良いと思うが、金を稼ぐためだけに働いているのであれば、そんなモチベーションが生まれることもないし、他に心血注げるものがあれば尚更だ。

女性は結婚、出産、育児という大きな人生のイベントが付いて回る。本来なら、男性も育児に参加して欲しいが、大概の男性は妻に任せきりなのが現状だ。

男性と同じように働くのに、プラス、家事、育児、介護だなんて…そりゃあ、組織で上に行きたいと思いたくても思えないような仕組みになっているとしか言いようがない。

未だに男尊女卑がまかり通る日本。それで良いのか?日本!!
能力ある女性がどんどん国の中枢や組織のトップとして活躍するのを祈るばかりだ。


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2024年02月24日

どう生きるか

『お別れホスピタル』が視聴者に投げかける“答えのない問い” すべての人が向き合うべき時間を読んだ。

録画して後で見るのでタイムリーではないが、私もこのドラマは見ている。

母が昨年の12月に肺炎で搬送され、3週間ほどHCUにいた。
昨年の夏には敗血症で搬送され、その時も「危ない」と言われたのに、2週間で退院出来た。

今回は前回より厳しい状況だと医師より告げられていた。
HCUを出て一般病棟に移った時には、肺炎の症状は和らいでいたものの、他の臓器が機能しなくなっていると、クリスマス頃に告げられ、後は時間の問題かと…という話だった。

HCUの時は重症患者ばかりであり、否が応でも死と向き合わざわるを得ない場であったが、医師や看護師は最大限の手当をしてくれていた。それを目にするだけでも、母は幸せだと思えた。

一般病棟ではナースステーションに一番近い部屋だったので、状況の深刻さがうかがえた。
時間の許す限り、母の面会に駆けつけた。
その殆どは眠っているばかりだったが、意識はなくとも、魂に語り掛けることは出来ると私は信じているので、母の手や足をさすり、長い年月、良く頑張ったね!と、褒め讃え続けた。

医師から呼び出しが来たのが、クリスマスの翌日だった。
その時母は意識があり、目も開けていて、私達姉妹のことも認識出来ていた。
何かを訴えるように「あ~~、う~~~」と言葉にならない声を出していたが、その意味を理解することは出来ず、ただひたすら手をさすってあげることしか出来なかった。

帰り際「また来るね」と手を振ると、それまで身動きできなかった母が、布団から手を出し「バイバイ」と手を振り返してくれた。

「あ~、これが最後なんだな…」と私は悟った。

それから母の意識は戻ることなく、この元日に天へと還って行った。

このドラマを見ていると、その時の光景が蘇る。
かといってそれがツライわけではなく、人の生死を深く考えさせられる。
同じ病室には似たような患者がいて、この人達もまた、近い将来この世から去っていくのだろう…と。

最期をどう迎えるかは「どう生きてきたか!が全て」だと、母の死を通しても、このドラマを通しても学んだことだ。

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2024年02月20日

人類の行方は

少子化の本当の問題は「子供を欲しがらないこと」…フィンランドの家族学者が提言する少子化の「真の対策」とはを読んだ。

福祉に手厚いフィンランドでも少子化なのか…と思った。

昔は福祉の手当もなかったが、子だくさんな家はたくさんあった。
医療の発達も今ほどではないし、医者がいてもそれに罹れない家も多くあり、そうなると必然的に子供が亡くなる率は高くなる。

現代は昔なら治らない病気も治るようになったし、子供は医療費無料の自治体もある。
福祉や勤める企業の手当もある。そう考えると、昔に比べたら子育てはグッと楽になったはずなのに、現実は真逆だ。

記事にあるように、人は自分の在り方を優先する生き物であり、それはDNAに刻まれた本能であるから、善悪ではない。子供の成長のために自身の生き方を犠牲にすることに抵抗を感じているのだ。

昔は寿命も短く、人生において出来ることの選択肢も少なかったからこそ、自身のDNAを残すため、本能のままに多くの子を産み育てていたのではないか?と思われてならない。

今や自身のスキルを進化させるには、子育てを必要としない、むしろそれを阻む存在になっている?と考える者が増えているように感じる。

子供が多いから未来が安泰というわけではない現実、老いても子供の世話にはなりたくない、子供も親の面倒を看たくない、いや現実として看れないのだから、どうしたって個人主義に偏りがちになるのはある意味自然な流れなのだろう。

これも進化の過程なのか?人類の未来はどこへ向かうのだろう。

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2024年01月25日

もったいない精神へ

ファミリーマート、プラスチック製のスプーン・フォーク・ストローを有料化 直営店舗約100店で1月29日から実施を読んだ。

私が子供の頃は、何でも擦り切れるまで使ったし、姉がいたので大概姉のお古を使うことが多く、新しいものを買ってもらった記憶がほとんどない。

大人になってみれば、モノを大切にする、資源を無駄にしない、という観点で、兄弟姉妹のお古が下の子に回ることは有意義なことだが、そんな事情を鑑みる知恵も知識もない子供にしてみれば「上の子ばかりが良い思いをしている!」と、ひがみ根性が根付いてしまう。

自分が大人になって、自分で稼いで好きなものを買えるようになったのに、なぜかケチってしまう自分…。こういうところにも、貧乏性が根付いているな…と思うものの、モノを大切にしている、ということで言えば、これもアリなのだろう。

コンビニなどで当たり前のようにもらっていた箸やスプーンやストローといったものが有料になることは、若干不便というか、有料か…と思ってしまうものの、それこそマイ箸やマイスプーンを持ち歩いていれば良いだけのことだ。

スーパーなどの買い物袋が有料になった時も若干の戸惑いはあったものの、今やマイバックを常に持ち歩いていて、金額にすれば3~5円くらいの袋にもお金を使わなくなっている。

資源の無駄遣いを減らし、環境汚染を食い止めるのに役立つのであれば、個々人が必要なものを所持していれば良いだけのことだ。小さな事柄でも多くの人が取り組めば、大きな働きに繋がっていく。

資源も自然環境も永遠ではないのだから、大切に使わねば!と思う。

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2024年01月24日

悔いなし

【あなたの終活、間違ってます!】終活をもっと意味のあるものにするヒント「グリーフケア」とは?を読んだ。

身内や大切な人が亡くなれば、誰だって悲しいし、気落ちする。
亡くなった方がこの世からいなくなったことを受け止めるには時間が必要だろう。
それでもなかな立ち直れない者も多くいる、それが人間というものだ。

我が家もこの元日に母が92歳で亡くなった。
80歳を超えた頃から介護が必要となったが、そこから最期へのカウントダウンが始まっているのだと私は覚悟を決め、母が安心して最期を迎えられるよう心掛けた。

介護はおそらく子育てよりキツイと感じる。
子供は成長していくが、介護は状況がどんどんキツクなるうえ、自分も老いていくからだ。

心身共に介護する側が疲弊しきると、そこがどん詰まりで、後は施設のお世話になる選択をする。
施設に入ったからといってそれで終わりではないわけで、生かされている間は面会に行ったり、病気をすればその対応に追われる。

そんなこんな介護生活が10年ほど続き、漸く母は安からに今世を終えた。

母がいなくなったことをもっと悲しむかと思ったが、自分でも意外なほど悲しみはなく、むしろ「よく頑張った!自分!!」と言う感情のほうが強い。
もちろん、母にも「最後までよく頑張った!偉い!!」と、亡骸に声をかけた。

亡くなった悲しみより、介護の辛さのほうが上回ったから、大きな悲しみに見舞われることもなく、どちらかと言えば達成感!!のほうが勝っているのだ。そういう意味において、全く悔いがない。

家庭環境やその人の資質により、相手とどう向き合うかはそれぞれだが、その瞬間瞬間はまさに一期一会だ。そこで悔いのない選択、生き方をしていくことが大切なのだろうと痛感している。

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2024年01月11日

日本の行く末

日本の「エリートたち」がもうエリートではないワケ、日本企業が長期低落している原因を作ったのは誰かを読んだ。

政治、経済界でも、一部の権力者達のご乱心ぶりが露呈する昨今。
大きな組織であればあるほど、それを咎めることも、諫めることも出来ないのが日本社会だ。

記事にあるように、エリートと呼ばれる人達は幼い頃から勉強漬けで、難関大学に合格し、大手企業や官僚等、他者より一目置かれるような組織を目指す者が多い。

組織に入ってみると、年功序列のため、どんなに優秀でもその才能を見出されることも、採用されることも少なく、例え抜擢されても、その手柄は上司のものとなり、前例踏襲に倣い、それ以上のことを望まれることもほぼないのが現実だ。

上司は、自分より秀でる者を嫌がる傾向にあることもまた、若者の才能の目を摘む要因の一つとなっている。

となると、上司より能力が低く、その機嫌を取ることに長けたものだけが高い評価を得て出世していくので、本来の使命などそっちのけで、己の我欲のみを満たそうとする者が上に立つことになる。

そんな者ばかりが組織の上に立てばどうなるか?
火を見るよりも明らかだろう。
今の日本社会の膿の出っぷりは、起きるべくして起きているのだ。

真に能力のある者が上に立てる日が来ることを切に願っている。


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2024年01月01日

謹賀新年

2024年あけましておめでとうございます。
本年も当ブログをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

昨晩NHK紅白歌合戦を観た。
大晦日はこの番組を観ることが恒例行事化しているが、今年流行った曲、話題になった曲、昔懐かしい曲など、様々な趣向が凝らされており、知らないアーティストも多かったが、十分楽しめた。

昔は歌を歌う者は「歌手」と言ったが、現代は歌も歌い、ダンスもレベルが高く、表現の幅も広いため「アーティスト」と呼ぶ。

知らない若手アーティストが多かったが、そのレベルは遥かに高いと感心した。
歌そのものは音符に対して文字数が多すぎて理解不能なものが多かったが、ダンスパフォーマンスは圧巻だ。

他アーティストの楽曲にもダンスで参加したりと、若者達のフレキシブルさに驚いたし、垣根を越えて、演者が楽しんでいる様子は見ているだけで元気がもらえる。

若者に特化したコーナーもあるが、昭和世代も楽しめる昔懐かしい曲もあり、昭和~令和にかけての時代を感じる、大晦日に相応しい構成だったのではないかと思った。

こうやって時代は流れ、パフォーマンスも進化していくのだろう。
数十年後、どんなパフォーマンスが観られるのか?
私がばあさんになった時の楽しみの一つだ。


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2023年12月31日

年賀状じまいのオチ!?

年賀状じまいのつづき。

昨日、最後の年賀状を作成した。
いつも自分で作っているので、PCを立ち上げ昨年のひな型を呼び出し、今年バージョンにアップデート。裏面を印刷後は宛名印刷すれば終わりだ。

宛名印刷については定型フォーマットを利用するほうが便利なので、数年前から郵便局が提供しているクラウド上のソフトを利用してきた。
データも残っているので、それを読み込ませればOKなので、いつものように郵便局の年賀状印刷ソフトを立ち上げた。

裏面印刷の画面は出てくるが、宛名印刷の欄がない。どこをどう探しても出てこない。
検索で郵便局宛名印刷とググると「サービスは昨年で終了」という文字が…。マジ??
宛名印刷出来ないと、手書きになるんだけど~~~。

他にも無料で使えるソフトはないか探したが、今年で年賀状じまいするのに、またわざわざ数十枚の宛名を入力するのも手間なので、大人になって初めて?手書きで宛名を書くことにした。

ここのところ仕事もパソコン入力ばかりで、文字を書く機会がとんと減っていることもあり、自分の字の下手さにゲンナリ…。送られる側が気の毒になるほどだ。

とはいえ、今年で最後!!と、自分に言い聞かせ、一枚一枚心を込めて?宛名と一言コメントを書いた。
当初の予定を遥かに超過したものの、何とか昨日中の集荷に間に合うよう投函出来たことは救いだった。

それにしても…これまで使えたものが使えなくなるのはマジで痛い、というか困る。
年末の時間のない中、思わぬハプニングに見舞われた。

これで心おきなく年賀状じまいが出来る!!もう思い残すことはない!!!と、自身を納得させた出来事だった。


今年も当ブログを閲覧いただきまして、ありがとうございました!!!
来年が貴方様にとって佳き年となりますよう、心より祈念いたします。


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2023年12月30日

年賀状じまい

28日で仕事納めとなり、無事に1年務めを果たすことが出来、ありがたいことだ。

年末年始に6日間の休暇があるものの、年末は家のことをやったり、年賀状作りもあり、休みといえども休める状態ではない。

年始も正月早々から予定があり、こちらも休暇というにはちょっと違う様相を呈しているが、年の始めから元気に活動出来ることもまた、ありがたいことだ。

これまで何十年も続けてきた年賀状作りを、今年で終わりにすることにした。
毎年少しずつ数も減らし、関係の整理もしてきたものの、それでもまだまだ毎年送ってくださる方もいるので、どうしたものか…と思っていたが、来年からまた郵便料金も値上がりするので、これを良い機会ととらえ、これから作成する年賀状に「年賀状じまい」とでっかく載せるつもりだ。

何十年も付き合いがありつつも、遠方だったりして、それこそ何十年も会ってない、下手すると学生の時以来の友人なども年賀状でしか今は繋がっていない。

年に一度のハガキでそれぞれの近況を知る手段としては断ち難い思いはあるものの、今後もおそらく会うこともなく、どちらかが老いて辞めるまで続くのだろうか…と思うと、それはそれで感慨深いものもあり…と、様々な思いが交錯したが、自分とていつ不測の事態が起きぬとも限らぬ年齢でもあるから、今から整理出来ることはどんどんやっていこう、と思った次第だ。

一見人生の終息に向けての備えではあるものの、多くの事柄を整理することで身軽になることを思えば、それはそれで必要なことにも思える。
年齢と共に手の届く範囲に出来る事柄があるほうが自分も楽だし、周囲に迷惑をかけずに済む。

人生の断捨離のひとつである年賀状仕舞いもまた、新たな未来へ向けての第一歩となるのだろう。

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2023年12月15日

老害と呼ばれないために

テレビではカットされる「元気すぎる高齢タレント」の「衝撃的な真実」を読んだ。

老いても元気に社会で活躍出来るのは理想だし、自分もそうありたいと思う。
だが、果たしてそれは社会にとって本当に正しいのか?と思う時もある。

昔と違って今は何かあるとすぐにパワハラだ、セクハラだ…と騒がれる世の中なので、おいそれと余計なことは言えなくなっているが、そんなことはお構いなしに過去の武勇伝をひけらかし、それを押し付ける高齢者はまだまだいる。

仕事のやり方も昔とは大きく変わっているにも関わらずぞれを受け入れず、昭和を引きずったまま、業績が上がらないことを悩んだうえ、社員の働きが悪いからだと他者の責任にするような愚かな上司も多くいる。

いずれも自己中な思考のせいであり、世の中の変化にまったく気付いていない、気付こうとしないことで、周囲を悲劇へと巻き込んでいるのだ。

どんなに元気で若そうに見えても、老化現象を止めることも若返ることも出来ない。
現実を受け入れず、過去の栄光にすがりつくような生き方をしていれば、自然と周囲から「痛い人」認定されるのがオチだ。

心身の健康を維持する努力は大切だが、身の丈に合った生き方を受け入れることが、老害と呼ばれない秘訣だろう。

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2023年11月14日

おひとりさま天国

「おひとりさま高齢者」が特別ではない時代を読んだ。

現時点での日本の65歳以上の高齢者は3,859万人、全人口の約3割を占める。
その中には子育てから解放され、夫婦二人暮らしだったり、親の介護に追われる老々介護者もいたり、離婚や死別でシングルになった者もいるし、最初からおひとりさまの方もいるだろう。

ニュース番組で、60歳台前後の再婚活ブーム特集を観た。
ほとんどの人が残りの人生を一人で過ごすのが寂しい、不安…といったことを口にした。
全員が全員寂しいから婚活しているわけではないだろうが、そういう手段で老後を楽しく豊かに過ごせるのなら、それも一手だろう。

だが、これから出会う人と、一から関係を構築するのって、結構ハードル高いように感じる。
最初はお互い猫被って気を遣いつつ付き合うだろうが、長い年月に培われた習慣や性格はそう簡単に変わるものではない。それこそ互いの価値観がバッチリ!であれば言うことはないが…。

一人でいようが誰かと暮らそうが、最終的に死んでいく時はおひとりさまだ。
お手て繋いで一緒に自然に死ぬことは不可能なのだ。

高齢になって再婚したとして、もし片割れが先に逝ってしまったら、介護が必要になったら…と、考えるとその先の寂莫感は更に厳しいものになってしまいそうにも思うが…。

人間、生まれる時、死ぬ時、誰しも平等におひとりさまだ。
どうせおひとりさまなら、笑顔で天国に召されたいと思っている。

enji_152 at 08:00|PermalinkComments(0)