前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

カテゴリ:今世 > 気付き

話が絶望的に「つまらない人」の7つの共通点を読んで納得。

この記事を読んで思ったことは「話のつまらない人=自己中」ということだ。

自慢話に過去の武勇伝、こちらが話題を振っても本音を語らず、きれいごとで会話を済まそうとする人、思い込みが激しく相手の言い分を否定でしか捉えない等々、自分勝手な話題だけだと、話は続かないな~と思う。

かくいう自分も気付かずに相手に会話を押し付けていることがあるかもしれないから、偉そうには言えないが、少なくとも相手が話に興味なさそうかも?と感じた時点で、話題を相手のことに振ったりもする。
そうでないと会話は成立しないし、次回も会いたいとは思ってもらえないだろう。

最近遭遇したつまらない人の中に、自分がいかに偉大であるか!を誇示する男がいた。
普段は謙虚な振りをしているが、酔っぱらった勢いからか、酒の力が入ったせいか「俺様はこんなにスゴイんだぞ!!」と、威張ったうえに、同僚達の悪口が止まらなくなった。

酒に飲まれた人間ほど哀れなものはない。
その日を境に、それまで抱いていたその人への信頼感は崩壊した。
仕事関係なので今後も付き合わざるを得ないが、距離を置いて接することにした。

人は誰しも自分のことを聞いて欲しいものだろうが、あまりにも「私が!私が!!」となると、気付けば「誰もいなくなるの図」になるので、気を付けたいものだ。

相手に話を聞いてもらいたいなら、まずは相手の話を聞くことが肝要だろう。


これを読んで「じゃ、うちの子も塾には頼らない!」などと安直に考える人はいないだろうか?
これは、小和田家だから当てはまることであって、他人が同じことをしてもうまくいくとは思えない。

子供の頭の良さは、1番に母親の遺伝子、2番目に父親の遺伝子、それぞれが優秀でなければ、優秀な子供は生まれないのだ。

雅子様のご両親は揃って頭脳明晰なうえに人柄も出来ている。こんな親に育てられれば、良い子しか育たないはずだ。

スポーツで活躍する選手や、アイドル、研究者や作家等々、何がしかで優秀な成果を上げた人が現れると、こぞってその人と同じ環境に身を置かせたがる無知な親の何と多いことか…。

子供の才能が何なのか?日々観察していれば、気付けることにも目を背け、周囲の評価に振り回されながら子供に教育を施そうとする。そんな親に育てられる子供が優秀になれるわけがない。
万一優秀に育ったとしても、子供の資質を無視した教育だから、大人になって破綻するのだ。

エリートや優秀な人達が道を踏み外すのも、恐らくそんなことが起因だろう。

無知で愚かな親に育てられることほど、子供にとっての悲劇はないだろう。
だが、そんな親に育てられてた?と気付けたら、自ら軌道修正していく、それもまた必要なことだ。

朝ウォーキングで通る商店街はシャッターが閉まり、閑散としている。
静かな空気の中、たまにすれ違う車や人の足音が聞こえるくらいだ。

朝歩けない時は、夕方歩くようにしている。
すると商店街のシャッターが開いており、店の商品を目にすることが出来る。
買い物をする人もいるし、車の往来は朝よりも多い。

人が生活を始める前と後では、通りの雰囲気はガラリと変わるのだ。
それは人間関係も同じかもしれない。

家族に見せる顔と、他人に見せる顔、仕事の顔とオフの顔。
人にはその時々に応じて見せる顔がある、ということになる。

時には違った角度で街並みも人も観察してみると、新たな発見があるかもしれない。


ジャニーズ事務所に忖度するより、いっそのことテレビ局側が「そんな事務所のタレントは使わない!」となれば良いだけの話ではないだろうか?

現実問題はスポンサーや組織の意向が大きく左右するので、事はそう簡単ではないだろうが、社会全体が無意味な圧力を「否!」と突きつけるようになれば、こういったバカげた問題は減っていくように思う。

芸能の世界で働く者は「芸」を商品にしているのであって、事務所の対面や、見えない大人達のくだらない空中戦のためにあるのではない。

日本の芸能をさらなる高見に押し上げたいのであれば、タレント自身の資質の向上を目指すことが本来あるべき姿だろう。

なんならテレビ局皆で結託して、圧力をかけてくる事務所の人間は使わない!という取り決めをしてはどうだろう?

先日、スーパーで「やめて!だから~やめてってば!」と金切り声を連発する母親に遭遇した。
保育園帰りの子供と一緒にスーパーに来たようだが、子供はお迎えに来てくれたお母さんと買い物が出来ることが楽しくて、テンション高く走り回ったり、商品を手にしたりしている。

レジに並ぶと買い物カゴに入った品物を取り出したり、レジ台につっぷしたり、端から見たら子供らしいな~とは思うものの、毎日これを繰り返されてる母親にしてみれば、またか!と頭に血がのぼるのだろう。

子供が何かするたびに「やめて!」しか言わない母親の形相は、まさに「鬼」のようだった。
子供に悪気はないのだが、日々の生活に追われる母には、それを微笑ましく眺める余裕などないのだろうと思った。

別の日に違う父子と遭遇した。こちらは、父親が自転車の前と後ろに幼児と思しき二人を乗せ、自宅に帰宅したところに私が通りかかった。
そこは道路に面しているので、通行している私が通り過ぎてから自転車を止めればよいものを、わざわざ歩く私を遮るように前に回り込んで自宅玄関前に自転車を止めた。

二人の子供は銘々に自転車から勝手に降りようとする。子供が重心をかけようとすると、自転車はその方向に傾きかける。それでもその父親は平然としたままで、玄関の鍵を開けに行ってしまった。

前者は周囲を気にしすぎてナーバスになり、後者は無頓着に自分のことにしか思考が及んでいない。
両者あまりにも極端だな~~と思った。

子育てに正解はないし、何事も経験して学んでいくことではあるものの、痛い思いをしなければ大切なことに気付けないというのも、何だかな~~と思わされた。

昨今の社会では「障碍者も健常者も共に働き、生きる社会を」がスタンダードになりつつあるものの、忙しく働く毎日のなかでは、なかなか理想論的にはいっていないのが現実だ。

姪の一人は知的障碍者の人と共に働いている。
もう一人の姪は幼稚園の教師をしており、園には同様の子がいるとの話を聞いた。

二人の話を聞くと、一言も愚痴がない。
確かに大変なこともあるけれど、いつも一緒にいるとそれが普通になるし、そういうものだと思えば、特に気にならないと言う。

幼稚園では、その子の距離感などに戸惑うことはあるものの、とても明るく皆の人気者である子は、とてもかわいい、と言うのだ。

生まれた時から可愛がっていた姪二人が、そんな風に考え、感じることが出来るなんて…おばちゃんは感動したし、深く反省した。

自分の職場にも似たような人がいる。
姪達のように温かい目で見れていない自分は、何と心の狭い人間だろう…とも思った。とは言いつつ、日々の業務のうえにおいて、なかなか寛大になりきれないし、それが私の課題でもある。

まさに「負うた子に教わった」、ありがたい1日となった。
偏見を持っている私のほうが、心の障碍者なのだ。深く深く…反省だ。

今年最後の墓参に埼玉まで行った。

東武東上線に乗車し、数十分もすると、のどかな景色が現れる。
年々地方も開発が進み、ずいぶん昔とは趣が変わったが、それでも昔からある畑や田んぼ、川辺の景色はのどかだ。

特に、川辺の奥に聳え立つのが、富士山だ。
今日は晴天だったせいもあり、雪化粧をしたそれがドーン!!と現れた。
墓参での楽しみのひとつでもある。

車内で見かけるのは、まったく景色に目を転じることなく、スマホに釘付けの人達だ。
私の前に座る7人は、全員がスマホに洗脳されていた。
今や、スマホの中にしか世界がないかのようだ。

目を転じれば、そこには日々移ろいゆく景色が広がっているのに、そんな情景に心が向かないとは…何ともったいないことだろう。
必要に迫られ、スマホに釘付けなこともあるだろうが、乗車中一瞬たりとも目を離さずにいる姿は、やはり異様だ。

人間の住む世界は、今やスマホに占拠されてしまったようだ。
だが、本当に目を向けるべきは、リアルな外界なのだが…。

6月に引っ越しをして、以前より小さい家になった。
築年数は以前よりずっと若い。そのせいか、気密性が高く、エコ仕様だ。

そのおかげで、光熱費がグンと下がった。
手狭になったせいもあるが、それらも積もり積もれば結構な額になる。

以前の家は昭和レトロな家で、それはそれで気に入っていたが、建付けに不具合があったり、隙間風が入ってきたりと、年季感は否めなかった。

年季の入った家というのは、暮らすだけでも経費がかかるのだな~と、実感。
古いモノにも良いところはたくさんある。だが、それを維持するのはなかなか大変なことだ。

所変われば光熱費も変わる!?ことを実感した師走だ。

ハワイ島のキラウエア火山噴火の勢いが止まらない。
ハワイ島には何度も行っていたので、あちらには知人もおり心配は尽きない。

日本で同じ規模の噴火が起きたらかなりのパニックになるだろうが、ハワイ島の人達は呑気という言い方は失礼かもしれないが、良い意味でジタバタしないのだ。

溶岩はキラウエア火山の女神ペレの髪の毛と信じられており、この島はペレのものであるから、彼女が怒ると溶岩が流れるのだ、と言う。
「ペレが怒ったのだから仕方ない」と言いながら、溶岩が吹き出せば、まるで花火でも見るかのようにフィーバーするし、溶岩の傍まで行って写真を撮るといった行為が普通なのだ。

日本人から見れば驚きの連続だが、そもそもハワイ島であるこの自然は、すべてペレ(神)のものであり、自分達はその恩恵を受けて生かされているのだ、という心持は日本人も学ぶべき事柄だ。

ハワイ島に限らず、自然豊かなこの日本だって、大自然があればこその賜物だ。
その恩恵に感謝する心を強く持ち続けることが何より大切なのだ、と痛感する。

山田邦子、受動喫煙にブチ切れ 「ふざけんな。いいかげん、嫌だよ」の記事を読んで共感した。

都心では禁煙ゾーンも増え、マナーを守ってくれる喫煙者も増えたが、夜の飲食店は相変わらず喫煙天国だ。

知人、友人も非喫煙者ばかりなので、お店を選ぶ時は禁煙の店を選ぶ。
どんなにおいしい店でも、喫煙可だと二の足を踏む。

そもそも「食べ物」を出すところで、喫煙が出来るほうがおかしいのだ。
食事は身体のためであり、健康を維持するには欠かせない。
なのに、身体に悪い喫煙を許すって?疑問でしかない。

タバコは喫煙所で吸って、食事をする場では控えて欲しいし、吸わずにずっと指にタバコを挟んでいる人を見ると、正直腹が立つ。おまけに、吸った煙をこちらに向けて吐き出す輩もいる。

こんな嫌な思いをしてまで、喫煙の出来る食べ物屋に行きたくはない。だから、行かないのだ。

いつも思うことだが、身体に悪い、身体に悪い、と大騒ぎするのなら、売らなければ良いのだ。
喫煙者からガッポリ税金を取るために売り続けている…何とも皮肉でしかない。

親族に幼い子供が数人いる。
その中の4才児と、「アルプス一万尺」の手遊びをした。

その振りは昔とさほど変わっていないが、後半部分が若干違っていた。
4才児は私が違うことをすると、現代版を教えてくれる。

この世に生を受けて、たったの4年なのに、物事の良し悪しや判断がきちんと出来、私の間違いを指摘し、それを正そうとしてくれるのだ。
私はそのことに感動していると、「ちゃんとやって!」と叱られた。
4才児に叱られるのも、なかなかあることではない、とここでもまた感動してると、マジで切れられた(笑)。

そんな姿がかわいくて仕方ないので、錆び行く脳みそを奮い立たせ、4才児と対等に遊べるまで頑張ってみた。私がきちんとそれが出来るようになったことで、4才児はご満悦だった。

こんな幼い子だって、大人の手本となることが出来るし、教わったら先生だ。

年下でも年上でも、謙虚な気持ちで相対せねば…と、思う出来事だった。

職場に、「思い立ったら吉日!」と言わんばかりの行動力を持つ同僚がいる。
仕事は出来るし、何でもやることが速い。
発言も間違ったことは言っていないし、困った人がいればすぐにでも駆けつける、といった感じだ。

一見すると良い人だな~と思うのだが、長い時間一緒にいると、なんだか居心地の悪さを感じる。
なぜだろう?と考えてみると、一見良い人そうな振る舞いは、実は自分のためだった、ということが見えた時、腑に落ちた。

仕事を効率良くこなし、無駄な作業はガンガンそぎ落としいく。
だが、それは周りの承諾なし、というか有無を言わさず承諾させて進むから、周りは置いてけぼりをくらっているのだ。

自分のしていることは周りのためと思いながらも、実は周りを振り回し、結果的に問題が起きるとその尻拭いは他人にさせる、といった具合だ。

一人でマッハのごとく走り続ける人に助言は意味がない。というか、耳にさえ入らないだろう。
こうなると、あとは転んで痛い目に遭うまで、生温かく見ているしかないのだろうか…。

昔の自分を見ているようで、胸が痛くなる…。

通勤では数駅の乗車のため、あまり奥までは行かず、ドアの付近にいることが多い。

帰りの乗車でいつものようにドア付近にいようとするものの、混雑していたので珍しく反対側のドアまで押されるハメになった。
まあたまには良いか…と思いながら、ふと車窓を見上げた。

すると、都会のネオンの中に、ポッカリほぼ満月が浮かんでいた。
月の周りには薄雲が流れており、闇に浮かぶ光り輝く月の神々しさと、薄絹をまとったようなその流れが何とも幻想的だった。

いつもならそこに居ることはなかったことを思うと、たまには違う場所に身を置くのも良いものだと思わされた。
たかが通勤、されど通勤、いかに快適に、新たな発見があるか?を探す手もあったのか…。

自分の見えていない反対側には、どんな楽しみが待っているか、分からないものだ

久しぶりに大きな病院へ行った。
これまでは、父の付き添いで行くことはあったが、自身のために行ったことはなかった。

そこは、2時間待ちの3分診療なんて言われた時代もあったが、今は違う。
受付のシステムから分類化されており、次のステップへ進む間のそれぞれの待ち時間は以前のように長くない。

要所要所の待ち時間が分刻みだと、そんなに待たされたように感じないからフシギだ。
結局、最初の受付から会計が終わるまでにかかった時間は2時間ほどだった。
昔なら、診察まで2時間待たされたから、各段の進歩だ。

病院も各患者のデータが蓄積され、それぞれの部署で確認出来るからこそ、トータル的にスムーズな流れを生み出せるのだろう。
これでこそ、システム導入した意味がある、というものだ。

それでも、まだまだ工夫出来る点もあるだろうが、それもきっと時の流れと共に解決していくことだろう。
システマチックになることもまた、生きていくうえでありがたい恩恵だな~と感じた

関東地方は、昨日から朝方にかけ台風の影響で大雨、強風に見舞われた。

特に通勤時間帯に上陸する予報だったため、電車も前日から間引き運転をすると報道していた。
だからさ~~~~、間引き運転にするとさ~~~、地獄なんだよ。
いっそのこと、電車止めてくれないかな?といつも思う。

私が利用する電車も特定の区間のみの運転プラス間引き運転との情報を得たため、いつもより早めに家を出た。
幸い、その時間は台風の目に入っていたため、ほぼ雨は止んでいた。

駅につくと想像より人はおらず、電車も1本待っただけで乗れた。
車内はいつもより混んではいたが、思ったほどの混雑はなかった。
が、それはおそらく自分の沿線だけで、他は大変だったかもしれない。

会社に着いてみると、他の人たちもほぼ定時にやってきた。
誰もが早め早めの行動で、いつも通りに到着した感があった。

昼前には青空が広がり、朝からの大騒ぎはいったい何だったのか?といった感じだ。
いつものことながら、自然災害には脆い人間社会を思うと、自然の偉大さを改めて実感させられる

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