前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

カテゴリ:未来へ > 未来へ向けて

俳優の三浦春馬さんが死亡したという報道には、驚愕した。
えええ???なんでーーー???と、頭の中が混乱した。
報道によると遺書もあるらしく、自殺らしい…と。

姪が彼のファンだったことから、一緒に舞台を観に行ったこともあった。ドラマや映画での演技にも安定感があり、それのみならず、歌もダンスもウマイ!!将来有望の若手俳優だ。

容姿端麗で天性の才能にも恵まれ、人柄も良く、人一倍の精進も重ねていたと聞くと「もったいない!!」という思いが湧く。

世の中には必死にがんばっても、芽が出ないまま夢を諦めざるを得ない者のほうが圧倒的だ。
とはいえ、当人にしか分からない、私達には想像だにし得ない苦悩があったのだろうことを思うと、余計胸が締め付けられる。

人はこの世に生まれてくる度に、あの世で神様とどんな修行をするかを約束していると言う説が本当なら、自らの命を絶つということは、その約束を反故にする、ということになる。
しかも、これまで生きてきた全ての努力が水疱に帰すのだ。

苦しみから逃れるために自死し肉体から離れられても、魂が無くなるわけではないから、肉体があれば未来を切り拓くことが出来たかもしれないが、肉体を失ったことでそれも適わず、苦しみは増すばかりだ。

運良く来世で生まれ変わることが出来たとしても、今世での課題を放棄しているから、2倍以上の課題を背負って次の世を生きなければならない。

どんなに苦しくても、辛くても、自らの命を粗末にしてはいけない。
それは、自分を生み育ててくれた親、先祖の思いをも断ち切ることになるのだ。

苦しみの最中にあり自ら死を選択した者に、冷静な判断は出来ないかもしれないが、肉体を失くして後悔しても取り戻せないのだ。

彼の魂が救われていくことを祈るしか出来ないが、生きている者は自らの今世の課題をクリアーするためにも、その命を粗末にせず、輝く生き方をして欲しいと願うばかりだ。

今日の東京都でのコロナ感染者は200人を超えた。
新宿区のホストクラブ等を中心に、1日3000人ほどの検査をした結果だそうだ。

新宿区歌舞伎町での感染が拡大していることから、夜の街は客足が減り、飲食業や風俗業は悲鳴をあげている。

店側も感染対策として都が推進する3密回避や消毒等を実施してはいるものの、狭い店舗で数人集まれば必然的に密になるし、黙って呑むなんてことはまずあり得ないし、酒が入れば気も大きくなって、コロナなんてどこ吹く風、といった感じになり、店側がどんなに対策を講じても大した効果は見込めないだろう。

狭い店舗に高い家賃を払い、維持費のために働いているような店の経営というのはどうなのだろう?
そこに固執する意義があるのだろうか?もちろん、それまでになるには並大抵の努力ではなかっただろうし、せっかく手にした店を手放すのは惜しいだろう。

だが、今後もコロナは無くならないのだ。
それならば、一刻も早く次の段階に目を向けるべきだろう。

地方では、中小企業や職人の継承者がおらず困っているとの特集番組を観た。
決してたやすい仕事ではないし、それを継承するには、これまで以上の忍耐と努力が必要となるが、適性が叶い、それを継承することが出来たならば、新たな道が拓けることは間違いないのだ。

方や風前の灯火にしがみつき、方や継承者がいないことで風前の灯火になろうとしている現実を思うと、自分がしがみついたものが本当に必要なものなのか?

今一度立ち止り、広い視野で未来を見据えることが大切だと感じた。

九州の豪雨は「これまでこんなことは一度もなかった」と、被災した住民が口々に言うほどだ。

線状降水帯は同じ場所で長く豪雨をもたらす。
そんな状況で避難など出来るはずもなく、ただただ成り行きを見守るしかない。

河川の氾濫、土砂崩れと次々と自然は崩壊へと向かうばかりで、それまで平和に暮らしていた人間は成すすべもない。

よく「ご先祖様から受け継いだ土地だから」という言葉を耳にすることがある。
そこで生まれ育ち、その土地から離れたこともないし、先祖の供養もせねばならなければ、確かにそこから出るという選択肢はないのだろう。

だが、ここ数年毎年のように豪雨に見舞われていると、土地は削られ、氾濫した泥水で全てが破壊され流されてしまうのだ。

東日本大震災の津波の時もそうだったが、ほんの数メートル高い場所にあった家は被害を受けずに済んでおり、海岸線上にあった家はものの見事に何キロにも亘って流されてしまっていた。

その惨状を目にした時、人間がどんなに大切に守っていたとしても、自然の働きには抗えないし、無常の風は容赦なく吹くものだと痛感した。

大切なものを守る気持ちは尊いが、それらを守る自身の命がなければ話にならない。
温暖化が進む限り、これからも自然災害は更に激しさを増すだろう。

コロナ禍でこれまでの生活様式を改めねばならぬ中、更にその次のことも考えなくてはならない現実を突きつけられているのだ。

多くのものを失くした悲しみは尽きないが、生きている限り前進するしかないのだ。
これまでと同じ生活は送れないのだ、と腹をくくり、次を見据え行動することが何よりも大切だ。

未知の細菌やウイルスも…永久凍土の融解で地球が危ない!を読んだ。

ここ数年で地球温暖化は加速し、毎年のように大雨、大型台風が襲来している。
1日100ミリの雨が降り続けただけで河は氾濫し、街は水に流され沈むのだ。

こうなった原因は、取りも直さず人間の日常にあるから、自然に文句を言うのはお門違いだ。
そうなることを見越して、地球温暖化を止める働きをする者もいる一方で、おかまいなしに二酸化炭素等を垂れ流す者もいる。

人間にはいろんなタイプがいて、それが家族であれば逃げようのない関係性に否が応でも向き合わなければならないが、赤の他人であればその場限りで済まされる。

とはいえ、地球という星そのものがひとつの家族と考えると、現実に起きている自然破壊が、近い未来において自分達のクビを締めることに繋がることを、理解出来ない人達に伝える必要がある。そういう意味で、赤の他人だからと、知らん顔して済む話ではないのだ。

現在は未知のコロナウイルスと闘っている最中であるのに、地球温暖化による永久凍土の溶解で更なる未知のウイルスや細菌が出現したら、この地球はいったいどうなるのだろう。

人類だけが生き残れれば良いという問題ではないのだ。
人類以外の生物が生きられないようなことになれば、間違いなく人類も滅んでいくことになる。

その日の食事にありつけるかどうか、生きるか死ぬかといった瀬戸際にいる者に対して、地球温暖化がどうの、二酸化炭素がどうのと言ってもまずもって伝わらないだろう。

今できることは、事の真相がわかる者達が解決の道へ向けて進むしかないのだ。
そうでなければ、日本の、世界の、いや地球の未来は生物のいない世界となってしまうだろう。

身内に小学5年生になる女子がいる。コロナ禍でずっと休校が続き「暇だ~暇だ~」と言っていた。
たまにしか会えないのだが、会った時には「こういう時だからこそ、自分の好きなものを見つけられると良いね」と話していた。

その後自宅で料理やお菓子作りを覚えたり、ゴム編をしたり、アイロンビーズにも取り組んだそうだ。
久しぶりに会った時、彼女が作り溜めたアイロンビーズを見せてくれた。

小さなビーズをひとつひとつ型にはめ込み、成型して最後にアイロンで固めて、コースターなどに利用出来、実用的でもある。
作品を見てまず思ったのは、彩の華やかさ、デザイン完成度の高さだ。

話を聞くと、小さいビーズをどこにどうはめこんだらうまくいくか、好きな色をどう組み合わせたらキレイに見えるかを考えながら作った、というではないか。

誰から教わることなく、自分で考えたというから、その天性に感心した。

これまで自分の好きなことや才能を見つけられず悶々としていたようだが、今回のことで一筋の光が見えたようだ。

将来デザインなどの世界を目指すかどうかは分からないが、好きなこと、得意なことを生かす楽しさと喜びを感じられたことは、彼女にとって大きな収穫だ。

私もその出来栄えを大いに誉め讃えた。
これまではイライラすることが多かった彼女が、ニッコリ微笑んでくれた。それがまた何とも可愛いのだ。

彼女の未来はこれからだ。
世の中がどうなるかは未知だが、天から与えられた才能を、これからも楽しんで伸ばしてくれたら…と、願わずにはいられなかった。
200530

12月に入ると、この1年間を締め括らねばならぬ!的な出来事が次々起きた。
殊に、後半2週間はまさに怒涛の日々で「仕事→家事→ランチ会に忘年会→突発的出来事→更なる片付けねばならぬ出来事勃発」と、このサイクルに翻弄されていた。

その中にはちょっとしたプチ事故もあり、直接的被害はなかったが、その衝撃で身体にロックがかかったらしく、筋肉が硬直し後遺症が腰に残ってしまった。
普段から交通事情には気を付けてはいるものの、相手からぶつかってこられたら逃げようがないものだ。
それでも、大ごとになることもなかったことは、幸いであった。

一つそういうことがあると、全てが好まざる方向へ走り出す。
詳細は省くが、まあ次から次へとよくこんなに物事が動くな…というほどだった。

もしかすると、来年は展開の年になるのかもしれない。
そんな予感もするし、そのために年内に一気にいろんなことが起きているのかもしれない。

仕事納め後も家のことや親族のことに翻弄され、気付けばもう大晦日。
9連休の年末年始休暇も、あっという間に終わりそうだ。

まさに、師走に相応しい?年の瀬であった。

今年もブログをお読みくださった皆さま、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。

佳いお年をお迎えください!

昨夕皇居前広場で催された、天皇陛下の即位を祝う「国民祭典」の祝賀式典、そして今日は天皇陛下の即位に伴うパレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」が午後3時より行われた。

いずれも令和の新天皇の即位を祝す行事ではあるが、誰もが緊張感と高揚感を以て臨んだのではないだろうか。直接出向けなくとも、テレビやインターネット中継でそれを見ることも出来る。

日本は皇室があるから、他国からも一目置かれているし、その働きがあるから、日本は平和でいられるのだと常々感じている。

即位された天皇陛下、皇后陛下の日々の並大抵ではない研鑽の日々があるから、それを直接見ることは出来なくても、その思いが伝わってくるからこそ、国民は自然と頭を垂れる気持ちにならされるのだろう。

即位に当たり、多くの関係者、警備の方々、どれほどの力が結集したことか、とも思わされた。
誰もがひとえに平和を願い、祈り続ける姿勢が、この行事を成功させたのだと感服した。

これからも、日本が、世界が平和であり続けられるよう、微力ながら祈り続けたいと思う。

先日、テレビの主な視聴者は年配者だ、という話になった。
40代以降の年代がメインターゲットなため、番組の内容も、健康情報、旅番組、懐かしの昭和歌謡ショーを多く目にする。ドラマの主役も中年が多くなっているのも、視聴者目線に対応したものだろう。

では、若者は何を見ているのか?
映像はスマホで観るもので、リビングで家族揃ってテレビを観る、という感覚ではないそうだ。
皆がそうではないだろうが、観たいものを観たい時に一人で観る、というのが主流であることは間違いなさそうだ。

SNSも多岐にわたり、流れになかなか追い付けないのが現実だが、それさえも若者達は上手に駆使しているようだ。
私も遅ればせながらインスタを始めたが、いまいち使い方が分からず苦心している。

老体にムチ打ちながら、少しでも新しいことを吸収しようと精進?しております。

再雇用になったら給与は半分以下?「定年前は年収900万円以上、定年後は300万円以上400万円未満」が最多にを読んだ。

定年後の給与は半額以下になる、というものだが、定年が60歳だとして、その歳まで年功序列で高い給料をもらっていたのだから、文句はあるまい、と思うのだが…。

男尊女卑の日本は、仕事が出来ようが出来まいが、男性のほうが給料は高い。
契約社員から正社員に転換するのだって、男性優位だ。

建前では男女平等とは言っているが、それはほんの一握りの役所や企業だけで、現実は女性に厳しいのだ。その証拠に、シングルマザーは貧困の一途を辿っており、年収200万円台という人だって多くいる。

一見豊かに見える日本において、子供の貧困が問題になっている。
シングルマザーだって好きでそうなるわけではないし、シングルにならなければ自分も子供も生きていけない、ということなのだ。

最近では50代で再雇用並みの給料に格下げになる企業もある。
だが、企業において管理職に胡坐をかいていれば生産性はガタ落ちだ。そうなるのもこれまた致し方ないことだ。

男であろうが、女であろうが、仕事が出来る人が正当な報酬を得られる世の中になって欲しいし、シングルで子育てをしている人達への支援ももっと厚くても良いと思うのだが…。

まともな教養を受けられなければ、まともな大人にはなれない。
未来の日本への投資のほうが大切なはずだが…。


日本人の平均寿命が今年も更新したとのニュースを耳にした。
女性は87.32歳、男性が81.25歳だそうだ。
江戸時代から約2倍の寿命になっている。たかだが2~3百年の間にだ。

健康寿命が延び、お元気に活躍される方が多くいるのは喜ばしいことだが、時にそれが弊害を生むこともある。

政界、財界、芸能界等々…老兵達が頑張れば頑張るほど、若手の出番は減っていく。
人生の達人から見れば、若造達のやること成すこと、気に入らない、心配でならないことだらけだろう。
だが、自分だって若い時があったはずだ。

更に言うならば、世の中は否が応でも進化し続けている。
いつまでも自分が若かった時のことを引き合いに出して、現代人の進化を妨げるのは止めたほうが身のためだ。

昔の武勇伝を忘れられず、いつまでも現役でいることにこだわり続けることが、若者の成長を妨げ、ひいてはそれが自分の老後に大きく影響することに思いが至れないとは…。

若者達だって自分達の前に道が開けば、否が応でも精進するのだ。
長生きする者は、その手助けをすれど、邪魔をしてはならないのだ。

自分の歩んだ道を早めに若者に託す…それくらいの度量があれば、日本は安泰なのだが…。

7月も後半に入ったが、連日の梅雨寒で夏を感じ辛いこの頃だ。
今夜のNHK「うたコン」は、「夏うた」がテーマだ。

昭和の名曲を多くの歌手が歌ってくれる。
やはり昭和時代は良い曲がたくさんあったな、としみじみ感じ入っている。

その中でもTUBEは当時と変わらぬ歌声で、会場を一気に夏!にしてしまう!このパワー!!
毎年夏になると彼らの曲を耳にするが、80年代から聞き続け、気付けば30年をゆうに越えているが、未だ色あせることなく、この時期には聞きたくなる。

当時のアイドルやアーティスト達でオリジナルメンバーで残っているのは、TUBEくらいではないだろうか。年齢に抗うことなく、メンバー全員が良い歳の取り方をしているな~と思う。

彼らの歌を聞くたびに、暑い夏もワクワク感じるから不思議だ。
これからも、ずっとずっと名曲を届けて欲しいと切に願う。

こうやって、私たちは未来へ進んでいるのだろう。

デイサービスに行くようになった母は、1日1日元気になっているように感じる。
やはり、人は日々他人と接し、良いことも嫌なことにも向き合いながら生きていくことが大切なのだと痛感した。

区から母の健康診断書が届いたので、さっそく掛かりつけ医に予約し、健診に行ってきた。
これまでも大病はしたことがないうえに持病もなく、普段から薬も飲んでいないが、今回の健診でも大きな異常はなく、医師も驚いていた。

その時「この歳でこれだけの結果を出せるなんて、あなたは勝ち組ですね」と医師から言われた。
ほぉ~!先生ったら、うまいこと言うな~と感心したと同時に、確かにこの歳まで元気に過ごせ、異常もなく日々元気に生きていられることこそ、まさに「勝ち組」の証だ。

世間では、事業に成功したとか、出世した、名声を上げたといったことが「勝ち組」と言われがちだが、その名声は永遠に続くものではないし、築いた財産だって死んでしまえば手放さざるを得ないし、会社を辞めればタダの人だし…と思うと、人の勝ち負けは、この世を去る間際にしか判断出来ないのではないか?とも思った。

長い人生、どんな生き方をし、どれほど多くの人たちの役に立てる生き方が出来たか?その真価が問われる時にこそ、自身が「勝ち組」だったのか「負け組」だったのかが分かるのだ。

心身共に健やかな老後を過ごす=勝ち組となれるかどうかは、自身のこれまでの生きざまの結果なのだ。



朝、NHKで「真央が行く!」という番組を見た。
パラリンピックに出場すべく選手達を、浅田真央ちゃんが取材し、応援する企画だ。

オリンピックで銀メダルを獲った真央ちゃんだからこそ、その厳しさ、難しさ、嬉しさ等々を理解出来る、それに彼女の持つ優しさの資質が加わり、適材適所な仕事ぶりだな、と感心した。

その中で驚いたのは「これまで獲ったメダルがどこにあるか分からない」という真央ちゃんの発言だった。オリンピックの銀メダルを始め、世界選手権、グランプリシリーズ、日本選手権等々、数限りないほどのメダルを獲ったであろうに…。

だからと言って失くした、というわけではなく、その真意は、過去は振り返らない、こだわらない、常に前を向き、未来に向かって生きる、という真央ちゃんの信念だ。

さすが真央ちゃん!!世界中が驚くような記録を打ち立てても、それにこだわることなく精進する姿は、選手時代と少しも変わらない。それどころか、日本中を巡り、見聞を広め、これから先の人生に生かそうとしている。

今日で2018は終わる。それは誰の身の上にも同じだ。
私も未来に向け、今出来ることに精一杯取り組み、今よりもさらに高見を目指せるよう頑張りたいと思う。

フィギュアスケートGPシリーズロシア大会に、元全米女王のグレイシー・ゴールドがエントリーしていた。
ショートで見た彼女の容姿は、昔のそれとは違っており、同じ人とは思えないほどだった。

解説では摂食障害に苦しんでおり、それにより体型が変わってしまった、という。
グレイシー・ゴールドの美貌たるや、ハリウッド女優にも勝るほどだったし、それがこんなにも変貌するのかと驚かされた。

心身共に疲弊する病気と闘い、ようやく人前に出れるまでになったものの、ショートの出来は散々で、これでまた彼女の心が壊れなければ良いのだが…と思うほどだった。
そのせいか、翌日のフリーは辞退した。

どんなに凄い!と言われる選手でも、良い時もあればそうでない時もあるし、地獄を見るほどの苦しみを味わうこともあるだろう。
それでも、それから逃げず前を見続け闘った彼女はスゴイ!!と思うし、尊敬する。

まだその途上ではあるのだろうが、積み上げてきたこれまでの道程は決して無駄にはならない。
今回のことにめげることなく、本来の彼女の美しさが、内面から再びにじみ出ることを願っている。

未来は確実に変えられるのだから。

学校にクーラーを入れることを反対する人達がいる、というニュースを耳にした。

確かに、私が子供の頃はクーラーなんてものはなく、熱風吹きすさぶ教室で、汗だくになりながら授業を受けていた。
だからなのか?子供は我慢しろ、というのはちょっと違う気がする。

忍耐、辛抱を学ぶ場は他にもたくさんある。
欲しいものを我慢したり、兄弟姉妹に親を独占されてかまってもらえなかったり、テストで良い結果を出すために勉強したり、親に言われてしぶしぶ?塾や習い事に行ったり…と、子供時代は我慢と辛抱の連続だ。

近年稀にみる暑さが続いている中、気象庁も「命の危険が差し迫っている」とまで言っているのだから、クーラーくらい入れてあげても良いんじゃない?と思う。

快適な空間で学ぶことで成績が向上すれば、なお良いわけだし、じっと机に座って勉強すること自体が、子供にとっては既に修行の一環でもある。

自分達が苦労したのだから、若い人も同じように、という思いは分からないではないが、人生は良いこともそうでないことも同じ量だと私は思っている。
「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」なのだ。

若い人達が未来においてどんな苦難に出遭うか出遭わないか、この世には既にいないであろう私達には想像だにし得ないが、人生はそんな甘いものではない。

時は流れている。未来の形はどんなものか…。
クーラーを入れたか入れなかったかは、些細な事だ。

今手元にある現実と、過去に受けた己の苦悩のみを振りかざしてギャーギャー騒ぎ立てること、その行為は愚かでしかない。

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